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けんかをしては 何故 いけないのか
ここでは けんかを 口論にしぼってください。 つまり 自己批判をふくめて 批判をすることです。 存在を愛し 思想や行動を憎むことです。 なぜ いけないのでしょう? 理由が分かりません。おしえてください。
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ここで100をとらせていただきます、仁科です、 おじさんお久しぶりです、 口げんかは、良いと思います。手が出るよりは、ましですし、 競いあうようなスポーツは嫌ですが、 絶縁は互いへの臆病さを増しますし、ここち悪く、 自分自身と口げんかできないひとは、まずいです。自身との絶縁ですから、 自己批判できないひとは、建設的な口げんかをできないと思います。 自己批判できないひと同士のけんかは、怖いので否定の対象です。 口げんかに止まらず暴力になり心身を壊しあうことになりそうなので。 自己批判できる人どうしだと口げんかは長引かないかもしれません。つつましいでしょうし。 けんかしつづけるということは、両者ともにか一方に自己批判するスキルがないということなのでしょうか、 互いを批判するよりも多くまざまざと自己批判を開示しあうのが良いのかもしれません。 互いの精神性や人間性に関し建設的であるには。 ひとびとが自己批判のスキルを高めてゆくには。 頭と言葉を使い陰気な精神のストリップをどこまでもするのが良いのだと思います。 徹底的な自己批判、自分と向き合うこと、自省を、したことがない人は、けっこう多いと思います。大人にも、 自己批判のしかたを、あまり学ばないかもしれません、 自己批判に関して、ひとびとは教育も開発もされず、 ほとんどの教師も親も自己批判なんかしていないかもしれませんし、 思考停止の世の中で、自分は正しいのだという態度の人や集団や情報ばかりが満ちていますし、 私はかなりパラノイアっぽいせいか自己批判という言葉ばかり記述しますが、 きっとブラジュローヌさんは自己批判してきたでしょうし、しているでしょうけれど、 他者に対して自己批判よりも他者批判を多く示しがちなのかも知れません。 対話において剛と剛とでは互いに警戒しあい心の耳を閉ざしあいます、たぶん、 なので、すきを見せるとよいと思います、 弱みや、くよくよしている感じ、自信のなさを、垣間見せるとよいと思います、 そうすりゃいちころです、不完全なものに日本人は弱いかもわかりませんすら、 あえて、おやおや、おじさん負けちゃったようだ、というのは余裕なのですが、 そういう嘘や演技じゃなりません、 子どもの水準は大人よりも上です、たぶん、 大人なんか、いないのです、こんな分業ばかりの社会に一人前の人なんかいません、 狂おしい社会に順応してしまった大人は、完成度の高い狂人ばかりです。 交換券(貨幣)や労働や国などの、反アナーキーでヒエラルキアなものがひとびとを不出来な生きものにしています、 部品になっている社会人より、まだ分裂していない子どもたちのほうが個体としてはまだまともで、 未熟な大人、すなわち子ども、つまり私は健やかなのかもしれません、 私は不完全で、自信がなく、それゆえにとても謙虚で、謙虚でもなく、なんだか正しいようで、 正しいというか健やかです、不完全であるがゆえにか健やかです、 今日も私は健やかです、おはようございました、 私にとり他者一般は狂人で、ひとびとの心は壊れていて、 もう大破しているものならいっそ全壊させたいという思いがあるのか、 他者の心をすきあらば壊したがるのは私の癖としてあり、弱いものいじめは面白く、 子どものざれごとは、狂いっぱなしの大人らのたわごとより健やかなのかもしれません、そう信じます、 大人はペニスも汚ければ組織の汚い秘密をも隠すので否定の対象です。
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- 阿加井 凛悟(@neutral)
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葡羅儒論禰さんこんばんわ。 ドロンジョ・・・もとい・・・トンヅラ~な5番です。 ご返信ありがとうございます。 >これは 人間違反です。 :ああそうか、そうかもしれませんね。 ケンカも売れない女は、女違反、(*^_^*) ケンカも買えない男は、男違反、(*^_^*) なのかもしれませんね。 しかしどうなんでしょう。 お受験とか就活とか婚活とか労働ノルマ、 そういう道具を用いることによってしかケンカをしたことがない、 という状況の場合、 「存在を愛する」方法をあまり知らない、 「ケンカをする」やり方をあまり知らない、 という期間がある程度あるのは仕方の無いことで、 とりあえずある期間モラトリアムをもらって 「ケンカ」を免除してもらって、冬眠倉の中で考える、 そういうのがあってもいいんじゃないかと思います。 しかしそれではつまらないですし、 そのつまらなさに耐えるのも無理でしょうから、 これから流行るんぢゃないですかね、けんか。
補足
neutralさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 最近 わたしは 自分が ぶっきらぼうだと つくづく 思うようになっていますが やはり 昔からのことで neutralさんのNo.5でも 考えてみれば 輪をかけたように 愛想なしですね。われながら。 ただ 自分で自分を擁護するのですが このぶっきらぼうは 必ずしも 相手に向けてではないのではないか。相手とわたしとの中間のあたりで とどまっている。もしくは そこから 煙のごとく 上の方に向けて 上がっていって消える。のではないか。こんなふうに みづからをなぐさめています。どうでしょうか。 ★ これから流行るんぢゃないですかね、けんか。 ☆ どうですかねぇ。大昔には けっこう 見られたものですが そして それは そんなに あと腐れもなく けんかし終わったというような新たな情況が 現われたようにも 記憶しているのですが どうなのでしょう。 ですから そういう昔の経験が積まれて来ているのなら もう それほど けんかせずとも よいではないかとも 思います。食うものもろくになかった時代に 一般に ちょっとしたけんかで済んだということですから いまでは しっかりと みなが 互いに 自由に 自分の考えを述べあって しかも つねに より一層 妥当性のある見解や施策を えらぶようにするということも 出来るのではないかと 思えて しょうがないくらいなのですが どうなんですかねぇ。 ★ とりあえずある期間モラトリアムをもらって / 「ケンカ」を免除してもらって、冬眠倉の中で考える、 ☆ たとえば 小学校の生徒会(いまも そう言うのでしょうね?)やクラス会 これらを すべて 生徒たちの自主的な運営にゆだねては どうでしょう? いぢめの問題も 何もかも 自分たちで 共同自治をおこなうというものです。きっと いい知恵が出てくるのではないでしょうか。 わたしは 三十歳まで 社会の成り立ちが分からなかったのですが 小学校を出るまでは――教科書に書いてあることは 分かりましたが―― 社会ということが分からなかった。直接に生徒たちと接する機会はないですが テレビででも見る現代の小学生は まったく しっかりしていると いつも 感心しています。あれなら 共同自治をやっていけるのではないでしょうか。 そういう経験をしておけば その後に モラトリアム期間を必要とすることも なくなるでしょう。どうでしょう? 答えないという場合には 逃げる / はぐらかすが 問題でしょうね。 と おおきな顔をして えらそうに言ってまいりましたが 今後とも お叱りをも どしどし ご投稿くださいませ。 もう一点ですが たとえば いまこの《けんかをしては 何故 いけないのか》という問いに対してにせよ ほかの哲学カテゴリの質問にせよ けっきょく 一般によく見られる傾向としては――その悪いと思われる場合ですが―― 正解というモノがあるというかたちで 回答を寄せることではないでしょうか。 もう少しましなのは これこれの解き方がありますよという回答を寄せる。むろん 回答でないとは言いませんが もっと 自分の見解を ふつうに 述べればよいと思われるのです。それが 哲学なのですから。 誰かえらい人がこう言っているとか そこは こういう場合もあるから それを考慮に入れると 何とも 明確な答えは 出せないとか――何か 自分の意見を出すと いけないことでもしたことになるかのように 思っているかに見えます。 《これは 素人のわたしの意見に過ぎませんが》とか 《単なる私見ですが》とか 分かり切ったことを 断り書きしているのを 見かけます。何の意味があるのでしょう? そういう場合は 往々にして 自意識が余分にあるように思われます。言いかえると まだ けんかをしたという経験に乏しくて ひととのコミュニケーションの取り方が うぶであるように思えます。 わたしは 日本人は けっこう 議論好きであるとさえ思うのですが どうでしょうかねぇ。 少々 おしゃべりが過ぎたかも知れません。ご投稿に感謝して それでは。
- pokoperopo
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ぽこぺろぽです。モア君のファーストネームはトーマスといいます。そういうわけで以前に私が夢想した『ユートピア』についてお話します。 独身の私は老後のことを考えたとき、はたして孤独に堪えられるだろうかと不安になりました。もちろん経済的な不安も拭い去れません。ならば同じ境遇の人達と肩を寄せ合いつつも、そのライフスタイルをビジネスにできないかと足りない頭を廻らせたわけです。 ぽこぺろぽ大家兼管理人の『帝国憲法』の元に単身居住者を募り、六畳一間の個室を与える。家賃は格安とする代わりに、清掃や炊事をはじめとする雑用はすべて持ち回りとする。建物の構造は必ず談話室を通らなければ自室に出入りできなく設計される。家電製品なども共用を基本とする。各自、必ず外部から収入を得る(年金可)。 しかしこのシステムではビジネスとしてより、おそらくケンカが絶えないことから破綻すると推測をしました。それで構想を練るのをやめてしまったのを、『新しき村』のお話で思い出しました。どういうケンカが考えられるでしょうか?また対案として、現実的な単身者の共同生活形態はどういうものでしょうか?ブラジュロンヌ社会経済学研究所の研究リポートの作成を依頼します。
お礼
ぽこぺろぽさん ご回答をありがとうございます。 ★ また対案として、現実的な単身者の共同生活形態はどういうものでしょうか? ☆ これはまた 具体的な問題ですね。おひとりで考えるのもよし みなで集まって事前に考えあうのもよし あるいは 自治体やら企業やらが創案したり援助をしたりするのよいのではないでしょうか。 つまり みんなで考えましょうというきわめて横着なお応えになってしまいます。 ★ ぽこぺろぽ大家兼管理人の『帝国憲法』の元に単身居住者を募り・・・の場合 どういうケンカが考えられるでしょうか? ☆ 生活の最低限のところは 満たされていて 経済的に安定していれば そうは けんかは 起こらないのではないでしょうか。起こっても たいていは 解決していけるでしょう。 ★ ケンカが絶えないことから破綻する ☆ とは 必ずしも 限らないように思うのですが? 大人なのでしょう? 居住の形態も 大事だと思いますが 何をして 暮らしていくかが 重要であるように 考えます。年金生活と決めているのなら あとは たしかに そのライフスタイルじたいを ビジネスにするのもよいでしょうし ほかのビジネスを起業してもよいと思いますが 共同体のための仕事を 自治体とともに組んで 分担していってもよいのではないでしょうか。 そういう談話室もしくは 寄り合いの場を 自分たちによっても 自治体とともに図ってでも 作っていくとよいと思います。そういえば 《コミュニティー》という看板をかかげた建物を いくらか 町で見かけるのですが そういう場なのでしょうか。この点 わたしは うといです。 いえいえ 無理ですね。具体策は まだまだです。どうしましょう。
- pokoperopo
- ベストアンサー率28% (104/359)
ぽこぺろぽです。またしても『迂回生産』という名の《時間稼ぎ》という「大ぽこぺろぽ民主帝政人民共和国」の【伝統芸能】ともいえる、姑息な手段で休戦交渉しつつも明らかな思索の進展は見られませんでした。よって草木も眠る丑三つどきさえすぎようとしています。というわけでこれからブラジュロンヌ大佐の寝込みを襲います。 まあ、アウちゃんはああいう方でしたから、こじつけだけは名人級ですよね。アウちゃんがもう少し素直だったら、ぽこぺろぽ牧師が誕生していたのかもしれません。アダムの肋骨から女が創られたのなら、『実父』『義父』の区別は気にしなくてもよいでしょう(私は名古屋圏に住んでいますが、地元ラジオ局の愛称は『ZIP(ジップ)』、そのお隣りの県は『岐阜』ですが、ぽこぺろぽ的には特に気になりません)。 近親の婚姻を禁止すること則ち『開かれる』とはいえないでしょうね。外に向けて『拡がる』ことと社会的に開かれていることはまた全然別の話です。日本でもひと昔前までは【イトコ婚】は盛んに行われていました。遺伝優性学的にはかなり問題があるようですが、『氏族』の拡がりは見せなくとも密度は上がるわけですから「ムラ社会」的には好都合だったのでしょう。 しかしどうでしょう。古代イスラエルは愛と婚姻は分けて考えていたはずです。それより近親婚の禁止によって婚姻関係を複雑化し『関係性の交通網』すなわち骨密度を上げて、『部族』社会という強靭な肉体を作り上げたかったのではないでしょうか。 理想主義社会といえば動物行動学者の竹内久美子によると、「キブツ」では幼なじみ同士の結婚はほとんど見られないようです。「ヤマギシ会」でも子供を肉親と離して育てるため、幼なじみを兄弟姉妹に擬似化されると考えられ、ますます近親婚は忌避されるはずというのが、理想主義社会全般に当てはまるとする「ぽこぺろぽ大帝」の見解である。モア君にも迅いてみたいものだがね。 そういえばマイマイサスさんが、ブラジュロンヌ大佐とのケンカの形勢に関する私の見解を大変気になさっていました。少し客観視が苦手なようですね。しかしそれがマイマイサスさんの最大の美点だとも思います。
お礼
ぽこぺろぽさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 そうですね。アウグスティヌスの議論は きわめて幼稚なだけではなく 論理が破綻してもいるでしょうか。 そのご批判をすべて受け容れます。そのように訂正いたします。お騒がせして 澄みません。 そうですね。一点 汲むべきことも ありますかね。 それは 《近親婚の禁止》という言い方ではなく そうではなく 《愛が外へ向かうようになるにつれて もはや 近い身内に向くことも おのづから なくなった》という言い方をしている点です。これも 単なる言い方の問題であるとは 思います。わづかに こころの明け もしくは 伸びという問題にかかわっているかに思えましたので 汲むべき点として 触れました。 ★ 古代イスラエルは愛と婚姻は分けて考えていたはずです。 ☆ このご指摘の問題について さらに伸ばすべきだとお考えになるなら そのように進めて行ってください。そのときには 勉強して ついてまいります。いまのいまは 残念ながら しゃれた応答をお返しする情報(知識)がございません。 ところで ★ モア君 ☆ て だれですか? ★ まいまい・・・ ☆ さんにつきましては わたしは 知りません。もし九十九匹に対する一匹に相当する方であるとすれば それでも わたしは知りません。一人の人間がすべてのひとを説得することは出来ないからです。《わたしは 知りません》 このひとことです。文字通りにです。
- shikaruni
- ベストアンサー率20% (19/95)
そうですねぇ。交通網としては、 議論して共に解決しようとしているわけじゃありませんし、 もっとお気軽に投稿しているだけなのに、 いや、お気軽かどうかはどうでもいいのですが、 バッサリ切ってしまって、共感できていないのが、冷たく感じるのですね。 回答が尊重されずに(器量がない。冷たい。)、反論が多い⇒意見交換というよりも押し付けている印象。 みたいなことになってると思います。 > ☆ けんかは 少々無理をして お望みのことばを吐くとすれば 好きですが 戦争は 論外ですねぇ。けんかも そうは言っても 存在を愛し 生かすために するのですよ。そういう場合というのが どうも あるようなのです。 > ★ やっぱり支配して何が悪い?って態度なんですよ。 > ☆ ということは わたしは いま 誰かを《支配している》という現実があるという意味ですか? 現実かどうかはわかりません。 上の感想もそうですが、"回答を無視して"、話をそらしたり反論するっていうところに、 ⇒押し付けている印象、支配しようとしているという印象になります。 その、尊重を感じさせないところが、戦争みたいな口論だなという印象です。 また、私は別にケンカはだめって言ってるわけではありません。 >けんかも そうは言っても 存在を愛し 生かすために するのですよ。そういう場合というのが どうも あるようなのです。 そうですね。あると思います。 > ★ 私にとって、論述なんざ、どーでもいいんで、素直であるか、愛が深いかなどの人として根本的に大事な部分が最重要です。 > ☆ そうですか。たぶん この部分を取り上げると どうも わたしの文章から あなたは 洗脳されたみたいですね。ちがいますか? > 支配はしていませんよ。そんなひとは 要りませんよ。甘えないで 自分で しっかりと 考えるようにしてください。 > さらに 何でも いつでも いいですから 思いついたら 投稿してみてください。 洗脳というより、6~7割は、上記の印象を持ってます。理由もありますしね。通常たどるであろう印象ですね。 残りは、疑いですね。心が文章に出てないだけで、本当はどうだろう。と考えましたが、色々理由が出てくるので、疑いを封じて、書きました。 ※もう面倒くさいので詳細は書きません。 今は、さっぱりしすぎている方で、悪気はないのだろうと思うことにします。 でも、どうせ書くなら、"憎んで批判する"はNGでしょう。 憎む⇒怒りが連想されて、高圧的なイメージすら出てきます。単純にこれだけの話ではなく、上記も加味されての話ですね。 そして、しつこいようですが、理想から離れてますね。 理想は、"許して伝える"ですね。 憎しみが良いことだとするのが理解できませんし、もう理由も聞きたくありません・・・。 失礼しました。
- qsxdrfvgyh
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>要するに 《注文をしておいて 黙って勝手に 外へ出て行ってしまう》のは エチケット違反だ(あるいは 法律にも抵触するかも)というならわしを あまねく行きわたらせることは ファシズムですか? それは 洗脳なのですか? その設定に乗ってみましょうか。 注文した。ということは、何かを選択したのですね。 その選択する意思決定過程において、脅迫があったとしますか。 怖い人が経営しているらしいレストランだからです。 ぼったくりらしいのですね。早く逃げねば、被害が発生します。 被害を避け、相手方の脅迫も未遂に終わらせるには、黙って外に出るべきです。 礼儀知らずの行為という外形はありますが、これがエチケット違反ですか。 やはり、状況によるでしょう。 ファシズムとか、洗脳とか、そういう話とは違います。 例外の無い規則は無いとも言います。 有為なる相対世界は、不完全だからです。 毎度お馴染みの平行論議のようですね。 ゆえに、これにて退散です。また、暫らくさようなら。
- shikaruni
- ベストアンサー率20% (19/95)
どこまでも可哀想な人ですねー。 わからないふりして、自分の欠点と向き合えないのですね…。 心の問題に対しては弱いですね。 最初の方から、話そらすことばっかりして、全く素直さがない。 自分の弱さを論述の壁で見えないようにしてもバレバレですよ。 弱いものを弱いと受け入れられないのですね。 まぁ頑固…。 まぁ戦争が終わって、大して時間が経ってないから、支配していいってのがまだ無くならないのでしょうね。 また支配されてきたから、他人にもしていいって言い訳してるのでしょう。 もう、そんな、上から押さえつけるような時代は終わったんですよ。 レストランにしても、叱るよりも前に、双方の言い分を聞く。そして、その話を尊重しないことには、先へ進みません。 いくら正しいことや論理が通ってようが、尊重されなければ、聞く耳持たないのがわかりませんか? 排他的な様子が嫌われる要因ですよ。 私にとって、論述なんざ、どーでもいいんで、素直であるか、愛が深いかなどの人として根本的に大事な部分が最重要です。 論述しか受け入れず、論述でしか、負けたときに謝れないなんて、人として可哀想です。 あー根本がなってない。 エゴ大好きさんですものね。 エゴ解体しようとする人とは話が合いませんな。 人として大事な部分を忘れちゃったんですね。
お礼
★ (No.112) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ やっぱり支配して何が悪い?って態度なんですよ。 戦争好きですねー。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ けんかは 少々無理をして お望みのことばを吐くとすれば 好きですが 戦争は 論外ですねぇ。けんかも そうは言っても 存在を愛し 生かすために するのですよ。そういう場合というのが どうも あるようなのです。 ★ やっぱり支配して何が悪い?って態度なんですよ。 ☆ ということは わたしは いま 誰かを《支配している》という現実があるという意味ですか? ★ 私にとって、論述なんざ、どーでもいいんで、素直であるか、愛が深いかなどの人として根本的に大事な部分が最重要です。 ☆ そうですか。たぶん この部分を取り上げると どうも わたしの文章から あなたは 洗脳されたみたいですね。ちがいますか? 支配はしていませんよ。そんなひとは 要りませんよ。甘えないで 自分で しっかりと 考えるようにしてください。 さらに 何でも いつでも いいですから 思いついたら 投稿してみてください。 * あぁ やっと いま 分かった。そういう交通関係だったのか。 でもね。枝や葉を茂らせた大木は わたしではないのですよ。木陰にまどろむったって その木は わたしではないのです。 それは 見えないのですよ。たしかに わたしが 道案内になれるかも知れませんが 道ではないのです。道は 見えないのです。 わたしは 真理であり 生命であり 道であると言ったひとが いるのです。無根拠ですから 見えないのです。 信じると言うと ややこしい手続きやらあたまの使い方が必要だと思うかも知れませんが 受け容れるのです。飲み込むのです。何が中身だか分からないので ちょっとした 賭けですよ。飲みこむには。・・・次回また。
- pokoperopo
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ぽこぺろぽです。お話に出た「新しい村」と「ヤマギシ会」。この二つはプンプン臭いますね。胡散臭い農本主義が社会と人格形成に良い影響しか及ぼさないという、素晴らしく脳天気な悲劇性が見受けられます。典型的な《ヨセ》社会の成功?例ではないでしょうか。イスラエルの「キブツ」やペンシルベニアの「アーミッシュ」とも少し違うようです。 現にヤマギシでは表立ってはケンカは目撃されないそうです。彼らは原則として私有を禁じられており、考えられるかぎり共有で賄うそうです。思考においても自他の区別をつけないように諭されるようです。 しかしこのような「共有」を目指した、理想主義コミュニティーがカルト性を指摘されるのはなぜなのでしょうか?私はいつもそこで行き詰まってしまいます。ブラジュロンヌ大教授、どうかご教授ください。
お礼
《父》と《義父》とは二つの縁故の名称である。したがって人が父と義父とを別々に持つために 愛はより多くの人に広がる。だが アダムはかれの息子や娘たちにとって 一人でその両方を兼ねることになった。それは 兄弟と姉妹とが婚姻によって結ばれていたからである。・・・ もしそれぞれ別の人に分けられて 姉妹と妻が別の人であったなら 親戚関係で結ばれる人の数は多くなったであろう。しかしその時代には これら最初の二人から生まれた兄弟姉妹以外にはだれも存在しなかったのであるから そうするすべはなかった。したがって人口が増え もはや姉妹でない者から妻を娶ることができるようになった時には そのようにすべきことになったのである。こうして姉妹との結婚は何の必然性もなくなったばかりか それを行なうことは罪となったのである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ひと もしくは その一定の集団が 《開かれている》というのは こういうふうに 婚姻関係が 外へ向かうという単純なことなのでしょうか? ちがうでしょうか? ▲ 愛を非常にただしく知って ☆ というふうな言い方をもしているのですが どうなのでしょうか? もしそうだとすると ことは きわめて 単純な事態であるようにも また ないようにも 思えますが どうなのでしょう? 後者だという場合には 愛が あたかも 誘導されているかに思われるのですが これは どうなのでしょう? ★ 理想主義 ☆ においては この日常性としての愛のふつうの軌道に さからっているのでしょうか? ないでしょうか? これも また よく 分かりません。おあとがよろしいようで。・・・
補足
ぽこぺろぽさん ご回答をありがとうございます。 《キブツ》は いまは 資本主義的な企業になっていると言いますね。《ア-ミッシュ》は よく分からないですね。 単純に捉えるなら これら二例は 外の社会も おおきくいわゆる宗教としては 同じ部類に入る場合なのでしょうか。ア-ミッシュでは いや 違うという感覚も信念も あるのでしょうか? 《新しき村》は 今は 埼玉で ▲ (ヰキぺ) 2006年現在の村内生活者数は23人。村外会員は約200人ほど。 ☆ で 続いているのですね。《ヤマギシ会》は なお盛んでもあるようですね。 ★ 《ヨセ》社会の成功?例 ☆ ヨセ社会の裏返しとしての ヨセ社会 なのでしょうか? 信条としては 正統をかかげるイリ歴史知性の社会と言うでしょうね。 ▲ (ヰキぺ:ヤマギシ会) ~~~~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%82%B7%E4%BC%9A (α) ジャーナリストの斎藤貴男はこのような活動を自著『カルト資本主義』において、日本企業のユートピアであると評している。 (β) また、ヤマギシ会の思想と論理を吉本隆明は自著『中学生のための社会科』において、 「大なり小なり政治的(つまり社会集団的)理念と論理に関わりをもつ思想ははじめから開かれていなければ「ユートピア」社会を作り得ない。」 とレーニンやスターリンの失敗例を挙げて痛烈に批判した。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ (α)は レッキとした《イリ》人間の集まりだと言おうとしているのでしょうか。(β)は どういうことを言おうとしているのでしょう。 《開かれていなければ》というとき その村が 外の社会に対して《開かれている》かどうかを言うのでしょうか? 経済活動などを通じて 交通はあるようですね。 私有財産の禁止(放棄?) 共有財産制――どうなんですかねぇ。 山の神や海の神から与えられた獲物という思想において 皆で分配するという考えと はじめから財産を共同の所有として そこから それぞれが 自分の必要を満たしていくという仕組みと どうなんですかねぇ。 ★ カルト性 ☆ にかんしては 《反社会性》と規定すれば それは もともと 《ヨセ社会に対して 反措定として 生まれた》のであるときには そういう傾向を とうぜん 持つでしょうね。 吉本隆明が出たところで 近親婚が禁忌となっている習俗について かれが 述べているところを聞きます。 ▲ (吉本隆明:書物の解体学) ~~~~~~~~~~~~~~ 現在のところ 近親婚が禁止された根拠について たったひとつの理由しか述べられないようにおもわれる。一口にいえば《家族》の共同体が 《氏族》の内部で 独自の 縮小された 内閉的な位相を獲取するようになったこと いいかえれば 《氏族》の共同体が 《部族》共同体へと飛躍する契機を獲取するようになったこと それこそが近親婚の《禁止》をもたらしたのだと。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ どうも こういうふうに ひとが 家族としての集まりの凝縮と強化を成し遂げると そこから かえって 外へと 《開かれている》状態になる。ということなのでしょうか? 例によりまして アウグスティヌスは 《最初の時代の結婚には 後の時代(つまり 禁忌が持たれるようになった時代)とは 違う婚姻の法があった》と言って えらい幼稚な議論を展開しています。 ▲ (アウグスティヌス:神の国 15・16) ~~~~~~~~~ 人類はちりから造られた男と その男の脇腹から造られた妻との最初の結びつき以来 男女の結合によって子を生み 子孫を増やさねばならなくなった。しかも これら二人から生まれた者以外にはどんな人間もいなかったのであるから 男たちは自分の姉妹たちを妻にしたのである。 このようなことは古い時代に遡るほど たしかに必要に迫られて行なわれていたが その後は宗教によって禁じられて ますます罪とされるようになった。 というのは 人びとは愛を非常に正しく知って 和合を有益で尊いものと考えるようになり 種々の縁故関係の絆によって結ばれることとなったのである。しかも一人が一人の内に多くの関係を持つのではなく それぞれの関係がそれぞれの人の内に散らされて こうして社会生活の結びつきをより強めようと 多くの関係が多くの人びとをつなぎ留めるのである。
- qsxdrfvgyh
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>まあ 《すっとこどっこい》呼ばわりは 決めていたとおりに お詫びします。お詫びして 撤回します。ごめんなさいませ。 《すっとこどっこい》という記号が名残惜しいですが、了解しました。 ★ まず、「《ならわし》を あまねく行きわたらせる行為」 をファシズムとは、定義しないと思います。 ☆ よかった。これが ちがっていたら 困ったことになっていたでしょう。 はい。共通認識です。 ★ また、《ならわし》を あまねく行きわたらせる行為 というのもよく分からない表現で、あまねく行きわたったから、《ならわし》になったという方が、適切ではないかと思います。つまり、順番が逆でしょう。 ☆ よく 考えてみましょう。昔には どうも 行なわれていたようだという研究発表があったわけです。その時代における《ならわし》であるでしょう? ですから ○ 昔の 《ならわし》を ふたたび〔現代社会に適したかたちに編み直して〕 あまねく行きわたらせる行為 ☆ と言えばよかったということです。ですね? なるほど。昔の《ならわし》を現代に応用する・普及する活動のことでしたか。それでも、やはり、ファシズムとは言わないでしょう。ここも共通認識です。 ★ では、No.110の問いにお答えください。 ☆ じつは 何を隠そう その意味が 採れないのです。回答としての意味が どこにあるのか 一向に 理解が行き届きません。どう問い返せば よいのか これすらも おぼつかない状態です。そもそも ★ 「ファシズムの匂い」 ☆ とは 何のことですか? それは、ファシズムっぽいという意味です。厳密な定義のある用法ではありません。 ★ アーリア人至上主義、ユダヤ人絶滅収容所送りを暗示したつもりでした。 ☆ こんなことを よく 出して来れますね。たぶん わたしのどの文章が 原因となっているのか そこを明らかにしてくれると いいのではないですか? ここは、bragelonneさんの直接的な記述からではなく、一色に染め上げるファシズムという表現から連想する暗示ということです。 ★ つまり、bragelonne至上主義、相手方主張の抹殺の暗示です。この比喩が適切かどうかは、自信がないので、「感じ」という弱い表現にしたつもりです。政治思想のどうのこうのではなく、比喩の適不適だと思っています。 ☆ これも 事例をめぐって 議論するのが いいでしょう。 ここが僕の言いたかった部分で、事例を挙げませんが、印象として教化・洗脳が見えたように思ったわけです。ですから、自信がないと言っています。勿論、明らかな思い違いや誤認識を正すことは、相手方の主張を抹殺するというものではありません。 ★ 一番の論点は、「多様性に対する態度」です。何々以前だとか、以後だとか、妙な線引きをせずに(逃げずに)、対等に尊重するのか、根絶又は服従に拘るのか、はっきりしてくださいね。 ☆ 《レストランに入って 注文をしておきながら 黙って外へ出て行ってしまう》 この考え方と振る舞いが いけないのは 個性や多様性の以前の問題だと 明らかにして 説明していますから それに対して 理論をぶつけてください。 失礼な振る舞いのレベルは、勿論、多様性の問題ではありません。しかし、これだけは明らかにしておきます。仮に失礼であっても、黙って外へ出て行ってしまうだけの理由がレストラン側にあれば、受容できる場合もあると思います。状況次第としておきます。 ★ 僕の結論は、対等に尊重しあう口論は大いに結構、支配と服従の関係を迫る口論は、下品だなという印象です。 ☆ 上に触れた 外へ黙って出て行ってしまう行為に関して 批判しては いけないですか? こういう質問です。批判するときにも むろん 存在を 愛し《対等に尊重し》 おこなうのです。それについて きちんと 触れてください。 批判を封じません。批判する立場も理解します。相互の完全なる理解は不可能という前提なので、万人の完全一致はないと思っています。 どこから ★ 支配と服従の関係を迫る口論 ☆ になるのでしょう? そういう疑いが どこから 出てくるのでしょう? レストランでのエチケットを 守らなくてもよい場合は――それとも―― あるというご主張なのでしょうか? 支配と服従の関係を迫る口論というのは、一方が他方を屈服させるような口論という意味です。価値観の違いがあるときに、排除するような振る舞いのことです。この世は不完全なのであって、完全はないからこそ、一点に集約することはないだろうと僕は思うのです。 >そこのところを しっかりと 明らかにしていないならば いったいどういう回答であるのか その意味が取れません。おわかりでしょうか。 僕の世界観は、世界は不完全だというものです。ですから、完全なものはなく、普遍的なものもなく、全体主義も無理なことだと思うわけです。物質と反物質の対称性の破れ(不完全性)で生じている宇宙が完全なわけがありません。そういう意味です。
お礼
あぁ ひとこと 分からん。です。 推測しうるところとしては ★ 世界は不完全だ。 ☆ しかるに ひとにエチケットを守らせるという行為は 不完全さを侵そうとするものだ。ゆえに しては いけない。 こういう論理くらいですかねぇ。 あーぁ どなたか 解説していただけないでしょうか。質問者から このNo.113およびその関連の文章について 分かるように解釈・翻訳してくださいという補足要求を出したいと思います。どなたか よろしくお願いいたします。 何を回答とし 何を わたしに要求しようとしているのか おしえてください。 わたしが 回答者のだれかに その回答内容を批判して 屈服させようとした ということでしょうか。 ★ 事例を挙げませんが、印象として教化・洗脳が見えたように思ったわけです。 ☆ これだけ ふつうに 語りあっているのに いったい 何を見たというのでしょう? 《事例を挙げない》で そういうふうに 相手を批判するというのは 言いっ放しであって そのぶん 名誉毀損につながりますよ。 ★ 仮に失礼であっても、黙って外へ出て行ってしまうだけの理由がレストラン側にあれば、受容できる場合もあると思います。状況次第としておきます。 ☆ こんなふうに 勝手に 情況を作っては だめですよ。やむを得ない場合でも 一般には 注文をしたけれど 緊急事態だから このまま出て行きますと レストラン側とかけ合うのが ふつうです。もし レストラン側に 落ち度があるのなら それを 明らかにして 伝えるのが ふつうです。勝手に黙って出ていくというのは よほどのことがなければ ないでしょう。 ★ 状況次第 ☆ と言うのは どういう場合でしょう?それを明らかにすることができれば たしかに 多様性の以前の問題であると言った点は 撤回せねばならなくなるでしょう。 要するに 《注文をしておいて 黙って勝手に 外へ出て行ってしまう》のは エチケット違反だ(あるいは 法律にも抵触するかも)というならわしを あまねく行きわたらせることは ファシズムですか? それは 洗脳なのですか?
- shikaruni
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やっぱり支配して何が悪い?って態度なんですよ。 戦争好きですねー。 悪いどうこうの前に、 他人を尊重できない人は、他人からも尊重されないでしょう。 どこまでも、ほざいとけばいいです。 呆れますし、呆れられるだけですね。 根本がなってないのに、人に受け入れられるはずありませんよ。 相手を愛してるなんて、礼儀がなってないのに、薄っぺらいものです。ただ相手にしさえすれば愛なんて…。 そんな中途半端な愛は、迷惑ですね。 黙殺するか、相手にするなら、礼儀(=尊重)が必要ですね。 そう、礼儀がないから、押しつけてるようにしか見えないんですよ。 尊重なしに変えてやろうなんて、傲慢で、迷惑そのものですね。
お礼
甘えては だめなんぢゃないかなぁ。
- qsxdrfvgyh
- ベストアンサー率22% (17/76)
喧嘩口論推進主義者bragelonneさん。 ご期待通り、「すっとこどっこい」参上です。 では、有意義な喧嘩口論になるように頑張って、参戦いたします。 力不足は、承知の上ですので、その点はご容赦ください。 中世日本では、《恥》の観念が債務不履行を阻止していたようだ という指摘の記事を興味深く読ませていただきました。 そして、利息総額制限の《ならわし》を あまねく行きわたらせる行為は ファシズムかい? とのご質問には、以下のように答えます。 僕の書いた「ファシズムの匂い」とは違う用法で、ファシズムかい?と聞かれているので、無用な口論になると思います。 まず、「《ならわし》を あまねく行きわたらせる行為」 をファシズムとは、定義しないと思います。 また、《ならわし》を あまねく行きわたらせる行為 というのもよく分からない表現で、あまねく行きわたったから、《ならわし》になったという方が、適切ではないかと思います。つまり、順番が逆でしょう。 慣習法は、ファシズムだという主張を聞いたことがありません。 いかがでしょうか? では、No.110の問いにお答えください。
補足
まあ 《すっとこどっこい》呼ばわりは 決めていたとおりに お詫びします。お詫びして 撤回します。ごめんなさいませ。 ★ まず、「《ならわし》を あまねく行きわたらせる行為」 をファシズムとは、定義しないと思います。 ☆ よかった。これが ちがっていたら 困ったことになっていたでしょう。 ★ また、《ならわし》を あまねく行きわたらせる行為 というのもよく分からない表現で、あまねく行きわたったから、《ならわし》になったという方が、適切ではないかと思います。つまり、順番が逆でしょう。 ☆ よく 考えてみましょう。昔には どうも 行なわれていたようだという研究発表があったわけです。その時代における《ならわし》であるでしょう? ですから ○ 昔の 《ならわし》を ふたたび〔現代社会に適したかたちに編み直して〕 あまねく行きわたらせる行為 ☆ と言えばよかったということです。ですね? ★ では、No.110の問いにお答えください。 ☆ じつは 何を隠そう その意味が 採れないのです。回答としての意味が どこにあるのか 一向に 理解が行き届きません。どう問い返せば よいのか これすらも おぼつかない状態です。そもそも ★ 「ファシズムの匂い」 ☆ とは 何のことですか? ★ アーリア人至上主義、ユダヤ人絶滅収容所送りを暗示したつもりでした。 ☆ こんなことを よく 出して来れますね。たぶん わたしのどの文章が 原因となっているのか そこを明らかにしてくれると いいのではないですか? ★ つまり、bragelonne至上主義、相手方主張の抹殺の暗示です。この比喩が適切かどうかは、自信がないので、「感じ」という弱い表現にしたつもりです。政治思想のどうのこうのではなく、比喩の適不適だと思っています。 ☆ これも 事例をめぐって 議論するのが いいでしょう。 ★ 一番の論点は、「多様性に対する態度」です。何々以前だとか、以後だとか、妙な線引きをせずに(逃げずに)、対等に尊重するのか、根絶又は服従に拘るのか、はっきりしてくださいね。 ☆ 《レストランに入って 注文をしておきながら 黙って外へ出て行ってしまう》 この考え方と振る舞いが いけないのは 個性や多様性の以前の問題だと 明らかにして 説明していますから それに対して 理論をぶつけてください。 ★ 僕の結論は、対等に尊重しあう口論は大いに結構、支配と服従の関係を迫る口論は、下品だなという印象です。 ☆ 上に触れた 外へ黙って出て行ってしまう行為に関して 批判しては いけないですか? こういう質問です。批判するときにも むろん 存在を 愛し《対等に尊重し》 おこなうのです。それについて きちんと 触れてください。 どこから ★ 支配と服従の関係を迫る口論 ☆ になるのでしょう? そういう疑いが どこから 出てくるのでしょう? レストランでのエチケットを 守らなくてもよい場合は――それとも―― あるというご主張なのでしょうか? そこのところを しっかりと 明らかにしていないならば いったいどういう回答であるのか その意味が取れません。 おわかりでしょうか。
補足
ni_shi_naくん――《おぢさん》呼ばわりしたので くんづけ―― めっちゃ 冴えてるやん! どうしたの? ここで悪友どうしだと 何か変なものを食ったんっちゃうか? と突っ込むところですが 冗談は それくらいにして ご回答をありがとうございます。 もう少し長引かせるなら どこで勉強して来たん? 三日見ないうちに しゃれのめしていますではないですか。 と言っても 爪を隠していたのですかね。片鱗のみを見せていたのですかね。 まぁ おぢさんとしましては 最後の最後の一文が まだ練れていないね。あとは かがやいています。 ★ 大人はペニスも汚ければ組織の汚い秘密をも隠すので否定の対象です。 ☆ 《否定の対象》を持ち出してくるようぢゃ まだまだだね。持っていても いいのですが 表現するときには 否定形で言いきらないほうがよいでしょう。 むろん 自己否定をするのですが しかも とことん するのですが 表現は おおむね 肯定の形で出してきたほうが よいでしょう。 ★☆ 対話において 否定形で命題を提出すると 警戒しあい心の耳を閉ざしあいます、たぶん。 ☆ 一般に 肯定形にすると 《すこやか》ですし 《安心》をもたらします。 やっぱり 《おぢさん》気取りになってしまいますね。 では よけいに えらそぶって行きましょう。 ★ 交換券(貨幣)や労働や国などの、反アナーキーでヒエラルキアなものがひとびとを不出来な生きものにしています、 ☆ この箇所は 読み取りにくいですよ。表現の未熟が 思想の未熟として見られかねないのが 上に示した一箇所で そして表現じたいが読み取りにくいのは この一箇所です。 ということは わたくしも 否定形から入っていますね。肯定するところから始める ほめて育てるというぢゃないですか なんですが ここは 鬼になりましょう。もう育てる段階ぢゃないようですから。(ちょっと ほめすぎ)。 〔わたくしなんか 三十歳になるまで 世の中の 西も東も分かっていたけれど なぜ 南が西になり 北が東になるのかを 考え続けて ちんぷんかんぷんだったんですから。なぜ ひとは 平気で 東を西と言い 聞いているわたしが そのことをいぶかっているのに なお平気で そのウソをつき通しているのか まったく分からなかったのですから〕。〔《悪は存在しない》という命題を聞いて すべては 空が晴れ渡りました。分析は そのあと おこないました〕。 ★☆ 頭と言葉を使い陰気〔* であり〕な〔* がらも 前向きでたくみな〕精神のストリップをどこまでもするのが良いのだと思います。 ★ ブラジュローヌ → ☆ (改名)ブラジュロンヌ (cf. Sorbonne:ソルボンヌ; Catherine:カトリーヌ; Francine: フランシーヌ; Cannes:カンヌ〔 -s は発音せず〕) ★ 狂おしい社会に順応してしまった大人は、完成度の高い狂人ばかりです。 ☆ 歴史知性の分類としての《ヨリ・イリ・ヨセ・コギト》に関連させ さらにくわしく その《発狂》の状態や社会情況のありさまを 分析せよ。(宿題だよん)。 あとは やはり 人びとのためになる仕事を もくもくと やっている人びとへの敬意と感謝の意を述べることを忘れずに触れていれば 百二十点満点です。 ミサイル発射に対応するため準備している人たちも おおぜい いますから。