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満州は暮らしやすかったのか?暮らしにくかったのか?
昭和初期、日本と満州はどちらが暮らしやすかったのでしょうか? どちらのほうが治安がよかったのですか?
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「日本人にとって」の暮らしやすさに関する質問と解釈して回答します。 暮らしやすさを比較するには、まず都市と農村との区別が必要でしょう。 満州の代表的な都市である大連や「新京」(今の長春)は、大規模な植民地都市として計画的な開発・整備が行われ、インフラなどの面では日本の主要都市をはるかに凌ぐ水準に達していました。とりわけ「満州国」成立後には、為替レートの関係から日本人にとって物価が相対的に安くなったという事情もあり、満州都市部に渡った日本人は内地以上の生活水準の高さを享受していたようです。ただし、これらの「暮らしやすさ」は支配民族であるがゆえのことであり、被支配民族である中国人や朝鮮人は、日本人とは区別された(相対的に劣悪な)居住区域で生活をしていました。「五族協和」というスローガンは、単なるタテマエに過ぎなかったようです。 次に、満州の農村部では生活水準は極めて低く、相当過酷な環境で何とか生存を維持するような状況だったようです。農村部に移民した人々は、内地の貧しい農家の次三男が多かったのですが、約束された広さの耕地を得ることもできず、慣れない酷寒の地での農作業は困難を極めたといわれています。一部、地主化する日本人もいましたが、これらの人々は中国人や朝鮮人などの低賃金労働者を多く雇用することによって経営を成り立たせていました。 治安については言うまでもなく日本の方が良かったといえるでしょう。 当時の満州には、日本人から「馬賊」や「匪賊」などと呼ばれ、恐れられた抗日ゲリラがおり、『満洲日報』などの現地の新聞を読むと、凄惨な事件が頻発していたことが分かります。これらの抗日ゲリラには日本からの移民によって強制的に土地を奪われ、流民化した人々が多く参加しており、治安の悪化は自業自得ともいうべきものでした。 まとめると、 治安は極めて悪かったものの、満州の都市部は暮らしやすく、農村部は日本農村以下の生活水準にあったが中には成功した日本人もいた。とはいえ、都市と農村の一部で日本人が享受した「暮らしやすさ」は、日本人とは明確に区別(差別)された他民族の「暮らしにくさ」の上に成り立つものだった。 ということになろうかと思います。
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- 1ro3
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個人のおかれた環境と受け止め方に左右されるされますので、例外も多くありますが、満州と日本では日本の方が暮らしやすかったと思われます。 治安は間違いなく日本の方が上でした。 ただ、満州が極度にひどかったかと言われれば、そうでもなさそうです。建国後、満州国の人口は社会増によって増え続けている事実からも、中国よりは暮らしやすかったと推定できます。 事実上、中国は内戦状態でもありましたので、それよりましという事かもしれません。
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ありがとうございます。
北海道より寒いんだから暮らしにくいでしょ。
お礼
人は寒さに弱いですからね。 参考になりました。
お礼
とてもわかりやすい回答です。 ありがとうございます。