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条件付け? 自己暗示?
こんばんは。ジャンルがあっているか不安ですが聞かせてください。 自分の体の特定の状況について、自分に暗示というか条件付けをすることはできますか? 例えがあれで恐縮ですがゴルゴ13の場面にあったように 特定のアラーム音を聞くと、覚醒する(目がはっきりと覚める) などの、条件によって自分の体を動かしたり、変化させたりと。 疑問に思いましたので、質問させていただきました。
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No.1 さんの様に私もパブロフの犬の話が思い浮かびましたが、拝見していて思い出した話がありました。 気の毒な話になってしまうのですが、とある多重人格障害の外国人女性の話です。多重人格障害を持つ人は、幼児期に親から酷い虐待を受けた人が多いと言いますが 彼女も過去に同体験があり、一見子供を持つ普通の主婦なのですが、スーパーに買い物に行ってお菓子を目にするなど何かの瞬間でスイッチが入ってしまうと、幼児に戻ってしまうのです。 そうなるとまず声色が幼児のそれになってしまいます。アニメ声とかそう言うのではなくて、画面さえ見なければ、まるっきり幼児が話している声にしか聞こえません。たどたどしくしゃべり、お気に入りのお菓子を手にしている笑顔も子供そのものです。そして驚くことに彼女は視力が悪く普段眼鏡を掛けているのですが、幼児に戻っているときは視力が良くなり眼鏡無しでも物がはっきり見えるのです。 人間はもしかすると命に直結する体験をすると、強力な刷り込みをされやすい生き物なのかも知れません。動物もきっとそうなのではないでしょうか。 パブロフの犬の「ベルが鳴ると食事が貰える→ベルの音を聞くとよだれが出る」 というのも、食事を摂るのは生きる上で大切なことなので刷り込みがし易かったのかも知れませんね。 先ほどの多重人格の女性の場合は、過去のトラウマ体験が引き金になっているのですが、子供の場合トラウマはとても重く辛いものです。心の一部が死んでしまうのと変わらないことだと思います。まさに命に関わる体験です。トラウマがスイッチになって心と体が変化してしまう顕著な例だと思います。 ご質問にあったアラーム音の話ほど顕著ではないけれど、私は気落ちしているとふと今流行っている曲や歌よりも、昔懐かしい歌が聴きたくなることがあります。 それがウキウキした様な歌ではなくて、寂しげな歌であったりするのに、何か癒される(と言うと大袈裟ですが)様な気がします。 無理矢理楽しいことばかり思い浮かべると元気になるのではなくて、ちょっと落ちていたときのことも思い出して、 「そのあともどうにかこうにか立ち直ってこうやって生きているじゃないか。」と、少し前向きになれたように思えます。 これも立派な自己暗示の一例かと。^_^; あと実体験ですが、私は幼児期乗り物に乗ると必ず酔って吐いていました。(汚い話ですみません。) その日は幼稚園の初遠足だったのですが、妹が当時赤ん坊だったので母には付き添いに来て貰えず心細い思いをしていました。すると、母が遠足のバスのところまで来てくれて、窓から“酔い止め”をくれました。それは“どうみてもラムネ”にしか見えなかったのですが、母が私に嘘を言うはずがないと思っていたのと、心細いところに来てくれたので元気百倍といった感じで母を信じてラムネを食べました。 その日はバスの行き帰り唯の一度も具合が悪くなることはなく、吐くこともなく無事家に帰ることが出来ました。 もちろん、それは唯のラムネでした。でも立派な自己暗示です。 母を信頼していて、勇気づけられたから利いたのでしょう。 子供は親を信頼しているから、そのことは裏を返せば先ほどの女性のような酷いトラウマ体験にもなりかねないのですね。 私は幼児期の体験や、生死に関わるような体験ほど条件付けや自己暗示に深い関わりを持つことが多いのではないかと思います。
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- kigurumi
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強化というものがあり、例えば、パブロフの犬。 ベルが鳴った後に食事が出ると、ベルが鳴っただけで、唾液が出るようになる。 身体がベルに反応するわけです。 例えば、心的外傷を負った人は、他の人にとってはなんてことない音でも、過去の恐怖体験が呼び覚まされ、不安物質がどっとでて、過敏になってしまう とか。 地下鉄サリンの被害者の人は、駅に向かう途中で足が動かなくなる人もいるそうです。 恐怖体験で、電車が怖くなり、どうしても駅に行く途中で、足が一歩も出なくなる。 恐怖体験によって、身体(行動)に規制がかかってしまった事例。 例えば、時計のアラームの音の後に、親の怒鳴り声が必ずするとなると、アラームが鳴っただけで、一気に目が覚めるようになるかも。 寝坊をする子供を、しかりつける親なわけですが、半端じゃない親の怒りに恐怖を覚えた場合、アラームが鳴っただけで、睡眠から一気に目が覚めるようになる。 ところが、アラームが鳴った後、親がやってきて、怒鳴りつけるということが、たまにしか無い場合、アラームが鳴る→一気に目覚めるという反応が強化されない。 罰を与えれば、人間は悪いことをしなくなるか? 例えばスピード違反。 必ず捕まり罰金を払わされるのであれば、スピード違反をしなくなる。 ところが、実際はスピード違反は無くならない。 どうしてか。 スピード違反をしても、必ず罰がやってくるわけじゃないから、強化されないんです。 で、ゴルゴ13の場合、特定のアラームが鳴ると、必ず命に危機が迫っている状況になっていたのであれば、アラームが鳴ると一気に目が覚めるという行動が強化されたんじゃないかと。 この強化のおかげで、彼は生存し続ける可能性が高くなったのではないか と。 逆に強化でも罰ではなく、悪いことをしても無視するが、いいことをすると褒められということを繰り返した場合、子供は悪いことをしなくなる。 良いことをする→褒められる→うれしい というわけで、良いことをするという行動が強化されるわけです。 だから、子供を育てる場合、悪いことをしたのを見かけて罰を与えるより、良いことをして褒めたほうがいいらしいです。 罰を与えれば怒られるという恐怖心が蘇り、誰も見ていなくても、悪いことをしなくなるか? バレなければ罰は与えられないと学習しているので、影でやる。 さらにどんどん隠そうとするので、親が気付いたとき、とんでもないことになっている。 バレてしまっても、言い訳をし、自分の行為を正当化して罰を受けないように画策する。 これだと両者の間に信頼は築けない。 だから、よっぽどひどいことをした以外は、こっぴどく叱らない。 逆に叱れば子供は悪いことをしなくなるという信念を持った親は、子供が世間に迷惑をかけないようにと、子供の将来のためと、罰を与えた場合、罰を与える行為が強化されてしまう。 ちょっとしたことでも、すぐ罰を与える習性が身につき、子供は親に対し信頼や安心を獲得できず、常に怯えるか反抗的になるし、親はまた悪いことをやっているに違いないと、監視の目を光らせ、やはり子供を信頼することができない。 たとえ子供がいいことをしたとしても、何たくらんでいるのか とストレートな心で現象を見れず、歪んだ視点から子供の行為を見て、子供の行為を常に不審がる。 子供は何をやっても、親から色眼鏡で見られ続けたら、言い訳もしなくなるばかりか、何も行動を起こさなくなる。 無気力になった子供をしかりつけ、「しっかりしろ」とはっぱかける。 子供にしてみれば、それも罰。 子供は叱られて奮起するか? いえ、じっとしてうずくまって動かなくなる。 何をやっても怒鳴られるので、無気力な子供ができあがるわけです。 というわけで、強化にはマイナスとプラスがあり、使い方を間違うと、人の魂を殺してしまうこともあるんですね。