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ポルノと言う存在。
こんばんは。 先日もこちらのカテゴリーでお世話になりました者です。 その節は本当にありがとうございました。 今回も、自分のカウンセリングを兼ねた質問を立てさせて頂きます。 お付き合い頂ければ、幸いです。 質問は、 「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、どういう風に感じましたか? *当たり前 *違和感 どちらでしょうか? そして、これは男女の違い(本人の性別/被写体の同性or異性)によって、変わるのでしょうか? いえ。。。 多くの子ども達は「身体は大切に」「人の嫌がる事はしない」。。。等と言い聞かされ、またそれを「人としての基本」に据えて育って来ていると思うのです。 でも。。。 ポルノ、と言う存在を「当然」或は「必要悪」等と捉える時、それはその「基本」との違和感、を生じないのでしょうか? また。。。「違和感」を感じた方は、それによって「自分が傷付く」と感じないのでしょうか? ちなみに、私は20代後半の女性で、既婚6年、三児の母でもあります。 夫との関係、性的関係も問題無く、とても幸せを実感しております。^^ そして、(男女によってその程度の差はあれ)「性欲は愛情とイコールでは無い」事、性欲と言うものは「性的禁止」と「性的刺激」によって形成される、と言う事も判ります。 現に私自身、例えば好きな海外サッカーの或る選手等、「いや。。。脱いでも綺麗だろうなあ。。。ニカニカ」等と、思ってもいます(恥!)。 でもでも、翻って「初めて知った時」の記憶を辿り、以後の感じ方を辿ると、私には「違和感」以外、浮かばないのです。 何故、大切にすべき「人の身体」を、そのように扇情的に不特定多数の目に「現実の画像として」晒せるのか、それは、「人としての基本」に反しているのでは無いか?。。。そう思えてなりません。 そう思うのは、「同性としての(不要な?)共感/想像力の為せる事」なのでしょうか?(現に、先述のように私自身「妄想」はしても、それについて違和感はありません。汗) では、男性は男性のポルノ(有りますよね?)に対して、「違和感」は感じますでしょうか? つまり、「感じ方の前提」として、 *自分を被写体に置き換えて、の臨場感、の有無 があるのかしら。。。。とも思います。 このように、私もすれ違う見知らぬ異性から「あらぬ姿」を思い描かれているのかしら? そうだとしたら。。。皆様はどうお感じになるのでしょうか?そして、まだ「性の入り口」に居たご自分は、どうお感じになりましたでしょうか? 纏まりの無い長文で、申し訳ありませんが、 よろしくお願い致します。 尚、お礼が遅くなる、または、順不同になるかも知れませんが、必ず書き込ませて頂きますので、その旨お許しください。
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○ それは 蚊が刺しただけです。 ☆ よほど コミュニケーションが通っていないと 言えない文句です。 ですが わたしは いぢわるぢいさんよろしく mashumaro2さんや miko-desiさんのご見解に 輪をかけて 傾くものです。 もし 上の命題をたがえているとすれば それは 被害者であるyukkinn66さん あなたも 蚊となって刺したということです。 miko-desiさんの新しいご投稿が現われたので 書きこむ気になりました。 性愛関係には 一般の愛としての人間関係から 二人の合意によって 入ります。初めは 一方的な行為であったとしても 同意したという関係に入る場合があるということです。もしさもなければ 無効の行為だったという――蚊が刺しただけだという――事態です。 起きたことは起きたことで その過去を 消して 現状復帰することは 実際には 叶いませんが いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。 ご自愛なさって いやなものは嫌 とはっきり 言っていかれるようにという考えを わたしは 持っています。そこに 面従腹背は 含まれます。
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- nabayosh
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>>ポルノもまた虚構だと考えて距離を離して考えています。 > >はい。「虚構」です。 >その虚構は、性癖と非合法性行動を「橋渡し」しているのか、「障壁の役割」をしているのか?についてはどうお考えになりますでしょうか? yukkinn66さんはまず自分を社会の中に生きる存在と立場づけて語っておられるわけで、社会が危うくなることは自らの存在も危うくなる、よって社会の中で生きる上での取り決め(道徳・法)に照らし合わせ、非合法なものは毅然として避けるべきである、しかるにポルノはそれ自体が悪であるかどうかはひとまずさておくとしても、ポルノで行われるような反社会的で非合法な犯罪(痴漢やレイプなど)が存在する以上、ポルノにはモラルが欠けているということに危機感を覚えざるを得ない、という不安をお持ちのように思われます。 それを切り開くためには、自らの立場づけを変える必要があるのではないかと思います。私が「ポルノ『もまた』虚構」と発言したのは、社会もまた虚構だからです。このようなことを書くと反社会的な思想であると思われかねませんが、そうでもしないことには「自身の被害者意識を克服し、本当は素晴らしいものである筈の性を在るがままに見つめたい」というyukkinn66さんの望みが遂げられるであろう見込みも乏しいからです。社会という枠組みの中に凝り固まって考えるならば、社会というものが持っている規範などといった共同幻想が色眼鏡となって「あるがままを見つめる」ことの妨げとなるでしょう。 アリストテレスが「人間は社会的な動物である」と言ったのは知られていますが、哲学の歴史はニーチェ前後からそのような考え方も疑いはじめました。哲学と倫理の袂別とも言えます。 で、ポルノの善悪とか、社会うんぬんということをとっぱらって考えますと、あるがままの認識のはじめは、「それがこの世界で(物理的に)可能であるか否か」ということになります。 若干語弊があって誤解を招くところではありますが、この世界では、可能なことが起こり得、不可能なことは起こらないことになっています。とすれば、不可能なことはこの世界には存在しないのです。 起こりうることのうちいくつかは起こり、いくつかは起こらない。たとえば殺人ということについて考えたとして、こうなります。 1.殺人は起こりうることである。 2.起こりうる殺人は起こってもおかしくない。 3.私が生きているということは、その起こってもおかしくない殺人にたまたま遭っていないということにほかならない。 感情として嫌と言ってみたところで、どうにもならないのだから、それを受け入れるしかないのですが、これが感情を持っているから話がややこしくなるのです。 感情に対しては「観念しろ」というしかありませんよね。死にたくないと思っても人間は死んでもおかしくないし、レイプや痴漢の被害に遭いたくないと思っても遭ってもおかしくない。世界とはそういうものだと観念、覚悟するしかないのではないでしょうか。 で、ポルノです。 虚構とは言ったものの、虚構でありうるのは真実をちらつかせるから虚構なのであって、ポルノに触れることによってレイプや痴漢というようなことが「可能」であるということを知ってしまう人もいるとは思います。それが合法か非合法かはさておき。ということで<橋渡し>の部分は否めませんよね(必ずしもポルノだけが性犯罪への道だとは考えませんが)。 で、欲望には他者の欲望を模倣して増幅するところがあり、それを見て真似したくなるという側面もあると思います。とすれば、「*性欲から性行動へとなるメカニズム」として考える時、必ずしも性に限定する必要はないのではないでしょうか。なぜ性だけが問題になるのか。一般的な欲望と同じように捉えればよいのではないのか。食べたいと思って食べる行動に至るメカニズムと、さして変わらないと思いますよ。 「*性癖と非合法的性行動を結びつけるものとは?」 性というのは今では割と開放的になりましたが、社会の側が性癖を抑圧していた時代というのもあるということを鑑みる必要もありそうです。つまり、性癖というものを非合法とした側にも責任があるのです。性癖が抑圧されれば歪みますし、それがまた新たな困ったことを引き起こすことだって考えられます。 「*「仮想の存在」と「現実の女性」をどう区別しているか?」 ポルノにおいては、漫画などの二次元では完全な仮想ですが、AVやグラビアなどではよりリアリティを増してきます。しかし、現実の女性との仕切りで言えば、相互的なコミュニケーションの有無になると思います。この相互的なコミュニケーション、メディアやネットなどで情報が氾濫する時代にあって、そのスキルを十分に備えていない人が多いこともありますが、対話するということを考えない自己完結さが問題だと思います。これはポルノの問題というよりも時代が抱える問題だと言えるでしょう。自己完結な片思いがストーカーになったり、学校を運営する側のことを慮れないモンスターペアレンツがいたり。 ポルノだけにとどまらないところまで広がって収拾がつかなくなるので、このへんで。
お礼
nabayosh様、回答をありがとうございます! 長くなってしまって補足欄に書き込みました。 よろしくお願いします!
補足
nabayosh様、再びの回答ありがとうございます!! 何ともアウトプットが苦手でして、こんなにも返信が遅れましてとても申し訳なく思っております。 このアウトプットが苦手、と言う部分が、私の被害者意識を上手く消化出来ない原因でもあるのですよね。。。 >私が「ポルノ『もまた』虚構」と発言したのは、社会もまた虚構だからです。 >そうでもしないことには「自身の被害者意識を克服し、本当は素晴らしいものである筈の性を在るがままに見つめたい」というyukkinn66さんの望みが遂げられるであろう見込みも乏しいからです。 うーーーん。。。 私が望む事は常に二つです。 *自分と周囲の人間が「より良い未来」を生きる事 *世界がより良い未来を紡ぐ事 色々と書いておりますし、私自身もごちゃ混ぜにしている事がありますので良くないのですが、 この質問の目的も二つです。 *私自身の被害者意識を解消する事 *社会がこの分野に関して不足/未熟な部分を知る事 うううーーん。。。ミクロとマクロの二種類の攻め手とは、この事でもあるのです。(後だしジャンケンですか?汗) >1.殺人は起こりうることである。 >2.起こりうる殺人は起こってもおかしくない。 >3.私が生きているということは、その起こってもおかしくない殺人にたまたま遭っていないということにほかならない。 これは「個人としての対処法」ですね。 そして被害に遭った時の被害者意識を解きほぐす為の言葉です。 でも、これを「社会として認めて」しまうのは間違いではないでしょうか? >なぜ性だけが問題になるのか。 >一般的な欲望と同じように捉えればよいのではないのか。 >食べたいと思って食べる行動に至るメカニズムと、さして変わらない 食べたい、お腹が空いた、と言う欲望が高じて採る反社会的行動は。。。食い逃げ、独り占め、辺りでしょうか。。。 女体に触れたい思いが高じて採る反社会的行動が痴漢、でしょうか。 うーーーん。。。食べると言う行為は労力や金銭の対価が必要(な歴史が長い)。 反して性行動にはそのような歴史が短く、間に挟まる対価が無い(見え難い)から起きるのでしょうか。 売春等にしても、「本来は」妻や恋人等と無条件に行う行為との意識があるように思います。 つまり、 対価と言う「一旦立ち止まって選択を確認する」要素が無い(ように思える)。 本能(衝動)→選択(思考)→行動と 本能(衝動)→行動の違いでしょうか。。。。段階が少ない。 >性癖が抑圧されれば歪みますし、それがまた新たな困ったことを引き起こすことだって考えられます。 では、 社会は性愛に関しては非合法を黙認している、と言う事なのでしょうか? (夫婦や恋人同士の寝室/同意の下の行為は勿論別です。) >これはポルノの問題というよりも時代が抱える問題だと言える うーーーん。。。では痴漢やレイプ等性犯罪は「この時代の問題」と言う事でしょうか? ではそれらが存在しなかった/稀だった時代とこの時代は何が違うのでしょうか。。。 AVやグラビアがここまでリアルでなかった時代は性犯罪は少なかったのかしら。。。これは私の知識不足です。調べる価値はありそうですね。 もし知識をお持ちでしたらご教示下さると嬉しいです。 性犯罪は農耕社会になった遥か昔から見受けられる現象ですよね。 うーーーん。。。別の質問で、ですが、 >(農耕社会以前は)女性は大切にグループに守られていたようで、力づくでレイプされるということも無かったと想像します。 との意見を目にしました。 色々な視点がありますね。。。^^ 回答ありがとうございました!!
- arayata333
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中継ぎというより いつもの年寄りの心配性ですが、 きつい冗談が多すぎたので混乱しているといけないなとも思いました。 それは 結局 全部いっぺんに書けないところからくる表現の強調の必然であり、 全容が明らかになれば問題は無くなると思われるところ、 どうか 私のポルノ改革への 表現者としての真剣さは 信頼しておいてください。 上段(冗談)の構えも変わらないでしょうが^^、こうして横からもチョメちょこっ♪と触っておきました。(と、 こ こんなこと書くから混乱する心配までしてしなきゃならなくなるのでしょうけどね。)
- arayata333
- ベストアンサー率30% (35/113)
どう書いたらいいか? No42の続きですが、迷います。 笑いとかでお茶をで濁してしまいたくもなります。 でも、ここは直裁に書いてみます。 もし、今の私とセックスすれば、多くの女性は ただこのうえなく気持ちいいとか、最後に最高のくつろぎがやってくる、とかそのエクスタシーの静寂のひとときが最高だとか、そのレベルの感想を超えて、 たぶん すぐれた芸術家として生まれ変わるでしょう。 その感覚から言えば、 女性の能力のような特質から ミレーやゴッホを越えるような芸術家が多数輩出しないほうが考えがたいことなんです。 すぐれた芸術家や哲学者が そこから生まれないはずがないということです。 恥ずかしいながら こう書くわたし自身が 若い頃は未熟も未熟、 それなのにただ真実だけは激しく求めていて性に関しては かなり自分本位のお付き合いとかもしてきてしまった人間です。 しかし、それなりにではあっても一応 すべての問題をクリアーした今は、まるで違った感覚です。 4)の世界は あまりにも深い世界の入り口です。 お茶をにごさないで 質問してみます。 貴女は そんな私のような男とセックスしてみたくなりませんか? * とうとうナンパ士の本音が出た^^なんて思わないでください。 冗談でなくナンパ反対者なのですから。 ナンパの方法は頭では今ではたしかにこのコツまで知ってますが、そんなの何も考えずに回答しています。 それに、今の私は 何かよほどの理由がないかぎり、その能力を実際には使おうとは思いません。 大勢のそういう能力者達が育たなければ意味ないからです。 私がセックスしたら その模範になれないからです。 聖職者ならぬ、性職者のようなものですね^^。(つい笑い話も出てしまうのですが。) まあ、 この補足要求質問らしい質問には、そちらは お笑いとかでお茶を濁してもいいですけどね。 こんな問題でも、一応 中身自体の真剣さだけは解かっておいて欲しいと思います。 そして それが解かっていただければ、 あとは表現はどこまでおどけても いいのです。 * このことだけ書こうと思ってたんですが ついでに“ナンパについて”書いてしまいますね。 このことで若い人達はかなり さまざまな形で悩んでいます。 男は女性よりも 晩生でもあり 硬くもあり、ぎこちなくもあり、 そしてともかく男としての自信が 若いときから欲しくて欲しくてたまらなくなるんです。 それがいろいろな歪をも生み出します。(おそらく そちらをレイプした男性が若い方であるならば まずその根深い裏衝動にも突き動かされていたかもしれません。 無意識深く根ざした劣等感と言ってもいいです。) その時、 ナンパしたことが 彼らの仮の自信の宿となります。 普通はそこには無理が多々あります。 そして それが その分のレイプという形にもなったりします。 暴力の発生です。 すると、ナンパのスムーズな法則は、暴力とは逆であることがまず言えます。 (まあ 主には男の世界の事ですが 女性としても参考になるかも^^。) ↓ 簡単な法則は3つあります。 一つは 笑わすことです( この回答での笑いは別ですので誤解なきように^^)。 この笑いも ほんとうは若いタレントで言うならば物事を見つめることからのゆとりが自然に笑いを生む形となっているそのあたりで本格化と言われる爆笑問題の太田と田中式であれれば 一番いいんですが、 これは あっそれそれよくあるよくある わたしも失敗したことあるよ。とか言わせる程度に 自分や社会や物事を見ている人達の笑いの世界ですね。 悪口が笑いをとるような世界では 相手もそういう世界に閉じこもった人でないとナンパできませんが、 そんなナンパは難破に等しいだけでしょう。 次には、A4の紙でもいいですが、 それを軽く真ん中から折っただけでびりっと半分になるようにそれを二つにしてみてください。 きれいにふたつになる可能性はかなり低いです。 そこを無理しないで すこしずつ、すこしづつ 薄い線でもその線にそって破いていってみてください。 実際にやるまでもなく、そう想像するだけでも解かることですが、無理なくかなり綺麗に二つに分けられます。 ね。 これも 無理やりの逆さまをすればいいということです。 笑わしながら、お互いが笑ってる時 笑いつつ相手の肩をたたいてもいいでしょう。 ふらっとして、ちょこっと手をとってしまうのもいいでしょうが、 その時 手なり肩なりを触りつづけないようにする^^というのがコツであるというわけです。 つまりそういうチョコを すこしづつにするということです。 あまりにもなにげなく。という感じで やめるということです。 わかりますでしょうか? いっぺんに破かないということ、 これだけが必要なんだということをです。 すると次には もうすこし近い心理的距離が生まれているわけです。 あっ ここはナンパの指南書を書く場所ではなかったですよね。 あとは自分で考えてみてほしいところ、 ただ、むずかしくなんてないという点は なんとなくでもわかってきたのではないでしょうか? 3点目は、これは要はセールスのコツといっしょですね。 タモリや武は 何を言ってるのかはっきりとは解からなかったりしますよね。であって肝心なところは伝えています。 また礼儀とか 優しさとか思いやりとか常識とかも伝えていますよね。 でもおもいっきり何言ってるのか解からないかのようです。 うまいセールスマンも似ています。 へんな魅力があるんです。 そうなれる方法というのもあります。 でも そのへん自分にあった芸能人とかの真似をしてみるのもこの場合のコツですね。 話がうまくてはむしろだめだということです^^。 ま この3点が いわゆるナンパのこつです。 しかし、この3点がうまく出来るようになったら 男の心は実はナンパしなくても満たされていきます。 自信がつきます。 私が言いたいのは、ここなんです。 昔 俺は千人近い女性とセックスしたよと わたしに言ってきた男がいました。 しかし、そいつの目は 輝いてなんていませんでした。 よどんでいました 男としての自信のかけらも失っていました。 生気もうせていました。 おそらく すでにその時は不能ともなっていたと思います。 成熟しないで ナンパ自体を求めていったい何なんですかと わたしだったら ポルノをそのようなことの表現の一つとして構成するだろうということなんです。(世界一のポルノ男優より →本気にしないように^^) 今回は以上です。 次は またしばらく お休みさせていただきます。
補足
本当に本当に、アウトプットが苦手でして。。。返信が遅れに遅れて他の回答者樣方にも申し訳なく思っております。。。汗 どうにも「自分の思い」をばっちり捕まえた!とならないと書けない感じなのです。 そして、皆様に無礼の無いように。。。等と気を付けると今度は捕まえた「思い」が逃げてしまっていたりして。。。。厄介な質問者です。 本当に皆様、申し訳ありません!! >しかし、それなりにではあっても一応 すべての問題をクリアーした今は、まるで違った感覚です。 「すべての問題」ですか。。。私も年を重ねた時、そのように感じていたいものです。。。 >貴女は そんな私のような男とセックスしてみたくなりませんか? んーーーー。。。あのぅ。。。「興味津々!!!」です。。。大汗 何と言うか。。。男性って「いつまでたっても夢を追い駆けて、平穏よりも挑戦を好む」等と言われますけれど、私って変なのかしら。。。「平穏に幸せな人生」よりも多少の不幸は厭わないから波瀾万丈!がいいなって思うのです。^^ 現に「予想外な人生」を送っていますし♪ そんな感覚の延長線上で、そのような問いかけにも「喜んで♪」となりそうな私です。汗 勿論妊娠や諸々の問題で実行には至らなくても、ですが。。。 折角の人生なんだもの、出来る事は全部やりたいね!と夫ともよく話します。 折角男に生まれたんだから浮気もしてみたら?と夫をけしかけているのですが、「じゃあ君の友だち紹介して!」とか「どうせしたら、あれしたの?何したの?って面白がって説明させるんでしょ?官能小説代わりに。。。嫌だ」と実行してくれません。^^ この女の身体で出来る事はやってみたい!と初めての性体験も半ば好奇心で受けました。(一応恋人とですが。。。) 同じように、自分の感じ方の変化を楽しみ、性体験に依る自分の変化を冷静に「サンプル」として観察している自分もいました。 女性性を受け止め切れないまま出産に挑んだのも、この身体で体験出来る事だったから、です。 勿論「母親」と言う自分/人生の部分を実体験してみたい!と言う思いでもありました。それを体験して自分がどう変化/進化/成長/堕落?するのか?をこの目で見たかったから、でもあります。 >こんな問題でも、一応 中身自体の真剣さだけは解かっておいて欲しいと思います。 はい。 今迄の対話で感じたarayata333様のお人柄が、真剣さに対する私の信頼を崩す事は有りませんでした。^^ 反対に私の方が崩壊しているのではな無いか?と心配です。汗 後半のナンパについては。。。 *楽しく笑う。笑わせる。 *焦らない。少しずつ。 *話を上手くする必要無し。(変な^^)魅力が必要。 と言う事ですね。 では、早速実際に試みて来ますね!^^(冗談です) これって、何もナンパやら異性間の話ではないように思います。^^ 友人が出来る時って、こんな感じではないでしょうか? それも「作ろう」と意識して出来た友人ではなく、只自然発生的に類は友を呼ぶようにして出来た友人。 >この3点がうまく出来るようになったら 男の心は実はナンパしなくても満たされていきます。 これについても同様に思います。 私は今迄の人生(たかだか20数年ですが)で、恋愛を自分の課題にした事は皆無なのです。 例え自分の優先順位の最下位に恋を置いたとしても、実際に恋をすれば人はそれに囚われてしまう。 ならば、私は恋から自由なうちに他の事を思いっきりやってやろうと考えて生きて来ました。 恋は友情に含まれる心だと考えています。 >俺は千人近い女性とセックスしたよと わたしに言ってきた男がいました。 >しかし、そいつの目は 輝いてなんていませんでした。 相手を「友」として尊重していない恋は、自信や心の充足を生み出さないのでしょうね。。。。 以前おっしゃったソープでのヘンタイの話と似ていますね。 おそらくは抱える問題として同じ、でしょうか。。。 ポルノはポルノであって、実社会で生身の人間に置き換えてはならない事を強く意識する必要がある、と言う事でしょうか。。。 でも、それを意識出来ない人が置き換えてしまうのでしょうけれど。。。 いつもに増して纏まりがありませんね。。。汗
- arayata333
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1)、2)、3)全部 幻想病とか言ってもですね。 あっ、 あけましておめでどうございます。 新年も宜しくお願い致します^^。 (正月旅行で 会社の車でですが、84歳の母を連れて伊豆に行ってきました。) でも、 さっき帰ってきたばかりというのに、さっそくあわただしく、つづきを書きます^^。 * 1)の性の成熟段階にても、2)と3)の段階にても、 それがたしかに4)となってみればどこか幻想としか思えないような感覚内のこととはいえ、 その時その場にては、どんなに目をこらしても実際にグロテククにも奇怪にも見えたりもする時もあるでしょう。 紅葉が美しいと大勢の人が言っても、それが綺麗に見えない時には、どんな名所の紅葉をいくらながめても むなしくしか心に響かなかったりするのと同じです。 私自身 感性のしぼんでしまったような時期がありましたが、まるですべてが灰色でした。 こうした見え方というものは、感性のその人の内部での動きや 成長とかとも関わるものです。 性の問題も 似たところはあるのですが、 いや、おそらく本質的には同じ問題でもあるのですが、 これは 複雑です。 そして、 その複雑さを 今のポルノ映像文化は はっきりと増幅してしまってもいると思います。 しかも、それがここまでそのまま技術的にも量的にも発展してしまった上にては、その中身を変えてゆくのは大変です。 そのすごい量が質への転換を生まなかった まさに典型例でしょう。 そこには 例のビジネス化の問題があります。 ニーズがそこにあれば、ビジネスはなりたってしまうからです。 ニーズ自体にも もちろん、この場合にても問題はあるわけです。 しかし、まず そのへんは 大きな観点から先に言っておけば、そのニーズによってポルノを見ても(重要なことなのですが)それによって成熟したり成長したりできないような映像になっているため、多くの人にとっては、むしろ成長を阻害する因とさへなってしまい、 そのために年齢を超えた潜在市場がさらに広がっていっている というふうにも見なければならないところと思います。(こうして その製作量が増えてもすこしも質の法は低いままとなっているわけです。) このニーズの内訳の主たるものとして 学者?たちが掲げているのは、男の射精です。 ( それは男や若者のニーズ自体、浅くしか捉えていない考えです。 ほんとうは そのウラに 男らしくありたいとかいうこれも幻想的でもあるのですが そうした力が欲しいというニーズのほうが根深く存在しているんです。 そして、ポルノがそれを満たしてくれてはいないということも 若い男性にしても多くの人が理解はしています。 でも はっきりしないままに このニーズに みずからおぼれているだけです。 しかしこの欠点を突くだけではポルノは改善されたりしません。 はるかに複雑なことになってしまっています。) でも まず、射精が男の性のピークというのも、まったく単純理論というか こればかしは無知としか言いようのない世界なんです。 ただし、 そう思い込んでいる渦中の男に そうではないことを説明しようとするとそれだけで長い説明が必要となることでもあるんですけどね。 性とは人間にとってどういうものか?ということへの学者著述家の怠慢を私は思ってしまうところです。 ちゃんと理解した上でならば 射精を促すような映像があったっていいんです。 それはいくらでも作れます。 が、 今となっては その映像に女性蔑視性やレイプ性が無い映像だったとしても、 極端な話が、性器の映像を見ただけで ウラに女性蔑視や暴力の心を連想してしまう観客はすぐには消えなかったりすると私は 今ははっきりそう理解しています。 どんなに美しいその映像を真剣に追求してる人がいたとしても、それを見るほうのひとが、その映像がむなしく心に響くどころか、 グロテスクで奇怪で気持ち悪くて 吐き気がするような映像にしか“実際に見えなかったら” それは ニーズにこびるビジネス映像よりはましかもしれなくたも50歩100歩と言えてしまう不親切な映像としかならない ? という複雑性を 表現者は理解しなければならないと 今の私はそう思っています。 いや、この性における幻想性の問題はさらに根深く複雑です。 しかし、まず哲学ならば、その複雑性をときほぐす糸口をたくさん見出すことができます。 このポルノとの真の闘いの第一歩は 私はこの点にあると考えています。 この回答に熱が入るのは、 その論議の一環となる可能性をここに見ているからです。 時には 煩雑な展開ともなってしまう筆、しかしてこうした複雑な糸のこんがらがりほぐす意図からのもの、 真剣なその筆であるところ、 ここにあらためて おつきあいを 回答者のほうからお願いしておきたいとおもいます。 あらためてよろしくお願いいたします。 * ここで話は 2)と3)を飛ばし、 いちど4)の方を描写しておきます。 そちらは No33へのコメントに4)として次のように淡々とまとめています。 >4)成熟期 正常な当たり前に幻想の無いセックス 幻想/他人の思い/社会的な道徳感を越えて、 ストレートの生物の体を見つめ、 かつ人間であることも見つめることができるようになる< でも、 この>正常な当たり前に幻想の無いセックス<ということ自体が現代人(文明人)は はっきりとはつかめなくなっていると私は思っています。 ただし、 私たちの祖先が、まだ森の中に住んでいた頃の新鮮な心とか純粋な心というのは、 なんにでもそまってしまう弱い状態とも言えます。 ほんとうにそれを克服してゆくのは、たぶん、この情報化社会にての まさにそちらの言われるとおりに、 「言葉の力」によってだとも私も思っています。 で、 その成熟したセックスについてですが、 聞く話では 接してもらさず?とか スローセックス(長く挿入状態を保ち、触れあいの状態を伸ばせる)とか言われていたりします。 そういえる面もあるかと思いますが、 これはむしろ、“夫婦の営みの中でそう努力してみることが性の成熟にとって契機となりえる事の一つにすぎない”としてとらえるべきところと思っています。 (そして、ではどうすれば 性は成熟してゆくのかということを まず抽象的にですがお話しておくとすれば、 結局人間性を磨くこと、これが決めてとなるとも、 ここで書いておこうと思います。具体的には次回です。) 大人どうしのマンションの一室でのある二人の夜の(びんびんでも挿入はしなかった、ただそっとキスをしたりしてそばに寝ていただけ 静かな出会いと別れ)体験談というのも 書けばおもしろいかと思いますが略します。 また同じ時期に 同じように別な女性と子供みたいに裸ではしゃいだ体験もありますが、この最後はお腹の上に射精した行為についても、その危険性についてもここでは略します。 無知で未成熟な時期にても 真剣であるならば、いろいろ失敗もしつつも貴重な体験はありえるところではあるんです。 しかし、ほんとうのところは何なのか まるで木の葉のように揺れていた私がそこにいただけですからね。 紙数の都合で 次につなげます。 つづく
お礼
補足欄から続きです。 >“夫婦の営みの中でそう努力してみることが性の成熟にとって契機となりえる事の一つにすぎない”としてとらえるべきところ 信頼出来るパートナーと人生に真摯に向き合う、その課題の一つとしての性愛、と言う事でしょうか。 そう言えば、ふと思い出したのですが、仏教の密教系だったと思うのですが、性の秘技と言うような修行が有ったような。。。。 >ではどうすれば 性は成熟してゆくのかというと、 >結局人間性を磨くこと、これが決めてとなる 命/生物と言うものは本来より良い方向へ、明るい方向へと向かう「強力な前進/向上?エネルギー」を持っていると思うのです。 この思いは子ども達を産み、その成長を見守る中で確信となりつつあります。 「人間性」とは、その「命としての本来の姿」と考えたい私が居ます。 そう簡単に決めつけて良い物でもないのでしょうけれど。。。。 >無知で未成熟な時期にても 真剣であるならば、 >いろいろ失敗もしつつも貴重な体験はありえる 真剣に、でも手探りで迷いつつ前進する事でしか得られない成熟もあるのでしょうか。。。。
補足
毎回の丁寧な回答に本当に感謝申し上げます! >あっ、 あけましておめでどうございます。 うわーーー!!申し訳ありません!! 新年の挨拶をすっかり忘れておりました!大汗 大変失礼致しました。 あけましておめでとうございます。 私の方こそ、まだまだよろしくお願い申し上げます。^^ >私自身 感性のしぼんでしまったような時期がありましたが、まるですべてが灰色でした。 私もそんな経験があります。 まるで抜け殻のように只日々を過ごした一年でした。 季節も記憶もその日の日付も判然とせず、感情も感覚も模糊として只生暖かい霧の中を漂っているような日々でした。 >そのニーズによってポルノを見ても(重要なことなのですが) >それによって成熟したり成長したりできないような映像になっているため、 >多くの人にとっては、むしろ成長を阻害する因とさへなってしまい、 >そのために年齢を超えた潜在市場がさらに広がっていっている 対象の市場が広がった事で、需要量は当然増す。 需要増に依って利益増→増産となり後はいたちごっこ、と言った感じなのですね。 なのに、 >そのすごい量が質への転換を生まなかった まさに典型例でしょう。 となってしまったのは、何故なのでしょう。。。 それが、哲学の怠慢であり「人間の更なる進化の余地」かも知れませんね。^^ >性とは人間にとってどういうものか?ということへの学者著述家の怠慢を私は思ってしまうところです。 手厳しくていらっしゃるのですね。^^ もしかしたら、哲学の扱う分野は様々にありますが、今や(対象分野として)手中に収めていない/最も開拓が遅れているのはこの「性愛」の分野であり、それに関わる商業の分野なのかも知れません。 大戦後の歴史上最も平和なこの時代に、やっとこの性/裸体表現、性行為表現の分野に、挑む余裕を人間が持ちつつある、と言う事かも知れません。 >まず、射精が男の性のピークというのも、まったく単純理論というか こればかしは無知としか言いようのない世界なんです。 うーーーん。。。。ある程度の性体験を経て人生経験を積んだ人間ならば、普通にそう言った性的な頂点?が意味するもの、その現象の「人間としての意味」を考えても良いし、考える余裕を持つべきかも知れません。 ところで、すっかりポルノ=男性性の理解となってしまっていますが、女性性についてはやはりこちらの理解の後に、となるのかしら。。。 私自身女性ですが、今ひとつ「女性性について語る」より、男性性についての方が気が楽、と言うか、理解した気になれる、と言うか。。。 何なのでしょうね。。。。 >どんなに美しいその映像を真剣に追求してる人がいたとしても、 >それは ニーズにこびるビジネス映像よりはましかもしれなくても >50歩100歩と言えてしまう不親切な映像としかならない ? それ程にポルノの描く性表現が「性の実体」を歪めてしまっている、とお考えなのですね。(ちょっと語弊は有りますが、多くの女性がポルノに対して抱く違和感はある意味真実を突いている、と言う事になりますでしょうか。。。。) そして、「歪められた実体」が更に新たな性癖や嗜好を生み出し、ポルノの表現として現れる、と言う事ですね。 >この性における幻想性の問題はさらに根深く複雑です。 この「幻想性」と言うのは、歪みが歪みを生んでいる現状の事でよろしいでしょうか? 無知が表現の歪みを作り、それが実体に投影され、其処からまた新たな性癖/嗜好が生まれ、表現に反映される。。。と言った感じでしょうか。。。どうも順序がはっきりしないのですが、あまりこだわらなくても良い事でしょうか。。。^^ >あらためてよろしくお願いいたします いえ。こちらこそ、この分野について何を読み、見聞きし考えても、いつも「氷山の一角」と言った虚しさに囚われていましたので、こうして、その煩雑さを恐れずにひとつひとつお話し下さる事に、心から感謝しております。 こちらこそ、よろしくお願いします。^^ >4)成熟期 正常な当たり前に幻想の無いセックス 淡々と文字に変えながら「実は本当はこれが一番困難な事なんだなあ。。。」と考えておりました。 様々な思い込みや刷り込み、先入観や偏見等の幻想を如何に一つ一つ解き放って行くか。。。。長い道のりでしょうけれど、実現した時は素晴らしい世界が広がっているのでしょう。
- arayata333
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急いでいきま笑。 6666. で、次の目覚めですが、 そちらがNo33へのコメントでまとめてくださった次の内容の(1についてですが、 >1)目覚め ポルノの扇情性を理解する 「二度目の性自認」を完了させる時期 2)未熟な身体での妄想と触れ合い 自慰の自覚者どうしの合法的合意のもとの分ち合い 自分と他人の欲望を緩和?中和?相殺?する方法を得て行く時期 3)未熟な(性の)成長期 「自慰の自覚者同士の分ち合い」の中で愛の交流を深める 自分と他人の欲望/幻想から「愛や絆の抽出方法」を得て行く時期 4)成熟期 正常な当たり前に幻想の無いセックス 幻想/他人の思い/社会的な道徳感を越えて、 ストレートの生物の体を見つめ、 かつ人間であることも見つめることができるようになる< の部分の「1)目覚め」の部分に正式に回答していきますが、 一度目の性認識は、 たしか質疑応答の中で お父さんとお母さんの体形の違いの認識のような認識であり、自己内の性についての男女の認識ではないというような感じの対話がありましたよね、 その点からまず書いてみます。 そのへんから私たちの文明の社会では個人差があるかと思います。 それですと、わたしが二歳の頃キスの常習犯だったことは何を意味するのでしょうね(憶えていませんが、 キパッ) しかしながら、記憶にあるわたしの意識の中で特筆すべきものは 私の場合小学5年以後です。 それまでは、ある小学校で 学校のある先生からのいじめとかが原因でめちゃめちゃ体もこわし、 小児喘息を併発したもので、なんども重い肺炎にまで発展し、死の床をはいずっていたりします。 またそのいじめでとうとう恐怖症となり、最後は二度ほど気が狂ってもいます。 そんな廃人の一歩手前にて、学校を信頼して私の訴えを信じてくれなかった両親もやっと何か気がついてくれ転校させてくれたのですが、 同時に私はその転校先の学校のはからいで 千葉県は岩井の海辺のちかくの虚弱児施設に入ることができたのです。 わたしにしてみれば、地獄から天国にきたようなものでした。 第一日目の 持ってきた着替えとかをしまうコウリの香りまで今でも思い出すのですからね。 数ヵ月後に廊下に張り出されていた 太る率(この場合 メタボとは逆さまで 健康のパロメーターとしての数字ですので…^^)の棒線グラフでは、 わたしがひとりだけ 三角形を描いてる二番目までの棒の長さから飛び出していたのですから、 つまり二番を4分の1ぐらい離してのダントツ一番だったのですから、 わたしにとって そこでの暮らしがどんなに救いだったか、そこからも理解できるところでしょう。 明るいおおらかな先生方、わけへだてなくつきあってくれる楽しい友達たち、 ほんとうは、書けば何百ページの本に出来てしまうような充実した子供時代も私は、ここで体験しているのです。 たった4ヶ月だったのですが、記憶では4年はそこですごした感覚です。 楽しいこことがあると時間があっという間にすぎてしまうというのは 大人のストレス解放のお騒ぎとかそれに連なるお楽しみの世界にすぎず、 ほんとうに豊かな楽しみの充実の世界は、 そのぶん長く長くゆたかな時間感覚もともなうものなのです。 書けばきりのない その想い出の中で さて、そこでの子供の男女関係にも、ここで特筆すべきものがあるかと思います。 兄弟ではない 男女が一緒の部屋で寝るのですからね。 これ当たり前の話ですがセックスでの問題が何かあったわけじゃないですよ^^。 でも、 30人ぐらいの一年生から6年生までの男女が一緒に寝る部屋が三つあり 三つのグループになって私たちは時を過ごしたのですが、 さすが いろいろありましたよ^^。 グループごとで お風呂とかも 大きな湯船にこれも男女一緒に入るのですが、 なんとそこには時代の空気もあったのでしょうが先生方まで男女の別なくいっしょに入ってきて子供たちとはしゃいだり体を流してくれたりしあうのです。 この時に男女を意識する子供は いませんでしたね。 すくなくとも私たちのグループではです。 しかし、 いざ、睡眠のための布団を大部屋に敷き、消灯時間までのまくらをなげあったりの大騒ぎの後、 ようやくみんなが布団にもぐりこむ頃には、放送室から トロイメライとかの音楽等がながれ、 中にはおかーさ~~んとか泣き出す子がいたり それをなだめる専門の6年生の子がいたり^^、 やがて静かになるころには、子供たちもそうとうロマンチックになってるのでしょう。 むむ(つい つかっちゃいますが) なんと、ある時から私の隣の女の子が私のふとんにもぐりこんできて うえになったりしたになったりくすぐったりあばれまわりだしたんです^^。 その女の子がある時、私に「A君はわたしのこと好き?」と聞いてきました。 それに対して私はなんて言っていたと思います。 「うん、 世界中で二番目に大好きだ。」 ななななんとひどい言葉! 案の定、その女の子は泣き出してしまいました。 それなのにその鈍感なA君は 何も気がつかないで 「ほんとうだよ、ほんとうに世界中で二番目に好きなんだよ。」 と真剣に繰り返していました。 むm 話せば長くなりますゆえ ここで一応とぎりますが、 世の中には ここまで鈍感な男の子もいたというお話でした。 さて、 これは そういう環境の問題もあるでしょうが、 その後 わたしが再び 転校先の小学校に戻ってきてからのお話なのですが、 身体検査があり、男子と女子と別れての検査だったのですが、私は女子が身体検査をしている時に 身体検査の場に忘れ物をしたことを思い出しなんと 上半身裸の女子の体をかきわけて、 真ん中の身体検査の場まで進んでいきました。 解かると思いますが、 私には なんで 大騒ぎが起こっているのか なんでみんなが大声で叫びだしたのか? さっぱり解かりませんでした。 その少し前まで、 なんの意識もなく 友達同士として男女の別なく体を流し合っていたんですからね。 担任の先生から 呼び出されてものすごいけんまくで怒られた時も まだなんで怒られてるのかもさっぱり解かりませんでした。 気がついて 可笑しくなったのは それから一年後でした。 性自認の完了の遅れ? いえ、これは大人の性のねじれの意識の影響の遅れといったほうがいいのかもしれませんね。 すると、 よくかんがえてみてください。 ほんとうは1)、2)、3)は 別々にも分けて考えることが出きる世界ですが、 現代文明の中にては互いに浸透しあっている とある幻想病の世界ということも見えてきませんか? つづく。
お礼
溜まっていますし、続けて頑張ります。^^ >お父さんとお母さんの体形の違いの認識のような認識であり、 >自己内の性についての男女の認識ではない ですが、「男女の違いを知った」後でも、 >グループごとで お風呂とかも 大きな湯船にこれも男女一緒に入るのですが、 >この時に男女を意識する子供は いませんでした との事なのですね。 似たような感じで、黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」にもトモエ学園でのプールの話がありました。こちらは、全学年素っ裸で入るのだそうです。教室で服を脱いで、校庭の向こうのプール迄裸で駆けて行くのだそうです。学園には小児まひの子や障害のある子も居るし、高学年の女の子等は性徴も始まっているけれども、誰も気にしないのだそうです。^^ だから、トモエの子達は「プールは裸で入るもの!」って思い込んでいて、みんな「水着の跡がつかない」のだそうです。 >大人の性のねじれの意識の影響の遅れといったほうがいいのかもしれませんね。 「男女の違いを認識する」事と、「違いに起因する感情」はまた別物、と言う事なのですね。。。これこそが「ありのままで見つめる」為の「糸口」になりそうですね。 >1)、2)、3)は 別々にも分けて考えることが出きる世界ですが、 >現代文明の中にては互いに浸透しあっている とある幻想病の世界 うーーーん。。。こういう風に「階段を作っている/階段になっている」事そのものが「ありのままでない」と言う事ですか。。。。難しいですね。。。6666^^
- arayata333
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まず、そちらがNo33へのコメントとして整理してくださった4つの性の成熟の階段にそって 一度、性の本質面をこちらも整理しておこうと思いますが、。 まず、その中の>1)目覚め<の部分の >ポルノの煽情性<という文のままですと 私の方からの回答としては複雑になってしまうので、そこはこちらから変えさせていただきます。 今回は その点に絞り そこにレイプの問題も少しですが書いておきます。( レイプのトラウマを解消するにはという形の私の方からの考えは4)の段階のステップになったときにくわしくは書いてみるつもりです。 すでに書きました「 家族病理とか絶対個の問題」も そこで絡めていくつもりです。) * 質問テーマが「ポルノという存在」という的確な文となっていますが、 この段にては>ポルノの扇情性<というよりも、 <“裸体または性表現、あるいは性行為表現”の煽情性>ということで扱わせていただきます。 ポルノこそニーズ商売としては商売の王様のようなところがありつつ、松下幸之助の言われるニーズの奥の人の生涯の幸せへの責任を追及する姿勢としての商人道徳からは現時点では最低の商品ですので、 その正常化への道は それこそ本質を見抜いた人たちの手によってしか改革しえないと思うのです。 つまり、 4つの階段の最終ステップを越えてからの論議として考えているということです。 商売の王道というふうにわたしならば表現しますが、ポルノはあくまで最低レベルの商売の王道です。(これは、その中に巻き込まれてその中で生計を立ててる方々を非難してるのではなくて、 そういう状況を許してしまっている哲学の怠慢?の問題として私は考えていますが…。) ともかく、考えてみればもう30年近く以前のことですが、わたしがけっこう大量に見た当時のポルノのほとんどは ロマンポルノ(ドラマを一応なんとかまともに組み入れようとしているポルノ)も含め、 本質的にはすべてレイプ描写であり、男性本位であり、確かに女性蔑視とも言えてしまうようなものばかりでした。 あえてきつい言葉を選んで質問した「ポルノで心が傷つく人はいますか?」という質問は、 わたし自身が性描写の世界を表現者の一人として考え始めたもので、いざ最近のポルノを簡単に検索で調べたところ 大きな流れとしては何一つ変わっていないとう感じの全体像を得てしまい、そこであのあえての質問文となった具合です。 わたしの推理では、あれから30年近くもたっているのに、しかも時代は映像時代へと入っているのに(とくに写真時代には突入しかかっています。) いいものが一つも無いなんて想像できません。 いえ そんなことあるはずがないと思っています。 おそらく まさにポルノが商売の王道の ニーズ商売王であったためにこそ、そのビジネスの巨大な流れに 良心的は創造の試みが今はまだ流されてしまってるだけだとは思っています。(それで、こちらの表現の都合上>ポルノの扇情性<の部分は<“裸体または性表現、あるいは性行為表現”の煽情性>とさせていただきますということなのです。) で、そのレイプ の問題なのですが。 この問題も ここでままずやわらかく表現しておくべく、 まずはおもしろいわたし自身の学生時代の体験談からお話してみましょう。 当時赤坂にあった高校に通っていた頃のことです。 通勤電車が 混雑していて、座席の鉄の枠の部分に体が押し付けられると地獄をみた頃の混雑振りの中、 たまたま私の体のうちズボンの前が壁に押し付けられた女性のおしりの間に押し付けられる形となり そのまま終点まで身動きがとれずにいたことがあります。 女性も振り向くことすらできない状態のままです。 すぐに私のむすこは勃起を始めました^^。 さあ大変です。 心の中で“すみません、すみません”と声をかけながらも実際にはそんなこと声にできません;;、 ………… … … ……… の状態のままでした。 “どんなに心苦しいことか? でも しかなのないことはしかたない。 こうなったら、警察にでもどこでもついてく、 後で謝るしかない”と覚悟を決めることしか何も できませんでした。 終点につき そちら側のドアが開き どっと巨大な流れが開放された時でした。 私は それでもチラッとごまかさずに “もうしかたないや”と覚悟して目を上げたのですが、 でもその女性の目は、なんと上気した顔の中に明るく穏やかに優しくにニコヤカに うれしそうに輝かせてこちらの挨拶してくれたんです^^^^。 ホッッッッッッとしました。 (これをポルノ映像で表現しても、たぶん、それだけの演出家も女優もいないでしょうし、まさにこれ自体レイプの受容の映像となってしまうのでしょうね。) この体験は私はまだ 1)の「二度目の性自認」を完了させる時期? にいて、その女性は4)の段階にも入っていた健康な大人だったということでしょうか。 レイプ自体を男である私の体験から想像できる世界は 実ははるか時代をさかのぼり私が30代のときに 公園のトイレが鍵が無かったところそこに入ってきたゲイの人とホモの体験をしたあたりの事から考える世界が一番近いかなと思います。 ぞぞぞぞとしつつ、客観的にともかく体験してみようということで、体を許した?体験ですからね。 パニックではなかったことです。 殴り倒すほうではなくて、体験してみることをこちらから選んだということであり、そのへんはレイプされた状態とはかなりちがうでしょうけど。…。 この体験も その後の幾度かの別の人とのホモ体験も おかしいな少しは快楽とかのほうも感じるはずなのにな?なんで何も感じないのだろう?それどころか ぞぞぞ?のままなのはなぜなんだ? という私の探究心からのものでした。(これ 冗談で書いてる部分ではないです。 本気は本気でした。) でも、実は最初のそいつと二番目のやつがなんと 私を金銭的にだまそうとしていたやつらだったんです。 しかも友だちの振りをしてです。 これが ぞぞぞ の正体かと思いました。(つまり 前々回だったかにすこし描写した意味でのヘンタイ、利己または自己への閉じこもり状態。) 新宿三丁目(ホモのたまり場)にも出かけ、 こんどは何人も体験してみましたが その最初のいやな印象はぬぐえませんでした。 もやは、 そんな体験は もう願い下げとなっていました。 二度と したくない!!!^^。 でもホモの名誉のために言っておきますが、、その後 それから数年してですが、 なんとほとんど女性としか寝ないホモの方とも出会っています。 どういうことかというと、 女性が安心して添い寝でき、そして何でも相談も出きるから、ということだったんです。 とても穏やかで 男らしい^^ゲイでした。 もちろん、その方と寝たわけじゃないですが、話しててとても気持ちがやすらぎました。 世の中広いものですね。 ともかく、これは そのような人も中にはいるということであり、実際にはけっこう汚い世界(心がと言ってもいいです。)、つまり未熟な世界だとも言えてしまうと思います。 そして、そんな中での私の体験は、たしかに気持ち悪いの一言とも言える世界でした。 今でもそうだというところが すこしはトラウマ的体験だったとも言えるでしょう。 今でなら、もし彼らが相手のために純粋に愛を交わしあうのであれば、つまり4)段階であれば、おそらく私も別になんら気持ち悪い感じを受けないだろうことも想像できますけどね。 ここが まだ 実際の体験を積んでいない女性とかが最初にレイプでセックス体験を受ける場合は、 この衝撃はたとえパニックとならずとも、無理やりさ(暴力性)からも もはやぞぞぞなんてものを越えた苦しみをも味わうことになったりするのでしょうね。 さまざまなケースがあるかとは思いますが、時としてそれは立ち直りがたいようなトラウマとなってしまう時もあるでしょう。 ポルノのほとんどがレイプ、あるいは本質的にはレイプということには、巨大な問題があるはずだと思ってはいます。 ただし、その私を犯した?そいつらにしても、同じ人間であり その未熟な過程にて、 この文明の中で不良のレッテルとかとかの長い過程にてそうなってしまったのであり、 私は例外だと言いえないという問題もあります。 (もし同じ過程を通ったら私もそうなっていたはず。) ほんとうの“宗教信仰者”ならば、まったく同じように神様からは愛されているはずの同じ人間どうしの問題群の一つであると感じるでしょう。 ポルノの世界に巻き込まれてしまったり、ポルノで生計を立てる世界に入り込んでしまってる人達を簡単に非難する問題だとも私は思っていません。 4)のステップをともかく踏んだ人達が 新しい創造の努力をするしかない問題とも思っています。 私流に表現するならば 愛する人の寝息に無限の幸せへと通じるような感性の世界を見出したような人たちの 人間愛の闘いの必要な世界と思います。 被害者であっても、いや被害者だからこそ もし4)段階のステップの何がしかを踏んでいる人ならば、 できれば、改革になんらかたずさわる勇気を持って欲しいなとも思っています。 今回は ここまでです。 次ぎは 正式に1)についてから書いてみます。 ゆっくりいきましょう。
お礼
補足欄から続きです。 >でもホモの名誉のために言っておきますが、 私はとにかく「物事のジャンル分け」が苦手です。 そうやって分ける事に意味をあまり感じないのです。 今回のテーマの性愛に関しても、異性愛、同性愛、性癖、性同一性障害、もしかしたら近親間の性愛にも「ジャンルとして感じるもの」は有りません。 どんな人や物や事にも「それぞれの理由」があり、外には見えない部分が大きいと思うのです。 同ジャンルの中には、それこそ様々な「それぞれの理由や人格」がありますものね。 「ジャンル/分類」だって、元々は「個別の事象」だったわけですし。^^ >ポルノのほとんどがレイプ、あるいは本質的にはレイプということには、巨大な問題があるはずだ うーーーん。。。。そうなのですね。。。。 いえ、「仮想」だの「虚構」だのとよく言われますけれど、それにしては膨大に強大過ぎる分野ではないか?と私は思ってしまうのです。 勿論、それをどう(一時的に)利用し、卒業?し無視して行くか?と言う社会を生きる「個々人の智慧」を持つ必要も分かります。 でも、それとは別の視点「社会をより良くする為」の視点から、この分野の改善を図る事が皆無なのはおかしい/歪んでいる、と思うのです。 昨今の経済状況の諸問題も、勿論個々人での実力を磨き、貯蓄等の意識も必要不可欠ですが、それと併行してマクロ/政府行政からの打つ手も必要とされるのは「当然」です。 両方から攻めてこそ、より良いものが作られる、と思うのですが。。。それがポルノの分野には片手落ちだと思うのです。
補足
返信が大変に遅くなりまして、申し訳ありません。 正月休みで子ども達と夫とひたすら戯れていたので、こちらに向かい合う時間がなかなか取れなかったのです。 今回は三つのテーマ(話)ですね。どれも興味深く拝見しました。^^ *ポルノと言う商売について *電車内での体験から *レイプの問題 まず一つ目。「ポルノと言う商売」 >松下幸之助の言われるニーズの奥の人の生涯の幸せへの責任を追及する姿勢としての商人道徳からは現時点では最低の商品 はい。これこそ私がモヤモヤと抱え続けて来た事です。 このような表現で考えた事もありますが、自分の被害妄想の影響を排除しての思考が出来ず、外に向かって表現した事は有りませんでした。 そのような言葉を特に男性から聞けた事は、とてもとても「雲間から陽が差した」気が致します。 >そのビジネスの巨大な流れに 良心的は創造の試みが今はまだ流されてしまってるだけだとは思っています。 ポルノにも「理念/良心?」が存在し得る、と言う事でしょうか? そう、世に溢れる商品は膨大に有りますけれど、そのどれもが何かしらかの「生産性/創造性」と言った幸せへの手段を秘めている、と思えるのですが、ポルノにはそれを感じる事が出来ないのです。 その「感じる事が出来ない理由」は、私の被害者意識なのか? そもそも「非生産性」しか持ち合わせていないのか?が私には判然としないまま来ておりました。 >その正常化への道は それこそ本質を見抜いた人たちの手によってしか改革しえないと思うのです。 うーーーん。。。 現在/従来のポルノ表現は「異常である」と言う事でよろしいでしょうか? そして、それは正常化/改善が可能である、と言う事なのでしょうか? いえ。。。#27kadowaki様への返信に書きました「自責の論理?」と通じるものがあるかしら、と勝手に思ったのですがいかがでしょうか? 例の事件後、出来事を幾度となく反芻して来ましたけれど、思い返す回を重ねる度に悔しさや恐怖、憎しみは薄れ、逆に膨れ上がって来たのは「私は結局の所、あの男を野放しにして新たな被害者を作り出したのだろう」と言う後悔と自責の思いです。 私が周囲に助けを求め、何らかの抵抗と嫌悪の意志を男に見せていれば、男も過ちに気付く事が出来たかもしれない。でも、そうしなかった事で彼は過ちに気付かず、おそらくは繰り返し、私は私で最後に出来たかもしれない被害者を見殺しにしたのだ、と言う後悔です。 どうせ嫌な思いをするのなら、そんな思いは「私で最後」にしてしまいたい、といつも思うのです。 でも、それが出来なかった。。。。悔しいです。 二つ目。「電車内での体験」 >でもその女性の目は、なんと上気した顔の中に明るく穏やかに優しくにニコヤカに うれしそうに輝かせてこちらの挨拶してくれたんです^^^^。 この女性の対応の理由ですが、 >この体験は私はまだ 1)の「二度目の性自認」を完了させる時期? にいて、その女性は4)の段階にも入っていた健康な大人だったということでしょうか。 だけではない、と思います。 もしもその時、arayata333様がそそくさと視線を避けて去ってしまったら、おそらくその女性の受け止め方は変わっていたと思うのですが、どう思われますか? それとも、その場合でも変わらなかった、と言う事でしょうか? 女性が「明るい受け止め方」をした理由の第一は、arayata333様の真っ正直な誠実な対応だと思われるのですが、いかがでしょう。。。 そう考えてしまうのは、私自身が成熟していないからなのでしょうか? 「レイプの問題」。。。(ですが、ご自分のお体を良く思い切って「実験?」にお使いに。。。凄いです。。。^^) >おかしいな少しは快楽とかのほうも感じるはずなのにな? そうですよね。そっくり同じ行為で感じ方が全く違いますものね。汗 >なんで何も感じないのだろう? >それどころか ぞぞぞ?のままなのはなぜなんだ? そして、その理由(正体)は >ヘンタイ、利己または自己への閉じこもり状態。 と言う事ですね。 相手がこちらの「人間としての存在」を全く無視している、と言う事に起因する「強烈な違和感」なのでしょうね。。。。
- kadowaki
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こんにちは。 人間の性欲については、これまでフロイトをはじめとして、いろんな心理学者や社会学者たちがいろんな比喩で語ってきましたが、その原動力の正体はとなると、価値的にはニュートラルな、ある抽象的な性的エネルギーの一つとしか言いようがないような気がします。 ただ、これが実際に男女の性欲同士が融合するとき、ときに抗争し合い、ときに戯れ合い、一種の化学反応を繰り返しながら、双方の欲望の劇的な死・消滅(カタストロフ・エクスタシス)に向かって一気に突き進んでいくのだと思います。 このプロセスやメカニズムは、現実の死と同様、われわれの既成概念や思考の定型枠をはみ出すところがありますから、こうしていつまでもわれわれの問題意識を掻き立てずにはおかないのでしょうね。 >ほとんどの方が「無理無く抑制出来る」のに、非合法行為をしてしまう人は一体何故それが出来てしまうのでしょうね。。。。 >では非合法行為として周知されている行為を行う者は、それが「許される」と何故か錯覚しているから行うのでしょうか? >>「理性」の強度が決め手になる >これも、その理性の強度を決定する要素、がイマイチ掴めません。 >これこそ育成環境だの家庭環境、遺伝的要素に依るのでしょうか。。。 私には、痴漢をはじめとする性犯罪者は、あまりにも損得計算が不得手で、ソロバン勘定もずさんとしか思えませんが、それでも、もしかしたら、性犯罪者に限らず、誰しも自分の固執の観念に取り憑かれているときは、他人の目には一種の狂人(魔神・天才)のようにしか映っていないのかも、と思われなくはないです。 もちろん、「自分は咎められまい」という確信を得られない限り、なかなか「非合法行為」を敢行できない男性も少なくないはずでして、幸か不幸か、小心者の私もこの仲間に組み込まれてしまいます。 同様に、自分の行為が「許される」か否かと自問自答するようなヤワな男なら、おそらく「(本当はしたいけど)やっぱり、ヤメター」になると思います。 なお、性犯罪者になるかどうか、特に倒錯的、猟奇的な性欲を育てたり、「非合法行為」への欲求を抑えられない男性になるかどうかは、基本的には性自認が行われるエディプス期(幼児期)の家庭環境、特にその頃の親子関係によって決定づけられるのではないかと私は勝手に臆断しています。 >実は「実体の無いもの」が社会を動かしていたりするものですよね。。。。でもそれによって傷付いたり苦しんだり、喜んだり愛したりして、その人の思いは「本物」であったりする。。。 ハイ、男女間の性の問題に限らず、あらゆる人間同士の種々の対立抗争においても、その現実的な深刻さにもかかわらず、その発端や動機を徹底的に追及してみれば、あまりにも人間的な妄想や幻想、錯覚、思い込み、先入観、偏見等々が原因・理由でないものなんて一つとしてあるのだろうか、と思わずにはいられません。 でも、こういう試行錯誤の歴史を通じてこそ、人類は現代にも通じる性についての様々な大切な価値観をも生み出し得たのだと思います。 >これについては、実は恋する男女は「共犯者の絆」によってその「結びつきの堅さ」を得ているのではなかろうか?と考えた事があります。 ハイ、「共犯者の絆」については、「わが意を得たり!」でして、思わず喝采したくなります。 ことに、われわれの祖父母の世代以上になると、結婚して初夜の営みを終えた心労・新婦は、文字通り「取り返しの付かないコトをしてしまった」という思いに駆られたと思いますが、その一方、ちゃっかりと「誰にも目撃されていないのだから、二人だけの秘密にしておこう」と無言で目配せし合ったに違いないとも想像されます。 まあ、どんなに厳しく性を取り締まる法律といえども、古来、夫婦の閨房だけは《治外法権区域》と見なしてきたはずですから。 >実はポルノに対する私の嫌悪は、この「ポルノを現実にする行為(非合法行為)」が無いのであれば生じなかった、と思われるのです。 >ポルノがポルノとしてのみ、存在していれば気にならないのに、レイプや痴漢やその他のきわどい行為を「現実社会で行う」者がいる、その事への嫌悪である、と言う言い方が正しかったのです。 おっしゃること、よく分かりますし、関連する諸問題を経由しながら、こうして最初に掲げられたテーマに帰還しつつあるということではないでしょうか。 と同時に、ここにはyukkinn66さんが直面なさっている問題とは別に、ポルノという性的刺激装置に秘められた微妙な問題も浮き彫りになってきそうな気がします。 思うに、「ポルノがポルノとして」自己完結していれば、確かに「非合法行為」を惹き起こすこともないのですが、これはちょうど画家がヌード・モデルに対して美的に感動するだけで、全く女性に欲情しないでいられるのと同様、逆に一種極端な自己中心主義にも通じるのかもしれません。 これが微妙な問題であるのは、たとえば、男性がモデルを《見る》ことで、美的感動を受けようと、欲情を掻き立てられようと、ただ自らの理想の観念をモデル女性に投影しているだけですから、たとえ欲情することがモーゼの戒律に悖るにしても、これを現実の犯罪として立件するのは無理ですが、彼が《見る》から《触れる》へと飛躍したとすれば、この瞬間に、彼ははじめて正真正銘の《行為》を敢行したことになるからです。 もっとも、これは、性欲があるのに生きた女性には欲情できないという、少なからぬレス男性側の心理を考える上で問題となることでしょうから、これ以上は詳述いたしませんが。 >でも、比喩を尽くした先、比喩が尽きた先に見えるものも有るかも知れない、と思っております。 おっしゃる通りでして、自分の思っていたことを書こうとしたつもりが、書いたものこそが自分の思っていたことを見せつけてくれる、という誰しも苦笑いしながら経験していることも、実は大切なことをわれわれに教えてくれているのかもしれませんね。
お礼
度々の回答ありがとうございます。 補足欄に長々と書き込みました。よろしくお願い致します。 もう一つお聞きしたい事がありましたのに、書き忘れてしまいました。 こうして皆様に「理論的」に説明頂きまして、「理屈は納得」しつつあります。 そうは言っても(その納得を打ち消すのではなく)痴漢もレイプも「生理的に」嫌なものであり、その嫌悪の延長線上にポルノも存在しているのは間違いない事だと思います。 これは私個人の感想ではなく、女性一般の感想だと思われます。 その観点から考えまして、 ポルノの「正当性」を主張/認識(/黙認含む)なさる場合、 そのポルノが「性犯罪の障壁」になる必要があるのではないでしょうか? (ううーーーん、こじつけ、ですかね?汗) そのように仕向けて行く必要があるのではないでしょうか? 女性は幼い頃から、身を守る方法を説かれ意識を促されて育ちます。(その意味では男性は無防備ですね。。。) 性犯罪に限らずどんな犯罪でも「被害者になりうる人たちが全て身を守り通せれば起こらない事」であります。 男性側には「加害者にならない為にして/心掛けている事」はあるのでしょうか? 女性は被害者にならぬよう「積極的防御」を図っています。 男性も加害者にならぬよう「積極的防御」はなさっているのでしょうか? 例えば、娘に「夜道は一人で歩かない」「露出度の高い服は気を付ける事」等と諭すように、息子に何らかの諭しを行う事が「社会常識」のように広まれば性犯罪は減るのでは?と言うのは。。。何だか押し付けがましい質問ですね。。。。何かそのような女性には知られていない「男性の常識」のようなものはあるのでしょうか?と言う質問です。 申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
補足
kadowaki様、ご無沙汰してしまって申し訳ありません! 中学時代、「自分の本心を見つめる」と言う実験?をして以来私の「心の混沌」は判っていたつもりなのですが、どうにも「捕まえて文字化する」のが下手です。汗 そのスイッチを入れるコツ、が掴めないのです。。。 昨日上野千鶴子さんの「スカートの下の劇場」を購入して、読み始めた所です。 他にも参考になりそうな書物がありましたらご教示下さると嬉しいです。^^ >このプロセスやメカニズムは、現実の死と同様、われわれの既成概念や思考の定型枠をはみ出すところがありますから、 その通り!ですね。 捉えて捉え難く、常に揺れ動き変化し、当たり前に存在しているのに見つめる事が難しい。。。 昔からよく「炎」と表現されて来ましたが、その炎にしても同じくその存在を捕まえる事は困難ですものね。 >性犯罪者に限らず、誰しも自分の固執の観念に取り憑かれているときは、他人の目には一種の狂人(魔神・天才)のようにしか映っていないのかも、 天才は傍目には気違いじみて見えるように、凹と凸の差が激しいと言う事になるのでしょうか。。。 只。。。才能等の凹凸と同種と捉えるには、性犯罪者の凸は私の目には隠されているのか、見えません。 そのような凹凸とはまた違った種類、とするならば、それはそれで理解が遥かに及びません。 こうしてkadowaki様は丁寧に説いてくださいますが、やはり「性行動の合法と非合法の選択の差」については、おぼつかないままです。。。 この点については「犯罪心理学」等に頼った方が良いかも知れませんね。 >性自認が行われるエディプス期(幼児期)の家庭環境、特にその頃の親子関係によって決定づけられるのではないか 上野千鶴子さんの本と一緒に河合隼雄さんの「こころの子育て」も読んでいるのですが。。。 子どもは、誕生して三ヶ月頃迄に「母親との一体感」を通して、人との付き合いの基礎を作るとの事です。 でも、だからと言ってその時期に充分な一体感と安心感が与えられなかったから、と言って、手遅れと言う事でもない、と。 大人になる迄にそれを埋めるチャンスは何度も有る筈だ、と。 非合法行動に走る人やポルノを目の前の女性に置き換えてしまう人は、そのようなチャンスを奪われ続け、或は掴み損ねて育ってしまった、と言う事なのでしょうか。 だとしたら、これは「社会の罪」でもありますね。。。 それから、#40補足欄中程に書きましたように、私自身がそのチャンスを与えられたのではないか?そして見殺しにしてしまったのではないか?と言う思いがあります。 「見殺しにした」とは、私の後に被害に遭っただろう人も、ですが、何よりも犯人の男の精神です。 私があの時叫ぶ事によって、犯人の男にも「救われる/満たされるチャンス」を与える事が出来たのではないか?と言う思いです。 それは私自身の被害者意識をも癒すチャンスであった筈なのです。 >性欲があるのに生きた女性には欲情できないという、少なからぬレス男性側の心理 んーーーこれって「妻を家族としてしか見られなくなってしまった」と言うような事例でしょうか? それと、眼前の人間を「モノ」視してしまう場合とは、同種/延長線上なのですか? イマイチ理解が届かないのですが。。。 妻を自分の「(性的刺激装置と言う)モノ」としてみる事が、 家族として夫婦として積み上げて来た「人間の絆」によって許されなくなってしまう(と思い込んでしまう)、と言う事なのでしょうか。 夫婦とは互いを「(性的刺激装置と言う)モノ」として見る事を許された大らかな関係、ではないのでしょうか。 それによって、互いの罪悪感や嫌悪感を昇華し、幸せな解放感をとことん味わう事を許し合った関係な筈ではないのでしょうか。 なのに、そのように片手落ちのようになってしまうのは何故なのでしょうね。。。まだまだお子様ですね。。。汗
- arayata333
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また、中継ぎです^^。 というのは、 さっきまで、遠くの配送所まで工事で使う品物を取りにいってたのですが、知らない道を帰りに迷い(行きと帰りとでは別ルートが必要な場所だった)疲れてる上に神経がめちゃめちゃ、 そこで私こそ気晴らしにと、後回しにしてきたNo34の 詩を読んだんです。 うううう。 こりゃだめだ。 まさかこんなに自分が詩語の世界を知らないとは? 死後の世界を知る能力とかも全く無いですが、 詩についてはいろいろ考えていたりする人間が、 教養の無さとはこのことか^^と思えるほど詩語についてもさっぱりだと 解かってしまった。 ガクっ。。。 昔 いくつかの恋を経験したうちに、 こんなことがありました。 まあ、それこそ気晴らしに、適当に読んでください。 会ってから最初の一週間ぐらいはたしか 普通の女性に思えていたので、これこそ「恋に陥るとはこのことか」というぐらい その前後はまったく違ってしまったのですが、 なにもかもがかわいくみえるようになった中でもとくにその女性の笑顔には 吸い込まれるような気持ちになってしまっていました。 それから一週間ぐらいたって 私は告白していました。(早かったです^^) すると 「こんなブスで 百十人格の私を?」とかいった さらにかわいい答えが返ってきました。 その場は怒った顔をされて別れただけでした。 当時は、ナンパが嫌いっだっただけでなく、そのやり方とかも知りませんでしたしね。(今では、 さらにナンパは嫌いですが、コツをいくつも知っています。 このことは、後で機会があれば書いてみますね。) それから二週間ぐらいだったと思いますが、 彼女は私に「アメリカに留学するんで、 暫らく会えない」と話してきました。 そうそう、これは喫茶店のチーフだった時の話で彼女はバイトで入ってきた女の子の一人だったわけです。 それから一週間ぐらいだったと思います。 その喫茶店には 着替え場兼寝泊りする二段ベットのある部屋があり、私は二段ベットの上で寝てたのですが、 彼女がちょうど休憩に入ってきました。 本を何か 一生懸命読んでました。 上から見るとその姿はなおかわいくてかわいくて、 そう思ったとたん、私の目からなぜなのか 熱い熱い気持ちの涙があふれてきて、 声はだしてないはずだったのに やがて声まで出てきて、 ? それは聞こえてるはずなのに じっと本を黙って読み続けてる彼女に対して さらに熱くこみ上げてくる何かに、 とうとう明らかに嗚咽というのが始まりました。 声も涙も抑えようとするほどに、さらに大きくなってしまうというやつです。 30分ほど、わたしは、泣いていました。 彼女はいったいどう思ってるんだ、 なんとか止めなきゃ、 と思いつつです。 でも あとからよく考えてみたら その休憩の30分間、 黙って立ち上がって彼女が部屋を出て行くまで、彼女の手は 一ページも本をめくってなかったんですよ。 熱さは、ストレートになぜか 伝わっていたのだと思います。 たしか、 そのへんはっきり日にちは憶えてないのですが、それから一週間ぐらいさらに時がすぎ、 その日、彼女は カウンターの客席に 何時間も座っていました。 私がカウンター内で働いているまん前でです。 やがて 彼女が、カウンターごしに 私に手渡し紙切れには、 アメリカの住所が記されていました。 「あした たちます。 」とも書かれていたと思います。 私のほうも急いで どうやったのか憶えてないのですが、彼女のバックに「今夜逢いたい」との手紙をいれました。 彼女は そのまま その晩会わずに立ち去りました。 私の方はというと、 その紙切れを なんと失くしてしまったんです。 あわい しかし熱い熱い熱い熱い恋の今は遠い思い出です。 n 中継ぎの域を超えてしまってますね^^。 No34は、 無学な私には、 残念ながら その言葉のつながり具あいとかが読み取れませんでした。 結局 最後まで意味合いがつかめませんでした。 でも あの時の 熱さをふと思い出したんですから、 何かの言葉の積み重ねによるすばらしい表現がそこにあったということなのかもしれませんね。 むむ、66さん、こういうときは 無学ってつらいものです。 余談でした^^。 では。
お礼
arayata333様、度々ありがとうございます。 繋ぎとおっしゃいますけれど、どの回答も奥深く興味深く拝見しております。 昨日一つ削除されちゃったようで。。。。 内容を頭に刻み込む前、でしたのでかなり悔しいです。 他の方への回答で風邪を引いておられるようにおっしゃっておられましたけれど、大丈夫でしょうか? どうかご無理なさらず、お大事になさってくださいませ。 この質問はまだまだお聞きしたい事、考えたい事が有りますので当分締める予定はありません。 お加減が良くなられる迄待つともなくお待ちしております。^^ 素敵なお話をありがとうございます。 また後でしっかり書き込ませて頂きますね。 取り急ぎ、お見舞いです。^^ お大事になさってくださいね。
- nabayosh
- ベストアンサー率23% (256/1092)
面倒臭いので他の方の回答はほとんど読みませんで新規参入いたします。 (もちろん回答が一度で済めばそれにこしたことはなし) 他の方と重複することもあるやもしれませんがご了承を。 >「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、どういう風に感じましたか? 初めて知った時というのが、人によって何歳くらいかによって変わってくることだと思います。 個人的な体験を誠実に記憶の中で再現すれば、小学生の頃公園でみかけた雑誌の切れ端がその時にあたるでしょうか。といっても色鮮やかなフォトではなく、この手の雑誌にありがちな紅インキで印刷されたページでした。 どう感じたかというと、率直に考えて「わけわからない」でした。というより異性に興味を覚える前ですから、理解できないものだったのです。 それ以前にも落語などで卑猥な表現には接していると思うんですが、理解していないけれど理解できないまま放置してましたね。 いずれわかる、という感じで。 理解できないものだったので、「当たり前」か「違和感」かで言えば「違和感」に寄るんだと思います。 >これは男女の違い(本人の性別/被写体の同性or異性)によって、変わるのでしょうか? まあ、変わるのではないかと思います。性癖とかもありますし。 同じく小学生の頃、大相撲のフォト雑誌を持っていましたが、性的には意識しませんでしたしね。まあこっちはむしろ「当たり前」の方でした。 男性ポルノは見たことがないけれどもできる限り見たくない部類のものです。 で、ここまでの回答はyukkinn66さんの望むところではないのはわかっています。 >多くの子ども達は「身体は大切に」「人の嫌がる事はしない」。。。等と言い聞かされ、またそれを「人としての基本」に据えて育って来ていると思うのです。 ところが、そうじゃないんですね。その「人としての基本」。 《社会生活をする上での》人としての基本、という風に言い換えた方がいいんです。モラルとはもともとそういうものです。 実際の子供というのはそういう教育で絡めとられなければ、「したいことをする」という自由さがあります。 子供が身体を大切にしていたら運動会であんなに張り切らないでしょうし、人の嫌がることをしなかったらいじめだってないと思います。 社会と自然の対比で考えれば、子供や性というのはあくまで自然のものです。 服を着ないで裸でいることをよしとせぬのは社会寄りの価値観です。 そして子供は次第にその価値観をすりこまれていくことになります。 社会的なモラルというフィルターを通してみれば、自然な裸でさえも卑猥でいやらしいということになってしまう。でまた、この疚しさが社会的な快楽と考えられるようになった。これがエロのはじまりだと私は考えます。 まわりくどいので約めると、「違和感を覚えるから快楽(倒錯)」であると。だからポルノは成り立っているというしかありません。 そのポルノのために脱ぐ人は脱ぐ人で価値観を持っているのでしょう。 多分(何かに比べたら)脱ぐぐらいなんでもないから脱いでいると考えられます。 私の主張としてはいくら違和感を追求するからといって、エロに理解のない子供を利用した児童ポルノは反対、というのが最低限。 その他ポルノは明るいのから陰湿なのまで、演出でいかようにもなる気もするので難しいところです。 ポルノもまた虚構だと考えて距離を離して考えています。
お礼
回答頂きありがとうございます。 お礼が大変に遅くなり、申し訳ありません! >《社会生活をする上での》人としての基本、という風に言い換えた方がいいんです。 >モラルとはもともとそういうものです。 >社会と自然の対比で考えれば、子供や性というのはあくまで自然のものです。 はい。 ですが、人が人として社会の一員として存在している以上、「内なる自然と社会のバランス」は必要です。 ポルノと言う「商品」は、そのバランスを欠いているのではなかろうか?と感じるのですが、いかがでしょうか? 「理念の無い存在や商品」と言うものも世界には存在しています。 それは社会を命ある人間が形成している以上、命の性質としての向上心/改善等のプラスの性質によって「いずれ淘汰され消え行く存在」だと思うのです。 でも、ポルノは古代から存在し続けている。。。 その理由はポルノが内包する「生物としての理念」だと思うのです。 >ポルノもまた虚構だと考えて距離を離して考えています。 はい。「虚構」です。 その虚構は、性癖と非合法性行動を「橋渡し」しているのか、「障壁の役割」をしているのか?についてはどうお考えになりますでしょうか? 補足欄も併せてお読み下されば幸いです。
補足
回答ありがとうございます!新規参入大歓迎です。^^ お礼が大変に遅くなりました事、心からお詫び申し上げます。 実は、質問を立ててから「私が過去の或る事件に予想以上に引っかかりを持っている」と言う事態が露呈しました。汗 どうにも質問文に書いたような「一般論による理解」が可能な状況に、私自身が達していない事が分かりました。(この点については#6の方の補足欄を読んで頂けましたら嬉しいです。) それ以降、「一般論による理解」や「ポルノ論議」と言うよりも、 *「仮想の存在」と「現実の女性」をどう区別しているか? *性欲から性行動へとなるメカニズム *性癖と非合法的性行動を結びつけるものとは? と言った辺りが主題となっています。 そして、それを理解する為には私自身の被害者意識によって未熟なままの性意識に成熟を促す必要もあり、あちらこちらに寄り道をしております。汗 「性に関する成熟への階段」として、 1)目覚め 裸体または性表現/性行為表現の扇情性を理解する 「二度目の性自認」を完了させる時期 2)未熟な身体での妄想と触れ合い 自慰の自覚者どうしの合法的合意のもとの分ち合い 自分と他人の欲望を緩和?中和?相殺?する方法を得て行く時期 3)未熟な(性の)成長期 「自慰の自覚者同士の分ち合い」の中で愛の交流を深める 自分と他人の欲望/幻想から「愛や絆の抽出方法」を得て行く時期 4)成熟期 正常な当たり前に幻想の無いセックス 幻想/他人の思い/社会的な道徳感を越えて、 ストレートの生物の体を見つめ、 かつ人間であることも見つめることができるようになる と、纏まって来ております。 私が望んでいるのは「自身の被害者意識を克服し、本当は素晴らしいものである筈の性を在るがままに見つめたい」と言う事でこれは質問を立てた時から変わりません。 その「在るがままの性」を見つめる為に必要な「歪んだり不足している認識を正す」過程にあります。 また、 ポルノに対する私の嫌悪は、この「ポルノを現実にする行為(非合法行為)」が無いのであれば生じなかった、と思われます。 ポルノがポルノとしてのみ、存在していれば気にならないのに、レイプや痴漢やその他のきわどい行為を「現実社会で行う」者がいる、その事への嫌悪である、と言う言い方が正しかったとも考え至るようになりました。 まだまだ解決には程遠い状態ですが、今現在の論議状況を纏めてみました。 引き続き何か意見、感想、アドバイス等頂けましたら嬉しいです。^^
No.31です。 しっかりした方だとはお見受けしていましたが どうも 何ごとをも受けとめ 何にでも対処できるお方のようですね。三十前だとのことで まさか そこまではと思っていました。 ちょっと切れすぎのおつむの持ち主なのでしょうか。だから 必ずしも すばり ものごとを言うことも 適宜に 避けておられるのでしょうか。そこは よく分かりません。なにしろ わたしは 気は短くはなく長いのですが 遅くはなく きわめて早いものですから そうでない場合について よく分からないところです。搦め手から攻めるという手法を わたしは ほとんど 知りません。 性愛にかんする総論を投稿します。各論については 用意もありません。 1. 性愛関係は 愛の問題に従属する。愛は あらゆる関係性の原型である。 2. 性愛関係は たしかに間接的にせよ この世界を超えるという超越性の問題に・つまりいわゆる信仰に かかわっていると思われる節がある。 3. ひとつには 普遍的な愛は 人間にとって 実現不可能であるから。生活態度の中におさめられる性愛が 基軸のごときものとなる場合がある。 もう一つには 性愛関係が愛という一般関係の中で特殊に もっぱら人間的自然(つまり生理・知覚関係)にかかわる部分が大きいとするなら その自然は あたかも意志や知性に対する超越性にまでかかわるかたちとなって現われるから。精神は 物質(生理)が 手に負えない。 4. 性愛関係は 愛の問題に従属するが どのように従属しているかは分からない。むしろ従属していないかのように――そして超越性にかかわるかに思われるときには あたかも意志や知性を凌駕し 限界づけさえするかのように―― 一つの特殊領域をつくっている。 5. このようにして性愛関係は 特定の二人の特殊な関係領域である。 6. 特殊なというのは 一般の人間関係における言葉による表現とは あたかも別種であるように見えるからである。一般的な以心伝心と 特殊な二人のそれとは 別の種類であるかに思われる。 7. この性愛関係が愛の問題に従属しているそのありさまは分からないが もし確かに従属するものだとすれば それは 一般の人間関係としての愛の問題から この特殊としての性愛関係の領域へと入っていくはづである。こういう順序であるはづだというとき そのあたかも入口ないし境界にかんしては 規定しうると思われる。その境界における表現関係についてその要件を 規定しうるであろう。 8. すなわち 口説きの問題であるが いまの仮定に立つならば むしろ規定すべきだと考えられる。 9. 逆に 広く見渡して たとえば 人類のどの社会にも持たれている近親婚の禁止は 性愛関係に対する愛一般の関係の先行・優先を物語るように考えられるから。 10. そのように内在的な規定があるとすれば 具体的には 愛にかんして 関係一般から特殊関係へ入ろうとするとき そのための意思表示を必要とすると思われることである。意思表示 もしくは意思表示に相当する何らかの形式を介在させるということ これが 大切であり 必要である。 11. その意思表示の表現内容がどうであれ この《口説き》あるいは《互いの合意》という形式を介在させるということ このことによって愛は 性愛関係を自らのもとに従属させていると言って 威張りたいのではないだろうか。コミュニケーションが 愛一般の関係行為の問題であるゆえ。 12. 性愛関係にかんして規定すべきことは 前項のほかにないはづだ。つまりその入り口での問題がすべてであって 性愛関係じたいについては 特に規範的なことがらは何もないと言ってよい。ただし特定の二人のあいだで別様にそれらを規定することは 妨げられないと言うべきかも知れない。 13. 要するに 境界での表現関係(つまり 口説きにおける意思表示の形式の問題)を除けば 性愛関係は その特別の対(つい)関係にあって いっさい自由だと考えられる。 ☆ 売笑やポルノ稼業については 基本的に言って したい人がすると見ます。それらを コミュニケーション一般の過程において 商品の売買というかたちに特定・限定して 需要する側の人びとも いる。 未来社会においては 変わるものと思われます。悪いようにではないでしょう。また 悪いようにではないかたちにしたいと思います。
お礼
こんばんは、bragelone様。 また来てくださり光栄です。 >もし 上の命題をたがえているとすれば それは 被害者であるyukkinn66さん あなたも 蚊となって刺したということです。 これは、私も何らかの加害者である、と言う事でしょうか? >初めは 一方的な行為であったとしても 同意したという関係に入る場合があるということです 私が嫌悪と恐怖で「同意を拒否した」と言う事でしょうか? そして、その後に続いたかもしれない「性愛関係への道』を閉ざした。 だから、私も「蚊になって刺した」。。。そう言う事でしょうか? うーーーん。。。何だか大らかな気持ちになれる言葉ですね。^^ (ん?私の解釈、合っていますでしょうか?汗) >いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば これはあの犯人の男も「尊ぶべき存在」と言う事でよろしいでしょうか? (勝手に解釈して勝手に喜んでいますけれど、大丈夫かしら。。。) >そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。 はい。^^(私の解釈が合っているならば。) 添削お願い致します!