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すみません。くだらない質問します

もしかすると大変お恥ずかしい質問をしてしまっているかもしれませんがよろしくお願いします。 小さい頃から私が考えてきたこと、自分ではとてもくだらない考えだと思っていたのですが、今日友達に笑い話で話してみると「哲学者だね~」と言われました。皆さんはどう思われるでしょうか。↓ ・今の自分はゲームのキャラクターであり、本当の現実世界に存在する人間が私をコントローラーで操作しているのかもしれない。私が日々行う決断は、実はその人間によってボタン一つで行われている。つまり、自分というものは存在しない。 ・例えば「地球」。私には「地球」は「地球」という言葉であるが、他人には「地球」は「地球」という言葉ではなく「空」という言葉かもしれない。ただ私にはその人が「空」と言っているが「地球」と聞こえているので会話が成り立っている。 ・この世界には私以外のものは存在していない。私の周りの家族、友人、恋人、先生、他人・・・すべて私が作りだした幻想。 ・実際にはこの時代しか存在しない。歴史などはただの虚構であり、もしも輪廻というものがあるのなら、この時代、今の自分、今の人生の繰り返しである。 ・もしかすると、今の自分は実は夢の中にいて、実は自分は死んでいる。夢の中で全うした人生をそっくりそのまま再現しているのかもしれない。 ・人間は「考える」という行為をする。心の中で考える。しかしその行為は実は自分にしか成しえない行為である。 ・今自分がいるこの場所しか存在しないのかもしれない。例えば家にいれば自宅しか存在しない。学校にいれば自宅は消滅していて、帰ればまた現れる。 今思いつくものはこれぐらいですが、哲学を勉強なさっている方々はどう思われますか?家族に言ってみたところ、「理解不能。そんなこと考えること自体おかしいやろ」と言われてしまいました。やはりそんなレベルのことですかね・・・(笑) 哲学というものに全く触れたことのない私なのでお手柔らかにお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.8

なかなか面白いと思います。 質問の本質を突くと、全ては虚構や幻想なのではないか?ということだと思います。 しかしその反面、もし全てが虚構、幻想ならこのリアル(現実、私が認識していること)は、なんだ?ということも疑問としてあるでしょう。私がこの疑問の答えを自ら書くことはできませんが、そのヒントになる本や思想家を挙げることはできます。 ここからは、説明しながらですと長くなるので、キーワードだけ並べますが、ご興味があれば調べてみてください。 幻想・虚構 ポストモダン思想 ジャン・ボードリアール『物の体系』『消費社会の神話と構造』『シミュレーションとシミュラークル』→この辺は簡単です。これがわからなかったら、この先は、お金の無駄になります。 ニーチェ(ポストモダンではないですが…) 『悲劇の誕生』→『ツァラトゥスラ』 リアリティ(リアリティの復権) ポスト構造主義 ミシェル・フーコー『言葉と物』『監獄の誕生』『知への意志』 ドゥルーズ『経験論と主体性』『差異と反復』『哲学とは何か』 などなど 他にもポスト構造主義を理解するには、哲学的な前提が多いので、名前を挙げると、スピノザ・ライプニッツ・ヒューム・カント・ニーチェ・ベルグソンなどが挙げられます。もちろんもっと多いですが… まずは、ボードリアールを『マトリックス』と併せて見ながら、ボードリアールの主張と『マトリックス』の世界がどう違うかを理解することから始めてみてはどうでしょうか?

noname#100622
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ちょうど授業で哲学の一歩前のような感じの授業をしており、面白いなと思ってきたところなので、まずインターネットで調べてみてから、もしついていけそうならお薦めしていただいた本や勉強法(?)を試してみたいと思います。 詳しく教えていただきありがとうございました!!!

その他の回答 (7)

noname#98949
noname#98949
回答No.7

ごめ~ん 間違っちゃた。 ブードー物理教だった。

noname#98948
noname#98948
回答No.6

煽てれば 調子に乗って 散逸構造理論? 所詮 量子論という梵の上で踊るブードー物理学だよ 笑っちゃうよ

noname#100622
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 全く調子に乗っているつもりはありませんが・・・ 暇なときに考えていたことなので流してください。 もちろん私は哲学が何かということさえ知らない者なので・・ 失礼しました

  • booter
  • ベストアンサー率34% (269/769)
回答No.5

まず、人は自分自身の脳みそで感覚したものしか捉えられない事が挙げられます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%81%AE%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2 以下は完全に私見ですが、人間が知識欲を満たす為、あるいは認識を行う為にさまざまな角度から見る習性があると思うのですが、これには ・その存在そのものを素直に見る という認識の仕方と ・反例を持ってきて「素直に見ればこうなんだけれど、実はこうなんじゃないか? 」と疑問をし、その否定をする事で心の確証を得る。 というやり方で認識をする事もやるかと考えています。 件の例についてはその心的な働きが行き過ぎた例なのではないかと。 哲学的意見ではありませんが、下記回答させて下さい。 つまりは家にいる今は学校が無いのでは? という疑問は、誰しも一瞬は持った事があるかと思います。確かに目で見たり、手で触れえたりするもの以外は完全に自分の認識できうる範囲外の事なので自分自身の認識に対する「学校がある」という完全な立証は出来ないのですが、経験則や他人から聞いた確度の高い情報から「学校がある」と仮定・推測した方が遥かに実益に適いますし、皆知らず知らずの内に「そういったものが便利なんだな」と疑問に思わずに自分の記憶を使って生活しているので「そうした考え方は変だ」となるように思います。 ただこれは変でも何でもなく、人間が自然に考える事を煮詰めるとそうなってしまうのですが、(私の経験則から)実益には即しませんよ、という事を私は言いたいのです。 かの湾岸戦争の指揮を執ったコリン・パウエル氏の言葉をうろ覚えですが引用してみます。自身の自伝で「物事を遂行する為の情報というものが全くない状態を0、全てある状態を10とする。例えばある地域で戦闘が起こった際に、どこにどういう兵力を投入すべきか、あるいは敵はどういった装備で何時に突入予定だとか、何人いるのか、戦車はどれだけあるのか、それに対してこちらはどうすべきか、といった戦闘指揮を遂行する為の10の情報は最初の時点で全ては揃わない。時間の経過と共に1,2,3,4と勝利する為の情報が得られていくのだが、1~3では誤った判断をする事が多い。かと言って、8~10の情報が得られた時でも情報は十分にあるが、実際に行動するには現実的に遅すぎる。つまり、物事は4~7の情報を得られた時点で走り出す事が良いと私は考えている」 との事で、これを我々の日常生活の中に応用するとすれば、ある程度自分自身の中で「学校がある」と疑問があったとしても経験則や記憶から推測、仮定して行動した方が実利に適う、と言えます。 哲学的な回答ではなく大変申し訳ないです。哲学を否定する訳では無いのですが、優れた回答は他の回答者の方がされておりますので、私自身は参考意見として別角度からの意見を述べさせて頂きました。

noname#100622
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 色々な見方がありますね・・・。 ひとまず私のこの考えについては今まで通り暇なときに考える程度で留めておこうと思います。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.4

>自分ではとてもくだらない考えだと思っていたのですが、 とんでもございません。貴方の考え方は人類の歴史の中で超一流の方々が永遠と考え続けてきており、これから説明するように、現代物理学の最先端を具現した考え方です。下に貼付けたヒンドゥーの眠れる神ヴィシュヌをご覧下さい。ヴィシュヌ神は蛇神ナーガの上に横たわっており、ヴィシュヌのへそから、蓮の花が伸びて行き、そこに創造の神ブラフマーが生まれて鎮座しております。そして、ヴィシュヌを眠りから起こさないように妻のラクシュミーがヴィシュヌの足を心地よい位置で支えております。 私は、この写真よりももっと素晴らしいレリーフをヨーロッパ人でノーベル賞を受賞された方の家で見ました。そのとき、そこにやはりとても有名なインド人の物理学者が招待されていたのですが、その方が、このレリーフの意味を説明して下さいました。それは、貴方の考えと大変良く似ております。 インドの偉大な思想家達が、この世界を眺め、結局、次のように考えるようになったのだそうです。この世はヴィシュヌの見ている夢なのである。したがって、ヴシュヌが目覚めると、この世が消滅してしまう。そこで、ヴィシュヌを起こさないように、彼の妻ラクシュミーが彼の足を心地よい位置で支えているのだ。 ところが、話はそんなに単純ではない。実は、ヴィシュヌは色々な夢を見ている。したがって、ヴィシュヌは世界の可能性だけを与えてるだけであり、その可能性の中からどれを具体的に実現させるかを決めなくてならない。それを司るのが彼のへそから生まれたブラフマーなのだ。ブラフマーはヴィシュヌの夢を観測し、その観測の結果これだと決めた世界が、現実の世界として出現するのだ。 そこまで説明して、そのインド人の教授は、「この話は、実は現在物理学の成果である量子力学の世界を表していることに気が付きましたか」っと、もっと驚くべきことを言いました。教授曰く、  「ヴィシュヌを現代物理学の量子力学の用語でいうと、波動関数と言うのだ。波動関数は、良く知られているように、世界の在り方の可能性を表している。だから、波動関数その物が我々の世界その物ではない。量子力学によると、その可能性の中から現実の世界を出現させるためには、誰かが観測しなくてはならない。この観測者の役割を論じているのが、あの有名なフォン・ノイマンの観測の理論と呼ばれているものである。そして、ブラフマーはその観測者のことだ。この例でも分かるように、西洋人達が科学科学とほざき回っていることなどは、インド人達は何千年も前から言っていたのだ。えっへん」 てなことです。 質問者さんの「今自分がいるこの場所しか存在しないのかもしれない。例えば家にいれば自宅しか存在しない。学校にいれば自宅は消滅していて、帰ればまた現れる」という主張は、まさに現代物理学の量子力学の言っていることと本質的に同じですね。量子力学によると、「観測者が観測する以前には可能性だけが存在しているのであり、どの現象が既に起こったとは言えない。そして、それが実際に起こるためには、観測者がそれを観測する必要がある」と言う主張を別の言葉で言い換えただけですからね。この観測の問題に関して、「シュレーディンガーの猫」という有名な物理学の問題がありますので、ウエッブサイトでご自分で調べてみると面白いですよ。 世界がそのように出来ていると西洋人で始めに言い出したのは、カルフォルニア大学にその名を残した、アイルランドの哲学者で聖職者のジョージ・バークリーです。彼は、量子力学が前世紀初頭に発見されるより150年以上も前に、「存在することは知覚されることである」と主張しました。 世が世なら、質問者さんは哲学や科学に永遠にその名を残せたかも知れなかったですね。おっしい~~!

noname#100622
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ふむふむと思いながら回答文を読ませていただきました。 私の考えはそんなに大それたものではございません・・。恐縮です。 最近、授業で哲学の入り口のようなものを勉強しており、授業を聴いていて面白いなと思ってきたところだったので、まずインターネットで色々調べてみようと思います^^

回答No.3

ちょっと筋違いですが、押井守の作品(アニメ)を見てください。 楽しめると思います。 うる星やつらビューティフル・ドリーマー 天子の卵 パトレーバー劇場版シリーズ 甲殻機動隊劇場版シリーズ で、この手の考えは学問ではやるなら良いでしょうが、俗世間一般では認められません。 まあ、頭の体操程度に留めておくのがベストでしょう。 大きくなったら日々の生活(金儲け)で忙しくていい思い出になります。

noname#100622
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね・・・。今まで通り暇なときに考えることにします(笑)

  • asunasi
  • ベストアンサー率32% (10/31)
回答No.2

すみません哲学を勉強してはいないのですが、懐かしさを覚えたので投稿させていただきます。 ひと言で言えば、「お若い」。 悪い意味じゃありません。もう中年と呼ばれる身になった者としては、うらやましいな、と^^; 実は私も同じ考えを持っていました。 もし『赤』という色が人それぞれに違う色に見えていたとしても、「これが赤という色なのよ」と教えられていれば、実際には違う色に見えているにもかかわらず社会的には『赤』という共通の認識が成り立つのではないか、というものです。 まあ、小学生の時の未熟な思考遊びにすぎなかった訳ですが。 身の回りの現実を疑う事は大事だと思います。 でなければ、いまだに我々は真っ平らな地球に住んでいたのかもしれません。 需要なのは、それを現実と照らし合わせてどうなるか、という事だと思います。 例えば質問者様は『地球』を引き合いに出して『他者』の存在を認めているにもかかわらず、別の点では「この世には私しかいない」と他者の存在を否定しています。少なくとも『思考』としての形をとるなら、その矛盾を解消しなければなりませんね。 『他者』が自己妄想の産物ならば、なぜ現実に『他者』を認識する必要があったのでしょうか? 『他者』が全く存在しない世界も有り得たはずなのに。 質問者様がおいくつの方かは存じませんが、貴方は今まさに学問への入り口に立っているのかもしれません。 私が言うのも何ですが、哲学を勉強してください(笑) すばらしい世界が開けているかもしれません。 あまり根をつめると、別の世界の住人になってしまうかもしれませんが。

noname#100622
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >少なくとも『思考』としての形をとるなら、その矛盾を解消しなければなりませんね。 暇なときにボーっと考えていたことだったので矛盾していることにすら気付きませんでした。 最近学校の授業で哲学を強制的にやっているのですが、少し面白いなあとも思うので本を読む程度に勉強していこうかなと思います。 ちなみに私は大学1年生です。

回答No.1

そういう考えを研究している人もいるようです。 アイデンティティーのパラドクスとよばれているのか知りませんが、 こういうのがあります。 昨日の自分と今日の自分と明日の自分は同一人物だろうか? 肉体、精神どちらが自分たらしめるものなのか。 人間の細胞は半年ですべて入れ替わるので、半年後は他人ではないのか。 DNAはどうだろうか?DNAならクローンも同一人物となってしまう。 では精神、記憶に重きをおくとどうか。 その場合、ハードディスクなどの機械も同一人物になってしまう。 自分が自己同一性を自我と言いますが、ある脳研究者は、自我というものは一種の妄想ではないかと思うようになった言ったそうです。 こういう場合、もっとも適切な対処法は、 気にしない。 ということだと思います。 このあたりについては、仏教の色即是空を知るとより面白くなってきます。

参考URL:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310319453
noname#100622
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 色即是空や朝三暮四・・・高校生のときにやった気がします。 教科書読みなおしてみようと思います。