ニーチェ哲学の凄さは、「キリスト教的伝統が後退したことにより人は自由を手に入れた。しかし、人はその自由を上手く使いこなせない」という事を鋭く指摘し、それをルサンチマンやニヒリズムとして体系化し説明した事ですね。
ニーチェ哲学の根幹は、ルサンチマンやニヒリズム以前に、「神の死」であろうと思います。
「神の死」というのは、結構有名な言葉なのですが意外と理解されてない言葉でもあります。
ココで言う「神」とは、当然伝統的なキリスト教の神なのですが広く一般に宗教と置き換えても差し支えがない気がします。
彼の後継ともいえるハイデガーは、ニーチェの言う神を「神とは、さまざまな理念と理想との領域を示す名前」であると指摘しています。
つまり、宗教的なモノが担っていた分野(自然法則、倫理・道徳など)を「人間の理性」が担うようになった。(これは主に近代啓蒙思想に依るところが大きい)
結果として、「神の国、ユートピア、イデア界etc,,,」など人が逃げ込めた「彼方の世界」が崩壊し、(彼方の世界に逃げ込むことは)「現実から目をそむけた退廃した生であった」と喝破された状態へと置かれることになりました。
また、これは同時に「絶対的な価値基準の喪失」をも意味します。
中世を通してキリスト教社会の価値基準は神にあった。(或いは神の名を借りた教会)
しかし、その「絶対的な価値基準」は人間理性によって崩壊し(神の死)、人の理性に委ねられることになる。
「絶対的価値基準」が喪失したという事は、善悪の判断も道徳心も「蠣の好き嫌いのようなモノ」になってしまったとラッセルは言ってます。
結果として、人の欲望は抑制されることはなく増大する一方である。
そして人は「目標もなく”何故?”に対する答えも欠けた」状態に陥り、「至高の価値が無価値」になってしまう。(これがニヒリズム)
ニーチェはニヒリズムに晒された人間は二つの道しか残されていないとしました。
一つは「おしまいの人間」。
これは、簡単に言えば群衆に埋もれ個を滅却した群衆の一部、畜群である。
自由を自ら放棄して他者に委ね、他者に埋没し安全のみを図るのである。
もう一つは「超人」である。
こちらは、ニヒリズムを素直に受け入れ、自ら価値を創造していく生き方である。
しかし、その末路はエゴスティックな個人主義へと走り、無慈悲、無信仰、無感情という非人間への転落である。
ティーリケは、「ニヒリズムは自我の崩壊へと導く」と指摘している。
しかし、人は第三の道を生み出した。
神に変る新しい信仰対象(支え)を生み出したのである。
その典型的なのが「資本主義=お金」である。
現代の我々は、ニヒリズムから逃げるために「資本主義」を打ち立て、社会にとっては「経済成長」が、個人にとっては「豊かで便利な暮らし」が神に変る「添え木」となった。
しかし、今はその「虚構」さえも暴露されようとしている。
今は、正にニヒリズムから逃げる為の道具、「資本主義」に変る道具が必要であろう。
・・・と、以上は稚拙な私のニーチェ理解です。(って、前置き長すぎましたね、すみません)
>ニーチェは超人思想に生きようとして発狂していましたが、現代までに彼のいっているニヒリズムや禁欲主義からの自己批判を乗り越えた思想家はいるのでしょうか??
どうでしょうか、、、。
「神の死」を乗り越えた人は居ないんではないかな~と推測します。
個人的には、捨て去ったモノ=宗教を今一度再構築し直すことしかない気がしますけど。
以下は、上記のニーチェ理解に至った書です。
参考になれば幸いです。
「神の死」理解に、、、
ヴィルヘルム・ヴィンデルバント著『歴史と自然科学・道徳の原理に就て・聖―「プレルーディエン」より』 (岩波文庫)
ハイデッガー『ニーチェの言葉・「神は死せり」,ヘーゲルの「経験」概念 』(多分、全集に入ってたと思います)
※因みに、「神の死の始まり=神に変って理性が取って代わる」はヘーゲルの影響大なようです。
ニヒリズム理解として、、、
ホルスト・E. リヒター著『神コンプレックス』(白水社)
エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』(東京創元社)
H.ティーリケ『ニヒリズムの時代』(創林社)
でも、手っ取り早く理解できるのは、、、
松木 真一 編『神の探求―現代のニヒリズム・科学文明・宗教紛争の世界の中で (現代キリスト教思想講座 1) 』
の中にある、「第一章・死んだ神の追悼会」ですね。
大学の授業の教科書として買わされたんですが、参考書が今まで読んだ本と結構重なってたり、自分の考えに近かったりしてビックリです。
で、この本で知ったんですが
「超人」理解のお薦めとして
ドフトエフスキー著『悪霊』『罪と罰』など
だそうです。
これらの著作の主人公が、超人の典型としてあげられていました。
では、長文で失礼しました。
お礼
回答ありがとうございます。 >>質問者さんの問題意識の所在が、なんとなくつかめてきたように思います。 なんか心配してもらったみたいで嬉しいです。身体の中から少しシャボン玉がはじけましたwww >>つまり、質問者さんはいま、なんというか、生きにくさみたいなものを感じておられる。 生きにくさ・・・う~ん、まぁそんなとこです。正確には、この世の中に価値を感じない&それを否定したい自分がいるが否定せざるを得ないことに苛立ちを感じるって感じです。 それで社会を見つめ自己を見つめた漱石の見出した価値を参考にしたかった。 また、西洋に『神は死んだ』と言われて、西洋人はどのように価値をみいだしていったのかが知りたかったのです。 出来事は終わってからしかわからないのは理解しました。また確かにニーチェがいったように、生物それぞれの力の意思によって解釈は異なるので根本的なところまでは到達できないでしょう。 しかし、自己の肥大化の葛藤、自己肥大と禁欲主義のジレンマ(善と悪の喪失)など共通項があったので・・・。 あまり、僕は神とかは興味ないんです。あまり信じてませんし、どうでもいいっていうか・・・完全にニヒルですね。 教えられた(神によって作られた)善悪の判断が今の世の中との矛盾を感じ、自分の人格&この世の全てを全否定しちゃいそうになるんですよ・・・。 今は何も救う手立てがないので、哲学や社会学、心理学の本を読んでいるのですが。結局、何も得られないのではないかと怖いです・・・。 たくさんの本を紹介していただきありがとうございました。