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市川房枝さんは戦争中は、軍部の協力者だったのですか
市川房枝さんは、戦時中に大日本報国言論会理事であったため、1947年から1950年まで公職追放となっています。 つまり、市川房枝さんは、戦時中はリベラルな人ではなく、軍部の協力者だったわけですか。
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市川房枝は戦争中、大日本報国言論会の理事にもなっていますし「軍部」というよりは「戦争遂行」に協力していたのは間違いありません。 しかしイラク戦争に反対していたアメリカ人でも、アメリカがイラク戦争に負ける事を望んでいたワケでは無いように、日本が戦争に負けることを望まず、戦争遂行に協力するのは別にリベラルかどうかとは関係無い話でしょう。 また第一次大戦においてヨーロッパ諸国が行った国家総動員体制が、その後の社会福祉の充実や女権拡大に繋がった前例から、当時の日本でも国家総動員体制には同じ期待が持たれていました。 このためリベラル層や左派にも国家総動員体制への支持は少なく無かったのです(左派の場合、統制経済を更に推し進めて将来の社会主義化への足がかりにする考えもありました)。 市川房枝が「戦時中の数年間我慢すれば、戦後はヨーロッパ諸国同様に女性の権利拡大が見込める」と考えて、戦争遂行に協力したとしても別に攻められる事では無いと思います。
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- 風車の 弥七(@t87300)
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回答No.1
軍部の協力者ではありません。 ただ単に所属していた婦人団体が翼賛政治に組みこめれただけです。 公職追放にしても統括する進駐軍の意見が賛否に割れたそうです。 そういうことを言ったら共産党から翼賛会に転向した人たちの立場はどうなるのでしょう。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございました。
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