• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:成尋阿闍梨母の訳を教えてください)

成尋阿闍梨母の訳を教えてください

このQ&Aのポイント
  • 成尋阿闍梨母の訳について教えてください。
  • 成尋阿闍梨母について教えてください。
  • 成尋阿闍梨母の訳について知りたいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#115911
noname#115911
回答No.1

二月十六日にご出家なさると言って大騒ぎしている時の、私の心中もきっと思いやられることであろう。見送りの人の中でもとりわけ、孫である禅師の二人はひどく泣いて別れを辛がる。二人の言うことを聞くとたいそう何も考えられなくなって、つくづく困り果てて仁和寺の律師のもとに「出家する日が近づいてまいりました」と申し上げたので、律師自らおいでになった。「こんなご決心をなさって、どうするのか。もう中止にもできるまい」と律師は言う。私は何とも言えずにいると、阿闍梨や、たいがいの人が読まないようなありがたいお経で、たいそう私の罪業も軽くなるような、仏の救いなさるという旨の文句を書記して、律師自らが手を合わせながら、泣いて私に読み聞かせなさる。また法橋などと言う大人に、改めて清書させなさる。いつもなら尊く素晴らしいものと思って聞いていたいものだけれど、悲しいことに、その日は少しも耳に入って来ず、涙で目も見えないくらいになって、泣くよりほかのこともできずにいると、律師もお帰りになった。「これこれの所にいるので、迎えに来い」とでも言っておいたのであろうか、正月末日に、仁和寺から車を寄越して来て、お迎えに来て下さった。阿闍梨様のもとへ、「車を持って来たけれど、やはりこんなにすぐに出発なさることを人も聞いてとまどうだろう。今日のところはこの車をお返ししてしまいましょう」と申し上げると、律師は驚いていらっしゃって、「それでも、今日お行きなさいませ。次の日程も定めにくいから」と言って、孫の禅師たちをお供として連れ立たせて、ご自身もご同行なさる。「せめて顔だけでも見よう」と思うけれど、涙で目の前が霧のかかったようで、息の続く限り泣きたかったが、長年の間、言葉を交わしたことのない僧たちが並んで座っていた、ちょうどその時、「悲しいことだけれど、今さらみっともない声も聞かせるまい。私がここからいなくなって俗世とは縁が無くなったのだ。」と思いを落ち着かせて、阿弥陀仏に「お救い下さい」と祈って、車に手を添えて押して乗せられた時の私の気分は想像がつくであろう。すっかり死んでしまった人のような感じであった。座っていた僧たちに、「差し上げよ」と言って文を渡しておいた。

awawa-u
質問者

お礼

丁寧な訳ありがとうございます。 それぞれの主語も書かれていて、非常にわかりやすかったです。

その他の回答 (1)

noname#115911
noname#115911
回答No.2

念のためですが、ここで「私」と訳されているのは阿闍梨の母です。出家と訳してしまいましたが、これから阿闍梨は遠く中国へ渡るのです。車に乗せられているのは阿闍梨。それを泣きながら見送るのは母親です。当時の船旅は大変危険なものであったため、いつ帰るとも知れず、命さえ無事かどうかわからない、二度と会えないで生き別れになるかも知れない息子への未練と愛情、最後の方で「これ(別れ)もこの世の定め」と悟った母親の心情が細やかに描かれていますね。この作品は平安時代中期をやや過ぎた頃のものです。歌をたくさん収録した日記で、2部に分かれます。1部は正月三十日の日付から書き出してしばらくは息子の旅立ちから、息子がいなくなってからの生活と母の心中を描き、2部はまた一年後の正月三十日から書き出されていて、息子への追憶、回想という内容になっており、この部分はちょうど日記の初めの方にあたります。他の日記に比べるとマイナーな作品ですが、訳本は何冊も出ていると思いますので併せて参照すると良いでしょう。

関連するQ&A