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「喧嘩」とは?

投稿するカテゴリーに迷いました。 「メンタルヘルス」?「心理学」?ひょうっとして 「社会学」かも・・・なんて。 私は喧嘩することができません。 一般には「喧嘩」は「起点」であって「終点」ではない。 「破壊」ではなく「建設」だという意見が大半のように感じます。 そんなことは頭では分かっていても、気持ちがついてきません。 少しでも批判的なことを言われると 心臓がバクバクし、身体がワナワナとなります。 「相手に自分のことをわかってもらいたいから」・・・ けれどもそのような手段としての喧嘩(口論?)が、 私には関係の幕引きになってしまうのです。 「分かって欲しい相手」=「分かっていない私」 という方程式が私を苦しめます。 ホイッスラーという画家は、 「この小さな一枚の絵を否定することは私のこれまでの全人生を否定することだ!」と言ったといわれています・・・ これは独特の感じ方で理解を求めるのは困難ですが、 私には、「部分否定」ということがわかりません。 ホイッスラーの言葉を借りれば、「お茶の飲み方」を否定(注意)されたということは、 「私という人間全体を否定されたこと」になってしまうのです。 相手に対しても同様の考えがあるので、相手の一部を否定することは相手の存在を否定することと思い、嫌なことも口にはしません。 更に言えば・・・人を矯正しようとは思いません。 相容れない考えを持つ者と関わることの意味がわからないからです。 それが夫婦であっても、友達であっても、親しい関係の者であっても、 (しかし皮肉なことに私には以上のことからパートナーも、友達も、 親しい人もいません・・・) 「ヤマアラシジレンマ」という言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。 2匹のヤマアラシがお互い暖をとる為にくっつこうとするのですが、 お互いの針が刺さって近づけない。 何故こんな風に考えてしまうのか自分でもわかりません。 言いたいことも言わず、相手の批判に耳を塞いで生きるのに疲れました・・・ http://okwave.jp/qa3138021.html

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

質問者様に「正しく知る」と言うことをお勧めします。 親しい人間関係に適度な距離感は必須です。 自分のこと(価値観を)伝えるのに喧嘩は不要です。 更に言うとディスカッションさえ不要でしょう。 正しさを現すなんて何の意味もありません。 煙たがられるのが落ちです。 人を矯正する事も不要です。 人は相手が正しいか正しくないかで解決するのではなく、快適か不快かで関係性を維持します。 正しさを示しても相手にとって不愉快なら意味がありません。 関係性が悪くなるだけでしょう。 自分が相手に染まることも無く、相手を変えることも無いのです。 お互いを認め合うと言うのはそういうことです。 所詮人間は自分を非難、否定、お節介にも変えようとする輩とは付き合えないように出来ています。(仕事では仕方ありませんが) 自然な自己防衛だと思いますよ。 人と関わると言うことは痛みを伴うのです。 全否定だろうが、部分否定だろうが傷つくことに変わりないのです。 質問様が、「何が何でも傷つくのは嫌」ならそのままが一番安全です。 傷つきやすい人は面倒くさがられるので、同じく距離を置かれると思います。 それでは寂しいと気づけたのなら、変われるチャンスだと考えます。 相手の非難を聞き流すことも必要ですよ。 力を抜いて怖がり過ぎないように。

noname#37669
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 >相手の非難を聞き流すことも必要ですよ。 >力を抜いて怖がり過ぎないように。 そうですね。 チャンスかどうか分かりませんがこのままでいいとは思いません。 例えばこのサイトで、質問なり回答なりして、 心無い返答を返されると私はほんとうに萎縮してしまいます。 相手を責める気持ちよりも自分を責めます。 そのようなケースに遭遇されたとき、 どのように対処(?)なされていますか? 重ねてアドバイス頂ければ幸いです。

その他の回答 (5)

回答No.6

続けて回答します。 私の世界観では、「同じ常識、価値観の人間は二人といない。」です。 私は接客業、教育の現場で働いておりました。 通常の方よりは大勢の人間と接してきましたが、それでも新しい方と会うたびに、「こんな人間もいるのだ」という思いに駆られます。 それを前提にその人の価値観の一部と自分の一部が共感できると嬉しいものなのでしょう。 逆に何もかも分かり合えるはずと近寄りすぎようものなら、自分と相手の違いを思い知らされ傷付くことでしょう。 参考URLは「星の王子様」です。 星の王子様のお話→星のひとつをクリック(あらすじ)で読んでみてください。 王子様が旅する星はそれぞれ一人の人間が住み、その星特有の常識に従って生きています。 その光景はお互いの違いを尊重することで物事を正しく知ることが出来ると私は読みました。 王子様はやはり自分の星の自分の常識でしか生きられません。 ですがその常識は自分の見方次第で簡単に変えられるでしょう。 貴方様を非難する人間も所詮、貴方様とは違う星の人です。 それが判れば怖くなくなるでしょう。

参考URL:
http://www.lepetitprince.co.jp/contents.html
noname#37669
質問者

お礼

お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。 先の回答に続いて有意義なアドバイスをありがとうございました。 けれども頭では分かっていても、どうしても身体と心がついてくることが出来ません。 やっぱり私は人が怖い。 変わりたいとどんなに望んでもやはり無駄のようです。 貴重なお時間を無駄にさせてしまいました。 お礼・・・というよりお詫びを申し上げねばありません。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.4

まず喧嘩と論争は違います。 喧嘩はおっしゃるとおり相手は叩き潰し、全否定するものですが、 論争はお互い理解しあうためのものです。 口論や注意や指導などは論争の一部です。 批判や喧嘩、全否定と口論や注意、自分の意見を言うことはぜんぜん違います。 批判と注意、よく似てるように思えますがこれも喧嘩と論争の違いと一緒で全否定するために言っているのか、その人のレベルアップを祈って言ってるのか。 言う意図がぜんぜん違いますよ。 しかし、確かに意図しないことで傷つけてしまうこともあります。 でも、なぜ傷つけあってはいけないのでしょうか? 人間、相手を完全に分かり合うことは不可能ですのでどうしても意図せずに傷つけることはあります。 でもそれ以上に温かみを与えればいいではないですか。 ちょっとした傷を付け合うのを嫌がって、それ以上の温かみを得られないのでは人生もったいないと思いますよ。 優しさ、暖かさの意図をもって発した言葉で少し傷つけることがあってもそれ以上のぬくもりさえ与えられるようにしていけばいいのです。 自分も少しの傷の痛みより、それ以上のぬくもりを求めてみてはいかがでしょうか。

noname#37669
質問者

お礼

遅くにご回答ありがとうございます。 >全否定するために言っているのか、その人のレベルアップを祈って言ってるのか。言う意図がぜんぜん違いますよ。 仰る通りですね。 >ちょっとした傷を付け合うのを嫌がって、それ以上の温かみを得られないのでは人生もったいないと思いますよ その通りだと思います。 ほんとうにこれまで一体何を学んできたのでしょう・・・ 変われるよう努力したいと思います。 アドバイス感謝します。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

デジタル思考ってやつですね。「1でなければ0である」ってやつね。 考え方は人それぞれだと思いますが、私個人はホイッスラーの価値観には賛同しかねますね。ホイッスラーだって、いつも完璧な作品が作れているわけじゃないと思います。上手くいった作品もあれば、失敗作だってあったと思います。でも、ひとつの失敗作がホイッスラーの作品全体を否定するもんではないですよね。 黒と白の間には、無限とも思えるグレーが存在します。グレーは白ではないから黒なのか、あるいは黒くないから白なのか。考えたってしょうがありません。白100%でも黒100%でもないものをどっちであるかだなんて切り分けることはできません。 昔読んだ本にあった一節です。 著者は、平家の落人の末裔といわれる山深い土地に暮らす子供達と出会いました。学校へ向かう子供達はものすごい山道をぴょんぴょんと軽く歩いていくそうです。著者は思わず子供に声をかけます。 「君達は、達者だな。しかし、こんな険しいところで転んだらどうする?」 赤いランドセルを背負った女の子が大きな眼をくりくりとさせながら振り返ります。 「おじさんは、変なこと言うね。転んだら、起き上がればいいじゃないか」 著者は思わずハッとしたそうです。「転んだら、起き上がればいいじゃないか」いい言葉ですね。

noname#37669
質問者

お礼

わざわざのご回答ありがとうございます。 私自身、考え方や趣味の点で「アナクロ」だと自覚していて、また同時に 「アナログ」だと思っていましたが、あにはからんやバリバリの「デジタル」人間だったのかもしれませんね。 >「転んだら、起き上がればいいじゃないか」ですか。 ほんとうにいつも思うのは、頭では理解できても心だか身体だかがついてくることができません。 質問の最後に先の質問のURLを貼り付けておきましたが、 私の問題に先の質問で思わぬ良回答をいただき、 もっとこの問題を掘り下げてみたい、自分を変えるヒントが得られればと、この質問も立ち上げました。 自分が正しいことを認めてもらいたいのではなく変わりたいのです! 皆さんのカウンセリングを受けているようです。 よい言葉、ありがとうございます・・・

  • phobus
  • ベストアンサー率33% (39/115)
回答No.2

自分に否定的な意見を言われたら、誰もが少しでも腹を立てるのは当たり前だと思います。 でも腹が立つからこそ言い返すという勇気も時には必要だと思うのです。 喧嘩は決して悪いものではありません。 相手が何に怒り、どうしてほしいのかわかるもの… 相手を理解する道具の一つだと思います。 質問者様はおそらくプライドが高いのでしょう。 でも小心者だから言い返すことも出来ない。 だから相手に言われたことを受け入れられない、 ならば自分から関係を切ってしまおう…と、 第3者の私はそう思うのです。 相手のことが全て受け入れられる人間なんてこの世にいないと思います。 ましてや、自分にとって完璧な人間も今までに1人もいません。 その現実をもっと見つめなおさなければいけないと思います。 言いたい事は言わないと一生このままですよ? 自分は言いたい事も言わない→だから相手の意見も受け入れない なんていうのは、傍から見ればただのエゴです。 もっと大人になってください。 という意見を言っても、貴方は理解できていないでしょう。 一ついっておきたいのは、否定と注意は違います。 注意するのはその人に関心があるから。 関心がない人に注意なんてしません。 その人がこの先何処で恥をかこうが、私には知ったこっちゃないから。 お茶の飲み方を否定されたのではなく、注意されたと思えませんか? なんでもマイナス思考なのもいけないと思います。 あまりに悩んでいるのでしたら、医者にかかるのも一つの手ですよ。 心療内科などで相談に行くのも良いと思います。 もっと自分を見つめなおして、これから他人とどうして行きたいのか、 友人やパートナーがほしいのか真剣に考えるべきです。 ほしいと思ったら、そこからが貴方が変わるチャンスなのですよ。

noname#37669
質問者

お礼

早速のお答え感謝します。 >という意見を言っても、貴方は理解できていないでしょう。 いえ、そんなことはありません。 人が私を傷つけるつもりで言っているのか、 そうでないのかはわかります。 >相手が何に怒り、どうしてほしいのかわかるもの… >相手を理解する道具の一つだと思います。 その通りだと思います。 ・・・いちいち仰ることよくわかるので、丸ごとの引用は控えます(笑) ただ、 よく言われることですが、私はそんなにプライドが高そうな奴に見えますか? 「小心者」というご指摘はその通りだと頷けますが、 ご回答にあるように、なんでもマイナス思考の私は、 人からプライドが高いといわれると、 「小心者」と言われたときのような「実感」がないのです。 お察しの通り、わたしはもう何年も精神科にかかっています。 「自己愛性人格障害」とか「ボーダーライン・パーソナリティ」と診断されたこともあります。 ほんとうに自分を変えたいと思い、 カウンセリングにも臨んでみたいと思っています。 励ましのお言葉、 改めてありがとうございました。

noname#36252
noname#36252
回答No.1

私もできないです。 喧嘩すること=言い争い、自分のやり方を押し付けること、と感じますし、そういう闘争だと思います。 ある精神科医に言われた言葉ですが、批判を加えたとき、人間関係は終わりになる、と言われたことがあります。やっぱり、あなたの言うことと同じに真理だと思いますよ。 人間関係を続けようと思ったら、相手を全て肯定しなければならない、かなり至難の業ですが、私も実行しています。というのは、私も職場では、八方美人でいたいし、家族には自然体で愛されたい、そういう望みがあるからです。せっせと精神科医の教えを実践しているわけです。 あなたがもし、パートナーを持ったとき、彼女の横顔が美しければ、その角度からのみ眺め、唯一の欠点には片目をつぶることです。彼女の全てをありがたいありがたいと受け入れましょう。 セックスにおいても、相手を批判すると言うことは、完全に失礼です。彼女の身も心も美しいと受け入れたとき、本当に配偶者に恵まれるのです。覚えておいてください。 夫婦愛においても、相手に不満や愚痴を言った時、もうのびのびとした関係は望めないでしょう。 批判からは何も生まれない、賢い人にはそれが生まれついてわかっています。

noname#37669
質問者

お礼

真っ先のお答え、ありがとうございます。 冒頭の4行、ショックでした・・・ けれど、私の意を汲んで下さっているようで、 なにか割り切れないモヤモヤが残るのです。 私の言い分が正しいと仰ってくださっているように聞こえると同時に なにか違和感を感じてしまいます・・・ それがなんだか私にもわかりません。 改めてご回答にお礼申し上げます。