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森蘭丸について
森蘭丸といえば、聡明で誠実な少年とどこをみてもいい評判ばかりですが、 そんな蘭丸がなぜ信長の残忍な言動に真っ直ぐ付き従っていたのでしょうか。 蘭丸ほど賢い人ならその言動に少し疑問を持ったりすると思ったのですが、それにしては異常なまでの忠誠心ですよね。 只単に信長に寵愛されていたからなのかどうなのか、とても気になります。 何か知っていらっしゃる方、もしくはこうじゃないかという意見をお持ちの方、回答よろしくお願いいたします。
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- nemosan
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「森蘭丸」は後世の当て字だそうです。 「森乱法師成利」「森乱」と呼ばれていたとか。
- buchi-dog
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森蘭丸についてというより、織田信長についての質問ですね。 信長については、明治時代になって勝海舟が残した言葉 「尾張・美濃の民は今(幕末~明治前半ころ)でも信長を神のように慕っている。織田の民政は天下の手本」 に尽きると考えます。 織田の民政がどのように素晴らしかったのかと言えば、要するに「正しい者が保護され、生業に専念できる」社会を作っていた、ということです。 * 領内での治安の維持 * 公正な裁判、行政 * 比較的軽い税金(年貢) * 戦の際に民が徴兵されて連れて行かれることが少ない といったことでしょう。 信長は敵対する者には一切容赦をしない武将ではありましたが、自らに従う者、自らが保護すべき者に対しては実に優しく、寛大な統治者でした。そして有能な人材を愛し、抜擢しました。逆に無能で怠惰な「俸禄泥棒」と言える家臣には厳しく容赦なく追放しました。 信長の親衛隊―戦国覇者の多彩な人材 (中公新書) 谷口 克広 (著) http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4121014537/ あたりを読むと 「そんな蘭丸がなぜ信長の残忍な言動に真っ直ぐ付き従っていたのでしょうか」 などという疑問は氷解し、信長に対する見方が大きく変わると思います。 この本の冒頭には、信長の同盟者である徳川家康の下に朝廷が使わした老公家が、家康の居城の浜松へ向かう途中で、岐阜城にいた信長に拝謁した際に、 「そなた(老公家)は家康の所に朝廷への献金を頼みに行くのか。この暑い中、ご苦労なことである。その献金については、私が家康に使者を送って処理するから、そなたがはるばる浜松まで行くに及ばない。岐阜で休んでいるが良い。もしも家康が献金を渋るようなら私が代りに出してやろう」 と、実にいたわり深いことを言っている様が、その老公家の日記を根拠として示されています。 なお、この件は、信長の家康への口添えもあり、家康が朝廷への献金を快諾したので無事に済み、老公家は京へ無事に献金を持ち帰ることが出来ました。信長の優しさにさぞ感謝したことでしょう。
- ben1151
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信長さんだって、部下(秀吉)の奥さんの愚痴を聞いてあげたり、なぐさめたりというような、一面もあります。 蘭丸少年は、勇敢な父、兄への憧れもあって、素直にストレートに「勇猛果敢」な、主君を一分の疑いもなく尊敬していたのだと思いますね。 そういう風に育てられたでしょうし。 信長さんは、真っ直ぐな目をした自分だけを慕う聡明な少年を可愛がったでしょう。 褒められ、可愛がられて悪い気のする人は、現在に照らし合わせても、いないでしょうから、益々、忠誠を尽くしたでしょうね。
- eroero1919
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韓国人から見ると、信長より秀吉のほうがよっぽど残忍です。ですから、そんな残忍な秀吉に心底付き従った石田三成や福島正則や加藤清正は異常なまでの忠誠心ということになります。 確かに信長は残忍な一面は持っていますが、それは「自分に敵対した奴には」という但し書きがついています。信長に怨まれるともう頭蓋骨に金箔貼られて盃にされちゃうくらいの目に遭います。でもこれは信長に限った話ではなくて、理系で切れ者で仕事ができる人にはよく見られますね。いや確かに頭蓋骨に金箔貼られることはないですけど、もう敵対した奴を徹底的に叩いてケツの毛まで抜かないと気がすまないって人はしばしばいます。 信長は典型的な理系だったと思います。現代人以上に超合理主義者だったと思います。ですから、同じ合理主義者にとってはそんなに居心地悪いものではなかったと思います。ただ、こうした似たもの同士というのは得てして逆に対立すると収拾がつかなくなりがちです。信長と蘭丸ももっと長い付き合いになればまた違った歴史があったかもしれませんね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7 そうですね。 実際の人間像を、記載した文章。 性格の項、ルイス・フロイスの部分。 長身~自分以外の大名のほとんどを軽蔑しており、まるで自分の部下のごとく語る~遠回しな言い方を嫌う。 全部うわべ(見た目)です。内心はまるで記載されておりません。
- webuser
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>そんな蘭丸がなぜ信長の残忍な言動に真っ直ぐ付き従っていたのでしょうか。 勝ち残った戦国大名は多かれ少なかれ残忍な面を持っています。 信長だけが特別残忍だという訳ではありません。 何に対して残忍かによって評価が分かれるだけです。 信長は 宗教を道具にして権力、武力を行使するものに対して残忍でした。 怠惰な部下に対して残忍でした。 でも、悪代官のように農民(門徒を除きます)、領民、町民(権力を持った堺衆を除きます。)などに残忍であった訳ではありません。 >蘭丸ほど賢い人ならその言動に少し疑問を持ったりすると思ったのですが、それにしては異常なまでの忠誠心ですよね。 賢い人だからこそ信長を心から信頼し尊敬していたのかも知れません。 そうでなく、仮に少し疑問を持ったりする事があったりしても、賢い人なら表情や行動に現わすような事をしません。