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外国人の作文です。自然な日本語に添削していただけないでしょうか(KOKIAの「おばあちゃん」)

 日本語を勉強中の中国人です。日本語で文章を書く力をつけたいので、作文の練習をしています。次の文章を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。    KOKIAの「おばあちゃん」  この二三日、通勤路でKOKIAの「おばあちゃん」という曲をずっと聴いていた。ピアノのシンプルの伴奏の中で、KOKIAが淡々と語ってくれる。何回聴いても飽きない。そして、いつのまにか自分も口ずさむようになった。  祖母と祖父は二人とももうこの世にいない。この歌を聴くと、二人と一緒に過ごした場面は走馬灯のように浮かんできて、穏やかな心でいられた。  また、「薄れゆく記憶の中で、突然思い出したように」という歌詞の部分が特に好きだ。まさに沈思に似合う秋がこういう感じがすると思う。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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  • ベストアンサー
  • kentaulus
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回答No.3

1mizuumiさん、こんにちは。 個人的な意見ですので参考程度にしてください。 KOKIAの「おばあちゃん」  この<二、三日>、通勤路でKOKIAの「おばあちゃん」という曲(or 歌) をずっと聴いていた。 ピアノのシンプル<な>伴奏<に乗せてor に合わせて>、KOKIAが淡々と語ってくれる。 (or 語りかけてくる。) 何回聴いても飽きない。 そして、(気が付けば)いつの<間>にか自分も口ずさむように<なっていた>。  祖母と祖父は(or 祖父母は)二人<共>もうこの世にいない。  この歌を聴くと、二人と一緒に過ごした場面<が>走馬灯のように浮かんできて、 穏やかな心でいられた。(or 心を穏やかにしてくれる。or 心が穏やかになる。)  また、「薄れゆく記憶の中で、突然思い出したように」という歌詞の部分が特に好きだ。 「沈思」<が>似合う秋<とは、まさに>こういう<感じだと>思う。 (or 「沈思に似合う秋」とは、まさにこういう事だと思う。) ---------------------------------------------------------------- 言葉の間違いは1箇所です。 「二三日」=「23日間」とも読み取れます。 「二、三日」が正しい日本語です。「点」を使用してください。 こちらは少々、不自然な部分のみ(部分だけ)修正しました。 *「曲を聴く」=「歌詞の無い音楽を聴く」と(私は)感じます。 ですので「歌を聴く」が良いかもしれません。 *日本語の感覚としては、伴奏と歌詞は別で、同時進行しているものです。 伴奏の<中に>歌詞が有る のではなく、 伴奏と共に歌詞が進行する という感覚です。 ですので、「伴奏に乗せて、伴奏に合わせて」に変更しました。 *「語る」より「語りかけてくる」の方が良いかもしれません。 「語る」はニュアンスとして「相手にAppealする」の意味が弱いです。 「語りかけてくる」はニュアンスとして「相手にAppealする」の意味が強いです。 つまり、KOKIAさんの歌詞が「私の心に深く浸透する」と同じ意味になります。 *(気が付けば)いつのまにか口ずさむように<なっていた>。 「なった」は通常「今、なった・今変わった」など、 直前、一瞬前の出来事で使います。 「いつのまにか」は、すでに過去を表しているので、 「なった(完了形)」より「なっていた(過去完了形)」が良いと思います。 (ただし、用法として間違いではありません。どちらでも使用可能です。) *「沈思」←単語で使用する場合 「沈思に似合う秋」←慣用句的に使用する場合 2つのバージョンで書いてみました。 「沈思」は感情を表すので「感じ」を使用し、 「沈思に似合う秋」は事柄(様子・物事)を表すので「事」を使用しました。 ---------------------------------------------------------------- KOKIAさんは、心に染みる(感動する)歌をたくさん唄っていますね。 私が大好きな歌手の1人です。 そして、1番の大ファンは(1番大好きな歌手は)鄧麗君さんなんですよ。 へたくそですが、カラオケで中国語の歌も唄います。 (@^o^@) 私が中国語の独学を始めた きっかけ(原因・動機)は、 鄧麗君さんの歌を、中国語の意味を理解して唄いたいと思ったからなんです。 では、また。

1mizuumi
質問者

お礼

 kentaulusさん、こんばんは。ご親切に添削していただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。鄧麗君さんの歌で楽しく中国語の勉強をなさていますね。私は知っているだけの程度で、きっとkentaulusさんより下手です^^。

その他の回答 (3)

noname#101110
noname#101110
回答No.4

KOKIA という音楽家(?)を知らないので間違うかもしれませんが、私もチャレンジさせていただきます。 KOKIAの「おばあちゃん」  この二三日、通勤路でKOKIAの「おばあちゃん」という曲をずっと聴いている。ピアノのシンプルな伴奏の中で、KOKIAが淡々と語ってくれる。何回聴いても飽きない。そして、いつのまにか私も口ずさむようになった。 私は、例えば「薄れゆく記憶の中で、突然思い出したように」という歌詞の部分が好きだ。まさに沈思に似合う今ごろ、(日本の)秋はこういう感じの季節なのだ。  祖母と祖父は二人とももうこの世にいない。この歌を聴くと、二人と一緒に過ごした場面が走馬灯のように浮かんできて、私はいつも日常の喧騒を離れ、静かな、穏やかな心を取り戻す。 2節と3節の順番は質問者さまにも相当の意味が含まれてあるかもしれませんが、私は客観現象から次第に自分の心へ入っていくというこのほうが自然な感じがします。  ご参考になれば。

1mizuumi
質問者

お礼

 ご丁寧に添削していただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

回答No.2

こんばんは ここ数日旅行していましたため、他のご質問への回答に対する、追加のご質問にお返事せずじまいで申し訳ありませんでした。 次の機会にでも回答させていただきたいと思います。 さて、以下のように添削させていただきました。 1.「この二三日、通勤路でKOKIAの「おばあちゃん」という曲をずっと聴いていた。ピアノのシンプルの伴奏の中で、KOKIAが淡々と語ってくれる。何回聴いても飽きない。そして、いつのまにか自分も口ずさむようになった。」  シンプルの伴奏 ⇒ シンプルな伴奏 2.「祖母と祖父は二人とももうこの世にいない。この歌を聴くと、二人と一緒に過ごした場面は走馬灯のように浮かんできて、穏やかな心でいられた。」  場面は ⇒ 場面が  また、「走馬灯のように浮かんできて」と「穏やかな心でいられた」のつながりがもう一つ悪いように思います。  これを解消するために、以下のように修正しても良いかと思います。  「走馬灯のように浮かんできて、心を穏やかにしてくれた。」 3.「また、「薄れゆく記憶の中で、突然思い出したように」という歌詞の部分が特に好きだ。まさに沈思に似合う秋がこういう感じがすると思う。」  まさに沈思に似合う秋がこういう感じがすると思う。  ⇒ 沈思に似合う秋にまさにぴったりの表現だと思う。

1mizuumi
質問者

お礼

 いつもお世話になっております。追加質問は新しい質問を立てすでに解決しました。お気になさらないでください。今回もご親切に添削していただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

回答No.1

一つ目は、 >ピアノのシンプルの伴奏の中で ピアノのシンプル「な」伴奏の中で あと、個人的な主観になりますが >また、「薄れゆく記憶の中で、突然思い出したように」という歌詞の部分が特に好きだ。 >まさに沈思に似合う秋がこういう感じがすると思う。 ここが気になります。 上下それぞれの文は問題ないと思います。 ただし、二つを組み合わせた場合に私は多少不自然さを感じます。 上の文は「だんだんに暗くなっていく部屋が、突然明るくなった」というのと似ています。 「突然に(急に)思い出す」ということは「じっくりと思い考える」ということとは違うため、二つの文を繋げると違和感があります。 でも、よく「沈思」なんて難しい言葉を知ってらっしゃいますね。 >また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。 質問文におかしいところはありませんよ。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。ご意見は大変参考になりました。本当にありがとうございました。

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