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玉音放送を聞いて?
玉音放送をリアルタイムで聞た方に質問があります。 (憶測でなければ、そのような方から直接に聞いた事例でもよいです) 放送を聞いた直後、あるいは、しばらく経ってから、「敗戦」についての思いはどのようなものだったでしょうか。 1 敗戦とは信じられない 2 やはりそうか。それにしては早かった 3 やはりそうか。随分と長引いた 4 その他 父に同様の質問をしたことがあるのですが、いやな顔を見せたまま無言でした。 年上の知人は、開放感と虚脱感がない交ぜになって・・、としか語りませんでした。 ベストアンサーは選出しません。ご了承ください。
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- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#6です。補足です。 >> 第一種軍装そのような方(旧日本国軍兵士)にこそ、敗戦の「実感」をお聞きしたいとおもいます。「実感」ばかりを喚き散らすのは子供じみた行為ですが、「実感」をないがしろにしてよいはずもありません。 僕は、お父さんの反応が、とてもよくわかるような気がします。
- koncha108
- ベストアンサー率49% (1313/2666)
4です。 最近昔の人の記述や話などを見聞きして、「ほっとした」と言う開放感を感じた人が多かったことに驚きます。 > 年上の知人は、開放感と虚脱感がない交ぜになって・・、としか語りませんでした。 どれくらいの割合かわかりませんが、同じような人が結構多かったんじゃないかと思います。ただ、玉音放送をみんなで聞いていて仮に開放感があったとしてもそれを表現することは許されなかったと思うし、開放されてもその後どうなるのか全くわからない中で喜ぶ前に不安に飲み込まれるのが普通と思います。少なくとも表面的には敗戦したことに対する悔しさ、悲しみ、虚脱感しか表せなかったしそれが本心と思い込ませようとしても不思議ではなく、開放感と言う感覚がその後国が復興して戦争をおこした政治家や軍部が悪だと言う解釈が出てから思い起こしたものの可能性もあると思います。 太宰治の短編とも言えないような短い作品に、その時の様子を書いたトカトントンと言うのがあるのですが、公開されているので興味があれば見てみてください。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2285_15077.html 玉音放送そのものは雑音でほとんど聞き取れなかったもののその後で中尉が現れて解説をし、いったんは絶望の淵に追い込まれるのですが、その時に日常の大工工事の金槌の音が聞こえてきてふとつきものが落ちたように我に返り、開放感と虚しさみたいな感覚になっていく様子が書かれています。 これは終戦2年後に書かれているのですが、太宰治だからこそその時の感情をうまく書いているのかと思いますが、一般の人はときとともに記憶があやふやになるとともに自分のその時の複雑な感情が時代に照らし合わせながら整理がついてきたと言うことかも知れません。 ご質問はとても良い質問で、仮に同じ人にアンケートを取ったとしても玉音放送を聞いた直後、数週間後、数年後、数十年後でずいぶんと違っているような気がします。
お礼
回答にお礼申し上げます 「トカトントン」は読んだことがあります。父の感想は、頭のいい奴は言うことが違うね、でした。 私が直接聞いた限りでは、正義は我が国に在りと主張していた人も含めて、日本の勝利を信じていた人はいません。 「整理がついてきたと・・・」そのとうりだと思います。その整理の経過を知りたいと思います。それが戦争の記憶を風化させないために有効だと思っております。
- hekiyu2
- ベストアンサー率35% (271/774)
祖父から聞いた話ですが。 天皇の言葉が特別なので、何を言っているか判らなかったが やがて、負けた、ということが判って 自然と涙がでてきた。 空襲などが煩雑にあったので、放送前から どうやら負けているらしい、とは 判っていた。
お礼
回答にお礼申し上げます 玉音放送に「やはりそうか」という気持ちだったということでしょうか 戦争の是非や、我彼の正義をいうまえに、戦争が終わり嬉しくないわけがなく、自国が負けて悲しくないわけがなく、まず涙が流れるのは当たり前だと思います。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6878/20342)
チンフカクセカイノタイセイトテイコクノゲンジョウニカンガミヒジョウノソチヲモッテジキョクヲシュウシュウセムトホッシココニチュウリョウナルナンジシンミンニツグ 朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み非常の措置をもって時局を収拾せむと欲しここに忠良なる汝臣民に告ぐ・・・ 教育勅語の暗唱をさせられるのと同じで 意味なんかちっとも分からなかったと ちんおもうにこうそこうそうのおもんばかり・・・・ 大人の反応を見てなにかあったのだと感じただけみたいな
お礼
回答にお礼申し上げます 子供のときに玉音放送を聞いたかたは、大人の反応をみて不安を募らせたようです。その不安が戦後どのように現実化していったのか、それとも、その当時を知らない者が思うような困難はなく、違う種類の困難であったか、別の機会に質問いたします。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
お礼
回答にお礼申し上げます 第一種軍装 そのような方(旧日本国軍兵士)にこそ、敗戦の「実感」をお聞きしたいとおもいます。「実感」ばかりを喚き散らすのは子供じみた行為ですが、「実感」をないがしろにしてよいはずもありません。 進駐軍が上陸したときにゲリラ戦のゲの字もなかったことが諸外国でも不思議に思ったようです。(軍刀を振りかざしてGIの前に躍り出た男がGIではなく日本人により取り押さえられた話を聞いたことはありますが) 正規の召集ならば、93歳を超えていましょう。健康に長寿を保つことを祈念しております。
- sz120
- ベストアンサー率25% (40/158)
玉音放送を聴いたのは8歳の時。 覚えているのはチンフカクセカイノタイセイトテイコクニ・・・ 暑い中運動場に集まって聞いて先生が日本が負けたといわれて 皆でワイ日本負けたと喜んで叫びながら運動場を走り回り先生に怒られました。 何故負けたと喜んだのかは、毎日の空襲でずっと防空壕生活していたから。 2歳~8歳まで戦争の中6歳で戦災孤児になり戦争から開放された喜び。
お礼
回答にお礼申し上げます 戦争から開放された喜び なにかにつけ窮乏をお国のためと強要された子供たちが敗戦の意味は分からずとも空襲や艦載機の襲来から解放されたことを一番喜んだことは想像に難くありません。 戦争孤児 戦後からあなたたちの戦いが始まりました。一億総懺悔などという無意味な言葉の弾幕のなかで、よくぞ生き残ったものよ、と驚嘆します。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
- ベストアンサー率13% (1225/8755)
当時10歳としても今は83歳 殆どはそれ以上のお年 リアルタイムでお聞きになられた方で パソコンを使用してこのサイトに出入りなさっている方は 少ないでしょう ご質問の意味は解るのですが 何故ここで質問なさるのかしらと思いました。 実際は嫌な思い出でしょうね。 でも辛く苦しい日々から解放された日でもあります。 ある方の本で読みましたが これからは自由なのだと思ったと言っていらっしゃいました。 女性は立ち直りが早かったそうです。 だって何もない所から生きて行かなければならないのですよ。
お礼
回答にお礼申し上げます パソコンを使用して 遅きに失したようですが、そのような方から直接に話を聞いた人はまだご健在であろうかとの思いで投稿いたしました。 何故ここで質問なさるのか 身近な人に聞いて回っていたのですが、もっと広範囲の声を知りたく、このような手段をとりました。じつを言えば、近所の大学生に代筆というか代打ちをお願いして投稿しています。(パソコンには縁遠いので) ある方の本で読みました 「ある方」は佐藤愛子氏や田辺聖子氏を想像しました。野坂昭如氏が戦後は一種のユートピアではなかったか。戦後直後の女の逞しさに気後れすら感じたとの謂を書いていました。卑弥呼の昔から日本は女性の国ですねwww
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
「玉音」か分からなかったそうです。 天皇陛下のナマの声(レコードでしたが)を初めて聞く機会だったわけですから。 難しくて内容が分からないというのは、相当に地位や素養のある人に限られるんじゃないでしょうか。 前々から想像できていたので敗戦のことを話していることは理解できたが、それ以前に、初めて聞く天皇陛下の声に驚いたと聞いています。 神と祀られ、家族、知り合い、親兄弟を死地に赴かせた天皇、絶対君主としての存在の声としては、私が祖母の立場でも驚きの方が先にくるんじゃないかと思いました。
お礼
回答にお礼申し上げます 驚きの方が先にくる このような回答も予想はしていましたが、初めて聞くことができました。 ありがとうございました。
- nannkaiporks
- ベストアンサー率26% (466/1765)
私の爺さんは、3ですね。 当時でも政治をチェックしてた人はそう思ってると思いますよ。 どう考えても長期戦で勝てる戦争ではなかったのですから。 そんな話を子供の頃に聞いたことがあります。 爺さんは戦時中教師で、終戦で教師を辞めました。 老婆心ですが、玉音放送を聞いた年代は、パソコンはあまり使わないと思います。 なので、こういう場所で声を聞くことは無理かと思いますよ。
お礼
回答にお礼申し上げます どう考えても長期戦で勝てる戦争ではなかったのですから 勝戦を信じていた人は少なくとも私の知っている範囲ではいません。もっと多くのかたが敗戦を予感していたということでしょう。 爺さんは戦時中教師で、終戦で教師を辞めました 年配の知人は師範学校の教師でしたが、繰り上げ卒業をみて退職しました。私の父の友人も教師でしたが「矢尽き刀折れようとも神風が吹く」「兵隊たちはお国のために"天皇陛下万歳と叫んで倒れていった"」と子供たちに顔だけは真顔で教えていたと、自嘲とも呪詛ともつかぬ言葉で語っていました。 玉音放送を聞いた年代は 遅きに失したようです。
- 121CCagent
- ベストアンサー率52% (15537/29856)
昔、玉音放送をリアルタイムで聞いたことがある方から話を伺ったことはあります。 その当時は10歳あまりの年齢で玉音放送で陛下が何をおっしゃっているのか全く理解できなかったそうです。難しすぎて(笑) 周りの大人から戦争は終わった。日本は負けた。と聞かされてやっとそう言う事なんだと思ったそうです。
お礼
回答にお礼申し上げます そう言う事なんだと思った 大人でも、まず、このような感想をもったと聞いています。 実感は後からじわりと胸に迫ってきたとも聞いています。 話は少し変わりますが、子供にとって、曲がりなりにも配給のあった戦時中よりも戦後のほうが辛かったと聞いたことがあります。
お礼
再度の回答にお礼申し上げます 戦後30年ぐらいのこと、父は軍隊や戦場について少しだけ話してくれました 八路軍(パロと呼んでいた)が恐ろしかった、煙草と酒を交換に通っていた農家の娘に手を出して上官に歯を折られるほど殴られた(強姦じゃない、と強調していたwww)とか。誰も勝つとは思っていなかった、死ぬのはしかたないと思っていた等々 そして、玉音放送だけには口をつぐみます。 いまさら、聞いてどうする、もっと頭のいい奴に聞け、そう言います。 「僕は、お父さんの反応が、とてもよくわかるような気がします。」 私もわかるような気がします。