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無限あるのですか?
「無限」という言葉がありますが 無限というのは存在しないのではないかと思います。 人間が測定できる技術がないだけで全てに限りがあると思うのですが それでも無限は存在しますか?
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- oldmacfan
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4度目の登場です^^; たいていの人間は「無限」という観念をアプリオリに所有しています。 だから無限は、少なくとも人間の心の中には、存在するといっていいと思います。 無限が存在するかしないかについてはここでは述べませんが、少なくとも「無限」という観念がないのに「無限」について論ずることは出来ないはずです。 「無限」という観念があるからこそ、このような論議が生ずるのです。 その意味では観念的には存在を認めてもいいではないかと思います。
- heartmind
- ベストアンサー率14% (32/226)
言葉遊びって訳じゃないけど、 本当の無限っていうのは、無限っていう言葉さえも拒むもの、つまり人間が概念としてとらえられないものかもしれません。それこそ無限じゃないでしょうか。
お礼
有難うございます。
神(ああこの名を軽々しく口にするなんて何て畏れおおい) 蛇足
お礼
有難うございます。
無限という”状態”が存在し それを概念として認識できるということでしょうか。 無限の状態というのは時空そのもの 時空 ある家庭のある時のある風景 リンゴを切るときいつもヘタのついた方が大きくなっているので その子供はいつもヘタのついた方頂戴と言う。 ある時いつものようにヘタのついた方頂戴というので お母さんがちょっと意地悪をしてヘタのついた方を小さく切って ハイって子供に渡したんだって。 それを見ていた子供は。。。 親子のほんの些細な日常の風景でさえ切り方も食べ方も味わい方も場は無限の状態にあるんですね。 たとえばの話 場は無限の連続と広がり 意識とは場の切り取り 光が届くことを確認することによってそこまで宇宙の広がりがあることを確認しますが むしろ観測技術を持たないゆえに無限の状態にあるものを慣らされた固定観念でみてしまい有限であると誤認してしまっているのではないでしょうか。 宇宙に蔓延する振動性からは宇宙は収縮と拡散を繰り返す振動系でビッグバンは宇宙の出来事の一時空を切り取って表現しているだけのものを宇宙全体に適用させようとしただけととらえる方が現代においては真の宇宙の姿を表現することになっていくだろうことを示唆しているように思います。 個に付随する反応性としての自我も脳の無意識界を含めると意識の俎上に上り活性化しているのは脳の氷山の一角というばかりでなく 生命を維持するために外界の状況によってその反応性を獲得しているととらえれば自我の反応性に影響を及ぼす無意識界は自己の脳の無意識部分ばかりでなく意識の知覚の及ばない広大な外界の状況も自我の反応性に影響を及ぼしている広大な無意識界として認識していくということになるのでしょうか。 心理学的には この言葉をたとえば現実と乖離した混乱した精神に投入すると 糞味噌の区別がついてないから イメージ的にはたとえば 現実と乖離を起こさない正常な精神性の思考の範疇にあれば通常うんこ臭のカレーもカレー臭のうんこも食べたくはないから棲み分けを選ぶんですけど とうじんはとうじんのたれ流すうんこを食って生きてるウジ虫ととうじんとは分割不能な一体性の中にあると一生懸命思い込もうとするんですよね。 それでもそういう人はどういうわけかもしかしたら神(ああこの名を軽々しく口にするなんて何て畏れおおい)と一体なのかもしれないと思い込もうとすることはあっても 自分はウジ虫だとは決して思わないんですよね。 わかります? この意味 哲学もその素の直と質が一番大切という点において芸術的ですよね。
お礼
有難うございます。
- oldmacfan
- ベストアンサー率50% (58/114)
3度目の登場です^^; 無限は存在します。 無限という具体的な数はないですが、無限という概念はありますね。 誰かが、この数が最高に大きい数だと言って、例えば 100000000000000000000000000000000000000000000000000000000 を上げたとします。ですが、その数に1を加えると 100000000000000000000000000000000000000000000000000000001 は1だけ大きいですよね。 このようにして、どんな数よりも無限に大きな数というものを考える際、仮にそのような数があったとして、その数に1を加えるとさらに大きくなるわけです。 どんな数をとってきても、それに対して必ずその数を超えるような数がとれますから、そのような概念を無限と呼べるはずです。
お礼
なるほど。 有難うございます。
- UROIUSH
- ベストアンサー率17% (41/238)
こんにちは 私は、無限は存在すると思います。 ただしどんなにものにでも有るわけではなく、限定された特殊な場所に「閉じた」形で存在していると思います。 例えば回転です。 車輪を思い浮かべてください。 車輪の回転角度を考えた時、車輪が壊れる(=系が壊れる)事が無い限り、 車輪はどこまでも回る事ができます。 そしてその回転角度は、仮に車輪ができた時点での回転位置を0度だとしても、360かもしれませんし、-360億かもしれません。 そう考えると、始まりもなければ終わりもなく、まさに無限の中の一点だと言えます。
お礼
有難うございます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
例えば買い物で「豚肉100グラム」って言うと、100グラムよりちょっと多めにくれますよね。 「違う 100グラムちょうど。0.00000000000001グラムの狂いも許さない」って人いませんよね。 「今なんじ?」って聞いて時計みて5時10分前なら「もうすぐ5時」って言いますよね。 「違う 秒まで言え」っていいませんよね。 ある程度で、繰上げ、繰り下げしないと、生活 なりたたない。 私が一番理解に苦しむのが、茶色を「赤」って言うの。 何故茶色って言わないんだ って。 小豆色を赤飯って言うのも、小さい頃 随分悩んだ。 だって私の概念の赤じゃないんだもん。 省略のしすぎ! って思います。 まあ 赤系か青系かを問われる場面だと「そっちの赤い方」っていいますけどね。 「そっちの海老茶色」って言うことは無い。 青系の中に赤系のもの 例えばオレンジ色のが一個だけなら、「その赤いやつ」って言えば通じるから。 で、物には実は色が無い。 色が無いのに、人間は色がついているって認識しているのでおもしろい。 人間の視覚は沢山の光のうち ごくごく一部だけしか認識できない。 7色の虹とかいいますが、7つの色だけじゃあ 本当は無い。 パソコンの表示の色数で何万色とかありますが、それよりもっと多い虹の色なのに、略して7つの光ってしている。 じゃ 虹の本来の色数は? 無限じゃないかと。 だけど、人間の視覚はある一定の幅しか認識できないので、おおまかに7つで十分。 それ以上細かく認識しなくても、物は区別つく。 動物によっては、人間では聞こえない波長を聞くことができる。 逆に人間では識別できる色の違いを認識できず、無いものという認識から、ぶつかったりする。 で、人間は人種・国籍に関わらず、能力は共通なんですね。 アメリカ人は虹を100万種類の色だと認識できる ってことは無い。 ある程度で、四捨五入しないと、生活していけないので、脳が切り上げ、切り下げしちゃう。 ですので、無限があったとしても、脳が切り下げ、切り上げして我々に認識させるので、それ以上の存在は認識できないつくりになっているんです。 例えば記憶。 ものすごい量を脳は記憶しているのですが、意識になかなか上らず、せっかく覚えて単語を試験の時に思い出せなかったってことはある。 人間の記憶の貯蔵は無限かもしれませんが、意識に上っている部分しか、意識できない。 ところが、サリンの被害者になると、寝ている時も記憶の奥深くまで意識がアクセスするため、とんでもなく辛くなるのだそうです。 今までの人生の細部まで走馬灯のように流れてしまって、何がなんだかわからなくなるのだとか。 今までもことが走馬灯のように流れて日常生活のさまたげとならないように、脳が必用ではない記憶は奥の倉庫に移しているわけです。 で、無限に記憶を人間は蓄積できるかというと、正確には いいえ。 どうしてかというと脳の特徴は、そのままを記憶して、そのままを想起することはできないから。 メカニズム上できないんです。 ロボットはインプットしたとおり出力するが、人間はミスを犯す。 だけど、このミス 勘違い、記憶違い、などがあるお陰で、人間はロボットにはできない 創造 をすることができる。 新ものを入力したものじゃないものを、出力ミスをすることで、作り出せる。 どれくらい? 無限に。
お礼
勉強になりました。有難うございます。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
回答番号:No.14のご指摘を謙虚に受け止めます。ありがとう御座いました。 無限という一つの言葉で表示する事項については、混同される方はおられないでしょうが、ただただ繰り返しのDroste効果的無限と、この有限と思われている世界を出た(本当は単に受け取り方で、有限も無限dなのですが)世界を無限だと畏怖と尊崇とともに感じる世界がありますね。そしてご回答者はその辺をそれぞれにとって、ご回答されておられると存じますよ。 という趣旨のことでした。まことに卑賤で浅学菲才の、えらくない私は殊更に難しい言い回しをして、ご宸襟を煩わせました事をお詫びします。今後ともどうぞよろしくお願い申しあげます。 とても学問のない未熟者で、仰せのようにえらくないんです。
お礼
有難うございます。
この世界は、仮の世界なので、無限ではありません。調和世界である、神の世界は、無限だそうです。この世界は、有限なので、始めと終わりがあります。マヤ暦では、2012年だと言われています。
お礼
有難うございます。
- bananasand
- ベストアンサー率21% (117/533)
身近なところで「今」を考えます。時間の最小単位。 0.000・・・・0001秒以下の1/∞。 したがって、「今」が存在するのであれば、無限も存在します。 仰る通り量子論、時間論では、反対意見もあります。 しかし、矛盾した言い方ですが単純に「今」を考えるとその知性の限界の中で無限は存在していると言えるのではないでしょうか。 つまり、地球表面をただただ進めば無限に歩いていけるわけですが、 太陽から見ればその限界の中で無限なだけです。 限界の外側のまた外側に無限があるかどうか・・それもまた限界の中、 そして、その外側。 気が付けば無限は有限となり、その外側に無限を垣間見る。 おそらく、人間知性の限界など遥かに超えるとしか言いようがないものと思われます。
お礼
有難うございます。
お礼
有難うございます。