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日本語作文の添削指導について
私は日本語教育について研究している者です。 作文の添削指導について皆さんの意見を聞かせていただきたいと思い、トピックを立てました。 学習者の作文の中の誤用を徹底的に日本語らしい日本語に添削する教師もいれば、あえて正解を示さず、間違いの指摘に止め、学生が発見し訂正するように仕向けた添削指導をする教師もいます。学習者の学習目的・レベル・学習背景によって指導の仕方が変わってくると思いますが、同じレベル、同じクラスで作文の指導を受ける学生たちに、異なる添削の標準を用いるのは不適切なような気がしないでもないのです。 意味が少し間違ったら会社に大きなダメージを与えてしまうというビジネスマンと、日本語文化や日本への留学に興味を持っている日本語専攻の大学生とでは、また、初級と中・上級とでは作文の指導法はどう調整すればいいでしょうか?作文の添削指導において学習者の学習(書く)意欲をそがないようにするための方法はないでしょうか? 現場で活躍している先生方々からいろいろな話を聞かせていただけたら嬉しいです。拙い日本語ですが、よろしくお願いいたします。
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「あえて正解を示さず、間違いの指摘に止め、学生が発見し訂正するように仕向けた添削指導をする教師もいます。」 これは少しおかしいのではないでしょうか。学習者の自発性や発見能力を期待したい気持ちでしょうがこれではかえって学習者に無用な負担をかけることになります。なぜなら、現在使われている書き言葉にしろ話し言葉の中は新しい発見はないはずです。書く文章がいくら文法的に正しくても意味を成さないもの、実際に使われない文はいくらでもあります。日本語らしい日本語といっても最終的にはネイティブである我々日本人の指導にかかわるところが多いでしょう。作文の誤用の発見というのは語感など感覚的な要素が強く、その点日本人教師は自信をもってよいのです。しかし、誤文訂正の際はどうしてまちがいなのかということを説明できなければなりません。 「同じレベル、同じクラスで作文の指導を受ける学生たちに、異なる添削の標準を用いるのは不適切なような気がしないでもないのです。」 おっしゃるとおりです。しかしこれが許されるのは採点するときです。試験のときはどの受験者にも公平に点数を与えるなければならないので必ず基準になるものを持っておかなければなりません。漢字一字の場合はマイナス一点、語法の間違いはマイナス二点という具合です。 「初級と中・上級とでは作文の指導法はどう調整すればいいでしょうか?」 作文のレベルを変えるしかありません。初級の段階では極く身近な話題をとりあげます。「私の家族」「私の好きな人」「私の趣味」など語彙数も少なくて書きやすいものを選びます。中上級に進むにつれて題名などでレベルを上げていけばよいのです。「私と日本語」などがよいでしょう。 最後は論文が書けるように高めていくことです。
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- dulatour
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直接的でない間接的な日本語の添削について答えします。 その本人と一問一答ができない、間接的な日本語教育の場合は、その学習者がどれくらいの能力を持っているかを判断した上で、理解がある程度出来ているならばヒントを与える。どいうよくわかっていないのならば「こういうこともあるが、どうだろう」と考えさせます。 全く分かっていない人間には「こういうことがあるが、これに関してどうだろうか」とういうように、大まかに言えば三段階の指導があると思います。 ただ、3段階といっても、相手は千差万別ですから、それに応じてどのように指導すれば良いかを考えています。 これは、あくまで私の自分自身の教育方針に則ったものです。 あなた自信が「何が間違えか」ということをはっきりした方が、教育者としては有効だと思います。 あなたは、な・に・を・子どもに教えたいのですか?
- suunan
- ベストアンサー率14% (224/1569)
「同じレベル、同じクラスで作文の指導を受ける学生たちに、異なる添削の標準を用いるのは不適切なような気が」 そんなことはないでしょう。 あなたが示したいくつかの添削法は、 〔相反しない〕からです。AがBより優れていてもB自体が 正誤の正に含まれているのだから問題ありません。 指導法の差異を問題にする労力を添削そのものに向けたほうが 効率が高いと思います。 言語の習得は大いに数をこなす事で進行するからです。