- ベストアンサー
満州国成立後、国力の涵養に努めてたら
石原莞爾は満州国成立後、10年は国力の涵養に努め、いたずらに戦線を拡張しない方針だったそうですが、もしこの路線で行って、廬溝橋事件は不拡大で日中戦争が激化しなかったら、今ごろは大慶油田発見と大規模農業機械化で、産油国&食糧輸出国な日本は左うちわだったのではないでしょうか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「満洲の気候で、農業の大増産ができるかはともかく」 現在の中国東北部は、「中国のコメどころ」となっております。本来コメは南方の作物ですので、長江流域の温暖な地帯の方がイネの栽培には向くはずですが、実際は中国東北部がコメどころとして知られています。 これは、満洲国時代に日本人が作った水田と灌漑設備と栽培技術をそのまま中国人が引き継ぎ、現代に至っているものです。即ち、満洲の気候で食料大増産は十分に可能で、現にそうなっております。 ただ、大慶油田は難しいですね。何故かと言うと、満洲国時代に満洲国内に大油田があることは全く知られていなかったからです。 大慶油田は、ソ連と中共の蜜月時代にソ連の技術によって探査・開発されたものと思われます。満洲国時代には全く存在していなかったものですし、当時の日本の技術で何もないところに油田を建設できたかどうかは疑問です。油田の開発は、地面に穴を掘れば石油が勝手に噴き出るというほど簡単なものではないでしょうから。 いずれにせよ、何の利益にもならなかった支那事変などを行わず、 「満州国成立後、10年は国力の涵養に努め、いたずらに戦線を拡張しない方針だったそうですが、もしこの路線で行って、廬溝橋事件は不拡大で日中戦争が激化しなかったら」 日本は、いずれドイツが巻き起こす第二次大戦で大儲けでき、もしかすると大東亜戦争の敗戦という悲劇を経ずに先進国に脱皮できていたかもしれません。
その他の回答 (3)
- k16399638
- ベストアンサー率33% (342/1035)
漫談です。 油田は史実でも必死でさがしていました。満鉄の技術なら発掘できたでしょう。 ですが、大慶は調べたのに地図に「微油地」と…… しくじったわけです。無念。 ただ、みつかったらソ連とゴタゴタする可能性がでてくるかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 ソ連はカスピ海に油田持ってるので、そんなに必死になって 狙ってはこないような気もします。
- a-koshino
- ベストアンサー率23% (102/441)
満洲の気候で、農業の大増産ができるかはともかく、食糧増産や新規油田がなくても、 日中戦争やらないだけで、日本経済は高度成長してたでしょう。 日中戦争やらないと日米対立もなく、ドイツなんかと役に立たん同盟結ぶ必要もありませんから、第二次大戦で大儲けです。
お礼
回答ありがとうございます。
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
そう都合よく行くかはともかく、 いったとして(リットン調査団勧告受け入れ、 満州に、中華民国国民政府から、切り離された満州五族協和自治民国とかできるかも知れんし^_^;) 日中戦争も仏印進駐も三国同盟も太平洋戦争も朝鮮戦争もなく、アジアは平和だったかも。 ・産油国&食糧輸出国 で 左うちわ なのは 日本でなく満州(@^^)/~~~ しかし、新潟油田も枯渇し、いくら機械化しても国土に限界ある日本本土は、石油も食料も海外に依存し、 執政溥儀が、「大慶油田値上げするアルネ」の一言でオイルショックとなり、 満州大豆の不作で、豆腐も納豆も値上げという、 中東の油田や、アメリカからの食料輸入が生命線という現在の日本と さほど変わらない・・・・ 「朝鮮から満州に密入国した大量の派遣切り犠牲者が満鉄の貨車から発見、関東軍に引き渡されました。」とか(@^^)/~~~
お礼
面白い回答ありがとうございます。 あまり長期の予測になると、他の要因もいろいろとからんできますね。
お礼
回答ありがとうございます。 やっぱり日中戦争が日本近代史のガンですね。