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ポルノと言う存在。

こんばんは。 先日もこちらのカテゴリーでお世話になりました者です。 その節は本当にありがとうございました。 今回も、自分のカウンセリングを兼ねた質問を立てさせて頂きます。 お付き合い頂ければ、幸いです。 質問は、 「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、どういう風に感じましたか? *当たり前 *違和感 どちらでしょうか? そして、これは男女の違い(本人の性別/被写体の同性or異性)によって、変わるのでしょうか? いえ。。。 多くの子ども達は「身体は大切に」「人の嫌がる事はしない」。。。等と言い聞かされ、またそれを「人としての基本」に据えて育って来ていると思うのです。 でも。。。 ポルノ、と言う存在を「当然」或は「必要悪」等と捉える時、それはその「基本」との違和感、を生じないのでしょうか? また。。。「違和感」を感じた方は、それによって「自分が傷付く」と感じないのでしょうか? ちなみに、私は20代後半の女性で、既婚6年、三児の母でもあります。 夫との関係、性的関係も問題無く、とても幸せを実感しております。^^ そして、(男女によってその程度の差はあれ)「性欲は愛情とイコールでは無い」事、性欲と言うものは「性的禁止」と「性的刺激」によって形成される、と言う事も判ります。 現に私自身、例えば好きな海外サッカーの或る選手等、「いや。。。脱いでも綺麗だろうなあ。。。ニカニカ」等と、思ってもいます(恥!)。 でもでも、翻って「初めて知った時」の記憶を辿り、以後の感じ方を辿ると、私には「違和感」以外、浮かばないのです。 何故、大切にすべき「人の身体」を、そのように扇情的に不特定多数の目に「現実の画像として」晒せるのか、それは、「人としての基本」に反しているのでは無いか?。。。そう思えてなりません。 そう思うのは、「同性としての(不要な?)共感/想像力の為せる事」なのでしょうか?(現に、先述のように私自身「妄想」はしても、それについて違和感はありません。汗) では、男性は男性のポルノ(有りますよね?)に対して、「違和感」は感じますでしょうか? つまり、「感じ方の前提」として、 *自分を被写体に置き換えて、の臨場感、の有無 があるのかしら。。。。とも思います。 このように、私もすれ違う見知らぬ異性から「あらぬ姿」を思い描かれているのかしら? そうだとしたら。。。皆様はどうお感じになるのでしょうか?そして、まだ「性の入り口」に居たご自分は、どうお感じになりましたでしょうか? 纏まりの無い長文で、申し訳ありませんが、 よろしくお願い致します。 尚、お礼が遅くなる、または、順不同になるかも知れませんが、必ず書き込ませて頂きますので、その旨お許しください。

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noname#80116
noname#80116
回答No.47

 ○ それは 蚊が刺しただけです。  ☆ よほど コミュニケーションが通っていないと 言えない文句です。  ですが わたしは いぢわるぢいさんよろしく mashumaro2さんや miko-desiさんのご見解に 輪をかけて 傾くものです。  もし 上の命題をたがえているとすれば それは 被害者であるyukkinn66さん あなたも 蚊となって刺したということです。  miko-desiさんの新しいご投稿が現われたので 書きこむ気になりました。  性愛関係には 一般の愛としての人間関係から 二人の合意によって 入ります。初めは 一方的な行為であったとしても 同意したという関係に入る場合があるということです。もしさもなければ 無効の行為だったという――蚊が刺しただけだという――事態です。  起きたことは起きたことで その過去を 消して 現状復帰することは 実際には 叶いませんが いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。  ご自愛なさって いやなものは嫌 とはっきり 言っていかれるようにという考えを わたしは 持っています。そこに 面従腹背は 含まれます。

noname#122427
質問者

お礼

こんばんは、bragelone様。 また来てくださり光栄です。 >もし 上の命題をたがえているとすれば それは 被害者であるyukkinn66さん あなたも 蚊となって刺したということです。 これは、私も何らかの加害者である、と言う事でしょうか? >初めは 一方的な行為であったとしても 同意したという関係に入る場合があるということです 私が嫌悪と恐怖で「同意を拒否した」と言う事でしょうか? そして、その後に続いたかもしれない「性愛関係への道』を閉ざした。 だから、私も「蚊になって刺した」。。。そう言う事でしょうか? うーーーん。。。何だか大らかな気持ちになれる言葉ですね。^^ (ん?私の解釈、合っていますでしょうか?汗) >いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば これはあの犯人の男も「尊ぶべき存在」と言う事でよろしいでしょうか? (勝手に解釈して勝手に喜んでいますけれど、大丈夫かしら。。。) >そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。 はい。^^(私の解釈が合っているならば。) 添削お願い致します!

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noname#76229
noname#76229
回答No.66

お礼をありがとうございました。 またあなたのことを傷つけてしまったのなら、ごめんなさい。 決して凹ませようという意図ではなく、一私見としてあなたの気持ちが楽になれる方向を老婆心を持って示したかったのです。 老婆って、本当に厄介よね(笑) もう1点だけ、お付き合いくださいませ。 >>被害者であるあなたは本気で相手の痴漢男を「人間だから尊ぶ」などと悠長なことを言っていられます? >ま、「痴漢男」は彼の一面だったに過ぎないんだよね。。。とは思えなかったのです。 >あの植草教授、いましたよね。 >只「人間の多面性/複雑さ」をとても不思議に思う、その一例です。 >例の痴漢男、彼もやっと今、そんな「多面性を持つ人間の例」の一つ、として私の中に位置を取りました。^^ 件の痴漢男と植草教授とは同じ痴漢行為でありながら、決定的な差があります。おわかりでしょうか。 それは、あなたに「直接かかわった侵害行為」にあたるかどうかということです。 仮に植草教授の犯罪再現ビデオをポルノとみなせば、あなたの示すところのミクロとマクロの事象にあてはめることも出来ます。 前者は県の迷惑防止条例に違反するれっきとした犯罪です。 本来であれば告発してもおかしくないほどの自身の人権侵害にあたります。 ですが極めて行為が軽度なものであれば総合的見地から「蚊に刺された事件(私の場合は運悪く巻き添えとなった交通事故の意味に近いです)」と自身が達観したほうがベストかもしれない、と書いたのです。 でも植草教授の行為は、あなたと全く「無関係な事件」であり、はっきり言ってどうとらえようとどうでもいい他人事に過ぎません。 「いやらしい教授ね気持ち悪い!」であれ「学者としての力量は認める」であろうと、結局はあなた一人の傍観的な感想に過ぎません。 まして植草教授を諭そうなどとは思いもつかないはずです。 仮に教授の行為に似た盗撮の被害者が重症なトラウマになっていた場合、一体あなたには何ができると思われますか。 更に件の痴漢男に対してでも「彼を糾弾することにより彼の犯す更なる犯罪や被害者被害を未然に防げたであろう」などと考えるのは、少し発展しすぎだとも思えました。 ちょっとね、ミクロへの思索を詰めていく中で突然マクロ的な他者への干渉に走っているような思考のかたちに察せられるの。 自分の内面と他者への干渉とは繋がっている問題にせよ、ちょっと分けて考えたほうが良い気もします。どうかしらん。 結局、あなたのおっしゃることはマイノリティの意見に過ぎず、ポルノを見て自傷ぎみになる人間よりはるかに多くの人間がポルノ産業に携わり生計を立てている、そして、ポルノを性的なはけ口として賢く利用する人間が多いのだと思います。 そして利用するもしないも、善悪の判断も18禁やRated-Rなど一定の検閲の下においては個人の自由という現実を受け入れて、いかに直接的な関与の無い社会事象に憤りを感じない生き方をするか模索しても良いかもしれないです。 ちなみに欧米ではあまり靴、ハイヒールを脱いだスチールや広告を見かけません。 ベッド上のヌードやポルノであっても何故か靴を着けたまま、のイメージがあります。 これは、フェチという側面も否めませんが、やはり平和ボケな島国日本とは大いに異なる歴史的背景も影響していると思われます。 異民族の侵入など外敵からの「いざというとき靴が無いと逃げられない」という地続き大陸ならではの根深い深層心理も働いているのでは。 ブランド店でもまず挨拶ありきなのは、相手がどこの馬の骨かわからないから対話により初めて安心して売買が行える、という考えがあるからなのです。 これって、性善説云々といった哲学的思想とは別義の「現実的な自衛・防衛手段」としては何らおかしくない発想ですよね。 私はこの質問が閉じられたあともあなたの思索を続けていっていただきたいと思います。 でもね、今後ご家族のどなたかが権利侵害に遭遇してしまった時には大いに憤慨して皆と共に対処し(一人で悩まないで~)、社会事象から自らが憤り自傷ぎみになる際には「自らがどうする事も出来ないゆえに我関せず」と適宜考え分けていったほうが「あなたとあなたのお子様方のため」に現実的に有益かもしれませんよ。 たしかね、あのヤンキースの松井選手もあらぬブーイングを我関せずと達観して気にも留めないとある番組内でコメントしてました。 これと何となく通じるものがあるでしょうかね。 もちろん前者の犯罪者を人道的な見地から「悪い面ばかりじゃない」と考えることもできます。 ですが、逆に「人間て言う生き物は良い面ばかりじゃない、とんでもない悪がいる」と思うこともできるのです。 というか、その方が楽。だって時には「悪いことは人のせい」にしたり八つ当たりが出来るしね。 それに…ある目的や理由から「善」をひきたたせたいがために「悪」を作為的に生みだす、または存在づける、なんていうこともあるのでは、なんちゃって。 >例えとんちんかんでもいいから、謙虚になりつつもあなたなりのオリジナルな考えもしくはアレンジが欲しいところです 思いっきり上から目線で大ひんしゅくなフレーズで恐縮ですが、何だか恥や失敗をとても恐れて回答や質問をしているように私に思えたからです。 もうね、恥も外聞も気にしないでへっぽこ回答をするというのは、すご~く小気味良いですわよ、おためしあれ^^←恥さらし ちなみに、私は意味不な小説より詩の方がはるかに好きなので、紹介して下さったお礼と尊敬の意味を込めてキザと表現したのです。 本当に的を射た詩だと感激致しました♪ 「紅顔の美青年なりしころ」を「もしや魅力的な素敵な男性?」ととるか「禁断の蛇足」ととるか… ここの箇所はyukkinnちゃんに任せて私の回答を終わります^^ふふ。

noname#122427
質問者

お礼

私の言葉足らずな説明がご心配を増やしてしまっているようで申し訳なく思っております。 >同じ痴漢行為でありながら、決定的な差があります。 >あなたに「直接かかわった侵害行為」にあたるかどうかということ 私はいつも自分の中に二つの視点を置くように心掛けています。 あちこちで言い換えが多発しているので良くないのですが、 1)マクロの視点(#31)   厳正に客観的な視点(ライフカテ)   ポルノに関する議論(#54)   社会としての認識(#45?)   愛の問題(#36)   2)ミクロの視点(#31)   人間味ある想像力(ライフカテ)   私自身の心の問題(#54)     被害者の立場/被害者意識   性愛関係(#36、47)   個人としての対処法(#45)   「人間としての意味」(#42) こんな感じでしょうか。。。 余計分かり難くなってしまいましたでしょうか。。。汗 そして、 >結局はあなた一人の傍観的な感想に過ぎません。 それは確かにそうなのですが、これを更に押し進め(人間味を加味し)た所に「厳正に客観的な視点」が現れるのだと思うのです。 これを他の分野では持てるのに、性犯罪とポルノの分野では「持てなかった」。。。これこそが「被害者意識に囚われている状態」と考えるのです。 >「痴漢男」は彼の一面だったに過ぎないんだよね。。。 これは1)の視点です。 この思いと「あの男を罵って蹴り上げてけちょんけちょんにしてやりたい!!(実際の私の感情です。汗)」と言う2)の思いは「並立/両立可能」なのです。 しかも、1)の視点をはっきりと自分の中に確認する事によって、2)の意識や感情に「安心して身を任せられる」のです。(私だけ?汗) >何だか恥や失敗をとても恐れて回答や質問をしているように私に思えたからです うわーー、すっかり見抜かれてますね。。。(脱帽!^^) でももう一つ加わります、そしてこちらの意識の方が強いと思われます。 それは 「私の無知や失敗によって誰かを傷付けたり不快にさせるのではないか」 です。 だから「うまく行かない時」は三つ巴に雁字搦めになっちゃうのです。涙 暖かく最後迄お付き合いとお手伝いを頂き、ありがとうございました!!

noname#80116
noname#80116
回答No.65

 No.57です。  ★ (No.57お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  >▲ わたしたちは ひとを愛しその欠陥を憎むのであって 欠陥ゆえにひとを憎むべきではなく ひとゆえに欠陥を愛すべからず。  どんな人にも「欠陥/欠点」はあり、同時に「良い(善い)ところ」もある。  だから、人は(丸ごと)愛される価値のあるものである。  欠陥があるとしても「愛される価値」は減りはしない。  。。。と解釈しました。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これについて 違う考えを持ちますので ひとこと 触れます。  ○ たとえ 植物人間の状態になっても 《存在は 善悪などの価値判断を超えている》ゆえ それとして 誰ひとりとして例外なく 平等であり対等である。  ☆ という意味だと解します。  ★ ・・・「欠陥を容認し放置してはならない」と言う意味なのでしょうか?  ☆ は おっしゃるとおりに解しています。  これで やっと 回答を寄せ得たという気分になりました。  キザという文字に へこんでいました。これまで ガラッパチだと言われたことはありましたが 耳にした言葉としては 初めてでしたので。紅顔の美青年なりしころ ねじり鉢巻きで取り組んだ作業だったと思うと 深海の底まで降りて行った気分でした。同じようだと思ったら 軽くなりました。謝謝。

noname#122427
質問者

お礼

本当に奥深く幅広い思考力をお持ちなのですね。。。 しかも暖かく明るい。。。適度に悪戯心もお持ちでいらっしゃる。。。 私もそうなりたいものだ、とつくづく思わせられました。^^ >○ たとえ 植物人間の状態になっても  >《存在は 善悪などの価値判断を超えている》ゆえ  >それとして 誰ひとりとして例外なく 平等であり対等である。 「価値」を凌駕する「存在」。 「存在」の是非や可能不可能は「価値」の有無や高低で左右されるものでは無いのですね。 そうかあ。。。だから「犯罪者にも人権がある」のですね。。。 「刑罰」が存在するからと言って「存在の選別を行っている」わけではないのですね。(#54の補足欄中程での稚拙な反論が恥ずかしいです。。。汗) また、この「存在は価値を問わない」と言う所から、nabayosh様の「超社会的視点」と言う所にも入って行けそうに思います。 数々の糸口を下さった事、感謝申し上げます。 ありがとうございました!! あ、キザと言う表現が引っかかっていらっしゃるご様子ですが、 madelaineの高貴ながらも甘い香りの褒め言葉に、ちょっぴりの隠し味が悪戯したのです。^^ 食してしまえば得も言われぬ美味、しか残らないと思うのですが、いかがでしょうか?^^

  • nabayosh
  • ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.64

哲学カテゴリで、哲学史に関する質問や哲学用語の説明を求める質問であればある程度の「正解」というものがあります。しかし、大多数は「正解」の存在しないものであったり、あるいは自分の意見や主義主張を唱えて同意を求めるものであったりします。 私はこのカテゴリでしばしば回答してきましたし、これからも多分するのかと思いますが、回答する際にいつも考えるのは「その質問にどのような意図があるのだろう」ということです。 ソクラテスの助産術よろしく対話することによってその意図を丸裸にさせるというのが、私にとっては知的刺激をもたらす一種のポルノと言えるかもしれません。 しかし、私のこうした性癖ならぬ知癖が、時に質問者の癇に障ることがしばしばあるのです。相手の感情を害するつもりがなくとも、残念ながら知は人を刺したりもするものです。そこで、誰に対しても感情を害さない理想的な「知のポルノ」というのがあるかと考えると、なかなかできたものではありません。感情を害さないように語ろうとすると、問題の核心に行くどころが、ぬるま湯の中で終わってしまい、モヤモヤが残るからです。 さて、ここまでの対話を総括してみましょう。 この質問、当初は雲を掴むような漠然とした質問文ではありましたが、シンプルに言えば「yukkinn66さんはポルノの存在に不満を抱いている」ということを読み解くことができたと思っています。 ではなぜポルノに不満なのか。ここへ来ると途端に分岐します。ひとつは社会的に問題がある、もうひとつは個人的に不快であるということ。 で、この「ミクロとマクロの二種類の攻め手」という分岐がややこしい。片方がもう片方の隠れ蓑になってしまう状況なのです。それで私の手法としては、社会的なものは一旦のけておいて、超社会の視点から考えるということを提案した次第なのです(45、「あるがままを見つめる」)。ところが、それに対するお答えで「でも、これを「社会として認めて」しまうのは間違いではないでしょうか?」と、社会を持ち出されてしまった。 このことが「どうやら話が通じていない」(52)と私の雑感の漏れるところではありました。 ラファエロの「アテネの学園」の中心にはプラトンとアリストテレスが並んでいます。老いたプラトンが形而上の理想を語っていることが上を指さしていることで示され、一方アリストテレスは地面を指差して地上の現実を語ろうとしています。私たちの議論はこの二哲ほどではありませんが、やはりベクトルが違うものでした。 このままでは埒が明かないと思い、争点というか拠点を変えることにしました。それが「より良い」という言葉について論じることになったのです。つまり私がyukkinn66さんと同じ方向を向き、理想方面についてもう少し詳しく検討をしてみようとしたのです。 ところが、またしてもお互いの前提の差異が浮き彫りにされました。私はそうした理想というものは実現されないものであるという前提を擁しており、一方のyukkinn66さんはそれが可能であると考えておられます。 そこを振り返ってみると回答(54)の大半は蛇足の多い雑談に堕している感は否めません。 ともかく、ポイントを絞ってみましょう。 >「感じる側の問題」をクリア出来た人間には「ポルノ側の問題」更には「感じる側の未熟な人間の問題」を解決する力が備わる筈とも思うのです。^^ >自分が通って来た「解決への道」を一つの解決方法として未熟な人間に提示する事が出来ますもの。 平行線になってしまうのは承知していますが。 感じる側の問題をクリアするということは、確かに(哲学用語ではなく通俗用語として)客観的にポルノを見るでしょう。そういう人ってどうですかね。達観して、ポルノを見ても熱中しないんじゃないでしょうか。つまり、感じない人になるということなんです。ポルノに対して何も感じない人というのが克服された状態であるとするならば、そういう人達はもはやポルノを必要としないのであり、ましてやそのどうでもいいポルノを「より良く」しようなどとも思わないことでしょう。 また、場合によっては、感じなくなってしまった方がいいかというとそうでもなく、どうであれ感じる方がまだ幸福だと思ったりしかねません。だとすれば「寝た子を起こすな」ということで、啓蒙などにも携わらないということも考えられましょう。 さらには、自分が通って来た「解決への道」というのは、解決してしまうと当人にとってはお払い箱であったりします。用のないものは忘れ去られます。ウィトゲンシュタインの梯子の話ではありませんが。 実践することと教えることはまた別問題でもありますし、yukkinn66さんが楽観するほど、うまく行くかどうか。 成熟したポルノが登場してからも未熟なポルノの方が愛好されたりするかもしれませんし。熟すというのは裏返せば腐るということですからね。 >私は社会も個人も全てを「移り変わるもの」と捉えておりますし、常識や規範、真実さえも「常に揺らぎ変遷して行くもの」と考えております。 >私は直感として「悪は(元々は)存在しない(筈)」と考えている者です。 このへんは共感できるんだけれどもなぁ。 「同様に善も(元々は)存在しない(筈)」という直感には目をつむっているのかしらん。盲目的によりよい未来という理想を追求しているような。万物の流転は行き着くべき至高の目的(善)に向かっているとは必ずしも言えないのではないでしょうか。 もっと超社会的に言ってしまうとするならば、善悪の概念をとっぱらって物事を考えてみたらどうかな、と。悪って基本的に社会悪ですから。 仮に痴漢だろうがレイプだろうが罪に問われない世界を想像してみて下さい。無秩序ですがそれが自然状態です。その自然状態においては「許すも許さないもない」のです。 (近代社会はこの自然状態の「万人の万人に対する闘争」の否定の上に成り立っているわけですが) でも一方yukkinn66さんはポルノの未熟さに不満を抱く。それは許していないからですね。秩序に泥んでしまうと許せなくなるものです。しかし、yukkinn66さんが許そうが許すまいが自然状態という根本は変わらないし、その自然状態が「許すも許さないもない」として(未熟な)ポルノにも居場所が与えられていることも変わらない。 私が最後に問いかけるとしたら、「yukkinn66さんはそれでもポルノに不満を抱く必要があるの」ということです。少しでも「ないかもしれない」くらいに感じていただければ、私としては回答した甲斐があったかもしれません。 社会がどういうかはわからないけれども、個人としては不満を抱かない方が精神衛生上よいのではないでしょうか。社会が造り上げた善悪の観念に縛られるよりは。 これにて私からは以上です。 追伸: これで私はようやく他人の回答を見る機会が訪れたというわけです。^^

回答No.63

わけあって、 そっとOKウェブから去ることになったわけですが(そっとではないでしょうが^^)、 書いた者の責任から とある訂正をしておくべきと思うところがあります。 また それは そちらの混乱を避けるためでもあるところなんです。 * しかし、 ほんとうのところはどうなっているのか?については、 考えすぎないでください。  そのために筆を伸ばすのですから。 * 訂正する点は、 「蚊にさされたようなもの」 とう表現で、brageloneさんと同じ結論だというふうに書いてしまった点についてです。 彼は「蚊にさされた」というふうに表現していて 「蚊に刺されたようなもの」という表現はしていないわけです。 文脈の中で私は 表現を変えてしまっています。  これも わたしは善意のつもりでしたことです。   しかしかえってへんなことになってしまいました。 善意とかは いまさら誰にもわかってもられなくてもいいのですが、 ここには一応書いておきますね。 しかし、 ともあれ、 訂正は必要となっています。 その結論は まったく別のものでした。 ですので、 なんで、こんな蚊に刺されたような小さな点を訂正するのか書いておきます。 《何故、小さなことではないのか、》についての私の方からの見解です。 * 私の見解はなのですが、 こうです。 (イ) 例えばですが、 ゴッホの見解というものは、簡単にはわかりません。 私はそれを 34歳の頃、 始めてそのある絵(畑が手前側にあり、その垣根と道があり その奥に畑とか森とかがあったりして奥に丘が続いているような絵だったと思います。 名前は知りません。)を前にした時、 なんなんだこれは!という驚きで釘付けになってしまっあことがありました。 言葉でなんて それは伝えようの無い感動の世界でした。 炎の画家? 弟テオルドへの書簡? 全部の知識が虚しく思えました。 そして思いました。 彼の言葉は、 簡単には解釈できない。 そのような ゴッホの感性の深みや そこからの言葉にはたしかに深い価値があります。 しかし、 それ以前の私にとって その言葉には何か価値があったのでしょうか? (ロ) 一方  私は子どものころ、 体をこわしたため 虚弱児施設に入っていたときがありますが、 その施設の食堂で、最初の「私は貝になりたい」というテレビ映画を 見ました。 今、また新たな話題ともなっている映画であるわけですが、 この初期の映画の場合はテレビ用に作られたものとそうでないものとの二つがありテレビ用に作られたものがすばらしかったようなのです。 フランキー堺という俳優が演じる、床屋だった主人公が 戦後に戦争犯罪の罪をきせられ、死刑台に向かうのですが、 その最後にナレーション風に彼の心の中の言葉として「私は貝になりたい」というせりふが出くる映画です。 これを その虚弱児施設では、 小学一年生から6年生までいた すべての子ども達と、 施設のすべての先生方までが、 その夕食時の大きな食堂にて全員が 泣いて感動したのです。 最後のシーンとなったときには みんなすすり泣いていましたが 終わったとたん その泣き声は 爆発しました。  全員がほんとうの大声で泣き出してしまったのです。  (ふだんは、なぜか泣きまねの得意だったわたしも その時は ほ ほんとうに泣いていました^^。) 時代の風を まだなにも解らない一年生までもが 受けていたのですね。 テレビの始まったばかりの頃の エネルギーの一つとも言えます。 また、 ラジオがはじまったばかりのころ、 「ペス」という名の愛犬の物語を すばらしいアイドル女優が朗読していましたが それがどれだけ子どもであった私の心をつかんでいたか。 時代とか 大衆の根っこのエネルギーや感動の世界。 そこには 中身それ自体の芸術性の深さとか感性の深さとはまた別の しかしとてつもなく大事な価値の世界があります。 * かえって 解りにくくなっている回答でしょうが、 どうか 事態を理解されてください。 私の感性の専門化としての考えからの筆も、 今回とんでもない間違いをしてしまったとはいえ、 わたしには意味あることと考えらていたのです。(これは信じてもらえないなら、かまわないことなのですが。) そして、それは(イ)の世界として例えられます。 一方 いつもbrageloneさんから教わることは、感銘を受ける点は(ロ)の新鮮な何かなのです。  ともすれば 一人で進んでいってしまいかねない専門家としての道を 原点に引き戻してくれるのです。  今回の 訂正も 私の方からは、その(イ)と(ロ)の違いの観点からの、けして混同してはならなかった違いとして 訂正させていただきます。 あとは、私の意図は、詩   ですので。 …。 以上です。 yukkin66さん、 いろいろ すみません。 また 丁寧なコメントありがとうございました。

noname#122427
質問者

お礼

「蚊が刺した」と言う表現については、情けない事に私自身お二人の言葉にどのような差があるのか?判然としません。大汗 只、お二人が共に「心から暖かい善意」に基づいて発してくださった事だけは確信しております。^^ そして、お二人の表現が「おそらく目的とするもの」も大きな意味で同じなのだと考えております。(適当過ぎる!!と叱られそうですが、お許し下さい。) こんな頭足らず舌足らずの質問者に最後迄お付き合い下さったご親切に深く深く感謝申し上げます。ありがとうございました!! またのご縁を信じておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げますね。^^

noname#80116
noname#80116
回答No.62

 No.57です。お言葉に甘えます。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  さて生殖器に内在する肉の欲望を婚姻の純潔は善く用いるのであるが しかもその欲望は意のままにならない運動を持っている。その運動は 堕罪以前の楽園においては欲望が皆無であり得たか あるいはたとい存在していても 時には意志に抵抗することがないように存在していたことを私たちに示す。  しかし堕罪後の今は 欲望は精神の法に反しつつ 生むべき原因が全くないときにも 性交すべき刺激を与えるようなものであると私たちは考える。  もしそれに人が屈服するなら罪を犯しつつ満たされる。もし屈服しないなら 同意しないで 制御される。この二つのことは堕罪以前の楽園においては無縁なものであったことを誰が疑い得ようか。  なぜなら あの貞潔は恥ずべきことをなさず あの祝福はいかなる不安も覚えなかったからである。したがって 処女の子が懐胎されたとき そこにはこの肉的な欲望は全く存在する筈がなかったのである。  処女の子において死の制作者は死に値する何ものも見出さなかったにも拘わらず 生命の制作者の死によって征服されるために彼を殺すようになったのである。  最初のアダムの勝利者は人類を拘束していたのであるが 第二のアダムによって征服されて キリストに属(つ)ける者たちを放免する。・・・このことは 人間が高められることなく 《誇る者は 主において誇る》(コリント後書10:17)ためになされたのである。・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 読みづらい文章を あえて 持って来ました。  要するに   ○ 不可能なことが 実現する。  ☆ と読みます。いかがでしょうか。  * 《わたしは 主において 誇ります》という言葉を連ねればよいと考える場合も 見受けられるようですので 言葉というものは 扱いにくいものですね。

noname#122427
質問者

お礼

>☆ 読みづらい文章を あえて 持って来ました。 あう。。。イヂワルされてしまいました。。。^^ 「どうして読み難いのか?」を考えてみました。 >さて生殖器に内在する肉の欲望を婚姻の純潔は善く用いるのであるが 「肉の欲望」を「婚姻の純潔」は(何の為に)「善く用いる」のか? この「目的」を書いてくれれば。。。とか、 その次の文は出来れば「簡潔に二文に分けて」欲しい!とか、 どうも「文法面の読み難さ」ではなかろうか?と思うのです。 受験の時に英文法を完璧にする為に「切ったり貼ったり」SVOCを明確にする練習をしたものですが、全く同じ感覚をこの手の文章からは感じます。 これはつまり、 *私が素直に読んでいないのか? *書き手/翻訳者の文章能力があまり良くない(無礼極まりない!!大汗)のか? どちらなのでしょうね。。。それとも別の理由があるのでしょうか。。。 文章の中身に関して >処女の子が懐胎されたとき そこにはこの肉的な欲望は全く存在する筈がなかったのである。 これはマリアの処女懐胎を言っていると思われますが、 この「処女懐胎」は神的な意味からはともかくとして、その後の世界の「肉欲の位置づけ」を格段に貶める役割をしているように思えてなりません。 勿論、私はクリスチャンではありませんし、聖書をしっかりと読んだ事も無い不勉強者ですので何も言う資格は無いのですが、そんな事をふと考えます。 まだまだ「私の知らない事」が世界には溢れていて、それが私には「生きる意味」にすら思えます。^^ ありがとうございました!!

  • kekkoo
  • ベストアンサー率13% (8/58)
回答No.61

すみません。あんまり頭良くないんで、ずれるかもしれません。 彼女らは望んでそうなったのかどうか…?借金だとか、騙されたりとか、親に強制されただとか…レイフ゜だとか…アイドル志望が騙されたとか、考えが浅かったとか。 プライド売り渡したのは何故ゆえか考えると、腹も立ちます。 需要と供給。 それに弱肉強食な世の中に思います。

noname#122427
質問者

お礼

kekkoo様、回答頂きありがとうございます! 確か、ライフカテの「レイプなんて大したことではないのでは?」と言う質疑でご一緒した方かと。。。^^ あの質疑もこの質問の動機の一つです。 >彼女らは望んでそうなったのかどうか…? >プライド売り渡したのは何故ゆえか考えると、腹も立ちます。 そうですね。。。同性の者として、言葉にし難い思いを抱きますね。 只。。。私は被写体となる人たちを非難するつもりも、ポルノ産業そのものを非難するつもりも無いのです。 それらを「私が」どう受け止め、どう自分の中で処理していくか?を探っています。 そして、「受け止める側としての問題」があるとするならば(実際ありますし。^^)それをどう改善して行くか? より未熟な者達(主に幼い我が子達)に私自身を一つの受け止め方のサンプルとして、何を伝えられるか?と言うような主題でもあります。 >需要と供給。 >弱肉強食な世の中 確かにそうです。 でも「それだけではない」から、人間は此処迄存在を長らえて来たのだと私は考えています。^^ より良い未来は、自分自身がより良く生きた時にしか作られないのだと肝に銘じて、明るく大らかに^^生きたいものです。 ありがとうございました!!

回答No.60

私は とんでもないことをしでかしてしまったようです。 哲学カテでの質疑の資格を失ったと思っています。 恥ずかしい失態をしてしまったことで、恥ずかしいからというのではなくて、 それよりも、 たぶんですが人の心を傷つけてしまったからです。 ですので、 今回にて私の方からの筆は中途半端ですが、まとめます。 昔、 病院食堂に勤めていた時なのですが、 そこに神経症の酷い人がいたことで、そのことで、その病院精神科の先生と 矢田部ギルバート方式の心理テストについて論争をしかけるような文を書いてしまったことがありまあした。 答えがいただけたのではなく、結果は首でした。 つまり、そこまで その人を傷つけてしまったのです。 これは まさか 精神科の先生が それだけで何か心が傷つくとは思っていなかったからです。    しかし、実際には そこまで私はその人の心傷つけてしまったのです。 二度とそんな失敗はすまいと思っていました。 でも、たぶん、いえ、もし今回の演技が人を傷つけたのならば その程度のことではないだろうと思います。 そんな人間が何を語れます? * ただ、どうしても最後に書いておくべきかと思うこと2点があります。 ひとつは、ポルノに携わる人達の下品さを下品さとして見つめ、それ自体は非難するべきであっても、同時にその非難の仕方がレッテルを貼ってしまうような形での非難の仕方をするならば、  それはその人を非難してしまうことになる という点です。 それは難しいことです。(ごく簡単な道徳に見えますが 実際には難しいことと思います。) 心の中にでもレッテルを貼ったら それはその人がその下品さから抜け出せない圧力を生み出すからです。 ここにすべての人への深いリスペクトという名の感性が必要だというのが 私の感覚です。(その信仰の世界があれば、 けんかという事態はありえないと思ってました。馬鹿ですね。) 理論は、私はたぶん馬鹿ですので、よく解りませんが、言っている意味をわかっていただけたらうれしいです。(馬鹿ですけど、私のシャウトのようなものです。) *、 それと、もう一つは、  文明の複雑な社会の中では、心理的な性障害にしても、因は複雑ですが、 それでもなお、 人間性こそが、心理的性障害を克服し、さらに成長させる最大の薬でありえる点についての 希望は、人間ならばけして失わないで欲しい ということなんです。 人間だけが 性の感性を、藝術の究極の地点を宿しつつ、発展させていることは、 たぶん       たぶん、体験者でないと わからない世界です。 まだ、それを深く 解りやすく 楽しく、  奥深く楽しく、 表現出来ているようなその文化がまだ無いからです。 が、 希望は失わないで欲しい。 これも、私の人間としてのシャウトです。 以上 2点だけ、  書きました筆への責任のためにも、 それだけは筆を伸ばさせていただきました。 詳しいこと書けないですみません。 …。   すべては 詩です。  わかりますか? 言葉での希望は 詩です。 生きられた詩です。     詩っ!という沈黙の歌でもあり、すべての希望のことばでもあります。 ほんとうは、それが理論のすべてです。   そのはずです。 映像詩も、 深いナレーションとともにあります。 すべては 許されています。 なにがあろうともです。 だから あとは詩っ! 最後に  ポールバレリーよりも解りにくいかもしれない詩を 贈らせていただきました。 以上です。 

noname#122427
質問者

お礼

arayata333様、すっかり遅くなりました。 毎度の丁寧な回答、本当にありがとうございます。^^ 関連していそうな所をあちらこちら覗いてみたのですが、お二人の喧嘩?すれ違い?は奥深く奥ゆかしく、私には何処がどう食い違っているのか?すら、判りませんでした。汗 第一、切っ掛けとなってしまった私へのお二人の「蚊が刺した」と言う表現。。。その真意もきちんと理解出来ているのか自信が無い私です。 只、私の心の持ち様によって事実は巨石にも羽毛にも変わる、と言う事を「やっと」実感として体験した、と言うだけなのです。 全く頼りない回答し甲斐の無い質問者で申し訳なくお詫び申し上げます。 この質疑はプリントアウトして保存しておく予定です。 きっと数年/読み返す毎に理解の度合いや方向が変わって行くのだと感じています。 とても覚束無い「解決」ではありますが、 >すべては 許されています。 なにがあろうともです。 この事/言葉の意味は、しっかりと「理解」出来ているつもりです。 私がそう思えるような所迄丁寧に暖かく導いてくださった事、本当に感謝しております。 小さな出来事/質問迄丁寧に対応してくださり、それが私の頑な枷を解いてくれました。 本当にありがとうございました!

noname#91067
noname#91067
回答No.59

>此処で「長期的視野(と私は思っていますが。汗)」に立って見ると、その(>>規制し過ぎなでいるのがいい)「主張」は「現実の非合法行為が減少する事」が前提条件ではないか?と思えるのですが、いかがでしょうか? ポルノがそのように主張されるなら、「ポルノの増加」は「非合法行為の減少」を伴っていなければおかしい、と思うのです。 長期的視野でいうと人間出会えばどんなに大切な関係でも必ず別れを経験することになります。 出会わなければ、ことさら清算すべき関係とはならなく、避ける手段を講じる手間は省けますが、親密な人間関係の続くことが善で疎遠になるのは悪とするのも固定観念、偏見が入るものだと思うのです。 更に、いくら相思相愛で結ばれた理想のカップルであっても意志とはお構いなく飽きるものです。意志によって感情をコントロールしたとしても所詮役割を演じているだけなのです。 なので虚構に見えるポルノに嫉妬したり浮気したり非合法が蔓延しようが廃れようが恋愛中に持てていた本音の恍惚感は結婚すると真面目な対面審査となり、冷静になって相手を見るうちどうしても飽きます! 飽きがあることは救いにもなります。他方に視野も広がり可能性に意欲する。そう新たな恋の予感を抱くこと。飽きたり成長するな!って言われたらその人こそ狂気を帯びてくる感じします。 如何に芸術至上主義的に美を追求しようと、魅了の手段であった視覚が仇となって現実の生活態度とのハンデキャップ因子となってしまったり、スケベな男性だけでなく、愛されたがりその為に尽くしている自分にも同じ経験に、役割に飽きてしまう可能性はあります。私は変わらないと信じていれれるのもちゃんと灯りが付いているからですね。 人間は人間との間で役割を演じている。本音優先で演技力がないことをバカにされるよりは賢い人ほど演技力が長ける。 役割認識もなく本音で生きるバカほど虚構の自己主張によって自己確認満足します。ポルノ俳優、及びそれを生み出す社会=役割も持たず存在価値がない人(社会)と見なして、その役割も欲望を満たす装置、機械にしていることになります。使える奴、使えん奴って無責任にいう。 存在価値のない人に違和感を持つとするなら、愛とか義務感とか、世間体を気にしてしている自分の演技に疲れた、周囲も感覚を鈍らせて印象で全称判断して欲しくない。という思いもあるのかもしれません。自分の気分でした投影かもしれません。でもいいじゃないですか?非合法をする人にもポルノをする人にも、どうせ存在価値がない人たちのことで、役割を持った人間が悩まなくっても。 逆像、逆説は哲学の常ですので、こんな解説などもちろんアテになりません(汗)仮説も常です。笑って右から左に受け流してください。

noname#122427
質問者

お礼

miko-desi様、すっかりご無沙汰しておりまして申し訳ありません! 今回頂いた回答は何と言うか。。。。 更にケムに巻かれた気分です。^^ miko-desi様は前向きな思考をなさる方なのか、後ろ向き思考なのか、 暖かな方だなあ、と思ったら、ひんやり!とさせてくださいますし。。。 ちょっとイヂワル、なのでしょうか?^^ 私も考え事をする時は、出来る限り「前提を疑い」ますし、「白紙撤回」を限界迄試みます。 子ども達が生まれて、しっちゃかめっちゃか格闘するうちに「白紙撤回」はかなり上手になって来ている、と自負しておりますが、miko-desi様の回答を頂く度に「まだまだだ!」と反省します。^^ 只、一つだけ、 >非合法をする人にもポルノをする人にも、 >どうせ存在価値がない人たちのことで、 私はどんな物にも人にも「価値が無い」とは思えないのです。 でもまあ、それは私が「私自身の価値」を疑っているからこそ起きる考えかも知れません。。。 まだまだ勉強不足です。 こんな不勉強な質問者に長々とお付き合い下さる事に心から感謝申し上げます。 ありがとうございました!^^

noname#76229
noname#76229
回答No.58

追記させて下さいね。 もう少しこちらにて本音を寄稿させて下さい。 実のところ、あなたの痴漢の被害にあった行為とはどの程度のものだったのでしょうか。 例えば光市母子殺害事件のような凄惨な事件であれば、哲学ないし宗教の関与する余地が十分過ぎるほどあると思われます。 でも、道すがらに身体を一回撫でられた、といった類であれば。 「蚊に刺された」という風に考えるのが私も一番妥当な気がするのです。 何も「一人の人間として痴漢男も尊ぶべき」などと【回りくどく思索する必要もない】気がします。 だって、あなたは私同様女性で、私以上に若いまだ20代でしょ。 これからまだ先々幾らでも不快な【事故に遭遇する】ことだって【ありえる】わけですから。 蚊にさされたり、単純な事故に遭遇するのって、ある意味不可避と言える確率の問題と言えるから、ある程度達観せざるを得ないと思いませんか。 身体の部分を撫でる、といった軽い痴漢行為という人間の考察ですが。 なにも、幼少や青年期を通じてなにがしかの問題を抱えた特殊な成長を遂げた男性だけでなく、単に一時的に【魔が差す】といったある種のストレスやコンプによる【そこいらにいる普通の人】の【発作的行動】として位置づけられなくもないのではないですか。 これは幼少より越境通学を経た私の個人的な数々の些細な痴漢被害から考えたのですが。 まあ、他にも確信犯的に痴漢行為を常習化するに至る人も結構いるでしょうけどね。 でも、それさえも。 対価報酬を支払って各種趣向を凝らした風俗(お触りパブ?笑)へ赴く男性陣の性欲と一体本質的にどこが違うのか、と言えば、合法・非合法の違いだけじゃないですかね。 そう考えると。 あながちアングラでない一番お手頃な二次元ポルノへの風当たりというものは、 不当なまでに過大なモラルを要求される宿命なのかもしれませんよね。 そして、痴漢行為の話に戻ります。 被害者であるあなたは本気で相手の痴漢男を「人間だから尊ぶ」などと悠長なことを言っていられます? 私なら、嫌なものは嫌!減るものじゃないけど生理的にキモイ!(笑) そりゃあ~謝罪されれば許しますし、謝罪されなくともこれくらいでは禍根は残しませんけどね。 世界一頼りになるダンナに「今日ね~」と愚痴を言って受け止めてもらえる心理的な安堵感に満たされれば翌々日あたりにはケロリと忘れちゃうくらいの事象に過ぎません。 また、「全ての命は尊ぶべき」「世界に本当に悪い人は一人もいない」という理念はとても素晴らしく美しいものだと思います。 でも…この言葉は冷酷な現実と対をなすモラルだと思うの。 「そうであったらいいね」くらいに軽く目指す方向くらいでいいかも。 現にイスラエルとアラブの対立は数千年に渡り続いているし、未熟な私が外国で暮らして感じたことは(言葉が拙かったせいもありますが) 「分かり合えない人とは分かり合えない」し「仲良く出来ない人とは仲良くできない」ということ。 フランスでは喧嘩ばかりしてました。 でもね、喧嘩して語り合うほどに相手と距離感が縮まる気がしたわね。 相手に同調してばかりだと酷く相手に馬鹿にされましたよ。 そりゃあ、そうだ。 哲学でも同じだと思う。 例えとんちんかんでもいいから、謙虚になりつつもあなたなりのオリジナルな考えもしくはアレンジが欲しいところです(偉そうでごめんね)。 例えば、いまある現実をゼロマイナスとして、「あれもできる、これもできる」と加点していけば、自分の人生、人と比べるまでもなく悪くない。結構イケてるかも、ということで自分なりに「ま、いっか♪」と満足できるわけです。 でもあなたの場合、「どうやら理想ありき、こうあるべき、なのに今の私は乖離した存在」と満点方式からどんどん減点していっているように私には映るのです。 それがね、何ともはがゆいの。 だって、あなたは私の比でないほど賢く、知性も教養もあり、勉強家で読書家で、慈愛に充ち溢れた魅力的な女性なのですから。 もっとね、ご自分に自信を持った方がいいです! そして、ご自分のお子さん方にも「喧嘩してきたら叩いたりつねったり倍返しにしておいで♪」とデーンと構えられるブレないママになってみてはいかがですか。 あなたの心はごまかせても、子供というのは正直ですから、成長するにつれて「大人の綺麗ごと」は「うそだ!親と一緒にするな!」と反発するし、それが健全な発達なのかもよ。 親の完全な思い通りに子供が育ったら、不気味じゃないですかね? 親子は別人格なのですから。 「哲学カテとはなんとまあ退屈なのだろう」と嫌味を言い放ちながら、いつしか何気にチェックしている愚鈍なオバサンの戯言ですので、上から目線のつもりはありません。 深い思索に堪能なあなたの胸を借りるつもりで書きました。 娘達が帰宅してこれから夕食なので、急ぎ推敲せず寄稿することお許しあれ。 追伸: あなた以上に私には各回答がまるで読みこなせていません、とほほ。 逆にヴァレリーの詩のほうがあなたとだぶって、グッと胸につまるものがありました。 ・・・キザなオヤジというのは、これで何人目かしらね(笑)

noname#122427
質問者

お礼

すっかり遅くなりました。申し訳ありません! 長くなりましたので補足欄にて。 よろしくお願いします。

noname#122427
質問者

補足

mashumaro2様、ご無沙汰しておりました。^^ すっかり遅くなりましたが、お礼と返信をさせて頂きます。 >でも、道すがらに身体を一回撫でられた、といった類であれば。 >何も【回りくどく思索する必要もない】気がします。 。。。これを拝見してすっかり落ち込んでしまいました。。。大汗 私、すっかりすっかり馬鹿だなあ。。。って。。。。 確かにおっしゃる通りなのです。本当に本当に「蚊に刺された程度」なのです。 でも、「(私にとっては)天地がひっくり返る」ような衝撃だったのです。大汗 如何に私が「頭でっかち」で「粘着質」で「純粋培養」で「アウトプットが苦手」か?と言う事を、まざまざと思い知らされるように思います。 それとともに、やはり「女性は女性に手厳しい」とも思わざるを得ません。(ん?そんな事ではないのかしらん?汗) とにかくも。。。。落ち込みました。。。笑 >これからまだ先々幾らでも不快な【事故に遭遇する】ことだって【ありえる】わけですから。 その通りですね。 事実、中学の痴漢事件以降、何度か「性的に嫌な思い」はしておりますし、余程中学の事件よりも「客観的には酷い」と思えます。 とは言え、一番「引っかかっている/腑に落ちない/どう処理すれば良いのか迷う」のは中学の時の事件、なのです。 だから、この「引っかかり」は「客観的な重大さ」とは別の「個人的な何か」があるのだと考えたのです。 そして、この「人生最初の性的な引っかかり」を解決すれば、芋蔓式に幾つかの問題が解決するのだろう、と踏んだわけです。 現に、解決しつつある今、 >「全ての命は尊ぶべき」「世界に本当に悪い人は一人もいない」 に「例外」は設けなくて良いのだ、と判り、私の「思考の枷」が一つ解れました。 これは私の思考範囲を劇的に拡げたように感じています。^^ >被害者であるあなたは本気で相手の痴漢男を「人間だから尊ぶ」などと悠長なことを言っていられます? うーーーん。。。。なんて言うか「愛」なんて壮大な言葉を出してしまったので良くなかったのですが。。。 単に、「人間の多面性を考慮する」と言った程度の事なのです、私の「愛」は。 彼はそんなくだらない人間らしくない事をしましたけれど、 別の面で、もしかしたら会社では素晴らしい業績を出しているかも知れないし、家庭では「素敵な夫」かも知れないではないですか? でも、私はそんな彼に対する「多面的な見方」をずっとずっと拒絶して来ました。 ま、「痴漢男」は彼の一面だったに過ぎないんだよね。。。とは思えなかったのです。(え?そんなの思う必要無いでしょう?って?。。。。そうかも知れませんね。笑) あの植草教授、いましたよね。 私は学部の時、彼の著作を良く読みました。 七面倒臭い経済政策をとても判り易く説明していて、彼の本に出会わなければ私の経済に対する理解はもっともっと低い次元で止まっていた、と確信します。(そうは言っても大したレベルではありませんけれど。汗) 彼の「反社会的な面」と「学者としての能力」は相関関係にありません。 只「人間の多面性/複雑さ」をとても不思議に思う、その一例です。 例の痴漢男、彼もやっと今、そんな「多面性を持つ人間の例」の一つ、として私の中に位置を取りました。^^ >例えとんちんかんでもいいから、謙虚になりつつもあなたなりのオリジナルな考えもしくはアレンジが欲しいところです う。。。自信ありません。 でも。。。本当に「言葉」って心のひとかけら、しか表せませんね。 もっと言語化能力を磨きたいです。^^ でも「オリジナル」を持つには、私の人生はまだまだ経験不足/業績不足です。 あとどう少なくとも10年は試行錯誤の日々だろうと見ております。 きっと、私の質問に答えてくださる皆様は、私の「理想と現実の舵取り」の危うさ/アンバランスさに、さぞかしハラハラしてくださっているのだろうと思うのです。汗 でも、私自身は意外に「どうにか行ける」と楽観的なのです。 それは一度自分で自分の命を捨て、それでも生き残って今を生きている私だから大丈夫だ、と思えるのです。^^ 「からっぽの私」だから、大丈夫だ、と確信しています。^^ ヴァレリーは。。。読み解くのにまだまだ掛かりそうです。 判らないのにドキドキする、とは何とも不思議な体験です。^^

noname#80116
noname#80116
回答No.57

 No.47で 訂正があります。  ☆☆ (ANo.47)~~~~~~~~~~~~~~~~~    誤: 現状復帰    正: 原状復帰  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ まことに すみませんでした。何度も 書き損ねてしまっていました。意味が 正反対になります。心より お詫び申し上げます。  なお 同じ回答にて  ☆☆ (ANo.47) いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば  ☆ と書きましたのは 次の命題にもとづいております。参照に値すると思いました。  ▲ わたしたちは ひとを愛しその欠陥を憎むのであって 欠陥ゆえにひとを憎むべきではなく ひとゆえに欠陥を愛すべからず。  * 露出度が多くなって すみません。

noname#122427
質問者

お礼

何度も丁寧にありがとうございます。 露出度アップ、歓迎です。^^ >▲ わたしたちは ひとを愛しその欠陥を憎むのであって 欠陥ゆえにひとを憎むべきではなく ひとゆえに欠陥を愛すべからず。 どんな人にも「欠陥/欠点」はあり、同時に「良い(善い)ところ」もある。 だから、人は(丸ごと)愛される価値のあるものである。 欠陥があるとしても「愛される価値」は減りはしない。 。。。と解釈しました。 あ、最後の >ひとゆえに欠陥を愛すべからず。 は、「欠陥を容認し放置してはならない」と言う意味なのでしょうか? そのように「実感」が得られたら、そんな前提に立つ人間と言う存在が生み出したポルノにも「大らかに存在を認めよう」と言う気持ちも湧きつつあります。(まだ完全じゃありません。汗) でも、もうちょっと未熟な者に「成熟を促せる存在」であっても良いかな?と思います。 未熟な者に「成熟への拒絶」を促しては本末転倒だと思うのです。(私のように^^) ありがとうございました!

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