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自由か平等か
民主党政権誕生、千葉法務相の発言等から、自由と平等の対立軸は、 平等側へシフトしているようですね。 自由と平等の対立界面は、明確だとは思うのですが、 はたして、自由は平等を前提とした限界内で自由なのか、 それとも、自由を行使できる限界に平等があるのか、 つまり、ギリギリのところで平等優先か、自由優先かを 問いたいのです。そして、それは何故かです。
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苦境に陥ってはならない。しかし、苦境を苦境のままにしておいてはならない。苦境は既に起こっているのだと観て、部外者であってはならない。更に酷い苦境も想定されえるのだとこころに観て、怖気てはならない。 苦しみのはてを知って、それに応じるならば、安らぎを知るといわれる。
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- littlekiss
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おはようございます、bananasandさん。 まだ死の谷を彷徨っているのですか? ったく、あぶないっかしいなぁー 「ヒグマに出会ったらどうしますか?」 http://www.gakusosha.com/colum_main.php?colno=6 ●オープン・イノベーションが進まないのは、 死の谷の淵で癌細胞優性と言うことですかね。 【ライセンス最新情報】 http://www.ntspat.co.jp/pnr_license.html 【ライセンス契約と独占禁止法】 http://tadhomma.ld.infoseek.co.jp/LicComp.htm 2000年1月20日 【OSI社とAmerican Cyanamid社、クロスライセンス契約を締結】 http://www.nikkeibp.co.jp/archives/092/92044.html ≪ ◎クロスライセンス契約で等価or差額決済を行う場合の注意点!!≫ http://www.zeiken.co.jp/intax/intax20041126_01.htm
お礼
おはようございます。 >まだ死の谷を彷徨っているのですか?ったく、あぶないっかしいなぁー ああ~、この死の谷は、全く楽観視できないね。こればっかりは。 私の専門なだけにね。ヒグマにであってもう血だらけだよ。 死のうがどうなろうが戦う価値があるんだから立ち向かうしかないだろうな。どの業界も意外と狭いからね。逃げ場はない。 あなたが、この死の谷をおちょくってどうするつもりなのよ。 啓蒙ね。なにせ、自由ですからね。
はじめまして、Hidocchiと申します。 > 自由と平等の対立界面は、明確だとは思うのですが、 ごもっともだと思われます。 > 自由は平等を前提とした限界内で自由なのか、 ここでは、民主主義国家での“自由”と“平等”について論を進めさせていただきます。この「民主主義」なるものは、当然両者とも含まれています。ですが、“突き詰めた結果”、もしくは、“その大前提部分”について、愚見を申し上げたく存じます。 「民主主義」は、単純な“多数決”とは異なり、たとえ最終的には“多数決”によるとしても、その意思決定の前提として、各人の多様な意見を持つもの同士の協議を含む理性的なる対話が存在すること をもって、成立するという点で異なるとされており、またそれが理想的かと考えております。残念ながら、理性的対話なるものが存在しない場合等では、そのしっぺ返しとして、「独裁政治」や「衆愚政治」なるものに堕してしまうと考えております(つまり、これら「独裁政治」等も、「民主主義政治」の一形態と解しております)。 従いまして、「民主主義」を単なる多数決による決定としますと、前提は“平等”と察せられます。 ですが、たとえ理想とする「民主主義」であろうとも、多数決を要するため、前提としましては、やはり、“平等”は必要最低条件かとも考えております。 > それとも、自由を行使できる限界に平等があるのか? もちろん、たとえそれが各自の本性・良心に基づく“自由”であっても、“ルール”なるものが当然必要かと考えています。つまり日本では、習慣においてはさほどの相違性は見られませんが、米国のよ うに他民族国家においては、慣習等が各々により、異なります。その際においては、最低限の“ルール”が要求されると思うのです。そしてこの“ルール(法律)”なるものも、ある意味“平等”に存するものと考えております(違法行為は人によって罰則が異なるというのならば、別でございますが)。 従いまして、限界におきましても、“平等”は横たわっているものと考えております。 > つまり、ギリギリのところで平等優先か、自由優先かを問いたいのです。 今まで、愚生は、「民主主義」(衆愚政治も含みます)の最低条件として、またその限界においても、“平等”は必要と とってきました。 ですが、将来の日本人も含め、また現世代の政治なるものに責任を持って、「民主主義」なるものを実現・見守っていくには、主体性の持つもの同士の協議なるものがなければ達成は不可能とも考えております。 愚生は、ある意味「民主主義」は堕しやすく、もろく、またデリケートなるものと解しております。つきましては、極限状態におきましては、または十分条件を満たすには、“自由優先”(自由:各自の本性・良心に基づく行為)と考えております。 ご参考になれば、幸甚に存じます。
お礼
ご回答ありがとうございます 国家レベルでみた場合の質問の趣旨を補強して頂きありがとうございます。 各項目ともその通りかと思います。 主体性の持つもの同士の協議を尽くし、ギリギリのところでは、良心に基づく自由が優先されるということですね。 これまで回答頂いた皆さんも、自由に行動する側に良心、思いやりが必要との意見が多いですね。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.11&13&17&22&25&29&30&32です。 ひとつのことで反省・再考を持ちました。 ○ 婚外子の相続権に対する制限の問題 ☆ ですが 別の考えも出来るかも知れないと。 生まれてきた者はすべて平等であるという考え方から出発する場合です。差別なくあつかうことによって 婚外子ということで帯びる・親の側の反社会的行為から来る負の感情が 本人にとっても社会にとっても癒やされる方向に持っていくという場合です。 この方向が法律に反映されるのは 人びと一般の気持ちに始まるのかも分かりません。つまりこれは ○ 人間側が変わる ☆ の問題のようです。 だとすると――うっすらと反論なのですが―― 自由は 存在が個体としてあるので 大前提ですが それでは一義的に自由優先であるかと言うとそうでもないように感じられる部分もあると思えて来ましたが いかがでしょうか? * 自分にも嫌味に聞こえるような考え方をここですれば こうです。つまり ○ 基本的な考えとしては一般にやはり自由優先が前提として来るのだが その自由の確保のためにも平等を優先させる方式をえらぶ場合もあるかも知れない。 ☆ ・・・!?
お礼
ご回答ありがとうございます 婚外子の相続権に対する制限の問題は、平等と平等の対立でもあるんですね。 男と女が半数、一夫多妻、多夫一妻は不平等 vs 婚外子を差別するのは不平等 (子供を婚外子として産み育てる親の自由 vs 生まれくる子供の平等) 一夫多妻、多夫一妻は結果不平等で、婚外子差別は機会不平等ですからね。この論点では、機会不平等を是正すべきとなりますね。 でも、社会システム維持安定としては、一夫一婦制は譲れない・・・ 既に一夫一婦制で生きてきた私なんかは今更そんな、世代間不平等が あっていいものかと猛然と反対するということでしょうか。 > ○ 基本的な考えとしては一般にやはり自由優先が前提として来るのだが その自由の確保のためにも平等を優先させる方式をえらぶ場合もあるかも知れない。 機会平等の色彩が強い場合はそうだと思います。
- littlekiss
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おはようございます、bananasandさん。 【啓蒙思想】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%93%E8%92%99%E6%80%9D%E6%83%B3
お礼
ご回答ありがとうございます。 ヒトラーナチス、レジスタンス、ホロホーストと 癌細胞、免疫細胞、アポトーシスは、それ自身のDNAへの何らかの非線形性トリガーを特異点とする類似した偏微分方程式が立てられそうですね。人間は、その解を求めて、未だに死の谷を這っていると言うことですか。 http://www.asahi.com:80/business/update/0820/TKY200908200002.html http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090309/188511/ オープン・イノベーションが進まないのは、死の谷の淵で癌細胞優性と言うことですかね。 あるいは、 http://diamond.jp/series/machida/10085/ 上空から負のインテンションがかかているのかも。雲の上の平等破壊でしょうか。 そういえば中国の偉大な啓蒙家、孔子曰く「それ恕か」、庶子曰く「差別反対」。
人は他者を侵害して泣く。 泣きたくない者は、侵害してはならない。 自他を損なうことなく、自他を全うする道こそが真の道であると知って、我ありという虚妄なる思いと、それにまつわる地を這う生き方を捨てて、静けさの護りで安らぎを目指そう。 真の自由は、誰にも侵されず、誰をも傷つけないのだから。
お礼
ご回答ありがとうございます amatubukunさん。このご回答は一つの啓示でしょうか。 私は既に、amatubukunさんへ相手を殺す場合があると述べました。 家を焼かれ、女房子供を殺され、自分も殺されようとしているとき、私は敢然と敵対し相手を殺すでしょう。と。 相手を殺すことは最大の平等の破壊であり、 「我ありという虚妄なる思いと、それにまつわる地を這う生き方を捨て」るなら、 残忍な殺戮者が生き残り、平等を死守する道を知る者が昇天し、そして、その先に誰にも侵されず、誰をも傷つけない自由があると言うことでしょうか。
A21です。 > 経済的不自由が、自由の欠如によるとするか、平等の欠如によるとするか・・・ 経済の法整備を公正基軸にするなら、機会平等を保てばよろしいと言うことですね。 経済では自由も平等も量れない。 と、表明したら突飛ですかね。
お礼
ご回答ありがとうございます No11の回答でも記載したのですが、経済は、自由、平等に鋭敏に反応する1ティックを1bitとする新生物とか統合思念体のように感じますね。 結局、政治、文化、歴史の先導役になっているのではないでしょうか。 経済システムの口から爬虫類の舌のように上下を模索し続けますが、こいつは獲物に敏感で本性むき出しですからね。 なんて前にも記載しましたけど、市場の自由に任せておくと破綻し、平等を貫くと動かなくなるやっかいな代物ですね。 個人の自由-平等と違うのは、自由側に内部拘束が無いことでしょうかね。
- littlekiss
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こんばんは、bananasandさん。 【産経新聞】 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091003-00000524-san-soci 【庶子】 http://wapedia.mobi/ja/%E5%BA%B6%E5%AD%90?t=5. 【彦根城博物館だより】 http://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/letter/69.html 【免疫細胞の遺伝子操作により<腫瘍と戦う兵士>誕生】 http://www.eurekalert.org/pub_releases/translations/sci0824jp.pdf 【統一ドイツにおける「過去」の展示と歴史認識】 -ホロコーストを中心として- http://www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j3-2_3.pdf 【「死の谷」とはなにか 】 http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/05020101.html
- littlekiss
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こんにちは、bananasandさん。 ●白があえて何色かは、闇の中でしょうか。 【金星ってどんな星?】 http://www.astroarts.co.jp/special/2007venus/about-j.shtml 【金星のデータ】 http://www.cgh.ed.jp/TNPJP/nineplanets/venus.html 【金星】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%98%9F
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、これはプラネタリースケールのいわゆる惑星波動(重力波)で実際の金星大気に存在する水平方向の位相速度と基本流速度が同じになる高度での非線形性は議論できないという結果が出ているということですか。つまり、全て線形波理論で説明できると言うことですね。 そして、太陽スペクトルをそのまま反射する美しさは、全てを平等に愛せというお教えですね、女神ヴィーナス。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.11&13&17&22&25&29&30です。 自転車で郊外まで行って来ました。稲穂が実っていましたよ。 さて探究は進んでいるでしょうか? 特異点やら反射やプランク定数やらやらでいまひとつ進み具合いがしっかりとつかめていません。たとえ思弁が入るところでも人間論としては いまの時点でのぞみうる内容を模索していると思っています。 自然科学の成果に関しては わたしの場合は単なる応用です。ソーカルに指摘される前に自己申告してそろそろ退場したほうがよいでしょう。 ☆☆ プランク定数が零 ☆ これなども ひとの発した電磁波を受け取った《わたし》から何らかの振動やエネルギが発散されているはずですが あたかも消えてしまうというような事態を言おうとしているのみです。アースの場合です。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 誕生が常に非線形現象であるなら誕生しているのは自分側なのか事象側なのか、時間論の観点からも区別がつかなくなります。究極的には、我々は特異点の中なのか外なのかさえ区別がつかないと思いますね。 ・・・ そういう視点から、イエスの特異点は、充分に特異点と表現して至極妥当かと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは こんなにすんなりと通るとは思わなかったです。 ▲ (ルカによる福音書23:34)「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」 ☆ とイエスは十字架上で言ったといいます。これも特異点にたとえるゆえんですが わたしには無理です。ただし 意識の排泄のごとき電磁波を受けとめ 中性化し廃棄するアースの仕事はできます。 ★ 〔* 自然のではなく ものごころが付いてからの・非思考における第二の〕誕生が常に非線形現象であるなら誕生しているのは自分側なのか事象側なのか、時間論の観点からも区別がつかなくなります。 ☆ からです。 ★ 究極的には、我々は特異点の中なのか外なのかさえ区別がつかないと思いますね。 ☆ 《中か外か》分かりませんが イエスという特異点のもとにいるとき 電磁波現象という《事象》は 一たん《わたし》の中に入った場合も その事象じたいの側であたかも責任をとるかのようにいわば自己組織化を計ってのち自己消滅します。 ★ 特異点が、白か透明かは不毛な議論です。どちらも実相からかけ離れ、どちらも象徴としては正しいのですから。 ☆ 信頼して承りました。 ただよろしければ ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >6、7 下から行きますが、反射光で解は得られません。スペクトラム解析が不可欠です。 近傍では知り得ません。非思考の能天気は、地平線の外側においてはどうしようもありませんね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ についてもう少し解説をお願いしてもいいですか。特に後半のところです。《近傍・地平線》あたりなのですが。 ★ 非嫡出子の相続差別〔を規定する法律の是非の〕問題 ☆ ですからこれも自由優先か平等優先かは 大前提として決まっているとは思えないですね。わたしの判断基準は つぎのようです。 1. 男女の性愛をともなう人間関係は ふつうの人間関係における信頼の問題と同じく――そしてたぶんそれ以上に―― 自由と平等の原則にかかわると思います。 2. 自己表現の自由つまりそれにともなう答責性の問題が 信頼関係のそれとして つねについて来ます。裏切らないか裏切るかです。 3. 婚外子の問題は 婚外婚の当事者ふたりの問題だと見ます。裏切りつまり信頼関係の破棄つまり社会秩序の撹乱であると考えます。 4. 裏切り者ふたりの責任は 婚外子という次の一世代まではおよぶと見ます。その出生について見とおすことが出来たと考えられるからです。 5. その上で 法律の規定は 力関係で決まる場合さえあるかも知れません。ので その綱引きにはあまり興味が湧きません。それでも定量的にどうすることがよいかとなれば 現行のように差別をつけて 半分の相続権という規定は妥当だと考えますが どうでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >▲ (ルカによる福音書23:34)「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」 >☆ とイエスは十字架上で言ったといいます。これも特異点にたとえるゆえんですが 十字架の交差における死と復活は、聞いただけで特異点であって非線形現象の解析対象になると直感します。 >近傍では知り得ません。非思考の能天気は、地平線の外側においてはどうしようもありませんね。 すいません、外側は、内側の誤りでした。 特異点の近傍は、他の部分とは著しく異なる現象を観測できるでしょうけれども、特異点での解は得られ無いと言うことなんです。特異点を持つ方程式では、特異点の極近傍まではキッチリ計算できても、特異点では方程式が破綻するということです。特異点は、光でさえも出てこれな空間に囲まれているので、その特異点を直接観測できません。この領域の境界を事象の地平線と呼んでいて、この地平線の外側なら森羅万象の因果律を議論できますが内側は一切できません。かくしてアインシュタイン方程式は破綻し因果関係が解らなくなります。 >★ 非嫡出子の相続差別〔を規定する法律の是非の〕問題 >現行のように差別をつけて 半分の相続権という規定は妥当だと考えますが どうでしょう。 そう思います。これは前回の>この《いくぶん片寄った発進》によって 社会における実際の人間関係は いろんな意味で差異を持ったものになるようです。に対応した差異をもった最近実例の提示しようと思い、書いているうちに私の意見を付けてしまったものです。 これまでいただいた皆様からのご回答で、自由と平等の対立軸には、友愛、奉仕、臥薪嘗胆、対等、人間性といったような緩衝役があることを知りました。そして、自由は平等の概念を包含するがが、平等は必ずしも自由を包含しないというのは、純白の状態であるなら発展性を考えて自由が優先されて然るべきだと思うようになりました。
お返事に対する返答。 自由、つまりこころの自由、自らの本意に従うことは、誰しもに許されたことである。(つまり、誰の許可など得ずとも、その本人さえその気であれば、可能であるということ。) 誰しもに許されているということが、平等に他ならないのではないだろうか。 自由は、皆が平等に有しているだろう。 愚かな人はこのように思うかもしれない。 自由であれば、何をしてもいいのだと。 しかしそれは、自由とは言わない。 自由というのは、自らのほんとうの気持ちに従っているということを言うのであって、自らの本意にそぐわぬこと、喩えば他者を傷つけることなどは、自由とは言えない。誰も、本心にそのようなことを望む人はいないからです。 故に知らねばならない。 敵対するという心は、虚妄なのであるということを。 ・・・ もしここに、知恵の輪を遊ぶのに、どうして分解しないのか、ということを目指して遊んでいる人があるとする。 知恵の輪で正しく遊んだことのある人は、その人に対して、知恵の輪は、どうして分解しないかを目指して遊ぶのではなくて、どうすれば分解するのかを目指して遊ぶものだよと、教えてくれるでしょう。 質問者さんのこの疑義も、喩えと同じように、どうして、平等と自由は矛盾するのだろうを考えるのではなく、どうしたら、自由と平等は矛盾しないのだろうを考えられると、十数倍早く、ご自身の納得の行く答えを御自身で得られることと思います。 なぜならば、知恵の輪の、解けない動きの組み合わせは無数にあるけれど、解ける動きの組み合わせの手順というのは一つしかないものであるからです。 また、知恵の輪のピースが、透明になってすり抜けるという回答は、(現実的にも)ありえないでしょう。 知恵の輪は、マジック(種や仕掛けを工夫して、見え方で遊ぶ)遊びとは違う種類の遊びであるからです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >故に知らねばならない。敵対するという心は、虚妄なのであるということを。 残念ながら、自由なのだから何をしても良く、実際にすることができる愚かな私が私の中に存在しています。 私は、既にNo9の方へ、 私には、沢山の欲があり、破壊したい衝動も、盗みたい衝動も、犯したい衝動もあり、物質領域の結果に大いに囚われます。そして、この問は、人間が集まれば争いが起こるものであるという事実から展開しています。 と告白しています。 敵対する心は私にとって虚妄ではなく実在です。 家を焼かれ、女房子供を殺され、自分も殺されようとしているとき、私は敢然と敵対し相手を殺すでしょう。 そうでないと、生きてこれなかったのですよ。私は。 >他者を傷つけることなどは、自由とは言えない。誰も、本心にそのようなことを望む人はいないからです。 少なくとも私には本心から他者を殺さざるを得ない状況が想定できます。 真の自由と平等を知らないから、自由と平等を害し危険である。>故に知らねばならない。と言うことでしょうか。
お礼
amatubukunさん。 我、断末魔の苦しみの中にある。弾丸は、腰と肺に命中して、その銃口はさらに我の額を狙っている。 この苦しみのはてを知り、自らの銃で相手を殺してしまえば、我安らぎを得。 さあ、神よ、この光をもって刻み込まれし道を指し示せ。自由か死か。