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結局、自由主義史観は大東亜戦争肯定史観になった?
当初は、東京裁判史観やコミンテルン暗黒史観ではない、自由な議論を通じた新しい史観をめざすといってました。「新しい歴史教科書」問題などを見ていると、 結局、自由主義史観は大東亜戦争肯定史観になったようです。皆さんはどう思われますか?
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私も、そう思います。 再び戦争ができる(連中が言うところの)「普通の国」にするためには、過去の戦争を美化するしかないんでしょうね。
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- gon1234
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回答No.2
大東亜戦争肯定というよりも、大東亜戦争を含めた当時の「時代」というものを正しく見るということじゃないかな。 従来の東京裁判史観(自虐史観)を持ちたいのであればそれでOKだし、新しい歴史観ということで「つくる会」などの意見が出てくるのも面白いと思います。 歴史というのはこれからの時代をより良く(善く)作っていくために役立てていくべきだと思います。 個人的には自虐史観は後ろ向きな考えであり、自分自身の成長にはマイナスだと感じています。
質問者
お礼
回答ありがとうございます。岩波現代文庫の家永三郎著「太平洋戦争」を一読されることをお勧めします。自分には何の得にもならない教科書裁判を闘った家永氏と 検定に通るために検定意見を全部丸呑みした扶桑社と比べてどちらが筋が通っているでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。間違っているかもしれませんが、「新しい歴史教科書を作る会」はヨーロッパで勢力を伸ばしている極右の日本版ではないでしょうか? もしくはスターリンの強制収容所を引き合いに出してナチス犯罪を相対化する歴史修正主義者でしょうか? ともあれありがとうございました。