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不景気から学ぶこと
昨今の不景気報道を見ていて思うのは 何のために働くのかと思う。 大抵の人は生きるためだと言うが、 ならば生きることが主で働くことは従のはず。 人間には衣食住は大切ではあるが、 我々人類はまだそんな基本的なことをクリアできないのだろうか。 それとも働くことに別の何かを求めているのか。 労働が生きるための手段にすぎないのなら、 ニートもホームレスも契約社員も正社員もアリではないのか。 生きることと働くことはイコールにするべきではないと思うのだけれど どうでしょうか。
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- arayata333
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この不景気に及んでも 働きアリのように私達の多くは働いていますよね。 確かに、 “アリ地獄に落ちていないのに(衣食住は確保してるのに)這い出ようともがいて足を動かし続けている あり地獄の中に陥っている幻想にとらわれているアリ”の姿が アリアリと浮かんできそうです^^。 しかし、この今のワーキングプアーの現状は、 実際に衣食住を失わないための闘いであったり その不安や 予測される事態との闘いであったりもします。 この事実の前に、 あるいはこの切実さの前に、 衣食住を求める希求を超えた人間性を求めての生産や事業理念を労働に求めても現実的には見えません。 一見 幻の夢にまで思えたりもするところです。 生きるための手段としても、 それ以上に人間としての意識の低い、個人的な儲けの手段としても、 今では一方で正社員こそ正しい形とされつつ その評価付けも行われつつ、 いそがしく ニートやホームレスや契約社員も 増産されつつあります。 時に意図的にも、 また社会全体の仕組みの失敗からもです。 が、 そちらの働きアリへの 疑問自体は、それでもほんとうは注目すべき地点にあると 私も思っています。 まずミネオリア、お金持ちですが、 それだけで豊かなくずれない安定した生が保障されている ということではありえません。 まず豊かな楽しい深い感性の世界こそが必要なんです。 それなのに、へたすれば消費選択肢の多きその世界にても、むしろ退屈なだけのだらだらした感性の世界しか得られない事にもなりかねません。 もちろん そうでない場合もあります。 では まずしい働きアリの 何者かに追われているかのようなユトリを失った働きぶりは、というと、もちこん ここにも美を感じ、 おいしさを感じ、生の深みをさぐるユトリがありません。 もちろん、そうでない場合もあります。 この激しい不景気からも、 その渦中におぼれてる人たちがそのままでは、そこから人は何も学べないでしょう。 たしかに 多くの人は ここまでくると 特に日本人は 何かを必死で模索してると思います。 でも、そのままでは 何も学べないし、何も解決策を探ってゆけないと思います。 生きることとは何か、という哲学が先です。 感性と知のバランスの哲学が 深まることが先です。 そのへんがお茶をにごしたような それらしい標語とかにとどまっているかぎり、おそらく事態は何も変わらないでしょう。 ここは、 今、大変な地獄を前にしているからこそ 落ち着いて 哲学をしっかり見直すべきところと思います。 生の哲学を 感性のバランスの哲学をです。 その対話の下には、 すぐれた変革のビジョンは生まれえます。 それは、そうしてのみ 始めて生まれえるのです。 そのビジョン無しには、 起業の理念も理想もかなりのごまかしとなってしまう可能性があります。 あるいは真実は弱体化してしまいます。 そのかぎり、私達の労働意識は いつまでたっても、 間違った巨大な秩序とう名の常識の下、ワーキングプアーを事とする常識という美名の脅迫性を脱出できないでしょう。 労働は 今こそ 生きるための よりよく、より人間的に生きるための手段とならなければ ならないのです。 それも、一刻も早くです。 あなたは若い方ですか? ならば、気がついて欲しいことがあります。 ロボット文化は 哲学無しに発展しようとしています。 これでは発展は遅れます。 テレビで見る大学生達のロボット競技の世界にも 多くの気づきが欠けています。 このままでは 産学協同以前に なんの実際の力ともなれないでしょう。 ロボットなんか買う人がいるのか? この問題よく考えてみてください。 それは それだけ楽しい美しい 機能性も豊富なロボットをまだ安く作れないからなだけでしょ。 もし深く哲学するならば今の科学ではすでに 多くのすばらしい商品も可能です。 詳しくはここでは略しますが、 鉄腕アトムの美学からは離れてください。 鉄腕アトムはロボットの哲学ではないです。 手塚治虫の絵画のタッチの出来のすばらしさの世界の問題です。 ロボットの美学ははるかにさまざまな哲学課題を持っています。 それをクリアーすればいいんです。 すると大して費用のかからないロボットでも有用で美しいロボットがたくさん出きることにも気がつくでしょう。 どうか考えてみてください。 ロボット文化も、街工場や 製造業その他を復活させる原動力ですが(日本人の手の技術はナノを越える場面もあります。) そこに自動車文化も絡めていけばいいんです。 そこにはまた、それこそ“日本だけが儲ける自動車企業”という概念を捨てての そういう意味でのグローバル化が求められるところです。 ホテル事業も、 ここまでPC文化をささえるサービスの伝統があるならば、 なんで そこをもっと進めるビジョンを思いつかないのでしょう。 このマルチメディアの世界にてです。 おそらく その先には 教育事業を 大きく大改革することの出きるビジョンが待っているのに、 ? どうしてそういう事業革命に気がつかないのですか? 金融の世界では SBIネット金融でのその模範のもと、多くの日本企業がシナジー効果というものをコングロマリットの多角化事業性を超えて求めているようですが、 金融よりも、 民間の生産事業の真の多角化が求められるところ、 そこをこそ、 これをヒントに、若い人たちに考えて欲しいところです。 すると、そこに 思い切った部分的計画経済化の導入も出きるような若き人物とかも政治分野でも輩出し始めるのでしょうね。 もし、あなたが 私と同じように年寄りであるならば、 そうした若者たちを育てられるように、さらに勉強していきましょう。 お互いにです。
- bananasand
- ベストアンサー率21% (117/533)
集団でいっても、これだけ働き蜂がいても餓死するのが いるんだから、何のために働くかという答えは、 他を生かすためということになるんじゃないでしょうか。 働かないと他が少しだけ死ぬってことで、全体として すごい数を生かすことが出来ないと言うことでしょう。 働くことと自分が生きることは、 自給自足以上では、相互依存というか社会性みたい意味が 生まれるのでイコールにはならないでしょうね。 結局、働くと言っても、生産するか、それを補助するか であって、生産活動というのに収斂するってことだし、 生産量の拡大というのは他を生かしているって言うことでしょ。 正社員とか役人とかが働いているかというと 働いてなんかいないということになるように見えるんですね。 この人達は田を耕しているわけじゃなくて、他を殺しているわけですからね。働いていないってことでは、正社員側っていうことですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 社会から見た労働と個人から見た労働は違うとしても、 この溝はますます深くなるように思います。
- 相談 蟻(@soudan-ari)
- ベストアンサー率19% (40/208)
不景気から学ぶ事⇒不景気だと仕事が無い。よって収入もなくなる。しかし時間はある。死ななければ何時までも生きられそうだ。でも保障してくれるものが無い。自分だけが頼り。孤立してしまう。そこから新たな別な価値観を持った人間関係が生まれうる。損得を超えた価値観。新しい価値観や社会のシステム。 景気が良いと忙しい。忙しすぎると不当な就業も自己責任や大義名分でやる。それが基で不利益を被ると自己責任意なる場合もある。ある一定の生活の保障がある。でも自分が倒れてもみんな忙しい。本気で構ってくれるのは、他の社会制度(医療や福祉)。経済社会だから、既存の経済的な保障がメイン。 不景気は経済・社会用語だと思うので・・・・。 要は、グローバルになり過ぎたために絶対大丈夫と思っていた企業が、実はずさんな経営をしていた故の世界的な混乱では?誰も予想不可能に近い現象だった。それが立ち直るか?故に不安、損害の保障が無い。それらの中で唯一期待されているのがアメリカの次期大統領くらいでは・・・。 日本は、世界で最初にこの不況からの脱出と言っている。この発言は指導者として望ましい反面、世界的な動向を無視した発言。本来は慎重に見極めるべき。 失業者などの緊急の問題:例えば3万人とします。これは日本の人口の 0.03%にも満たない。社会現象としてマスコミがクローズアップしてるが、経済全体から見れば微小な問題とも思われる。むしろもっと大事な問題が棚上げされているのでは? 質問者のご指摘は、人権や人道的な社会問題と見るべきではないのか?原因は失業者を生む企業や国のシステムにはないのか。今年一年を振り返ると似通ったな問題が多かったと思う。緊急性の高い火災や地震には救援物資が届く。現に炊き出しなどの対策や住居の提供の動きも報じられている。問題はやはり景気の問題、環境の問題、高齢者対策、食料自給率などの問題だと思う。 こんな事を書いている私ではあるが、選挙で投票する事ぐらいしか出来ない。この選挙制度に問題は無いのだろうか?来年の今頃は私も炊き出しのお世話になっているかもしれないのだ。以上が私の教訓。一億人の教訓を大事にしよう。 以 上
お礼
ご回答ありがとうございます。 保障といっても人間のやることなのでせいぜいが期間限定ですね。 大事かどうかをパーセントで計るのはどうかと思いますが、年の瀬にこの騒ぎというのも一つの啓示ではないだろうかとさえ思います。 私個人としてはこの騒ぎを社会問題とは切り離したいと思います。 確かに景気がよくなれば失業者は減りますが、好景気の次は不景気と相場は決まっています。 景気がよくなればすべてOKとは思えないのです。 この国では毎年3万人の自殺者が出ます。 バブル景気のときでも2万人の自殺者がいます。 この自殺者を政府、システム、社会が救えるとは思えないのです。 私たちにとって働くとは何かを問うにはこの不景気はいいきっかけではないかと思います。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
>生きることと働くことはイコールにするべきではないと思うのだけれど ある意味、イコールだと思います。 動物は、食べないことには生きれません。 だから、古代 人間は動物と同じように、徘徊して自然の中から食べ物をちょうだいしていた。 人間が植物だったら、地面に根を張ると、地面に含まれた水分や栄養を根が吸収しますが、動物はそういう栄養補給の仕方をせず、口から栄養をとっており、だから食べ物を探して徘徊する という仕事をせずにはおられない。 ホームレスの人、結構 脳をやられてしまった人が多いじゃないかなと思えます。 誰かももの という概念を喪失するが、他の動物同様、徘徊して食べ物を得るという仕事はしつづける。 体が弱って動けなくなると、徘徊して食べ物にぶち当たることができなくなり、そうなると死が訪れる。 ニートの人。 働かなくてもせっせと食べ物を運んでくれる人がいるから、食べれるので死なないわけです。 ある意味恵まれていると思います。 ヨーロッパ人結婚した日本人女性。 親に結婚することを告げたとき、親は相手の職業を聞き、「無職」と答えると、「仕事もしない人に嫁にいかせるわけにはいかない」と反対された。 結婚相手は貴族なので、働かなくても広大な土地を持っており、それを他人に化しており、その貸し賃と、親からの莫大な財産があるので、働く必要がないので、世間で職業とされる仕事をしていないだけ。 ニート? ただ、日本のニートと違って忙しいそうです。 慈善活動とか会合とか。 確かに日本はその日の食べ物を手にいれるために、1日を働くとせず、数日分の食料を得る分の給料を手に入れることができる。 だから、子供が働かなくても、子供の分の食べ物を提供できるし、ニートの子供がパチンコに行きたければ、パチンコ代も出せる。 私も知らなかったのですが、日本には自給自足をしている部落が結構あるそうです。 水は川から、燃料は蒔き、食べ物は大地から、味噌は作った米から、石鹸も食べ物から。 ところが、それでも、着るものとか、塩とか、どうしても作れないものはあるので、現金が必要なわけで、作った食べ物を町に売って現金を得ているそうです。 そこに都会から「お宅のお父さん、息子さんを農業が忙しくないときだけ、うちで働いてくれませんか」と頼みにくる人がいる。 頼みの来る側は、一年中人手が欲しいのではなく、ある一定の期間だけ、仕事の受注量が増えるので、そのときだけ人手が欲しい。 「住むところと食事はただです。稼いだ分、まるまる残ります。 残業をしたり、休日働けば、1月で30万稼ぐことも可能ですよ」 「しかも出稼ぎ手帳を交付されれば、他の人より失業保険が長くもらえます」 おいしーー。 というわけで、そこから派遣されて、かえってきたら、失業保険ももらって、すごい現金収入になるわけです。 ところが、来年の3月までの契約だったのに、今年いっぱいになってしまった。 でも、出稼ぎ手帳があるから、失業保険もらえる。 現金収入0だったのに、今じゃ部落一の現金持ち。 通帳だってもってるんだぞー。 帰ると村の人たちが、家に集まって、都会からのみあげものをもらって宴会。 「今年は正月に帰ってきたか。 正月をふるさとで過ごせてよかったじゃないか」 ところが、中には都会暮らしを標準としてしまった人がいて、農業が忙しい時期も帰らない。 ずっとてんてんと派遣先を変えて、1年中 都会にいる人も多くなった。 失業保険より、働いていた方が収入がいいし、都会はいろんな遊び場があり、楽しい。 毎日 水組だ、漬物つくりだ 米だ マキ集めだとしなくていい。 蛇口をひねればたちまちお湯が出るし、スイッチを押せばすぐお湯は沸く。 米は近くの店で買えるし、食べたいと思ったら、いろんなおいしーものを食べれる。 というわけで、故郷の両親を残したまま、ずっと町で暮らすようになった人もいるわけです。 結構 横つながりがあり、「こっちは途中で終わってしまったが、あっちは人を探しているよ」という情報が入る。 転々と渡り歩くわけです。 まあ そういうわけで、私は世間は「騒いだものが、世の中で一番深刻だという認識に、テレビを見る人はなってしまう」と思うんですね。 メディアが、騒いだものが、私たちの関心になる。 操作されている。 昔異物混入騒動があった。 メディアが騒いだために、すごい大問題になり、毎日テレビで報道されていた。 でも、騒がれる前から、あったこと。 今でもあること。 だけど、テレビが煽るから、今まで「あーあ 髪の毛いれやがって」と店に文句言っていただけの人が、「大変なことだ」と騒ぐようになる。 メディアが目を向けたものを、世間では騒動だと認識する。 テレビ(報道)はまるで神のように、我々を操作する。 とまあ、、、話は飛びましたが、結局 生きるために働くってのは、あながち間違いじゃない。 食べないと生きていけないから。 だけど、贅沢は限りが無く、上で述べたように、自給自足をしていた人が、もっといいくらし もっといいくらし と水準をどんどん上げたために、今の水準以下になると、ものすごい不幸間に見舞われるわけです。 「ワンルーム個室 風呂つきの寮から、風呂は共同で、トイレも共同の派遣会社になってしまった。」とか。 「家じゃ風呂は外で共同で使っていたでしょうし、トイレだって、家族で使っていたんじゃないの? 変わらないじゃない。 電気は無かったので、日没前に全部すませてたでしょ? 川から汲んだ冷たい水で顔洗ってたでしょ? 今 水汲みに行かなくていいから、その分寝れるじゃない。」 とまあ 働くこと(徘徊して食べ物を探しまわること)は生きるためだったものが、よりよい生活を送るために、もっとよりよい生活 となると比例して、もっと働くようになるんじゃないか と。
お礼
ご回答ありがとうございます。 テレビの報道は良くも悪くも影響力が大きいですね。 衣食住のレベルが高くなれば必然的に労働時間は長くなるのは仕方がないことですね。 結局自分自身でその線引き(足るを知る)をしてしまわないと四六時中えさ探しをしている動物と変わらないような気がします。
- nabayosh
- ベストアンサー率23% (256/1092)
好景気の時にその疑問が出なかったのなら、不景気も人を考えさせるために必要なものかもしれませんね。 働ける時に働いて、働けない時は働かない。 そういう人間の生理に即したような社会が築かれてないんですよね。 だから過労やうつ状態でも働かなきゃならなくなる。 もっとも社会というのは画一的な制度で、人間の肌に合うものとは限らないのですから、そんなものに期待しても仕方ありません。 人間の脱社会化が起こりつつあるんじゃないかなと思う昨今です。 それが自然回帰なら、当然生きることと働くことは別物でしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 人間の脱社会化はいいですね。 権威の崩壊が進むなら人はおのずと自立しなければならないですから不景気はそれを後押しするのかもしれません。
- manman7815
- ベストアンサー率0% (0/1)
正月休み用のパンと年賀ハガキのスペアを購入しに行ってきましたが、気になったため、補足をさせてください。 S&Gですが、時期的な流れからみると「サウンドオブサイレンス」で「・・・、人々は話す(スピーキング)でもなく話し(トーキング)、聞く(リスニング)でもなく聞き(ヒアリング)、壁に映し出されるネオンライトの神にひざまずき・・・」と資本主義の弊害にとりつかれたアメリカ人を嘆き、「アイアムアロック」で誰がために鐘は鳴る的思考を行い、前述の「アメリカ」で「そうあったはずのアメリカを探しに行こう」と歌い、「スカボローフェア」や「セシリヤ」で少し休み、「コンドルは飛んでゆく」で「・・僕も釘よりハンマーになりたい、でも僕にはできない・・」と悩み、「明日に架ける橋」で「・・・荒れ狂う海の上に架ける橋のように、僕は、君のために身を投げ出すだろう・・・」と歌いました。 以上、現在、会社から、定年前の早期退職を迫られている年寄りの回顧録です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 古きよきアメリカをなら歓迎ですね。 良くも悪くもアメリカの影響は大きいですからね。 早期退職、お金の心配が無いのであればあこがれますが現実は働かざるもの・・・・でしょうか。
- nyon-tan
- ベストアンサー率15% (58/381)
なんか話が明後日な方向に飛んでないか? >失業して住む家も無い人たちを見て何も感じないわけにはいかんでしょう。 「何も感じないわけにはいかない」 なんで? (運も)実力が伴わなかったから転落した人 そもそもそれで納得している(ニート、ホームレス)人に一体なにを思ってやれば当人の為になるんですか? そういう不遇(と勝手に決め付けた)な人に同情する自分は優しい人間だと思い込みたいのですか? 何も感じる必要などないでしょう ほんとに思うなら自分の家を間借りさせてあげればいいでしょう 貴方が起業してやとってあげればいいでしょう 奇麗事言うだけなら独り言で言ってろ(・ω・`) ニートや失業者がこの記事みて 君に「ああ、なんて優しい人なんだ」と思うとでもおもってんのか? 暖房の効いた自室のPCでのうのうと語りやがってと思われてるのがわからんのか? 今食わなきゃいかん奴に働く大儀なんか説いてみせれるの?
お礼
ご回答ありがとうございます。
- manman7815
- ベストアンサー率0% (0/1)
マズローの自己実現願望を例に出すまでもなく、自己実現(社会的貢献)のために働くのはとても素晴らしいことで、多くの人が自分の仕事において、多かれ少なかれ経験しているものと思います。 しかし、原始共同体に戻るのでなければ、吊革広告にもあるように、生きていくのにはお金が必要です。 失敗に終わった、社会主義(共産主義)の実験が示すように、人間は理想的な共産社会を作るには、動物でありすぎます。 今回の不景気に対し、我々は肌感覚として「詐欺的要素」を嗅ぎつけているのではないでしょうか、そしてそれが不安をあおっているのだと思います。 余り乗り気ではないのですが、今は、政府の施策が自分に対しどのような悪影響をもたらすかを考え、それを回避する対策をとらざるをえません。 オバマの「チェンジ」は、昔、我々の世代が馴染んだS&Gの「僕たちのアメリカはこんなものではないはずだ、アメリカを探しに行こう・・・」と等質です、わが国には、命がけで仕事をする政治家は現れないのでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 仕事から得るものはたくさんあり、それを否定することは出来ませんね。 それゆえ私達は仕事を失うと喪失感が大きいのでしょうか。 政府の施策は常に後手でしょうから自分のことは自分で、は基本ですね。
- nyon-tan
- ベストアンサー率15% (58/381)
>生きることと働くことはイコールにするべきではないと思うのだけれど >どうでしょうか。 そうですね 寝たきりの人が生きてないなんて事はないでしょうからね 漫然と労働してる人より病気と戦う人の方が生気を感じるものね >ニートもホームレスも契約社員も正社員もアリではないのか。 ありでしょ だからこそ存在している てことで貴方が考えなければいけないのは なぜそんな報道ごときにいちいち疑問をもたなきゃいかんのか? ってことじゃないの?
お礼
ご回答ありがとうございます。 報道はきっかけです。 報道の仕方がどうであれ、失業して住む家も無い人たちを見て何も感じないわけにはいかんでしょう。
金が人を食っているのが現在の世界ではないでしょうか。金がないと何もできないようにしておいてカネが人を食ってカネだけが増えていくという図式。ところがカネが人を食い過ぎて金を生む人が減りすぎてカネが共食いを始めて人なんかかまっていられなくなったのが金融危機ではないでしょうか。要するにカネが増えるためにものを作ることが利用されているわけです。物が作られるのはカネのためであって人のためではないのです。現在働くということは金が増えるための必要悪のようになっているのではないでしょうか。カネになれば何でもやる、金にならなければ何もしないという原則が支配的ではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 資本主義も行き過ぎれば困った状況になるのは誰の目にも明らかなのに。 労働者が資本化の論理に乗せられることもなかろうにと思います。
お礼
食うや食わずの生活をしている人にはそれどころではないでしょうが、 人として生きているのなら避けられない問いだと思っています。 ご回答ありがとうございます。