キリスト史観は 終えられて あたらしい世界へと。
1. イエス・キリストは モーセやアブラハムより先にいた。
▲ (ヨハネによる福音 1:1-5 ) ~~~~~~~
はじめに ことばがあった。
ことばは かみとともにあった。
ことばは かみであった。
このことばは はじめにかみとともにあった。
すべてのものは ことばによって成った。
成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった。
ことばの内に いのちがあった。
いのちは 人を照らすひかりであった。
ひかりは 暗闇のなかでかがやいている。
くらやみは ひかりをとらえ得なかった。
▲ (マタイによる福音書 13:16-17) ~~~~~
16:しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。
あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。
17:はっきり言っておく。
多くの預言者や正しい人たちは、
あなたがたが見ているものを見たかったが、
見ることができず、
あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、
聞けなかったのである。
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2. つまり ヨハネ福音のほうは キリスト・イエスについて語っており マタイのほうはイエスがみづから語った言葉です。
3. これにしたがうと イエスは キリストなる神として モーセやアブラハム(=《預言者や正しい人たち》)よりも前にいたことになります。
4. その正否をうんぬんする前に すべては表現の問題であるというようなかたちでここでは扱います。その表現の歴史としてでも 世界は動いて来たと見るひとつの主題です。
5. すなわち キリスト・イエスを俟ちのぞみつづけた歴史。これをメシアを待望するという恰好のキリスト史観と名づけます。
6. さて そのアブラハムからの二千年ほどの歴史は 別の質問で取り上げていますので措いておきますが たとえばイエスの時代において ペテロを初めとする弟子たちも イエスがメシアだとは分からなかった。という問題があります。
7. イエスが十字架上に去って行ったあと初めて かれがキリスト・イエスだと分かった。イエスが捕らえられたときには 自分たちは逃げ去ったほどでした。
8. 生前には――イエスはみづからが神の子であると自称さえしていたが―― ペテロらは 分からなかった。口では言っていたが 《虚構――イエスの大嘘――》を捉え得なかった。この問題です。
9. それは 次の聖句を引き合いに出して説明されるようです。
▲ (出エジプト記 33:21-23) ~~~~~
21: 更に、主は言われた。
「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。
あなたはその岩のそばに立ちなさい。
22: わが栄光が通り過ぎるとき、
わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、
わたしが通り過ぎるまで、
わたしの手であなたを覆う。
23: わたしが手を離すとき、
あなたはわたしの後ろを見るが、
わたしの顔は見えない。」
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10. つまり 生前のイエスについては 弟子たちの目は覆われており イエスの正体が分からなかった。死後やっと キリストの背面を見ることが出来た。《顔――神なる真理そのもの――》は 見えない。と。
11. でも キリスト史観は 成就した。と――言うなれば《ことばの民》なる民族にとっては ことば・ことば・ことば・・・として歴史が推移するというかのように――捉えられているものと考えられます。
12. この虚構が なかなか捨てがたいようだと思われ 受け容れられたのでしょう。どこまで分かったのかを別としても。
13. ことばを《こと(事・言)の端》として捉える民にとっては このキリスト史観をどのようにあつかうのがよいか?
13-1. たぶん 辻褄は合っている。か。
13-2. 二千年ものあいだ 語られたコトバを追って 人びとの歴史がいとな
まれたと言われても こたえようがない。か。
14. といった問題もさることながら――つまり 一応そう触れておいた上で―― ここでは このキリスト史観について それが成就した途端にもうその使命を終えたという見方を持ちます。
15. そうして そのことによって 世界のすべての人びとにとって あたらしい世界を用意した。と考えます。キリスト史観がです。
16. あたらしい世界とは 何か?
17. あえてこの質問ではたたき台を必ずしも用意せず みなさんからいろんな見解をお聞きしたい。否定的な見解もありましょうが どうでしょう?
18. 質問者のひとつの焦点は キリストの背面を人間は見ることが出来たとするのならば そのような《神のうしろ姿》とは どういうことか? です。
19. 神の正面の姿を見ることができる(出来た)と説くシュウキョウの問題もあるかと思いますが・そして質問者としてはそういうふざけた自己表現はもう論外としたいと考えていますが いづれにしましても どうでしょうか?
お礼
水戸学というものは理解できました。ありがとうございます。 どうやら水戸史観という用語は変な人が勝手に使ってるだけみたいでした。