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玉音放送について
先日初めて玉音放送をyoutubeで見ました。(20代です) Youtubeでは現代語訳があったので内容は理解できたのですが 当時の方々はあの放送を聞いただけで、 何を言ってるのかわかったのでしょうか? もしyoutubeで現代語訳がなければ 外国語並みに何を言ってるのかわかりませんでした。 当時の人でも普段の話し言葉は、 玉音放送のような感じではなかったですよね? よろしくお願いします。
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『軍事板常見問題』より http://mltr.ganriki.net/faq08h17.html 質問:市町村レベルでは、「終戦の詔勅」はどの時点で、どの程度の関係者に事前に通達されていたのですか? http://mltr.ganriki.net/faq08h17.html 回答:『流言・投書の太平洋戦争』と言う本をご一読ください。 基本的には,前日のラジオ放送で、「重大放送」が有ると言うことは国民に知らしめられていました。 また、当日朝のニュースでは、天皇陛下が直々にマイクの前に立つと言うことを知らせています。 また、政府はポツダム宣言受諾決定の直後から敗戦後の治安と秩序維持のため、取締まり方針を策定し、8月14日には、その最終方針を全国に通達しています。 そこには、「廟議決定の方針を曲解し又は異議を唱え、或いはこれに矛盾するが如きもの」、「政府の態度、方針、時局を誹謗するが如きもの妄りに既往の戦争責任者の追求」等の言動が抑圧対象となり、右翼、左翼関係者、朝鮮人に対する視察を強化するよう求めています。 更に新聞社に対しても、新聞の配達は玉音放送の後に行うように厳重に指導されていました。 ちなみに、空襲を受けた地域とそうでない地域では、国民の時局の受け止め方に温度差が非常にあり、地方の代議士などでは、政府の弱腰を批判する発言をしています。 確か、米国戦略爆撃調査団の世論調査では、日本国民の25%が、戦争には勝つと考えていたそうです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ある程度の事前通達はあったそうです。 ですから、すぐには言葉の意味が分からなくても、首長、代議士・在郷軍人・市町村職員、報道関係者、地域有力者などの言動から察することもできるし、説明も行われたでしょう
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- do-deshow
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高見順「敗戦日記」 玉音放送の盤を巡って、争奪戦が起こり、ようやく1枚だけが放送局に。 「玉音放送を全国民聞くように」の指定時間の数分前。 音質が悪く、とぎれとぎれ。それを聞いた軍曹が「負けた振りして、おびきよせて、、、」、しかし、その場の人々は、彼から目をそらす。 「終わった」と言う安堵の平穏。 広島、長崎、は伏せられていても、庶民は肌でわかっていたのではないでしょうか。
お礼
肌で感じたのでしょうね。ありがとうございます。
- nene-k
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私も祖母に聞いた話しですが・・・ 終戦当時20歳だった祖母は、その日の朝早くに、「今日のお昼から、何やら、大事な放送があるらしいから、皆、ラジオつけて聞くように」と、近所のオッチャンに教えてもらいながらも、当時は、南方の戦況などが、大本営発表という形で、度々あったので、あまり気に留めておらず、日常生活をこなしているうちに、つい、聞き忘れてしまって、後で、近所の人に、「放送ってどんなんやった?」と聞くと、「そういうたら、そんなん言うてたけど、私も聞いてない」ってな人たちが何人もいた中、「聞いた」という人も何人かいて、その内容を尋ねると、「なんや、よう、わからんかったけど、たぶん、みんな、がんばれって事やと思う」という返事だったそうです。 ・・・で、その日の夜くらいになって、「なんか、日本負けたらしい」と噂のような形で耳に入ってきた・・・と言ってました。 よく、テレビのドキュメンタリーなどで放送される玉音放送聞きながら多くの人が泣いているシーンがありますが、「あんなん見た事ない」って言ってました。 誰か1人でも、内容を理解できる学識の高い人が近くにいたら、すぐに他の人もわかって、あのような泣き崩れるシーンとなるのでしょうが、多くの一般庶民は、聞いてすぐには理解できなかったようです。 長くなってしまいましたが、祖母の言葉通りに書かせていただきました。 ただし、祖母の居住地は大阪市内・・・場所によって差がある事をご理解ください。 ちなみに、余談ですが、その前日(15日の夜明け前)にも、南の方角で空襲があったと言ってました。
お礼
なるほど。 私が見たYoutubeも玉音放送で涙を流していました。 ありがとうございます。
- katana-kar
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祖母の話です。 幾人かで聞いていたので聞き取りづらかったし、 内容がよく理解できなかったと言っていました。 また、負けたと言う人もいたし、 いや激励だという人、講和だと言う人もいたらしいです。 また、予断ですが、当時はご存知の通り、 各地の戦いの結果を都合よく大勝利とばかり報じていたことや 教育で日清日露戦争を中心に、歴史の中で日本がどの国と戦争しても 連勝していたと教わっていたらしいので 太平洋戦争に負けると思っていなかった人も少なからずいたようです。
お礼
負けたかどうかも判断できない方もいたんですね。 ありがとうございます。
- sosdada
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みんなうすうす分かっていた、その上で、 戦前は漢文の教育が行き届いていたので、聞き取りにくくても分かる人はよく分かり、 「戦争に負けた」と、涙ながらに周囲の人々に教えました。 と、香川県での話です。
お礼
空気でわかったのですね。ありがとうございます。
- 植松 一三(@jf2kgu)
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50代男です 私もチンとか説明を受けないと分からないですね(vv;) ただあの時代なら分かった人もいたと思います 誰も負ける事は判っていたし、当時は天皇が直接国民に話すとしたら玉音放送位しかなかったと思います、≪誰も予想はしていた所に放送ですから判ったのではないですか≫
お礼
周りの空気を読んで状況を読み取ったのですね。 ありがとうございます。
お礼
空気でなんとなくわかるのですね。 ありがとうございます。