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信長と謙信と「洛中洛外図屏風」
「日本思想史」(末木文美士著)を読んでいますと、 「戦国期から近世初期にかけて、『洛中洛外図屏風』がいくつも描かれている。その中でももっとも有名なものは上杉本と言われ、若き狩野永徳の筆になり、いろいろないきさつの末に信長が上杉謙信に贈ったものと言われる。」 という記述があり、 1. 「贈ったものと言われる。」……本当に信長が謙信に贈ったのか??? 2. 「いろいろないきさつの末」……どんないきさつがあったのか??? の2点が気になりました。 それで年表やネットで調べたのですが、 1については、「贈った。」と断定的に記述しているものもありますが、「贈ったものとされる。」のような伝承・推定的な表現のものもあり、事実関係はよく分かりません。 2については、「第4扇下に描かれている武家行列中、輿に乗っているのは上杉謙信ではないかとする説」とか「越後をおさえる上杉謙信との同盟を重視しようとしていた。」とあるのですが、これが「いろいろないきさつ」なのか???ということでさっぱり分かりません。 「下手の空想休むに等し」ですが、 1. 謙信って、虚栄心の強い人だったのではないか???という気がしています。だから、信長から贈られたものではなく、「自分が描かれた」とされる屏風を、「謙信自ら手に入れたもの」ではないかと。勘定を払ってくれるはずの将軍様がいなくなって、永徳さんも、生活に困っていたのかも???なんて、空想してみました。 2. 信長ってプライドの高い人だったのではないか???という気がしています。だから、信長にとって、謙信は邪魔な存在であったかもしれませんが、「屏風1枚」で何とかしようと考える信長でもないし、また、「屏風1枚」で何とかなるような謙信でもなかったんじゃないか???というようなことを、空想してみました。 この愚問を読んでいただいた方の、私の「下手の空想」についての批判も含めて、私の疑問へのご意見・ご見解をお願いいたします。 「ご意見・ご見解をお願いいたします。」という趣旨ですので、BAは選ばないで締め切ります。
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お礼
ありがとうございました。よくわかりました。「贈り物」や「お土産」にも歴史があるし、また歴史がつくられるのかもしれませんね。ご回答のお礼に「洛中洛外図屏風」をというわけにはいきませんが、ありったけのOKチップを贈らせていただきます。何の役にも立ちませんが。