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人間は歳をとると世間に尊敬されるものなのですか
市川房枝さんは、若いころ平塚らいてうさん等とともに女権運動を始めたときは、世間からものすごい罵倒と嘲笑を受けたと聞いています。 その後、第2次世界大戦後の1947年には戦争中に戦争に協力していたので公職追放の憂き目にあっています。 ところが、市川房枝さんは歳をとったときには世間から非常に尊敬されるようになりました。世間だけでなく、他の国会議員たちからも尊敬されていたようです。1981年に亡くなったときには、葬儀には総理大臣をはじめ主要な政治家が参列したとのことです。 人間は若いころに罵倒と嘲笑を受けていても、歳をとると世間に尊敬されるようになるのでしょうか。
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- doraneko66
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関係ないです。 尊敬に値する行いをすれば そうなるだけでだと思います。
- okwavey4
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いいえ。 質問の例から要因は時代の変化によるものだと推測できます。 >人間は歳をとると世間に尊敬されるもの こちらを裏付ける根拠としたいなら、無作為に老人を1000人くらい選定し、全員か大多数が世間に尊敬されている事実を示す必要があります。
- zne368d4nt8
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こんばんは これは これまでの事が 報われた 時代 等 でしょう。 人間は 歳を取ると 世間に 尊敬されるのか は 若い時から 実力が あっても それが 認められることは無く ある程度の 歳に成れば それが 認められる様に成る 若い時に 実力が無く ある程度の 歳に成れば それ程 実力が無くても 実力がある物だと 評価される 等 色々な物が あり 結局は 実力があるから 尊敬される とは 限らない物 人が 勝手に 判断 決定している物 等 ありますし 結論から言えば 運が 大きい物 かも知れませんね (ケースバイケース 色々あるだけの話) 人が 何を 云おうと 思おうと 気にせずに 我が道 切り開き 突き進めたら 多少の 困難が あろうと 幸せ だと 思います。
- KoalaGold
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時代が女性政治家を受け入れられるように変わったからです。
- nekosuke16
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「人間は歳をとると世間に尊敬されるものなのですか?」という問いかけに対しては、必ずしもそうではないと思いますよ。 人間は生まれた環境一つによって人生が狂わさ、そのことを生涯恨みに思いながら歳を追う毎に捻くれて、益々人から嫌われ疎まれることもあるし、逆にそうした生い立ちや環境に立ち向かうように強く生き、人から尊敬されるようになる者も多い。 平塚らいてうなどは「元始、女性は太陽であった」という有名な言葉を『青鞜』の発刊に寄せたが、この時代の女性といえば、まだまだ現代のように自由にものを言える立場にはなく、選挙権は勿論のこと、只々、男性の後ろにつき従うことしか許されないような状況であり、こうした時代背景の中から平塚らいてうのように女性の人間としての尊厳や自由、独立といったものを目指し立ち上がる者が現れ、市川房枝も、そうした一人だった。 また、当時の女性たちにとっては軍事国家的な色彩を益々強めていた日本の状況からも、常に男性が女性の上位にあり、口答えなど許される筈のない時代の中で、突破口としての役割を果たしたという意味では、平塚らいてうも市川房枝も、相当に強靭な精神の持ち主であり、女性の地位を獲得する目的のためには手段を選ばずに、右翼に協力体制を敷いたり、戦争への協力といった方向へと向かうこともあったけれども、太平洋戦争の終結後まもなく婦人参政権を実現し、具体的な国会議員が誕生するまでに国情も変化していた。 現在は男女の平等や女性の人間としての自由、参政権などは、単なる当たり前のことでしかないが、そうした女性の道を切り開き、自由に活動できる場を実現する上での礎を築いたのが、この二人を含む女性解放を訴え続けた当時の女性の先達たち。 今の自由な日本があるのは、こうした女性群の活躍があったればこそであり、そう考えると、彼女達は歳を取ったから世間が認めたのではなく、国家、或いは、社会に最大級の尽力があったからこそ、国会議員や総理大臣に止まらず、多くの人々の尊敬を受けているのであり、私たち一般人が何かして尊敬されるということとはレベルが違う問題だと思いますよ。 彼女達は一時代を築いたというよりも、時代そのものを変えたということでしょう。
- bio6bio6
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必ずしも歳を取る=尊敬されるではないと思います