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無限あるのですか?

「無限」という言葉がありますが 無限というのは存在しないのではないかと思います。 人間が測定できる技術がないだけで全てに限りがあると思うのですが それでも無限は存在しますか?

みんなの回答

  • booter
  • ベストアンサー率34% (269/769)
回答No.16

素人意見ですが、数学の観点から回答します。 無限というのは数直線上の遥か彼方にあるもの、という解釈で良いのですが、これと決まった数値はなく、飽くまで無限というのは「概念」なんだと私は考えています。 数値としては存在しませんが、人類の目には見えないが「こうなんだろうなー」という実際問題手には取れない数値として、数学はその対象として扱いますよ、という事です。 それでは、人類が物理的測定可能な域に無限が存在するかというと、その概念を構成する上で「人類が測定不可能なもの」という定義が無限に大して仮にあるならば(実際には何次の無限、というような概念があったと思いますが(10年位のNEWTONで読んだ)よく覚えてないので棚上げしておきます^^;)、これに従い、我々は「実際手には取れないが想像できるもの」として存在する、という事になります。 物理で言うと、理論上は摩擦ゼロの物体が床を滑る際、一旦速度を与えられたなら永遠に走り続ける、という例が分かりやすいと思います。 ありえないけれども、究極的な例を出してそこから補助線を引っ張って実際に起こりうるだろう理論値を算出するのです。 上記の例で言えば摩擦ゼロの物体を家庭した後に、摩擦係数などを用意して理論値を算出する。 宇宙に無限は存在するかもしれないが、想像はできるが手に取るような認識はできないので、それを仮定して、その内側を測定する、という事になります。

1wer56
質問者

お礼

有難うございます。

  • oldmacfan
  • ベストアンサー率50% (58/114)
回答No.15

信仰の話に割って入ってすみませんが… 0.9の循環小数 つまり0.9999999…についてですが 0.9999999…=1 であることがわかっています。 左側の式は0.999999…と無限に9が続くということを意味しています。 それが1という値になるので無限は確かに1(有限な値!)という値として存在することになります^^。 なんだか矛盾しているようですが、理論上は存在はしているということになるのだ思いました^^

1wer56
質問者

お礼

初めて知りました。 有難うございます。

  • nonno36
  • ベストアンサー率27% (114/422)
回答No.14

教えて!gooのガイドラインに抵触すると考えますが、あえて 一言申し上げたくコメント致します。 私が信仰に関してコメントして件に関し、名指しこそされません でしたが、krya1998さんが以下の様にコメントされています。 >信仰を単に信ずることと思う事は有限なる事だと存じます。  私は有限は存在しない、無限が存在する、存在している。  という認識でおります。  これを有限的に説明立証する事は自分でしたくなったらすれば  いいだけで、人に立証・説明することではありません。  自分と存在者との問題でしかない。極く極く当たり前のことです。 私は1wer56さんの質問に関して無限に関する回答の中で信仰について 触れる事に致しました。krya1998さんが後の回答でヒンドゥの思想に 精進されていると書かれていますが、信仰に関する私の考えはあくまで 私自身の信条であり、無限と宗教観を述べた迄で他人が信仰に関し何を 信じようと精進されようと決して非難など致しません。信教の自由は日本では認められていますし、私は法律以前にその様にあるべきものと 考えています。その上で上記引用コメントされたのでしたら、私の文才の無さで、ご不快な思いをされたのでしたらご勘弁願います。 krya1998さんが回答No12で、 >こういう2種の無限の事は、質問者は認別していてのご質問で  あろうと、その前提で皆さんはご回答しているはずです。 正直この回答文の内容をどれだけの回答者・質問者が理解されて いるでしょうか?私自身はここでの回答は理解出来ませんでした。 krya1998さんのプロフィールからそれなりの年齢の人生の先輩で ある事には敬意を表すべきでしょうが、難しい(私自身が)と感じる 概念を説明される時に難解な言葉もしくは説明を使われるのは、 若輩者にとっては苦痛でしかありません。良く優秀とされる先生が 難しい概念等を、平易な言葉に置き換えたりして説明されているのと 同じだと思うのです。krya1998さんの回答をそのままの形で理解する には私はまだまだ修行が足りないのだと感じております。

1wer56
質問者

お礼

有難うございます。

回答No.13

 回答番号:No.8;補足(2)  科学は素人ですが、宇宙は限界があるとの事です。  このことを消して投稿したしまいました。  宇宙も時間も、始まりと終わりがあるのだそうです。  私の精進しているヒンドゥの思想では、  〔人間と宇宙が出来たときから開始して、その終末で終わる〕という認識を教えています。  その前そして、終了後はどうか。これは今の科学理論では扱っている事を存じません。  私たちの精進でも、それを説明しているとは思いません。  開始し終了するなら、開始し終了しないものがなければならないだろう、というフレーズで、私は私たちの教えを学んでいます。  それ以上は私にはわかりません。  

1wer56
質問者

お礼

参考になりました。

回答No.12

 回答番号:No.8;補足  1. 質問欄のフレーズ:〔人間が測定できる技術〕   補足投稿者:人間の物証、物象の認知力が行けばそのところから、更に先方にまた未認知の領域があるのを知ってきた事は、帰納法でご理解していると存じます。  この意味の限りなさは、取り留めない限りなさです。これに接して人間が驚嘆し畏怖する、尊崇する、ということ。そしてそこに別の無限を感受するというか、意識するに到ることがあります。  ヨーロッパ語族が、The Infiniteとか表示しています。  こういう2種の無限の事は、質問者は認別していてのご質問であろうと、その前提で皆さんはご回答しているはずです。  2. 質問欄記載で敷衍するかの如き無限は数学や、宇宙の広大さ、時間の流れでありましょう。   どなたかが鏡で言われている無限も広い意味ではこういうものでしょう。  昔からDroste効果というのがあります。  http://en.wikipedia.org/wiki/Droste で開設が在ります。  昔、粉乳の缶に画かれていた画像です。  カントの時間は空間でも在ります。これも脱価値です。  カントのは単に人間の知覚認識の世界の一性格の説明用具で、子どもの頃は、私もカント気違いになっていましたが、西洋人の心性的観念でしかありません  3. 回答番号:No.8で私が申し上げた無限は、価値性、いえ価値そのものという無限です。物証物象の世界の存立基盤ともなているものです。  〔1.〕触れた、人間が感受して、初めて人間の世界に現れるかのようで、実は存在そのものの本質である無限です。  まぁカントでいえば、物自体の世界でしょう。几帳面なカント先生はそのことを脱・価値的に説明していますが、先生自体はこれに畏怖と尊崇をお持ちであった事は、他のご著述でよく判ります。  信仰とか、信じて仰ぐなんてものでは、実はないのですがね。  現実ですから。そのものですから。オカルトやカルトは関係在りません。  人間の質の問題です。どの程度に理解していられるかは。

1wer56
質問者

お礼

ありがとうございました。参考になりました。

  • indoken
  • ベストアンサー率37% (173/457)
回答No.11

宇宙の大きさには限界があると考えられています。 果ての先を 無限に問い続けることができる というのは その通りです。でも、それは人間の頭の中のことで、実在の話ではありません。 時間については、宇宙の始まりという考えがあり、終わりが無いとは言えないでしょう。また、その前に、時間を実在と見るかどうかについても 議論のあるところです。

1wer56
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • mintarou1
  • ベストアンサー率30% (22/73)
回答No.10

無限は、存在すると思いますね。 宇宙空間の広がりは、無限ですよね。何しろ、果ての先は何?と無限に問い続けることが出来るからです。 時間の流れは無限ですね。人類が存在する以前から時間は流れており、人類が滅亡した後も、時間は永久に流れますからね・・・ 精神世界にも、無限の考え方もありますが、それは哲学的なカテなので、良ければ自分で考えてみてください。 .

1wer56
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • indoken
  • ベストアンサー率37% (173/457)
回答No.9

あわせ鏡が無限の実例だとの回答があります。 現実には、鏡における反射などで光が減衰します。 また光は粒子ですから、あわせ鏡は無限ではありません。 あわせ鏡は「悪魔を捕まえる方法」として使われたりする とても魅力的な現象ですがね。

1wer56
質問者

お礼

無限ではないのですか。 ありがとうございました。

回答No.8

 数学のことでのご回答は、質問者が予期もできなかった事柄ですね。  これは人間の観念の界の知識認識の事柄ですね。  理知と演繹や実証で確認されないものの存否を確言することはできないというより、その認識判断と確言の関知関与しないものだと存じます。  理知と演繹や実証の世界にとっては、まことに得たいの知れない無限などというものが確認されえないのは当然だと存じます。    物事や客体物象としての存在ということに限れば、質問者の想定通りと存じます。  そういう理知と演繹や実証の世界の外とか、それを含む(或いは構想している)存在というものは、理知と演繹や実証の世界では、どなたかが仰せのとおり、ある意味では信仰かもしれません。  信仰を単に信ずることと思う事は有限なる事だと存じます。  私は有限は存在しない、無限が存在する、存在している。という認識でおります。  これを有限的に説明立証する事は自分でしたくなったらすればいいだけで、人に立証・説明することではありません。  自分と存在者との問題でしかない。極く極く当たり前のことです。

1wer56
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

無限あるのですか? 「無限はある。」も正しいし「無限はない。:全て有限である。」も正しいのですね。どこに認識の立ち位置を置くかだけでどちらも正しいということだけですね。 東京タワーの足元にいる蟻に東京タワーの全容を説明させても人間が考える宇宙みたいなものでしょう。蟻じゃ例えが悪ければ電子1個が周りの世界を見ても同じですね、でも人間から観ればその電子が所属するものは単なるパチンコ玉や野球ボールでしかないという例えですね。 全てが有限だとしても観察者の認識力によって無限になってしまうのですね。だからどちらも正しいわけです。

1wer56
質問者

お礼

ありがとうございました。

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