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「しっとり」と「じっとり」

こんにちわ☆ 鬱陶しい天気がつづきますね。ちょっと動いただけで、肌がじっとりと汗ばんできます。 で、ふと思ったのですが、「しっとり」と「じっとり」、濁点がついただけで、ずいぶん言葉のイメージが変わってしまうようです。人間の語感て面白いな、って感じました。他にも同じような言葉がいくらでもありそうですが、暑さでくたびれたわたしの頭では思いつきません。どなたか、よろしくご教示のほどお願いいたします。 ※まったく意味が変わってしまう、というのではなく、意味が強調されたり、弱められたり、といった風に変わるということです(「しっくり」と「じっくり」では意味が変わってしまいますね?)。清音、濁音、半濁音は問いません。

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  • sanori
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回答No.1

こんにちは。 面白いご質問ですね。 話がとんとん進む 話がどんどん進む 擬声語では、 とんとんと叩く ドンドンと叩く ぱんぱんと叩く ばんばんと叩く 小銭がちゃらちゃらと鳴る 小銭がじゃらじゃらと鳴る ご参考に。

chimneycat
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、なるほど♪ >話がとんとん進む 話がどんどん進む 軽快さ、勢いの違いが感じられますね。 >とんとんと叩く ドンドンと叩く・・・ こちらは軽さ、重みの違いでしょうか?小銭は質感の違いも感じますね。 大変参考になりました。ありがとうございます(^-^*)

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noname#91916
noname#91916
回答No.7

いまだに締めないでいてくださるということは、他の回答者の方と公平に私にも再回答のチャンスを与えてくださっているのかなと考え、再回答しています(爆)。 No.5の方と同様に私も雑談っぽくなります。というのは、すでに得られた知見からして単に羅列することにも意味が無いように思われたからです。結局、日本語には母音も子音にもヴァラエティが無いため、適度にオノマトペを利用することで語韻に変化をもたらし、表現に幅を作ったということなのだと思います。 ただ、濁音と、半濁音のそれぞれの持つ、(chimneycatさんのおっしゃられる)幼児性、濁音の持つネガティブな響きというのがどのようにして生じたのか(ニワトリと卵とどっちが先かも含め)ということに関しては、恐らくこのQ&Aで語られるような内容ではなく、れっきとした学者の研究対象なんだろうと思います。と言いますか、このご質問自体立派な研究対象ですよー(爆)。だからどうしても読んだ瞬間に知的興味がわいてしまうのですね。 もっとも私は音声学とか言語学には詳しくないです。どちらかというと、言語関係でしたら「論理学」は結構やりましたが、そして「象は鼻が長い(三上章 著)」も読もうと思って座右にはありますが、あるだけです(爆)。 詩人が出て来たついでですが、朔太郎と近いところにいつつも、フランス語で詩を考えそれを日本語訳しているような詩人もいます。たとえば大手拓次、西脇順三郎などですが、やはりほとんどオノマトペを利用していませんね。大手拓治はあれだけ表現が朔太郎に似ているのだからきっとどこかで使っているのだろうと思うのですが、無い。全くに近いくらい無い。順三郎もあの表現からするとありそうですが無い。訳詞においても高名な堀口大学にも無い(これもありそうですが)。そう言ったところからもオノマトペの日本特有性が何となく感じられます。あそうそう、文学史的にいいますと賢治は朔太郎の「月に吠える」に大変な影響を受けています。賢治で言うと私の好きなのは、たとえば「台地」とか「宗教風の恋」とか「稲熱病」とかですが、このあたりにはオノマトペはあまり出てきません。「水仙月の四日」などは相当朔太郎を意識して書いたのではないかと思うのですがどうでしょうか? それから、chimneycatさんは20代なんですかー。びっくり!いや別に老けたこと言っているというわけではなくて(爆)、大変博識でいらっしゃるのでまあ少なくとも30代半ばかなと思っていました。ちなみに私はというと、んー、あちこちに書きましたが、金八世代ですね(マッチ、よっちゃん等)。 最後に、私はガッツリ解答はしばらくお休みして、やらねばならぬいろいろな事に時間を振り向けようと思っています、やはり4~5月のように暇ではないので。また冬休みあたりにガタガタ書き始めそうです。それまでは「このQ&A」とか「アンケート」でお茶を濁してます(なおトロピーは元気です。元気すぎます)。 ではchimneycatさんもお元気で、さようなら。

chimneycat
質問者

お礼

確かに精神的にはちょっと老け込んでいるかもしれませんね(笑) わたしは詩についてはぜんぜん詳しくもないし、正直あまり関心もないのでtorop115さんの書かれた文章を読んで、ただ目を丸くしているのみです。萩原朔太郎の詩についても、教科書で読んだような、「旅上」や「青樹の梢をあふぎて」などの、どちらかと言うとセンチメンタルな詩が辛うじて頭のすみっこに引っ掛かっている程度です。なので宮沢賢治が彼の影響を受けたというのも初耳でした。機会があったら調べてみたいと思います。 torop115さんがお好きな賢治の詩も、昨夜全集を調べまくって探し出しました。あとでゆっくり読んでみます(詩の部分はほとんど読んでませんでした)。あ、詩と言えば例外的に茨木のり子さんのものはとても好きです(^-^*) 今回はごく軽い気持ちで他愛の無い質問をしたにも関わらず、素敵な回答者の方々に恵まれ、思っても見なかった方向に話が展開していき、とても楽しむことができました。一問一答式にあっさりと答えが出てくるのもいいですが、こんな感じで、思わず迷路にまよい込んでしまうと言うようなQ&Aもけっこう好きです。 torop115については、ユーザーとしてブックマークしてありますので、折を見て足跡追跡をしてみたいと思っています。でわでわヽ(^o^)丿

noname#91916
noname#91916
回答No.6

こんにちは。元来なら私はスルーするカテゴリーなのですが、各ご回答なども拝見させていただくとなかなか面白く、仕事をしていても頭の隅から離れなくなってしまったため、つい回答してしまいました(昼休みつぶれた。爆)。 口の使い方から考えると、声帯を強く震わせる濁音は強い摩擦や強い衝撃を、唇を軽くはじく半濁音は軽くはじける感じを表し、そこに至らないものは清音で表すというのがやはり基本なのかなと思いました。ですから、どうしても濁音が表すものは「強く」「重く」「深く」なり、半濁音は「軽く」「鋭く」また「張りの強さ」を、清音は「弱く」「落ち着いた雰囲気」また「無理のない前向きさ」を表すという傾向が感じられます。 また、濁音は「不快感」を表すという傾向は私にも感じられます。それはそもそも強い摩擦・衝撃音というものは一般的に「不快」に思うことが多い事に由来するのではないか(ギーギー、ガーガー、ガンガン)、もちろんそれは擬声語に関しですが、擬態語の場合でもそのイメージから不快な表現には多く濁音が使われるようになったのではないか、と考えました。その例として、 「ポニョポニョ(愛らしく、気持ちがいい)」「ボニョボニョ(薄気味悪い、不快指数100!)」 「♪キンキンキラキラ夕日が沈む♪(爽やかで美しい)」「♪ギンギン…♪(暑苦しー)」 「思い出ポロポロ(いい思い出もありそう)」「思い出ボロボロ(やな思い出ばっか)」 その他、 「プヨプヨ」vs「ブヨブヨ(人気ゲームにならん)」等。 また、No.5のご回答の中に書かれている「「シ」が「清音」で、その濁音が「ジ」だなんて、本当に正しいのかな」という点に関しては、確かにホントは「ジ」ではなく「ヂ」のことが多いのではないかと私は思います(ここでは論点は変えています)。例えば、 「チャプチャプ」+摩擦=「ヂャブヂャブ」≒「ジャブジャブ」 「チャラチャラ」+摩擦=「ヂャラヂャラ」≒「ジャラジャラ」。その他、 「ツルツル」+摩擦=「ヅルヅル」≒「ズルズル」(これは「スルスル」からの変化も多少あるかも) というのもそうですが、出来るだけ「ダ」行を避け「ザ」に持ち込んでいるのは、音声学上同一の発音なので統一しているからだそうですが、じゃあなぜ「ザ行」に統一したかというと、そもそもは「ダ」行が、より強く摩擦する言葉であるため本質的に言いにくい事、そして摩擦音の持つやや重いイメージからよりライトな摩擦音に置き換えた、ということだと思います。ただ、英語の発音のように、舌の使い方と息の強さに厳密ではないですが(だからこそ「ヂ」と「ジ」を同じと言う)、そこに厳密ではない中で、同じ口の形で発せられる音に濁点、半濁点をイージーに入れて、簡単に表現を仕分けているのではないかと考えます。 そう言えば、擬声(態)語を文学に積極的に取り入れたのは現代口語詩の完成者と言われている「萩原朔太郎」です。例を上げると「べらべら(見しらぬ犬)」「べろべろ(腐った蛤)」「ぴよ、ぴよ、(雲雀の巣)」「のをあある とをあある やわあ(遺傳{犬の遠吠えです})」「しなしな(愛憐)」など枚挙にいとまが無いですが、こういった擬声(態)語の持つ稚気や軽さ、具象性が斬新と考えられ、同世代以降の多くの文学者に強い影響を与えました。私は擬声(態)語が文章に煩雑に出て来るようになったのは、強く朔太郎の影響によるものと考えています。 能書きはそれくらいにして(爆。まともに書けばすごいことになりそう)、まだ挙げられていないもので思いついたものをいくつか列挙してみたいと思います(考えるとダブっているので擬声・擬態に分けていません、後のカッコ内を重視しました)。 ★主に繰り返すタイプ(すべては繰り返さない表現に直せる、ここでは例示を重んじます) ○「ペコペコ」「ベコベコ」(深さと質感) ○「ヒュンヒュン」「ピュンピュン」「ビュンビュン」(半濁ははじく感じ、他は勢い) ○「フルフル」「プルプル」「ブルブル」(清音は柔らかさ、半濁は張力、濁は強さ) ○「ケロケロ」「ゲロゲロ」(単純に音の大きさ{強さ}) ○「キコキコ」「ギコギコ」(力の入り加減{摩擦の強さ}) ○「クイクイ」「グイグイ」(単純に強さ) ○「クラクラ」「グラグラ」(揺れの大きさ) ○「キュンキュン」「ギュンギュン」(摩擦の強さ) ○「ピッピッ」「ビッビッ」(張り付いている強さ、剥がす速さ) ★あまり繰り返さないタイプ 「カッチリ」「ガッチリ」(仕事に当てはめると、清音は几帳面さ、濁音は金銭・量的な評価) それから、すでに挙げられていますが、清音の持つ「無理のない前向きさ」に関しては「カッチリ」「サクサク」「とんとん」等がその例だと思います。 最後に。「♪ボーニョボーニョボニョ魚の子♪」腐ったイクラのようだ(爆)!

chimneycat
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 torop115さんこんにちわ☆ まさかこちらのカテでお会いできるとは思わなかったです。トロピーちゃんお元気ですか? 実はNo.5のご回答にお礼を付けたら締め切ってしまおうと思っていたので、まさに間一髪でした。これだけリキの入ったご回答を書いて、いざ投稿しようとしたら締め切り済みだったなんて、ちょっと笑えませんものね(^-^*) 過去のご回答の中にも、「ポニョポニョ」のような同じ音をくり返すオノマトペは幼児的だという指摘がありましたが、「は行」に付く濁音や半濁音のように唇を弾くような音は別な意味で幼児的な印象を受けます。つまりフロイトの提唱したリピドー発展理論における「口唇期」というヤツです。おそらく、幼児期にこの音を発することが多いのはその辺の理由があるのでは、などと愚考いたします。(詳しいことを突っ込まれると立ち往生しそうなので、ここはさっと流します^^;) オノマトペの多用、ということですと、萩原朔太郎もそうですが、わたしにとっては、宮沢賢治のほうがより近しい印象を持ちます。文学史的な背景については分かりかねますが、「水仙月の四日」などの作品を読んでいるとオノマトペの宝庫のような気がします。 ちなみに「ジ」と「ヂ」の違いですが、「G」の発音記号(「gi」or「ge」の綴り)を見ると英語では「d」の音が含まれますが、フランス語では含まれず「J」と同じ発音になり、より柔らかい印象の音になっているようです。フランス語が比較的ソフトな印象を与えるのはその辺も影響しているのかな、などとも考えます。

noname#96718
noname#96718
回答No.5

何回もお邪魔してすみません。 回答するほどのものは持っていませんので、雑談ということで・・・。 >一粒で二度おいしい なるほど。たしかに。 日本語はオノマトペの新語を作りやすい言語のように思います。 そして日本では、ちょっと安直にオノマトペを作り過ぎているような感じを受けます。 日本語は同じ音の繰り返しが多いのに比べ、英語は少し変えているのはどういうわけだろう。 犬の鳴き声: ワンワンとbowwow 道の曲がり具合:クネクネとzigzag 時計の音:カチカチとticktack 鐘の音:ゴーンゴーンとdingdong 日本のは幼稚な感じがしますね。幼児語を大人も使っているように思います。 >一粒で二度おいしい 昔のチャンとした文章には、濁点や半濁点を書き入れたものはあまり見かけませんので、「一粒で二度おいしい」ということは、少なかったのではないでしょうか。 それでも幼児や庶民は結構しゃべっていたのかも知れません。書いたものに残っていないだけで。 「光る」の元をたどるれば、「ピカピカ」に行き着くらしいですね。 日本語の中の漢語系以外の言葉、すなわち和語系の言葉の元は、みんな擬態語・擬声語ではないかと想像しています。 棒切れで地面を引っ掻けば「カーッ」という音がします。 そこから、「書く」と「掻く」や「描く」が生まれたのではないでしょうか(私の想像です)。 >一粒で二度おいしい 濁点、半濁点が積極的に使われ始めたのは、幕末から明治にかけての、外国語の仮名表記からでしょう。 ここから濁点、特に半濁点のものが増えたような気がしています。 それでも、「しっとり」と「じっとり」はよくできていると思います。 適度な湿度が「しっとり」です。 「しんなり」は、野菜が少し煮えた柔らかくなった状態。 「し」という音は、柔らかい状態を指すのではないでしょうか。 「しなしなになる」って、関西では言うでしょう。 「しなう」は動詞ですが名詞になって「竹刀」。これは木刀に比べてのことでしょう。 「しなやか」「しとやか」「しっぽり」など。 適度なやわらかさと「しめりけ」があります。 脂汗がにじみ出るのが「じっとり」。 濁っているのには感じの悪いのが多いですね。 大体、「清音」「濁音」という言葉は、言語学の科学的用語とは思えませんね。好悪の感情が入っているように思います。 「シ」が「清音」で、その濁音が「ジ」だなんて、本当に正しいのかな、と思ってしまいます。 表記的にたまたまそういうような書き方をしただけじゃないでしょうか。 なんだか取りとめがなくなってきました。退散します。 回答にはなっていません。ごめんなさい。

chimneycat
質問者

お礼

こちらも雑談、というよりはモノローグのようなことを書かせていただきます。適当に読み流してくださいませ。 先日、久しぶりにスローテンポなピアノ曲を聴いていて、ふと思いました。どうやら音楽の美しさは音そのものよりも、そのあとに残る余韻の美しさによるのではないかと。おそらく言い古されている台詞かもしれませんが、その時ふと頭に浮かんだこの考えは、とても新鮮にわたしには感じられました。さらに考えていくと、音だけに限らず文章や映像あるいは味覚にも同じく余韻は感じられるような気がします。 すばらしい文章、絵画、美味を味わった感動はその瞬間よりも、後にその記憶を反芻したときにより深く感じられるように思います。それはおそらく意識のなかにとりとめもなく浮遊していたものが、時間の経過に伴い沈降していき、より濃縮されたエキスとして味わうことができるからかも、と思います。 残念ながら、こちらの実効性だけを求める多くのQ&Aのやり取りを眺めていると、わたしのような人間にはどうにも殺伐とした印象ばかりが残ってしまいます。好い、悪いの問題ではありません。それがこちらの本来あるべき姿でしょうから。ただ、言葉に余韻を感じられないのです。あたかもアスファルトの路面に石を投げつけているような無機質な音だけが聞こえます。あるいは互いに受け止められることのない、自己主張のみが不協和音を発しています。 わたしは、せめて自分の立てた質問ページだけは、質問、回答、お礼、それぞれに書かれた言葉が響きあって美しい調和のある小宇宙が構築されれば、と考えています。自己満足ですし、この忙しいご時勢にそのようなことに気を留める方もほとんどおられないとは思いますが、それはそれでいいと思っています。 今回は、まさに取るに足らぬ愚問ではありましたが、ご両者のご協力をいただき、わたしなりに満足のいるQ&Aのページを作ることができたように思います。過去暦を拝見いたしましたが、お二方共にわたしの父親より一回りは年配の方のようにお見受けしました(違っていたらごめんなさい)。わたしは未だ30にも満たない浅学な女にすぎませんが、博識なオジサマ方と一瞬ではありますが交流を持てたことをうれしく思います。またどこかで出会えたらうれしいです。 こちらもなにやら取りとめなくなってきました。さっさと退散することに致します<(_ _)>

noname#96718
noname#96718
回答No.4

2番です。 例の法則 英語でもあるようです。 ・昔の消防自動車の鐘(サイレンではなく小さい鐘を付けていた):CLANG CLANG 日本では、半鐘の鐘は「カンカン」でしょう。 ・教会の鐘:DING DON お寺の鐘は「ゴーンゴーン」。 お話の快・不快のことも、日英同じのように思いました。 ・BURP: 英語の「ゲップ」の音です。 ・COUGH COUGH: 英語の咳の音です。 日本語ではコンコンでしょうか。 咳が「快」というわけではありませんが、他人様のゲップよりはずっとマシです。 でも、自分のゲップは「快」そのものですな(^_^)。

chimneycat
質問者

お礼

再度のご登場ありがとうございます。 英語の発音でも「k/t」=軽い、「g/d」=重い、と言うような感覚は共通のようですね。ちなみに「じっとり」に相当しそうな英語だとmuggy,damp,clammy等が思い当たりますが、やはり「g/d」のような重い感じや「m」のような粘る感じの音が含まれていますね。 でも日本語のようにベースになる音があって、それに濁点や半濁点といった、いわばオプション追加で音やイメージが変わると言った言語は便利ですね。「一粒で二度おいしい」みたいな感じでしょうか(^-^*)

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.3

またお邪魔します。面白いご質問なので、また来ました。 ^^ 擬声語だと、自分としてはつまらないので、 擬態語、あるいは、擬態語と擬声語の両方になる言葉を優先的に考えてみました。 擬態語 くるりと/ぐるりと 回る。 くるくる/ぐるぐる 回る。 ぱっちりと/ばっちりと 目を開ける。 とろりとした/どろりとした 液体。 とろとろした/どろどろした ソース。 擬態語かつ擬声語 ぱったりと/ばったりと 倒れる。 旗が はたはたと/ぱたぱたと はためく。 ぱたぱたと/ばたばたと 歩く。 擬声語では、 ぽきっと/ぼきっと 折る。 踏む雪が さくさくと/ざくざくと 鳴る。 ぱちぱちと/ばちばちと 叩く。 それから、上品ではありませんが、 ぽよよーん/ぼよよーん という擬態語もあります。 では。

chimneycat
質問者

お礼

ようこそ、いらっしゃいませ♪ だいぶコレクションが増えてきてうれしいです(*^_^*) ひととおり眺めてみましたが、N0.2さんの仰った『清音=やわらかく軽い 半濁音=鋭く軽い 濁音=鈍く重く大きい』という法則がしっかり適用されているみたいですね。 英語などではこのような微妙な表現の違いは全く別の単語を当てるのでしょうか?ちょっと気になるところです。 >それから、上品ではありませんが、 >ぽよよーん/ぼよよーん >という擬態語もあります。 わたし、関西在住なので、分かります(笑)さゆりちゃんのギャグですよね。あれは「ぼよよーん」の方でしたっけ?

noname#96718
noname#96718
回答No.2

物を叩く音 コンコンとゴンゴン カンカンとガンガン 物が動く音 コトコトとゴトゴト 物が動く音 カタカタとガタガタ 人が喋るさま ペラペラとベラベラ 暖かい感じ ホカホカとポカポカ 痛みの感じ ヒリヒリとピリピリ 割れる音  パリパリとバリバリ 木の葉などが落ちる様子 ハラハラとパラパラ もっといろいろあるんでしょうが、上のような例から考えてゆきますと、 清音=やわらかく軽い 半濁音=鋭く軽い 濁音=鈍く重く大きい のような印象ですね。

chimneycat
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いろいろ出てきましたね^^。 ひとつひとつ検証してみるとbuncha3さんの仰るとおりですね。とても面白いです。 わたしが例に引いた「しっとり」「じっとり」のように皮膚感覚にうったえるような言葉だとそれ以外に快・不快のイメージも加わってきそうですね。 ありがとうございました(^o^)

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