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地の文と人称について
地の文で嘘はついてはいけないといいいますが、 AさんがBという名前を語っている場合 地の文でBは~をしたみたいに使っていいのでしょうか? 物語の終盤で実はBではなく、本当はAだったみたいにしたいのですが。 それとも地の文では男とか彼としておき 周りから「B」と呼ばれ返事をする方がいいのでしょうか?
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No.2です。 ネタばれを覚悟で云いますと、犯人を暴いたあと、後日談的なものがあります。そこで本物の探偵と作者が交わす会話があり、「嘘」は書いていない、はぢめて登場するところでも、「××は」と書いていない等の会話をしています。 小林信彦氏は中原弓彦時代に宝石社におり乱歩の薫陶をうけていますから、意外な犯人を狙ったのでしょう。(参看:「続幻影城」江戸川乱歩、早川書房。--全集(光文社文庫)に所収) 従って地の文では、「××」とは云いきっていないのがミソなのです。飽く迄も「自称××」であり、「××と呼ばれる男」なのです。それを読者に気付かせない様に書いてあるのです。
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- LN-TF
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このようの例に先例があります。小林信彦氏の「オヨヨ」シリーズの一冊だったと思いますが、最後に探偵が実は偽物で本物が出てきてそれを暴くのです。流石に小林氏で地の文でも工夫をしてありました。 書目を忘れてしまった上に大分昔に読んだので細かいところは忘れましたが、地の文でも「嘘」は書いていないのです。例えば、その偽物が登場するところでも、「帽子の男は刺を通じると、それには『××』と記してあった。」のような書き方をしていますし、「××と称する男」はなどと書いているのですが、それが自然になっていました。例えば少し胡散臭い男だと「東京の刑事と云う男は」等と書いても読者もさして違和感がないですよね。そう云う工夫をしてあったのです。作中人物はすっかり騙されているので「××さん」などと呼びますが。日本語は主語でさえ省けるのでそれを上手く利用するのも手です。 まあ、目立たない様に他の人も、例えば「ゴマ塩の老人は」とか「メタボ寸前は」とか「黄八丈の娘は」とかすれば良いのです。日本の小説の書き方にそういう書き方があります。これは元々は同じ記述が続くのを嫌った記方ですがそれを上手く利用して下さい。 探偵小説だからかも知れませんが、そう云う工夫もできます。
お礼
回答ありがとうございます。 是非その小説を読んで参考にさせていただきます。 ただその書き方ですと、あくまで地の文では「B」と使っていないようですね。
- hp_1200
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正体がばれるまではBで構わないと思います。本名と違っていても、地の文で嘘を吐いているのではなく、Bと名乗る男というニュアンスだと考えればいいのですから。
お礼
回答ありがとうございます。 Bと名乗る男と言うニュアンスというのは こちらがそう書くというのではく、 読者がそうとらえてくれるという意味でいいでしょうか?
お礼
たびたびありがとうございます。 うまいようにぼかしながら、読者にはそうと信じさせるのですね。