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屋上屋を架す 謙遜の心理?
質問タイトル中の「屋上屋を架す」の意味は 無駄なことのたとえ ということで、よく見かけるのはある分野の書を世に問うときに、すでにある「先人による立派な書物」に加えて更に自分のような浅学非才の者が書を出す(つまり立派な屋根の上に自分の粗末な屋根を架ける)のは「無駄なこと」かもしれないと、「謙虚さ」を装うときに使われる常套句であるように思われます。 このことば、もともとは「屋下に屋を架す」であり、自分の書は先人の労作を超えない(下である)、よって立派な屋根の下に無駄な屋根をこしらえている畏れありという「謙遜の心理」を表すことばであったようです。 先人の労作を持ち上げるなら当然自分の「上に」それを持ってくるというのが普通なような気がします。 「屋上屋を架す」と記す著者が「屋下に屋を架す」を知らないとは思えません。ではなぜ「謙遜のふり」をしつつ「自分の方が上だ」という本心を覗かせる表現を使うのでしょうか。それはどういった心理なのでしょうか? ※言葉の意味をお聞きしている訳ではないので「国語カテ」ではなく「心理カテ」を選びました。 ※質問の主旨に沿った回答をお願いします。
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前提条件を書きましょう。 前提1自分の感覚と相手の感覚が違い他の視点からすると恐らく尊んでいる(東大入ってみなから「すごいね」とか言われる場合など)と理解出てきていて謙遜する場合 前提2前提1の自他の感覚の違いを理解できていない場合もしくはそこまで気が回らない場合 とすると前提1の場合自分の感覚からすれば大したことないが相手からすると大したことあると感じて謙遜しているとするなば明らかにNO1の回答に部類するのではないかと思います。前提2の場合はやはり何かにより謙遜すると考えるのが妥当だと思いますからNO2の回答ということになるのではないでしょうか?まあその他諸事情的な理由は説明しきれませんのであしからず
2回も押し付けがましいですが浮かんだのが背面理論 例えば誉められると高慢な感情がでてしまうが故に その高慢さによる他者攻撃をしたくないという善意性 とか誉められるということで周りから違う存在に見られる ことによる隔離恐怖とかそのような何かの背面論理 による謙遜というのがおそらく一番の回答になるんでは ないでしょうか?
お礼
再びの回答をありがとうございます。 >背面理論 ネット検索ではそれらしいものにヒットしませんでした。でも面白そうなのでもう少し詳しく説明願えますか?たとえば文献などの紹介とか。
ああ~一回回答したことあるんだけど、多分ね本心では上に見てるんだろうね、上と言っても「見方によっては」という条件は付けますが「抜きに出ている」位の感性はあるんではないでしょうか?なんというか自分を下手に見せておいて上手を見せるテクニックとでも言いますか・・・・上下という表現はいささかどうかと思いますが謙遜美をかざすことによって大盤振る舞いの醜さを隠すとでも言いますか本能を丸出しすることが恥ずかしいとでもいいますかカッコ悪いという感性を持っている人なのかもしれませんね(?)いやよくわからないんですがねw あと大いに謙遜の反対は・・・自慢?なんだろう?後で調べておきます。とにかく下がる心配がなく揚がる一方ですよね?まあ一方と言わずとも下がる可能性は低くなるだろうという感性から下がる可能性は低くなるだろうという感性から自分揚げは止めて置こうという補償行為なんていうのもあるかも(?)
お礼
回答をありがとうございます。 >多分ね本心では上に見てるんだろうね すると「儀礼的」な謙遜ということですね。
お礼
三度の回答をありがとうございます。 お書きになった内容はすぐには分かりかねます。きっと当方の理解力の問題だと思います。しばし考える時間を頂きたいと思います。