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こういう考え方は「哲学」なのでしょうか?
こんな考え方なのですが、これは「哲学」と言って良いのでしょうか? 辞書を読んでもいまいち判断が付かず、少々悩んでいます。 「人間は妄想を膨らませて自分から勝手におかしくなる生き物である」 例えばこんな感じです(似たような事件がありました?)。 ある日Aさんの愛犬が保健所に連れて行かれて殺されてしまった。 ↓ 悲しみにくれたAさんは次第に頭の中で、「愛犬を殺したのは保健所を管理している国の機関の偉い人だ。」と妄想するようになって来る。 ↓ Aさんは愛犬の復讐としてその、国の機関の偉い人を探し出して殺そうと決めた。
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違うみたい。 犬の管理をおろそかにした、自分の責任を転嫁したただの逆恨みと言われそう。 でも、「人間は妄想を膨らませて自分から勝手におかしくなる生き物である」という点は合ってると思う。 そういう意味では、野良犬が人間に敵対心もっているのとあまり変わらない気もする。 だとすると、「人間は」ではなく「幼い知恵は」というべきかな。 厚生省の元官僚が殺害された事件も、この類です、ある程度気持ちは理解できても、短絡的行動と思います。 妄想し始めた時点でおかしくなる人ばかりではありませんが、怒りや憎しみは空想と現実を一時でも同一とします。 目の前の現実に理由を付けるのが哲学ならば、哲学的行動なのかもしれませんが。
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- QES
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違うでしょう。 哲学ならもっと理路整然と前提と問題点を整理していく必要があります。 まず保健所の管轄は都道府県であり、「国の機関の偉い人だ」という勘違いがあります。 次に「愛犬」の定義です。 一般常識の「愛犬」とは「飼い犬」のことであり、「飼い犬」とは「畜犬登録」と「狂犬病予防注射」を済ませており、日常鎖等で繋いでいる犬のことを言います。 Aさんが愛犬と思いこんでいた犬は、いずれかまたはすべてが未対応であり、保健所の職員には野良犬としか映らなかったのではないか。 または鎖を引きちぎって通行人にしばしば噛み付いていて住民から苦情があったのではないか。 こうした押さえるべき部分が不明確では哲学には程遠いです。
お礼
お二方、ご解答どうもありがとう御座いました。 ちょっと例が悪かったですね; その犬のような例でなくて、もっともっとたっぷりとたっぷりと、妄想と葛藤を溜め込んだ末に、だと思っています。 良い例が浮かびませんでした。 「人間は妄想を膨らませて自分から勝手におかしくなる」が哲学なのか否かが気になっていたので、お答え頂けてすっきり致しました。