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「存在」について
存在そのものに対する疑問は哲学者で誰が研究されたことがありますか?できるだけ世界的に有名な哲学者の名を挙げてください。できれば著書もお願いします。 存在は人間に認識されて初めて価値を持つでしょう。しかし人間が認識せずとも、それは存在し、そのものは自然界においての自らの役割を果たします。存在って何なのでしょうか?
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>できるだけ世界的に有名な哲学者の名を挙げてください。 フランスの近代哲学者、ジャン・ポール・サルトル >できれば著書もお願いします 「存在と無」 (参考URL) >存在は人間に認識されて初めて価値を持つでしょう。しかし人間が認識せずとも、それは存在し、そのものは自然界においての自らの役割を果たします。 人間の認識と別に存在するかどうかは 現在でも重要な研究課題です。 「森の奥深くで1本の木が倒れた。 その音を聞くものがいなかったとき、 その音は存在していると言えるだろうか?」 これに対する本当の結論はまだ出ていない と言っていいでしょう。 哲学に数学を持ち込んだ科学がこの問題を 解決するかに見えましたが、20世紀のはじめ にその基礎が確立された量子力学という学問 体系の中で、電子の運動を記述する波動関数 についての解釈について大論争が起こります。 http://homepage2.nifty.com/isodanet/xenon_theme4.htm 波動関数を見る限る、電子は波(波動)で、 その位置を決めようとかいった人間の 観測(位置決めのための計算)という行為が加わる と(一定の確率の範囲で)その位置がわかる粒子 のように見える(計算される あるいは実験でも そのように観測される)ことが分かったのです。 つまり、電子は通常、波として空間 にぼんやりと広がっており、人間がその電子を 観測(実験などで測定)すると粒子になると いうもの。 しかもこの理論式を支持するような 多くの実験結果が出ていたのです。 電子の実態は一体何なのか? その本質は 波か粒子かといった議論の中で、 ヴェルナー・ハイゼンベルクという学者が 提唱した「不確定性原理」という考え方が 物議をかもし出します。 この原理では、 (粒子といった)実在のように「確かなもの」は、 観測する時にのみ存在する。 というものだったからです。 相対性理論で有名なアルバート・アインシュタイン は、この不確定性原理に批判的で、 「夜中に私の頭上に輝くあの月は、私が 見ていない(観測していない)ときには、 (波のように空間にぼんやりと広がってしまい) そこに存在していないというのかね?」 という言葉を残したとされています。 この不確定性原理、少なくとも電子とか原子と いったミクロの世界を考えるとき、理論面でも 実験面でもそれを完全に否定してしまえるような 結果は出ていません。 >存在って何なのでしょうか? 存在は何も無い、無の空間に対比されるもの というのが多くの人の認識と思いますが、 今の物理学の理論の発展を見ていると、 空間と物質は1つの理論式で表される 可能性があるんです。 存在と無は同一のもので、その中に人間も 含まれている。だから人間そのものが何かを 観測したりといった動きに出るとこの存在と 無全体に動きが生じる。 人間中心にだけ見ていると、世の中は人間の 意思に左右されているように見える場合 もある(これを人間原理主義というのですが)。 でも人間の意思も、温度が上がると木が燃えると いった自然法則の1つの流れに過ぎない。 存在を何か特別に考えるのは、人間がそうゆう 性質を持っているだけでしょう。 光には青とか赤とかいろいろな色がありますね。 例えば存在は青で、無は赤なんだと思います。 光という1つのものの状態の違いだけという ことです。 ですから青とはいったい何だろうと深く考えた ところで赤とは違う状態という結論しかでない。 >存在は人間に認識されて初めて価値を持つでしょう。 これは現時点での私の結論ですが、 存在は価値や意味を持つようなものじゃない。 意味や価値がると誤解し、それを追求していまう というのが人間という自然法則だと思います。
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- netcatme
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ハイデッガーは難しいぞー、私は挫折しました。認識論、現象学、実存主義、まあ、それぞれ、異なる視点から存在とは何かを論じていますが、「存在」とはなにかを真正面から論じているのはハイデッガーだけだという話です。デカルトは「我」の存在、認識論は存在をどう「認識」するか、現象学は「認識された」存在のありかた、ハイデッガー以外の実存主義は「どのように」存在するかを問題にしているような気がします。
お礼
ハイデッガーは文庫本で「存在と時間」を買ったまま、難しさに、積読状態です。もう一度挑戦してみます。 >、「存在」とはなにかを真正面から論じているのはハイデッガーだけだという話です。 なおさらがんばってみます。
- crazyking
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私は質問を読んだ後、直感でデカルトの「我思う、故に我あり」の哲学がお求めになっていらっしゃる回答になり得るのではないかと思ったのですが。 どうでしょう。 ちなみに、以下の文章がわかりやすいと思ったので参考まで。
お礼
デカルトの方法序説も積読状態でした。やっと読むための精神状態になったんですね。いやはや、真実の追求の旅に出ます。 ありがとうございました。
- trozky
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ハイデッガーの「存在と時間」
お礼
簡潔な回答ありがとうございます。一度書籍の方探してみます。
- ma_
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哲学で、存在論というのはありふれたテーマで、いろいろな哲学者がいろいろな論を出しています。 存在する人間がいるから、自然は存在する考えが観念論で、自然は存在するから、その社会的存在によって人間を認識することができると考えるのが唯物論です。 観念論と唯物論の比較検討が「存在」についての理解を深める事ができるでしょう。下記ページを参考にしてみてください。
お礼
>存在する人間がいるから、自然は存在する考えが観念論で、自然は存在するから、その社会的存在によって人間を認識することができると考えるのが唯物論です。 観念論と唯物論の対立よく分かりました。 参考URLもじっくり読みます。
お礼
たいへん興味深い回答ありがとうございます。 物理学という自然科学の立場からの説明は大変説得力もあります。 >これは現時点での私の結論ですが、 存在は価値や意味を持つようなものじゃない。 意味や価値がると誤解し、それを追求していまう というのが人間という自然法則だと思います。 この結論大変興味をそそられました。存在を確かめようとする行為が存在そのものに影響を与えたり、存在が無と相対的な状態である。無も状態である。 書籍の丁寧な紹介もありがとうございました。