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満州について教えてください
先日、満州についてテレビ放送されていました。清(今の中国)から日本が土地の一部を借り入れて太平洋戦争が終わるまで日本人が農業をして生活していたという理解でいいのでしょうか?またその当時、満州に駐在していた関東軍とはロシアや清国が攻めて来た時のための軍隊だったのでしょうか?いつもながら低レベルの質問でお恥ずかしいのですが宜しくお願いいたします。本を読んでも基礎が解ってないのでよく理解できません。
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清(今の中国)から日本が土地の一部を借り入れて 1 日清戦争で遼東半島を日本が手に入れる 2 三国干渉によって、遼東半島を清国に返還する 3 ロシアが遼東半島を租借する 4 日露戦争で遼東半島の粗借権利を譲り受ける 太平洋戦争が終わるまで 5 満州事変で、遼東半島+南満州鉄道沿線以外の土地を一気に奪う 日本人が農業をして生活していたという理解でいいのでしょうか? 6 満州事変で成立した満州帝国に日本人が移民した またその当時、満州に駐在していた関東軍とはロシアや清国が攻めて来た時のための軍隊だったのでしょうか? 関東軍は、4の段階で遼東半島と南満州鉄道の利権を得たので、それを守るために駐剳した軍隊です。 関東の「関」というのは、山海関の関の東となります http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%B5%B7%E9%96%A2 最初は鉄道保安隊的な部隊で、小さな軍隊でした。
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- wy1
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日本は所謂西欧列強の殖民地獲得競争に参加できなかった。 そこで、東アジアで穴埋めを目指したのではないでしょうか。その際に、中国とロシア帝国がじゃまっだたのです。それで、日清戦争や日露戦争が生じたのだと思います。いわゆる、満州地方は元来清国量ですが、ロシアがいろいろな工作を行い、まるで自分たちの領土であるかのように振舞っていたのでは?それゆえ、赤色革命後、多くの白系ロシア人が住み着いたのでしょう。 日露戦争で辛うじて勝利を得た日本は遼東半島を99年間清国から借り受けたのです。 まま体のよい乗っ取りですね。と言うのはその地は、戦前ロシアが使っていたのですから。 関東軍とは本来の遼東半島という名を”関東州”と変更しそこを守る軍隊として”関東軍”を設けたのです。 遼東半島もいわゆる満州の一部です。
お礼
有り難うございました。勉強になりました
- higrik
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その周りの状況が判らないと難しいと思います。 以下はネットで拾える資料を適当に書き直したもので、 あまり宛にはならないですが、参考にはなるかと思います。 まず日本は清国及びロシア帝国と戦い、朝鮮半島及び旅順、大連の租借権と 長春 - 旅順間の鉄道及び支線や付属設備の権利・財産を手に入れます。 (この租借件は比較的短期間でしたが後に延長されます) その後清国は崩壊、中国は一応「中華民国」が成立しますが、 各地に軍閥による半ば独立した政府が出来ます。 その満州周辺に権力を有していた軍閥勢力は列強、 特に周辺の権益を所有していたソ連及び日本に対し 当初は友好的であったものの、後に態度を硬化させ、 中華民国にしても軍閥を制御できず、 両国の頭痛の種となっていました。 そこで関東州(日本の持っている中国の租借地)に駐在する日本軍(以下関東軍)が 朝鮮軍(日本の領土であった朝鮮の軍隊)と連携し、 軍閥に対し言いがかりをつけて戦争を開始、 満州地方を制圧、関東軍が支配する地域となります。 なお、日本の世論はこれを支持したようです。 当然、中華民国及び列強諸国にとっては大問題であるわけですが、 日本にとっては関東州及び朝鮮の防衛にかかわる事例ですので、 譲ることはありませんでした。 つまり、大まかに言えば中華民国における日本軍の占領区域のようなものです。
お礼
詳しい説明有り難うございました。私は本当にアホでよく理解できません。もう少し頑張って勉強してみます。
お礼
大変勉強になりました。満州事変のあとに日本人は移り住んだわけですね。知りませんでした。有り難うございました。
補足
満州帝国後に移り住んだわけですね。