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けんかをしては 何故 いけないのか

 ここでは けんかを 口論にしぼってください。  つまり 自己批判をふくめて 批判をすることです。  存在を愛し 思想や行動を憎むことです。  なぜ いけないのでしょう?  理由が分かりません。おしえてください。

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noname#82450
noname#82450
回答No.100

 ここで100をとらせていただきます、仁科です、  おじさんお久しぶりです、  口げんかは、良いと思います。手が出るよりは、ましですし、  競いあうようなスポーツは嫌ですが、  絶縁は互いへの臆病さを増しますし、ここち悪く、  自分自身と口げんかできないひとは、まずいです。自身との絶縁ですから、  自己批判できないひとは、建設的な口げんかをできないと思います。  自己批判できないひと同士のけんかは、怖いので否定の対象です。  口げんかに止まらず暴力になり心身を壊しあうことになりそうなので。  自己批判できる人どうしだと口げんかは長引かないかもしれません。つつましいでしょうし。  けんかしつづけるということは、両者ともにか一方に自己批判するスキルがないということなのでしょうか、  互いを批判するよりも多くまざまざと自己批判を開示しあうのが良いのかもしれません。  互いの精神性や人間性に関し建設的であるには。  ひとびとが自己批判のスキルを高めてゆくには。  頭と言葉を使い陰気な精神のストリップをどこまでもするのが良いのだと思います。  徹底的な自己批判、自分と向き合うこと、自省を、したことがない人は、けっこう多いと思います。大人にも、  自己批判のしかたを、あまり学ばないかもしれません、  自己批判に関して、ひとびとは教育も開発もされず、  ほとんどの教師も親も自己批判なんかしていないかもしれませんし、  思考停止の世の中で、自分は正しいのだという態度の人や集団や情報ばかりが満ちていますし、  私はかなりパラノイアっぽいせいか自己批判という言葉ばかり記述しますが、    きっとブラジュローヌさんは自己批判してきたでしょうし、しているでしょうけれど、  他者に対して自己批判よりも他者批判を多く示しがちなのかも知れません。  対話において剛と剛とでは互いに警戒しあい心の耳を閉ざしあいます、たぶん、  なので、すきを見せるとよいと思います、  弱みや、くよくよしている感じ、自信のなさを、垣間見せるとよいと思います、  そうすりゃいちころです、不完全なものに日本人は弱いかもわかりませんすら、  あえて、おやおや、おじさん負けちゃったようだ、というのは余裕なのですが、  そういう嘘や演技じゃなりません、  子どもの水準は大人よりも上です、たぶん、  大人なんか、いないのです、こんな分業ばかりの社会に一人前の人なんかいません、  狂おしい社会に順応してしまった大人は、完成度の高い狂人ばかりです。  交換券(貨幣)や労働や国などの、反アナーキーでヒエラルキアなものがひとびとを不出来な生きものにしています、  部品になっている社会人より、まだ分裂していない子どもたちのほうが個体としてはまだまともで、  未熟な大人、すなわち子ども、つまり私は健やかなのかもしれません、  私は不完全で、自信がなく、それゆえにとても謙虚で、謙虚でもなく、なんだか正しいようで、  正しいというか健やかです、不完全であるがゆえにか健やかです、  今日も私は健やかです、おはようございました、  私にとり他者一般は狂人で、ひとびとの心は壊れていて、  もう大破しているものならいっそ全壊させたいという思いがあるのか、  他者の心をすきあらば壊したがるのは私の癖としてあり、弱いものいじめは面白く、    子どものざれごとは、狂いっぱなしの大人らのたわごとより健やかなのかもしれません、そう信じます、  大人はペニスも汚ければ組織の汚い秘密をも隠すので否定の対象です。

bragelonne
質問者

補足

 ni_shi_naくん――《おぢさん》呼ばわりしたので くんづけ―― めっちゃ 冴えてるやん! どうしたの? ここで悪友どうしだと 何か変なものを食ったんっちゃうか? と突っ込むところですが 冗談は それくらいにして ご回答をありがとうございます。  もう少し長引かせるなら どこで勉強して来たん? 三日見ないうちに しゃれのめしていますではないですか。  と言っても 爪を隠していたのですかね。片鱗のみを見せていたのですかね。  まぁ おぢさんとしましては 最後の最後の一文が まだ練れていないね。あとは かがやいています。  ★ 大人はペニスも汚ければ組織の汚い秘密をも隠すので否定の対象です。  ☆ 《否定の対象》を持ち出してくるようぢゃ まだまだだね。持っていても いいのですが 表現するときには 否定形で言いきらないほうがよいでしょう。  むろん 自己否定をするのですが しかも とことん するのですが 表現は おおむね 肯定の形で出してきたほうが よいでしょう。  ★☆ 対話において 否定形で命題を提出すると 警戒しあい心の耳を閉ざしあいます、たぶん。  ☆ 一般に 肯定形にすると  《すこやか》ですし 《安心》をもたらします。  やっぱり 《おぢさん》気取りになってしまいますね。  では よけいに えらそぶって行きましょう。  ★ 交換券(貨幣)や労働や国などの、反アナーキーでヒエラルキアなものがひとびとを不出来な生きものにしています、  ☆ この箇所は 読み取りにくいですよ。表現の未熟が 思想の未熟として見られかねないのが 上に示した一箇所で そして表現じたいが読み取りにくいのは この一箇所です。  ということは わたくしも 否定形から入っていますね。肯定するところから始める ほめて育てるというぢゃないですか なんですが ここは 鬼になりましょう。もう育てる段階ぢゃないようですから。(ちょっと ほめすぎ)。  〔わたくしなんか 三十歳になるまで 世の中の 西も東も分かっていたけれど なぜ 南が西になり 北が東になるのかを 考え続けて ちんぷんかんぷんだったんですから。なぜ ひとは 平気で 東を西と言い 聞いているわたしが そのことをいぶかっているのに なお平気で そのウソをつき通しているのか まったく分からなかったのですから〕。〔《悪は存在しない》という命題を聞いて すべては 空が晴れ渡りました。分析は そのあと おこないました〕。  ★☆ 頭と言葉を使い陰気〔* であり〕な〔* がらも 前向きでたくみな〕精神のストリップをどこまでもするのが良いのだと思います。  ★ ブラジュローヌ → ☆ (改名)ブラジュロンヌ  (cf. Sorbonne:ソルボンヌ; Catherine:カトリーヌ; Francine: フランシーヌ; Cannes:カンヌ〔 -s は発音せず〕)  ★ 狂おしい社会に順応してしまった大人は、完成度の高い狂人ばかりです。  ☆ 歴史知性の分類としての《ヨリ・イリ・ヨセ・コギト》に関連させ さらにくわしく その《発狂》の状態や社会情況のありさまを 分析せよ。(宿題だよん)。  あとは やはり 人びとのためになる仕事を もくもくと やっている人びとへの敬意と感謝の意を述べることを忘れずに触れていれば 百二十点満点です。  ミサイル発射に対応するため準備している人たちも おおぜい いますから。

その他の回答 (127)

回答No.87

こんばんは、braglonneさん。 今夜は、ちょっとセンチです。 親友から電話が入りしばらく話込んでいました。2月にみんなで集まったときには、いつもと変わりなく難ない話でワイワイと盛り上がって過ごしてたんです。さして悩みがあるような様子もなく。今日の電話で話を聞けば、何やらモヤモヤと気の晴れぬ様子。1年以上まえに職場で受けた叱責、本人いはく誤解があると。誤解を残したまま思い悩み続け1年以上の日々が過ぎ、まだ誤解が解けていない内に誤解をした人(叱責した人)が職務上の都合で職場を去ることに、そして、職場を去る日が近づき送別会が開かれたそうです。その席で、彼女は1年以上まえに受けた叱責の件に関して話を切り出したそうです。もとよりケンカをふっかける気などサラサラなく、ただただ誤解を解いておきたいという思いのただ一点。問い、問える相手がいる内に話し合いたいとの思いが強く働いたのでしょうね(無実の証明)。話を切り出した彼女に返ってきた言葉は「1年以上まえのことをこの席で持ち出すとは」と。反感をかい散々だったとか。誤解を受けたという件に関してここには詳しくは書けないのですが、男女の色恋沙汰とかそんなことではないです。職務上のことで人格否定(人間性を疑われた)。相手にとっては1年以上まえのことなのかもしれませんが、彼女にとっては1年以上まえの出来事をいまも引きずって、こころに傷を負ったまま。わたし、親友なのに彼女がそんな悩みを抱えていたことちっとも知らなくて…。心細かっただろうなと。ずいぶん前、そう遠距離恋愛をしてた頃、わたしこんな言葉を吐いたことがあります。「こんなに悩んで、こんなに困って、こんなに心細くなっているときに傍にいてくれない彼氏って、彼氏じゃない!」と。自分が吐いたこの言葉が今夜はなぜか胸に刺さります。 電話を切ったあと、彼女には「考えるな」と。誤解したままの人が○○○のことを認めなくてもわたしは認めてる。わたしじゃダメかな?と、夜遅くにメールを書いて送りました。彼女からの返信はまだありません。 誤解を解こうと切り出した言葉が、誤解をさらに深め新たな誤解を招く。言葉を発するタイミングって難しいです。

bragelonne
質問者

補足

littlekissさん お早うございます。  おとつい つぎのように書いたばかりのところです。  ☆☆ (【Q:愛は地球を救えるか】そのNo.40) ~~~~~~~~~  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4832916.html   世の中は 勘違いだらけです。勘違いでないものはないというほどだと思います。どうしましょう?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ どうしましょう?  世間のうわさや他人による誤解によって ひとの心が 傷つくということは ほんとうには ないということを知ってください。  人間は 孤独ですが どうしようもなく孤独ですが 社会的な動物でもあって その孤独の関係としても 存在しています。このことをも感じてください。  あの御仁でさえ 拉致の事実を認めました。経済援助を引き出すための計算づくであったとしても いわば裸になりました。孤独の姿を みづからのもとに 確認したはづです。  むろん 世の中にあって ひとは 裸のまま 生活しているわけではありません。(わたしくらいですかね? 能天気という裸は)。顔をつくって生きています。いるようです。コギトとやらの理性で生きるようになったので 飾りをつけ 自分のまわりに塀をめぐらしているでしょうね。へえーえ。いや どうしても 財産やら権利やら面子やらを守らなくてはいけないようで 囲いを築いているでしょうね。カッコイイ。いや ぎゃくだ。  裸になれないだけですよ。その親友の職場の同僚の方も。親友の心が分かったかも知れないし 分かっていないかも知れない。分かったけれども 恰好をつけて やり返して来たか 分からずにふたたび怒ったか。  しかしながら そういう心理としての心の動きは 心という海の表面に立つ波風だと思います。孤独と孤独の関係で 海全体は成り立っています。  親友は この海面の波をも 相手の心をおもんぱかって 自分の心の中に 一たん 引き取ったのでしょう。引き受けたのでしょう。その分 あたかも 心の芯の部分に そのわだかまりがあるかに思っていたのでしょう。どうでもよくはないでしょうが 互いに 表面の波風の問題だと捉えましょう。裸の部分のほうが こころですから。そして この奥の部分は 傷つくということはないと思われます。ひとが傷ついたかも知れないという思いやりで あたかも自分も傷ついているかに 思っているのだと思います。  (自分が自分につくうそ この嘘で 自分が 傷つくことはあります。存在としての自然本性なる善を損傷させるのが うそなのですから)。  ★「考えるな」  ☆ ではありますが そうなのですけれど このような哲学のほうも 大いに きちんと 考えてみてください。  ★ 誤解したままの人が○○○のことを認めなくてもわたしは認めてる。  ☆ ですけれど そうなのですが 上の哲学を考えないのであれば わたしは まだ 認めませんよ。  けんかになっちゃったねと言えるほどだと いいのですけれどね。オニー オニーッと言えるくらいにまで けんかをすると いいのですけれどね。刺さった胸は だいじょうぶ?

回答No.86

ぽこぺろぽです。申し訳ありません。かなり勘違いしていましたので現在思索中です。もう少し時間をください。どうしてぽこぺろぽはそんなにバカなのかとお訝りになる前にこちらをご覧ください。暇つぶしにはなると思います。 投手と打者とではどちらが重要でしょうか? QNo.4841532  質問を装ったクイズの実験です。良回答の二人には最後にお礼を出しています。良回答の二人さえ結論は正しいものの、その根拠は正しくありませんでした。手前味噌ながら、説明すれば子供にもわかることを大の大人がわかっていない好例だと思います。仲の悪い兄とも野球好きを自認しながら、上の質問にも満足に答えられない人はダメとの見解では一致しています。  つまりあなたのこのご質問においては私は、上の質問にすら答えられない者なのです。そういうわけで少しくお待ちください。もし上の質問をお読みになったらまたご連絡ください。それまでに考えておきます。それでは!

bragelonne
質問者

お礼

 pokoperopo さん  了解しました。  クイズのほうについて 異見を持ちました。  ★ (QNo.4841532 投手と打者とではどちらが重要でしょうか? No.6お礼欄)~~~~~~~  投手と打者はどちらが大事かと尋ねられても、同じとしか言えないはずです。・・・  (α) なぜなら投手の成功は打者の失敗、打者の成功は投手の失敗に外ならないからです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ (α)の推論に 疑問があります。つまりは そのように つねに 一対一に対応して 投手の重要性は 打者の重要性に同じことになるのですが そうなのですが ほかにも 考慮にいれてもよい見方もあるはづです。  防御率と打率という数字が チームの勝敗の問題として 重要になりませんか?  たしかに この場合も 防御率のよいという投手〔陣〕の成功は 打率つまり精確には打点率ないし得点率が低いという打者の失敗と つねに 表裏の関係にあります。ありますが 大数の法則において 投手の成功が 勝敗率を高いほうにみちびくことになっていませんか?  1対0で勝つ場合と 10対0で勝つ場合とで 試合としての成功は 同じ価値です。その成功率は 投手の防御率に依存していませんか?  つまりは ここでも たしかに それは 打者が打てないという失敗のせいですから その意味で 打者も 同じ程度に 重要だという見方が みちびかれるのですが そうなのですが 実際の問題としては それは 消極的な重要性なのではないでしょうか?  つまり どういうわけか 打者は 投手のいい球を打てないのです。おそらく 限界があると思われるのです。投手の投球術に限界がないというものでもないでしょうが 打者の打撃術に対して 比較優位に立つというのが 経験現実ではないでしょうか?  とは思ったのですが どうなのでしょう? 自信はありません。

回答No.85

maimaisusです。 ふうー、しょうがないですね、本当はご自身で気がついてもらえば良かったのですが。 bragelonneさんは、学識としては、そこそこなのなのかも知れませんが、人間としての心の部分が●●●●●ようですね。 名誉棄損とか中傷とか言われると困るので●にしておきます。 確かに、理屈も、礼儀も大切だとは思いますが、それは、心があってのことだと思います。 心があり、初めて、理屈や礼儀が意味をなすのではないでしょうか。 bragelonneさん今のあなたに、本当の意味で心の強さや美しさが分かりますか。 そして、そう言った事に目を向けて、物事を考え、自分の中に求めていますか。 結果的にそう言う事を、言いたいだけなんですが。 何か変に、誤解されている様で・・・・・・・・・。(-_-;) 私の答え方にも、問題は無いとは言えないと思いますが、受け取る方もちょっとー、何と言いますか・・・ねえ。

  • shikaruni
  • ベストアンサー率20% (19/95)
回答No.84

>どうして、かたくななのでしょう? ご質問者さまのかたくなさを真似てみました(笑)。 >>咀嚼して消化する とは、同じことを問うてるわけではなく、ご質問者さまのご意見を私なりに解釈し感想を述べただけでした。 ご質問者さまが、やってこられたことを試しにしてみたということで、嫌になる感覚がわかってくれたなら、、何か感じ取ってもらえたらいいなぁという期待です。 これに関して、謝ることはしません。あしからず…。

bragelonne
質問者

お礼

 理由や根拠を明らかにするかどうか これが すべてを分けます。  ありがとうございました。

回答No.83

ケータイからこのサイトを利用しているうえに、自分用のPCを所有していないため、あなたのお礼や回答も手元になく、参照もよくは知らないとの前提でお聞きください。また書き進めるうちに流れを無視してしまうかもしれません。ご容赦ください。  今回は私の推論を否定されなかったので非常に答えづらいです。  《寄り》だけの社会では、両者の間に同一の崇拝対象があるため裁く基準も同一で、ケンカしてもいずれ決着はつくわけです。したがってケンカしてもいけないことにはなりません。  ケンカするときにその社会が《入り》だけである場合はどちらかに軍配を上げる根拠がない。したがってすべての会話がケンカになるかと思われ、逆にケンカという概念そのものが成立しないはずです。  《ヨ、イ》双方を認識する社会では、両者の主体も違うからケンカになるうえに、客観的な認識に従う必要も生じるためどちらかに軍配を上げねばなりません。さて困りました。  それを治めるためには、《寄り》の強い優位性を発令すればよいことを聖徳太子は知っていたのだと思います。つまりは和とは客観に従うこと、互いに主観を引っ込めれば丸く収まるのだと。それが解り切っているならケンカするなと。  しかし本心では納得の行かない人々には《コギト》が与えられます。オレもアイツも「思い」は持つのだと。実は正しい(間違っている)のはオレだが、やはりオレもアイツも「在る」のだと納得させる精神衛星上の安全弁なわけです。  そういうわけで若干の批判が含まれて合点が行かないことがある以上、端から見て仲良しコヨシのあなたと私も常にケンカしているわけです。さあ、ケンカの続きを願おうか(笑)

bragelonne
質問者

補足

 pokoperopoさん ご回答をありがとうございます。  直前の返答を書いていたら 気がうすれてしまいました。もうわたしは 十回くらいは 同じことを繰り返しているのではないでしょうか。  さて pokoperopoさんのご回答内容についてです。  《ヨリ・イリ・ヨセ・コギト》が すべて 混じっているという条件は 揺るぎません。と思いますが どうでしょう? 身も蓋もなくなるでしょうか?  《イリ》知性どうしのあいだでは つねに 解は 時間過程的な解であるという共通の認識があると捉えてください。  言いかえると 自分たちの見解は つねに 流動的であり 誰のが 正しくて 誰のは 間違っているというような判定が 問題になるわけではありません。共同の自治のための経営方針なり そのつどの施策なりを 考え合って行こうとするのみです。そういう意味でしょうか つぎのご指摘は?  ★ ケンカするときにその社会が《入り》だけである場合はどちらかに軍配を上げる根拠がない。したがってすべての会話がケンカになるかと思われ、逆にケンカという概念そのものが成立しないはずです。  面子という言葉が イリ知性の人間たちの辞書にはないからです。これにこだわるのは ヨセなる超歴史知性です。  《ヨリとイリ》だけの社会では イリが主導するはづです。譲歩して ヨリの考えを採用するとしても イリ主導が 基本です。  ★ 《寄り》の強い優位性  ☆ この意味が分かりません。一度 欲したら 手に入れるまでは 引かないというような性格のことでしょうか?  ★ 和とは客観に従うこと  ☆ ここで《客観》を出して来られては 話が まとまりません。強いて言えば  ○ 和とは どこまでも 妥当性のある解を求めてすすむこと。そのつど 共同で決定した事柄には 従うこと。  ☆ でしょう。  ★ 互いに主観を引っ込めれば丸く収まるのだと  ☆ ですから イリ思想のばあいは ぎゃくですね。みな それぞれその主観を どこまでも 発揮していこうという社会行為関係の過程です。  スーパー歴史知性なるヨセ派の聖徳太子の《和》は 上から 人びとの見解の相違の発生に対して ふたをすることです。見解の相違と言いましたが むしろ 市民どうしの横のけんかには あまり 口をはさむことはしないはづです。市民が 上に向かって 文句を言おうとするときには ガス抜きなど一定の場合を除いて 押さえるというものです。それが かれの言う《和》です。  ★ コギト  ☆ は むろん 経験思考として いいのですが 理性を神とするような傾向には 問題があるという意味です。  というようなけんかを どんどん どこまでも 推し進めてまいりましょう。  * ここで pokoperopoさんに言うのも おかしいですが わたしは 直前の返答のとき もはや 投げやりになりました。これ以上 同じ応答を繰り返すのは 自分のためにも 相手のためにも 反人間的であると思えて来ました。ですから どうなりますやら わかりませんということを お断りいたします。澄みません。

  • shikaruni
  • ベストアンサー率20% (19/95)
回答No.82

>もはや すべては ほかの参加者や読者一般のみなさんに 判定していただきましょうか。どうでしょう? そうですね。 > ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ > 言われた本人が取り入れるか入れないかを判断し、変わるか変わらないかを判断するのであって、 > あなたが変えるのでは無いからです。きっかけを与えるだけです。 > ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ > ☆ これは まったく そのように わたしがおこなっているところですが そうは受け取られていないということのようですね。 > ★ 押し付ける > ★ 他人を変えようとまでする > ☆ というように感じるし 受け取っているということのようですね。 そうですね。 > ☆ これは 人間違反です。 や、 > 規約以前 ネチケット以前の 人間にとって とうぜん守るべきことだから 《一色に染め上げ》ても かまわないことなのです。 などという言葉からそう受け取りました。 > ごくふつうの人間にそなわっていて とうぜん 自分自身で開発しているはづのことがら これだから 《多様性》の問題の以前なのです。 私は、多様性を受け入れることが人としての根幹に必要であって、一色に染め上げることはするべきことでないと思います。 > わたしの文章を読んだ人たちが それは 広く人間の課題であり 普遍的にして自分の問題であるとさとったからこそ そういう化学反応が 起きている。こういうことではないでしょうか? そうですね。染め上げようとした過去の経緯が私にはありますから、 それはすべきことでないと、今は認識しています。 人間が生まれる過程を知れば、解決すると思います。 > ★ きっかけを与えるだけです。 > ☆ 《与える》という感覚もないですがね。尋ねているだけですから。まぁ 《常識》に挑戦しているという感覚は ありますが。 しかし、憎んで批判するのでしょう?尋ねているようには感じません。 まぁ、憎むというのを自分で咀嚼して消化していると仰るなら、尋ねているだけかもしれません。 > ★ 無断で出て行こうが、勝手に入ろうが、それを前提にした場所です。 > ☆ について やや 誤解があります。 > ○ 隣りのテーブルで 注文をしてから 黙って勝手に 外へ出て行ってしまった人間がいる。このとき あなたなら どうしますか。 > ☆ という意味の問いですし あるいは > ○ 同じ情況で あなたが レストランの支配人であったなら どうするか。 > ☆ という問題です。 > ○ 特には 同じ人間が ふたたび そのレストランにやって来たとき どうするか。  > ☆ という問題になります。 この質問で最初の頃に言っていたのは、OKWaveでのことだと認識していますが、すでに解決済みだったのでしょうか? 私も全部を読んでいるわけではないのですが、OKWaveでの出入り自由は良しとされたのでしょうか? 以下の文言です。 > (8) これは 規約やネチケットの規則内容を守るかどうか以前の問題です。人間であれば 誰にも 例外なく 当てはまる考え方および振る舞い方の問題です。人によって まちまちだということは あり得ません。 > (9) 去るのは 勝手です。ところが 二度目に 同じ質問者の質問に投稿するとき 勝手に訪問するのは 自由ですが そこで 迷惑をかけるのは 自由ではありません。あり得ません。とんづらを繰り返されるのは 迷惑です。手間暇の無駄になります。 > (10) 人間放棄・自己放棄は 自由ですが それによって ひとに迷惑をかけるのは 自由ではありません。 レストランでのことでしたら、注文しておいて黙って勝手に出て行くのは、支払い義務をしていませんから、法律違反で逮捕されるだけです。 注文内容と違うとか、料理が出てくるのが遅すぎるとかで、支払わなくてもよい場合もありましょうが。 罪を償えば、また来ても良いことでしょう。 前の回答にもあるように、その場その場で異なります。 > ★ ゆるす > ☆ という言葉でも 述べておられますが もしそうであるなら > ○ まちがいを侵した。 > ☆ という事実があったと すでに 前提しておられるのでしょうか?  > わたしとしましては そういう事実があったと認めますとも何とも聞いていないわけですから ゆるすも ゆるさないも まだ 問題になってはいないのですが? どうでしょう? ここでは、単に、"憎んで批判する"ことを"許して批判する"に置き換えただけです。 憎んでいるうちは、ご自身が辛いだけでしょうに。 私が間違いを犯したとは、どこかあったでしょうか? もしくは、ご質問者様が間違いを犯したというのは、あったようにも思います。 つまり、ご自身の主張を表明することで議論をあおっている点です。 この質問は削除されても、文句が言えないでしょう。 まぁ、それに乗っかってる私も罪かもしれませんね。 あと、人間に向かって、人間違反であるとか、人間以前の問題であるとか、 大人に向かって、大人に対する問題でないとか、 そちらは、ただの哲学的な視点から使っているだけでしょうから、スルーし、こちらも引用しましたが、 ただの名誉毀損や中傷の文言だと思います。 まぁ、問題にすることはやめましょうか。ただの感想です。 > * 例のあのひとでさえ 拉致の事実は認めましたよ というようなことを書きましたから そのつてでは あやまちを認めよというような促しをしていることになるかも知れません。ただし これは 《批判をいやがる》という事由を出してきたご回答に対して 応じたものです。 対話をしようが、意見を受け入れるつもりが無いから、鼻から対話しないのでしょうね。 非があると感じて応じないのか、言い分を相手が理解できないだろうから応じないということもあるでしょうね。 対話しない理由は、他にもあるでしょうから、それだけでも教えて欲しいものですね。(私が知らないだけかもしれませんが) > * つまりは 批判内容を しっかりと把握して 答え返してくださいという意味の要請は しているかも知れませんね。議論ではなく ご回答内容についての補足要求なのですがね。 うーん、補足要求と謳って、様々と主張されてますから、議論をあおっていると思います。

bragelonne
質問者

お礼

 shikaruniさん ご回答をありがとうございます。  ちょっと 今回は ささやかな誤解があるように思いますよ。  ● ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   > 規約以前 ネチケット以前の 人間にとって とうぜん守るべきことだから 《一色に染め上げ》ても かまわないことなのです。  などという言葉からそう(* わたしbragelonne が 自分の意見をひとにおしつけていると)受け取りました。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは   ○(α) 隣りのテーブルで 注文をしてから 黙って勝手に 外へ出て行ってしまった人間がいる。このとき あなたなら どうしますか。  ☆ という問題には 《規約以前の とうぜん 守るべきこと》があり おのづから分かるはづだと言っているわけですから 《これこれの理由で そうではない》という反論がなければ 話は 通じませんよ。説明・説得とは そういうものですよ。  そのほかの事柄も ほとんど全部 そういう問題点があると思いますよ。    ★ 私は、多様性を受け入れることが人としての根幹に必要であって、一色に染め上げることはするべきことでないと思います。  ☆ もし先の問題(α)が 万人に当てはまる人間性のことであるならば この指摘は 的を外れてしまいます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  しかし、憎んで批判するのでしょう?尋ねているようには感じません。  まぁ、憎むというのを自分で咀嚼して消化していると仰るなら、尋ねているだけかもしれません。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《欠陥を 自己の内面に認識し これを憎む すなわち 内面に捨てる そしてその捨てたことを 相手に伝える》 これを 批判としてのけんか と呼んでいます。  もう 書く気が薄れました。どうして 同じことばかり 繰り返さなければならないのでしょう?  ★ 議論をあおっている  ☆ ったって 回答がくれば 返答を書くでしょう。より妥当な内容を求めて その思惟をも とうぜん 添えるでしょう。いったい どうして ここまで かたくななのでしょう?

noname#81313
noname#81313
回答No.81

 そんな遠くじゃない。何かなと思いましたよ。  エールじゃなくて、回答者はそう見てるのではないかという僕の答えです。他意はないですし、ケルトは関係ない。僕は相手相手に率直にしか答えられないです。違う人への答えを持ってくると変なことになっちゃう。ケルトが問題なら、上海ですよ。王振国とでも打って検索してください。迂闊なことを書いた汚点はひとつにしておきたいので、それ以上は聞かないで下さい。

bragelonne
質問者

お礼

 passcardさん ご回答をありがとうございます。  それはそれは よけいなことを申しました。ケルトは 妖精か何かの物語のほうでしたか。  ざんへーへーお でしたかね? ツァイチエンが セーフエーァになるのでしたか。声調が 違っているので 困るとか。中医。大夫。何でも出せばいいってものぢゃない。  さて  ★ エールじゃなくて、回答者はそう見てるのではないかという僕の答えです。  ☆ そういう見方もあるのではないかというpasscardさんの主観なのですね?  ☆☆ そろそろ 収束に向かいますよ。  ☆ この発言は まづかったですね。ただの予想でした。  これは ここまで来ると 集団での討論というかたちでやれば おもしろいかも知れません。――ちょっと中だるみでしょうか。かつを入れなければなりません 自分自身に。  では。

noname#81313
noname#81313
回答No.80

 喧嘩が増えてるじゃないですか。「喧嘩はいけない」が偽だと主張するならその対偶「喧嘩でないならいい(いけないでない)」も偽ですよね。回答者には前者でなく、後者が聞こえてるんですよ。だから、なかなか納得できないんでしょう。  須らく喧嘩であるべきだというお説にも一理あるとは思うんですが、勇気のいる主張だと思います。難しいですね。

bragelonne
質問者

お礼

 passcardさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ケルトの森って どこ?  大陸ぢゃ ブルターニュくらいですよね。ウェールズ・スコットランドあるいはアイルランド。そう言えば スペイン・バスク地方の南(ガリキアだったろうか)にも バグパイプを伝えていると言ってたっけ。  ガラテア書のガラテアも そうだったとか。いまのトルコですよね。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  須らく喧嘩であるべきだというお説にも一理あるとは思うんですが、勇気のいる主張だと思います。難しいですね。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これぢゃ エールを送ってくれているぢゃないですか。  そろそろ 収束に向かいますよ。  雨降って地かたまるというぢゃないですか。  われわれは かれら以上に 日本人なのですよ。  アマテラス賢人たち以上に 日本人なのですから。  この腹があれば 対偶も何も 論理は もうよろしい。

  • shikaruni
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回答No.79

ご質問者様の人間たるやこうあらねばならないとか、 大人なら当然成熟あるべき姿の定義が凝り固まっているようですね。 私も、ご質問者様のように、それを両親に押し付けることをしてきたので、 批判して何が悪いというお気持ちはわかります。 しかし、その後、人間とは何ぞや、はたまた、人間がどのようにしてこの地球に降り立つのか、 人間の根源について、研究や治療として用いている人の考えに触れたために、 その押し付けることの傲慢さに気づき、 多様性や人を許すことの大切さを学びつつあるから今までのような回答になっています。 多様性以前の問題だということはありません。 そろそろ、許すことの大切さを学ぶ時なのではないでしょうか? これが人間にとっての命題であるように思います。 子供だろうが大人だろうが、人間はいつでも成長の過程であると確信しています。 (人間の本質を実感しているから言えます。ここでそれを言い出すと長くなるので省略します。) あなたが、論理的にうまくケンカできる個性をたまたま持っているから、 それができずに勝手に逃げるのは子供だと言いたいのでしょうけど、 あなたに足りない面や無い面は、有る人から言わせると子供と言われても仕方がないでしょう。 (私は、大人も子供もなく、それが現時点でのただの個性のようなものであるだけで、ただ人間であるだけだと思いますが・・・。) あなたの人間たるや大人たる思想を、伝えることは結構ですが、 (批判など、伝えることは大事で、伝えることをし続けるのは大いに結構です。) 他人を変えようとまですることや、一色に染め上げても構わないとするのは、あなたの欠陥です。 それくらいの気合で伝えるだけだということなら、結構なのでしょうが、 他人を変えて何が悪いというのであるなら、欠陥以外にないでしょう。 それは、傲慢以外の何者でもないからです。 言われた本人が取り入れるか入れないかを判断し、変わるか変わらないかを判断するのであって、 あなたが変えるのでは無いからです。きっかけを与えるだけです。 また、相手を変えようとしているうちは、自分が苦しく、自分が悩むだけです。 世の多くの悩みは、他人をどうこうしたい、変化させたいという欲望から来ています。 自分が変われば済む話です。人を許し、伝えていくだけです。 そして、無断で一方的に去ることを人間や大人として絶対的な欠陥としていますが、 欠陥である場面もあると思います。 その場その場で、それが欠陥と言えないこともまたあると思います。 意思表示として、許される場面か否かだけです。 どんな場面でも、人間にとって欠陥だというのは、違うと思います。 無視や思考停止することが、欠陥だというのは、違うと思います。欠陥ではなく、ただの意思表示です。それをうまく受け取れない方にも問題があると思います。 人間たるや思考することが絶対大事というのも、違うと思います。それをする必要のない人も存在します。生まれる前に、自らその個性を決めて生まれてくることすらあります。 逆に、考えないで感じることの大切さというものを知らないと、そうなると思います。 察するとか、相手を思いやるとか、想像するとかも、意思疎通には大切だと思います。 嫌がっている表現をするのに、何が正しいかは、その場面によると思いますし、 その表現が相応しくないなら、それを許し、伝えるだけです。 また、伝えた内容を採用するか否かは、伝える側が決めることではなく、受け取る側が決めることです。 ※ちなみにOKWaveでは、不特定多数の人が自由に出入りすることを前提としている場所で、  無断で出て行こうが、勝手に入ろうが、それを前提にした場所です。  人間たるや、それは許されないという考えなら、ここを利用するのは止めた方が良さそうです。  一言添えるにしても、誰がということを気にせず利用している人が大多数ですから、  (特定カテゴリーの常連さんは、次第に気になっているのでしょうが・・・)  気にしていない人もいますから、許してはいかがでしょうか?  ここはそれを許している場所であり、前提としています。 ※文章を書くときは、ついつい、断定的な論文口調をしてしまい、  きつく受け取ってしまった場合は、すみません。

bragelonne
質問者

補足

 shikaruniさん これまでの質疑応答を じっくりていねいに追いつつ読んだ結果を 考えるところとして述べていただきました。まづは そのご努力に敬意を表します。そして ご回答をありがとうございます。  どうなんでしょう。  もはや すべては ほかの参加者や読者一般のみなさんに 判定していただきましょうか。どうでしょう?  やや難を言えば 例示が少ないとは思います。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  言われた本人が取り入れるか入れないかを判断し、変わるか変わらないかを判断するのであって、  あなたが変えるのでは無いからです。きっかけを与えるだけです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは まったく そのように わたしがおこなっているところですが そうは受け取られていないということのようですね。  ★ 押し付ける  ★ 他人を変えようとまでする  ☆ というように感じるし 受け取っているということのようですね。  結論としましては それほどまでに  ○ 多様性以前の問題  ☆ だからでしょうね。わたしという人間が どう考えどう言おうと そういう問題があるということではないでしょうか? じんるいにとっての哲学的な課題であるということではないでしょうか?  ですから わたしという人間が 《おしつけ ひとを変えよう》としているというよりも わたしの文章を読んだ人たちが それは 広く人間の課題であり 普遍的にして自分の問題であるとさとったからこそ そういう化学反応が 起きている。こういうことではないでしょうか?  むろん わたし自身としましては そういう問題点を挙げて質問しているだけなのですから。触媒であるに過ぎません。まさに おっしゃるとおり  ★ きっかけを与えるだけです。  ☆ 《与える》という感覚もないですがね。尋ねているだけですから。まぁ 《常識》に挑戦しているという感覚は ありますが。  あとは  ★ 無断で出て行こうが、勝手に入ろうが、それを前提にした場所です。  ☆ について やや 誤解があります。  ○ 隣りのテーブルで 注文をしてから 黙って勝手に 外へ出て行ってしまった人間がいる。このとき あなたなら どうしますか。  ☆ という意味の問いですし あるいは  ○ 同じ情況で あなたが レストランの支配人であったなら どうするか。  ☆ という問題です。  ○ 特には 同じ人間が ふたたび そのレストランにやって来たとき どうするか。   ☆ という問題になります。  ★ ゆるす  ☆ という言葉でも 述べておられますが もしそうであるなら  ○ まちがいを侵した。  ☆ という事実があったと すでに 前提しておられるのでしょうか?   わたしとしましては そういう事実があったと認めますとも何とも聞いていないわけですから ゆるすも ゆるさないも まだ 問題になってはいないのですが? どうでしょう?  * 例のあのひとでさえ 拉致の事実は認めましたよ というようなことを書きましたから そのつてでは あやまちを認めよというような促しをしていることになるかも知れません。ただし これは 《批判をいやがる》という事由を出してきたご回答に対して 応じたものです。  * つまりは 批判内容を しっかりと把握して 答え返してくださいという意味の要請は しているかも知れませんね。議論ではなく ご回答内容についての補足要求なのですがね。

回答No.78

ぽこぺろぽです。かなり派手にやってますね。こんなに勇ましい方とは知りませんでした。話の流れは把握しようにも到底ムリですからここでは私見を述べるに留めますね。  ケンカをしては何故いけないのか?おそらく議論がエスカレートして、相手の意見に加えて人格や生活態度まで批判することを指してのことを言われるのでしょう。  ひとつは主体を批判されると存在まで否定されていると錯覚するから。  次に批判された人は反撃を試み、水掛け論に陥りやすいから。あるいは反撃を試みなかった場合、イジメと受け取られやすいから。  加えて仲介に入った第三者を含める関係者の批判に及ぶことも多いから。これは私の過去の質問においてのあなたへの揶喩を含めます。  最後に日本人は特に争いを好まない民族である。議論をケンカと錯覚して予め防御線を張る人が多いから。  大雑把にいってこんな感じです。私の今後の成長のためにも、厳しいご意見をお待ちしております。

bragelonne
質問者

補足

 これは これは。ようこそ pokoperopo さん。思いがけなく というのは 快いものですね。《愛は地球を》では ただちに 打ち止めにされるとは これも 思いも寄らないことでした。公開の場では たとえ話に替えるとよかったかも知れませんね。(その方法を考えずに 言ってしまいましたが)。  ご回答をありがとうございます。  ★ 今後の成長のためにも、厳しいご意見をお待ちしております。  ☆ この最後のお言葉に 力が抜けたように感じてしまいましたが ひととおり 考えるところを述べて ご返答とします。  いっそのこと 今回は のっけから 飛躍してみます。  ○ 和を以って貴しと為せと言われなかったなら わたしは 和を乱すことを知らなかった。  ○ すき好んでなら わざわざ 世の中に ひとが 波風を立てることなど するわけがない。  ☆ だれが わるいのでしょう?  その昔 ひとが死ぬということを知ったとき ひとは その存在の時間的な存在性に・そしてその時間的な存在が互いにいとなむ世界に みづからの意志において 《イリ(入り)》しました。歴史知性の獲得です。  その以前には なにごとにも《ヨリ(寄り・依り・憑り)》する原始心性でした。アニミズム心性でしょうか。  歴史知性を確立していくにつれ 《ヨリ心性》に留まっている場合をどうするかという議論が起き 片や そのまま 《イリ知性》の漸進的な歩みを説く人びとと そして 片や そうではないと言って この歴史知性の潜在なる《ヨリ》原始心性を 《ヨセ(寄せ)》るのだと主張する人びとが出て 対立します。  結果は ヨセなる言わば超歴史知性の側に イリ知性の側が 国ゆづりするというかたちで 譲歩し従属することになりました。  途端に それまでの社会は いわば平屋建てであったものが 二階建てに早変わりしました。むろん 二階には スーパー歴史知性なるヨセ派が 住まうということになります。  この二階から 第一条として説いて言うには  ▲ 一に曰く、和(やわらぎ)を以(もち)て貴(たふと)しと為し(なし)、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90  ☆ でした。そののちにも 大きく王位を争う六七二年の乱をはじめ 自分たちの雲の上では 波風を立てても よいが 下々では ならぬと言う。その以前には 蘇我氏と物部氏が 仏教受容かどうかで 争ったとき 聖徳太子は 前者の軍に加わり戦っておきながら 上の条文をこしらえた。  ということは 《ヨセ》なる知性は 別格であって 人びとは その知性に対して 波風を立ててはならないと言っている。ことになるのでしょうか? どうでしょうか?   ヨセなる超歴史知性:天つ神    イリなる歴史知性: 国つ神   ヨリなる原始心性: うつ(現)しきあをひとくさ(青人草)  あるいは   ○ 罪には ヨセなる第二階を侵そうとする天つ罪と イリなる第一階で争われる国つ罪とがある。  ☆ という世の中が 出来あがって行きました。とさ。  結論:第二階がなかりせば けんかは 仲間うちのむしろ交流であり 交通のひとつのかたちであった。のではないか?  どうでしょう?  * あるいは イリ歴史知性の中から ヨセ超知性が出たのと 似てはいるが 少し違うアマアガリも見られました。その後 歴史知性が 理性として・理性なる神として 歴史を超越するかたちで あがめられるようになった。のではないか?   * 内面において自己崇拝的な《ヨリ》を《復活》させてのように あらたな歴史知性として立った《コギト》知性。これによれば たしかに もはや 人びとの知性は 針ねずみのごとき容貌を現わして来た。――こちらの方の現象については 分析していただいたとおりです。

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