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古典訳で確認したいことが…
センターの問題で気になったところがあって質問したいんですが、 ~、たれもかぎりとなり、心地たがひて人事を知らざらばこそあらめ、さなからむには、これにまさる悲しさもあはれさも、えあるまじければ、~ (井関隆子日記より) という部分があって、 【人事を知らざらばこそあらめ】 は、 "こそ~め" なので勧誘・適当パターンで "~ほうがよい" "こそ+已然形(め)、~" なので "~けれども" というのをふまえた上で 意識がなかったらそれはそれでよいのだけれども という訳になるということなんでしょうか? 詳しい方アドバイスください☆
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noname#135125
回答No.2
#1の方と同じですが、 「意識を失っていたならばいいけど、そうでないなら」となると思います。 古文に出てくるパターン化した言い回しの一つですよね。 人が死んだとき、「あまり親しくなかった人でさえも悲しんだのに、まして源氏の悲しみは深かった」とか。 「悲しみは深かった」を言うために、別のパターンの「もし~なら、~だろうけど」とか、「他の人でさえ~だったのでまして」というようなマクラをつける。 またどこかで出てきたら「あのパターンだな」と思い出してくださいね~。
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- kogotokaubewe
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回答No.1
1999年度本試験ですね。 河合塾の「過去問レビュー」の「全文解釈」の該当部分は、 (人間は)誰も臨終となり、気分もすぐれなくて人事不省ならばよいだろうが、そのようではない(=意識がはっきりしている)ならば、これ(=死)にまさる悲しくせつないことはありえないので です。