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ポルノと言う存在。
こんばんは。 先日もこちらのカテゴリーでお世話になりました者です。 その節は本当にありがとうございました。 今回も、自分のカウンセリングを兼ねた質問を立てさせて頂きます。 お付き合い頂ければ、幸いです。 質問は、 「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、どういう風に感じましたか? *当たり前 *違和感 どちらでしょうか? そして、これは男女の違い(本人の性別/被写体の同性or異性)によって、変わるのでしょうか? いえ。。。 多くの子ども達は「身体は大切に」「人の嫌がる事はしない」。。。等と言い聞かされ、またそれを「人としての基本」に据えて育って来ていると思うのです。 でも。。。 ポルノ、と言う存在を「当然」或は「必要悪」等と捉える時、それはその「基本」との違和感、を生じないのでしょうか? また。。。「違和感」を感じた方は、それによって「自分が傷付く」と感じないのでしょうか? ちなみに、私は20代後半の女性で、既婚6年、三児の母でもあります。 夫との関係、性的関係も問題無く、とても幸せを実感しております。^^ そして、(男女によってその程度の差はあれ)「性欲は愛情とイコールでは無い」事、性欲と言うものは「性的禁止」と「性的刺激」によって形成される、と言う事も判ります。 現に私自身、例えば好きな海外サッカーの或る選手等、「いや。。。脱いでも綺麗だろうなあ。。。ニカニカ」等と、思ってもいます(恥!)。 でもでも、翻って「初めて知った時」の記憶を辿り、以後の感じ方を辿ると、私には「違和感」以外、浮かばないのです。 何故、大切にすべき「人の身体」を、そのように扇情的に不特定多数の目に「現実の画像として」晒せるのか、それは、「人としての基本」に反しているのでは無いか?。。。そう思えてなりません。 そう思うのは、「同性としての(不要な?)共感/想像力の為せる事」なのでしょうか?(現に、先述のように私自身「妄想」はしても、それについて違和感はありません。汗) では、男性は男性のポルノ(有りますよね?)に対して、「違和感」は感じますでしょうか? つまり、「感じ方の前提」として、 *自分を被写体に置き換えて、の臨場感、の有無 があるのかしら。。。。とも思います。 このように、私もすれ違う見知らぬ異性から「あらぬ姿」を思い描かれているのかしら? そうだとしたら。。。皆様はどうお感じになるのでしょうか?そして、まだ「性の入り口」に居たご自分は、どうお感じになりましたでしょうか? 纏まりの無い長文で、申し訳ありませんが、 よろしくお願い致します。 尚、お礼が遅くなる、または、順不同になるかも知れませんが、必ず書き込ませて頂きますので、その旨お許しください。
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○ それは 蚊が刺しただけです。 ☆ よほど コミュニケーションが通っていないと 言えない文句です。 ですが わたしは いぢわるぢいさんよろしく mashumaro2さんや miko-desiさんのご見解に 輪をかけて 傾くものです。 もし 上の命題をたがえているとすれば それは 被害者であるyukkinn66さん あなたも 蚊となって刺したということです。 miko-desiさんの新しいご投稿が現われたので 書きこむ気になりました。 性愛関係には 一般の愛としての人間関係から 二人の合意によって 入ります。初めは 一方的な行為であったとしても 同意したという関係に入る場合があるということです。もしさもなければ 無効の行為だったという――蚊が刺しただけだという――事態です。 起きたことは起きたことで その過去を 消して 現状復帰することは 実際には 叶いませんが いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。 ご自愛なさって いやなものは嫌 とはっきり 言っていかれるようにという考えを わたしは 持っています。そこに 面従腹背は 含まれます。
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No.49です。 ★ (No.49お礼欄) 今、私が挑みたいと思うのは、ポルノと言う存在に「説得力」を持たせたい、と言ったところでしょうか。 ☆ この文章に反応しました。 エンゲルスの主義に同調するものではありませんが 次の歴史的な展望は 参考になるかと思っております。 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ したがって きたるべき資本主義的生産の一掃後の性的関係の秩序について 今日われわれが推測できることは 主として消極的な種類のものであって 大部分は脱落するものにかぎられる。 だが 何が付け加わるだろうか。それは 新しい世代が成長してきたときに決定されるであろう。この世代は その生涯をつうじて 貨幣(かね)やその他の社会的権勢の手段で女性の肉体提供を買いとる状況に一度も遭遇したことのない男性たちと 真の愛情以外のなんらかの配慮から男性に身をまかせたり 経済的な結果を恐れて恋人に身をまかせるのをこばんだりする状況に一度も遭遇したことのない女性たちとの 世代である。 このような人びとが出てきたばあい 彼らは 今日の人間が彼ら(* =今日の人間たち)のなすべきことだと考えていることなど 意に介さないであろう。彼らは 彼ら自身の実践と それに応じた個々人の実践にかんする世論とを みづからつくるであろう――それでおしまいだ。 (F.エンゲルス:家族・私有財産・国家の起源 第二章 家族) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このような未来社会では おそらく ポルノは どうでもよいものとなるのではないでしょうか。 ひとの問題だという側面が おおきいのではないでしょうか。 いまは 存在するのを認めると言っておきながらですが このようにポルノの未来を 見通します。あいにくな見方になったかも分かりませんが 参考までに どうぞ。
- kadowaki
- ベストアンサー率41% (854/2034)
yukkin66さん、こんにちは。 ご丁寧なお礼をいただき、恐縮いたしております。 madelaineさんに急かされてのことではありませんので、その点ご諒察いただければ幸いです。 >昨日上野千鶴子さんの「スカートの下の劇場」を購入して、読み始めた所です。 >他にも参考になりそうな書物がありましたらご教示下さると嬉しいです。^^ 頭の良い上野さんの仮説もときどきピント外れのところがありますよね。 たとえば、嫁・姑戦争はトランクス・ブリーフの代理戦争だ、式の怪しげな思いつきを平然とおっしゃるところなんか。 他にもということでしたら、男の性欲や性行動の本質・原理等について詳述したものということで、寝転んで読める岸田秀『ものぐさ精神分析』、少し硬派のジョルジュ・バタイユ『エロティスム』なんかはいかがでしょうか。 >只。。。才能等の凹凸と同種と捉えるには、性犯罪者の凸は私の目には隠されているのか、見えません。 確かに、天才と性犯罪者とを同一視するのは無理がありますが、一種の痼疾の観念に取り憑かれてしまっている点では、意外と共通点がありそうな気がします。 ただ、女性にはなかなか共感できないのは、性犯罪者の場合、いわゆる天才的な芸術家とか科学者とかと違い、男性固有の事情を抱えているからではないでしょうか。 これは、どうして男性だけが性犯罪を犯しやすいのか、しかもどうして倒錯的、猟奇的になりやすいのか、という問題とも通底するような気がします。 素人の私には、母子関係・父子関係に問題があると、もともと凶暴で多形倒錯性を帯びていた幼児の性欲が正常に整形ることなく思春期に入り、成人女性の性器を指向(嗜好)できないとか、抑圧された性欲を理性や意志では制御できないということになるのではないか、と臆測するのが精一杯です。 >こうしてkadowaki様は丁寧に説いてくださいますが、やはり「性行動の合法と非合法の選択の差」については、おぼつかないままです。。。 >この点については「犯罪心理学」等に頼った方が良いかも知れませんね。 う~ん、私も少しは「犯罪心理学」の本をかじったことがありますが、かなり根拠の曖昧な仮説ばかりを提示したものが多いと思います。 それよりは、バタイユの『エロティスム』の方がはるかに哲学的で面白いと思います。 また、「合法と非合法」との間に引かれた境界線と言ったところで、恣意的、偶然的でしかないと思います。 もちろん、それがどんなに恣意的、偶然的であろうと、男性の性行動にしかるべき規制を課さない限り、人間は共同体なり社会なりを生み出すこともできなかったはずです。 その意味では、男性の性欲といったところで、女性は「非合法」の性的禁止対象であると刷り込まれされて、男性の脳裡に棲息するようになった幻影、妄想でしかないと思います。 言い換えると、「合法的」な男性の性行動にしたところで、実は女性が容認した「非合法的」な性行動以上でも以下でもないような気がします。 >非合法行動に走る人やポルノを目の前の女性に置き換えてしまう人は、そのようなチャンスを奪われ続け、或は掴み損ねて育ってしまった、と言う事なのでしょうか。 だとしたら、これは「社会の罪」でもありますね。。。 う~ん、「非合法行動」と「ポルノ」の問題とは別次元の問題としてお考えになれませんか? 男性が女性から受ける性的刺激というのは、すべて「非合法的」なもの(=女性が隠したがるモノ)が開示(露呈)される過程でしか生じないし、「合法的」なもの(=女性が隠匿しないモノ)は何ら性的刺激たりえないからです。 そして、男性がこの「非合法行動」の衝動を抑えきれなくなるのは、私にしても件の痴漢にしても、女性からの愛情(許容・同意)、油断、スキ、暗闇、無抵抗、密室・無人島での共存等々、といった社会的・法的規制力(理性)が機能しなくなる条件下においてである、としか説明しようがないと思います。 また、「ポルノを目の前の女性に置き換えてしまう」というのは、あたかも「ルノワール裸婦や僕の愛するミロのビーナス像の胸やお尻にキスしないではいられなくなる」というのと同様、現実的には想定しにくいような気がします。 それより、「ポルノ」というのは、単に男性の性欲の基本性格にマッチした、純度の高い性的刺激を提供し、より簡単に男を欲情させるための装置だと言えそうな気がします。 >これって「妻を家族としてしか見られなくなってしまった」と言うような事例でしょうか? >それと、眼前の人間を「モノ」視してしまう場合とは、同種/延長線上なのですか? イマイチ理解が届かないのですが。。。 う~ん、「妻を家族としてしか云々」ということが夫側レス原因であるかのごとく説いている専門家もいますが、セックス欲旺盛な夫だって妻を家族と見ている以上、こういう説明は眉唾物だと思います。 やはり、妻が性的に「合法的」な存在になればなるほど、夫は性的刺激を感じなくなるだけのことだと思います。 なお、女性を「モノ」視するというのは、男性が女性の人格・意思を無視し、単なる男性の性的観念(欲求)の体現物としてしか見ようとしないという意味です。 だから、女性の同意なくして女性を「モノ」視することが「セクハラ」になるわけです。 >夫婦とは互いを「(性的刺激装置と言う)モノ」として見る事を許された大らかな関係、ではないのでしょうか。 はい、おっしゃる通りだと思います。 ただ、ここが難しいのですが、だからと言って、夫婦が室内でいつもスッポンポンで生活していたら、はじめのうちはともかく、すぐにセックスレス夫婦になってしまうでしょうね。 やはり、性的羞恥心とかによって、夫に妻が「非合法的」な性的禁止対象であることをアピールする必要があるような気がします。 とは言っても、私には、夫が襲ってきても「ダメー」、離れようとしても「ダメー」という古典的な方法しか思い付きませんが。 >そうは言っても(その納得を打ち消すのではなく)痴漢もレイプも「生理的に」嫌なものであり、その嫌悪の延長線上にポルノも存在しているのは間違いない事だと思います。 >これは私個人の感想ではなく、女性一般の感想だと思われます。 はい、もし私が女性の立場に身を置けば、同様の思いを抱くと思います。 ただ、たまたま屁理屈の及ぶ範囲内で男性の性欲・性行動の基本性格について、善悪正邪の価値判断を棚上げした上で、舌足らずの説明をしようとしただけのことです。 >息子に何らかの諭しを行う事が「社会常識」のように広まれば性犯罪は減るのでは?と言うのは。。。 これについては、倫理意識をも含んだ、広義の利害・得失意識に訴えるのが最も効果的かと思います。 言い換えますと、頑是ない子どもが繰り返す「どうして?」式の疑問にもきちんと応えられることが大切なのではないかということです。 ちなみに、つい最近まで「パパー、パパー」とすがりついてきた愚息(21歳)の場合、もう何を言っても、「ハァ~? オレをエロオヤジと一緒にすんなよ!」で終わりです。 愛娘たちには、「身体髪膚之を父母より受く。 敢えて毀損せざるは孝の始めなり。」、故に親の許しを得ずして処女膜を傷つけるのは親不孝である、と告げて嘲笑されました。 この親にしてこの子あり、といったところです。トホホ......
お礼
kadowaki様、すっかりご無沙汰してしまいまして申し訳ありません! 推薦図書ありがとうございます。^^ >一種の痼疾の観念に取り憑かれてしまっている点では、 >意外と共通点がありそうな気がします はい。 このように「厳正に客観的な視点」をこの件に関して自分の中に持つ事が可能になった事が嬉しいです。 >う~ん、「非合法行動」と「ポルノ」の問題とは別次元の問題としてお考えになれませんか? うあ。。。。まだまだ思考の追いついていない点が浮き彫りに。。。汗 ただ、「性の分野」に限らず長く社会において発せられ、人々の思考や常識の根本を形成しているもの、と言うのは、どうしても「主に男性(脳)からの言葉」が多いのでは無いか?と思うのです。 。。。と言うよりも「女性(脳)からの言葉」がまだまだ未成熟なのかも知れません。 そう言う点で、ポルノに限らず「人間そのもの」に、まだまだ進化の余地が有るだろうと思うのです。 今回の質問に於ける「ポルノの意義」の纏めは、kadowaki様の >単に男性の性欲の基本性格にマッチした、純度の高い性的刺激を提供し、 >より簡単に男を欲情させるための装置だと言えそうな気がします。 この一文だと思っております。 これを「実感持って理解する」事が以前は出来ませんでした。 >頑是ない子どもが繰り返す「どうして?」式の疑問にもきちんと応えられることが大切なのではないか 本当に、小さな子どものあどけない「どうして?」には、面倒くさいよりもハッとさせられる時が多いです。 一緒になって「ホントにどうしてなんだっけ??」と悩んでいる日々です。 子育ては追体験、と言う言葉を読んだ事がありますが、 まさに私自身の価値観/世界観/常識を問い直し、見直し、再構築するまたとない日々だと感じております。^^ >この親にしてこの子あり、といったところです。トホホ...... 今すぐに伝わらなくても、長い時間をかけて伝わる場合も「伝わった」と言う事に成ると思うのです。 それに、子と言う者は親の言う事に「ひとまずは反抗して見せる」事が多々ありますので、あまり表現された反応を信用なさらない方が良いと思います。 こんな素敵なお父様の言葉が、お子様方に伝わらない筈が無い、と思うのです。^^ 最後迄丁寧に導いてくださり、ありがとうございました!!
- nabayosh
- ベストアンサー率23% (256/1092)
他の回答者の方へのコメントをしたりすると削除されるのがこのサイトの掟のようなので(この掟には不服なのですが)、私は意図的に他の方の回答やそれに対する返信などをなるべく読まずにおります。そしてまた他の回答者によって軸がブレることも好ましくないと思っております。これが私のポリシーですので、他の回答者とのやりとりと重複することはあると思いますが、ご了承いただければと思います。 ・よりよいポルノのあり方について >見る者(主に男性)にとって「性的刺激装置」となりうる扇情性を持ち、 >且つ、その対称の性の身体を持つ者(主に女性)にとって「強烈な嫌悪/否定感」 >を与えないような、「成熟した性を表現するポルノ」 大いに抜けていることがあるので指摘します。 ポルノだけに問題があるんですか、これ。 見る者が未熟なら作品自体がよくったってダメでしょうし、もともとポルノ自体に嫌悪感を抱いている[未熟な]人(主に女性)が見たらどんな作品だってダメでしょう。 感じる側の問題ということについては既に議論済みですかね。議論済みでしたら申し訳ありませんが、作り得ないようなものを理想とするというのならポルノ自体の否定となんら変わりません。 ※余談ですが、ポルノが扇情的である要因の一つに未成熟であることも入るのではないかと思います。腕のもげたヴィーナス像や未完成交響曲のように、完璧でないものの方が訴えかける力を持つ。成熟と煽情は反比例するのではないかなと。 >「命は全て愛すべき存在」と捉えている私にとって これ、社会に忌み嫌われる真実ですかね。私はそうとは思いません。 社会の中にはもともと限定的に組み込まれている理念だと思います。 「命は全て愛すべき存在。ただし味方に限る」 この「ただし味方に限る」という制限をとっぱらうか否かです。 敵は殺してもよいという価値観の支配した時代の方が長いですし、今でもその考え方に囚われている人は少なくないと思います。 (ぶっちゃけて言えば、私は「自然は『~べき』と言わない」という考えの持ち主なので、「愛すべき」とか「尊ぶべき」と言い出したら、そこにも欺瞞のようなものを感じます。愛されるから愛らしい、尊ばれるから尊いというものではないし、『べき』という強制や義務を人に押し付けるのは自然のあり方ではないと考えているからです。無理して愛さなければということはないと私は思います。いや、これは人それぞれの感じ方で結構ですが。) >「誰も意図/意識的に悪意を持たずに生きられる世界」 悪意の起源についてはスピノザの「エチカ」などをお読みになられるとよいかと思います。悪意はどうしても生じてくるものであり、そのたびごとに克服するものですが、未熟な人が容易に克服できるものではありません。 未熟な人は昔からいましたし、今もいますし、これから先もいるでしょう。そしてそうした未熟な人たちによってポルノはこれからも作られることでしょう。それをも許して受け入れられるかどうかが、yukkinn66さんの言うところの愛の真価が問われるところではないでしょうか。 (ここまで書いてきて私にはこの質疑はポルノに関する議論ではなく、全面的にyukkinn66さん自身の心の問題だと思えて来ました。人はみな愛すべきだからという理由で人に憎しみをぶつけることを避け、ポルノに八つ当たりしているように見受けられます。まあこれは証拠もないことなので邪推に過ぎませんが)
お礼
こんばんは、nabayosh様。 大変に返信が送れました。申し訳ありません。 長くなってしまいましたので、補足欄に書き込みました。 よろしくお願いします! (そうは言っても、そろそろ締め切る予定ですが。。。^^)
補足
こんばんは、nabayosh様。 大変に返信が送れました。申し訳ありません。 加えて前回の回答に対する返信に、無礼な点がありました事をお許し下さい。少々私が考慮していなかった論点(=超社会的な視点)が現れた事につい、足元を掬われたように感じ、不用意な防御をしてしまった為、としてお許し頂けないでしょうか。。。。 改めて言い訳させて頂きたい事は、私は二つの論点でこの質問を立ており(私個人の問題と社会に於ける問題)ます。 つまり、初めから「社会の中で考えている」のだと思います。 nabayosh様のおっしゃる「超社会的視点」を持つには、私の思索力は未熟なようです。大汗 只、私は社会も個人も全てを「移り変わるもの」と捉えておりますし、常識や規範、真実さえも「常に揺らぎ変遷して行くもの」と考えております。 この基本をいつも失わないように、と気をつけて考え事は行います。 ですので、不遜ながらnabayosh様のおっしゃる「超社会的視点」の裾野には居る筈、と思っているのですが。。。 >ポルノだけに問題があるんですか、これ。 >感じる側の問題ということについては既に議論済みですかね。 はい。^^ そして、ポルノ側/感じる側、双方の問題を考慮しても、私には >作り得ないようなもの とは思えないのです。「感じる側の問題」をクリア出来た人間には「ポルノ側の問題」更には「感じる側の未熟な人間の問題」を解決する力が備わる筈とも思うのです。^^ 自分が通って来た「解決への道」を一つの解決方法として未熟な人間に提示する事が出来ますもの。其処には勿論「並大抵でない言語化能力」が必要とは思いますが。。。。 >ポルノが扇情的である要因の一つに未成熟であることも入るのではないか それはそうとも思いますし、未熟な感性には未熟な対象が選ばれてしまう危険は大いにあると思います。 でも、 >腕のもげたヴィーナス像や未完成交響曲のように、 >完璧でないものの方が訴えかける力を持つ。 これはちょっと違うかな。。。と失礼ながら思います。 「完璧でないもの」の美しさ/価値を知る事が出来るのは「成熟した感性」だと思います。 そして、「未完成/完璧でない=未熟」ではありません。 「成熟した美しさ」が「完璧でない(欠けている)」から、あれらは >訴えかける力を持つ。 のであって、像や音楽の「未熟さ」とは言えません。 反比例するのは >成熟と煽情 ではなく、 *完璧と扇情、であり その「扇情の度合い」は見る者の「成熟の度合い」に比例するのだと思います。(あーー何か因数分解とか微分積分をやりたくなって来ました。^^) >これ、社会に忌み嫌われる真実ですかね。私はそうとは思いません。 刑罰の存在がそれ(忌み嫌う)を端的に示しているように、私には思えます。 >社会の中にはもともと限定的に組み込まれている理念だと思います。 私は「全て」と。^^ >『べき』という強制や義務 私は「べき」古典助詞のように使ってしまうのでややこしいですね。 「愛すべき」は「可能」や「適当」と言う程度です。 ああ。。。こんな人も愛していいのだな。。。と私は思ったのです。^^ >悪意の起源についてはスピノザの「エチカ」などを 参考図書の推薦、感謝します。 只、私は直感として「悪は(元々は)存在しない(筈)」と考えている者です。(適当で申し訳ありません!突っ込まないでください。。。汗) >未熟な人は昔からいましたし、今もいますし、これから先もいるでしょう。 >それをも許して受け入れられるかどうかが、 うーーーん。。。。私は自分を「観察者」だとは考えておりませんので、受け入れるか否か?を自分に問う前に、その状況を何とかしよう!と試みます。^^ 受け入れたくない状況を認めるよりも、「受け入れたい状況」に変えちゃえば良いじゃないですか!^^ >人はみな愛すべきだからという理由で人に憎しみをぶつけることを避け、 >ポルノに八つ当たりしているように見受けられます。 私はポルノを「架空」とは思えなかったので、今回の質問に至りました。 現実に被写体は生身の人間な訳ですし。。。 想像力が強過ぎると余計な悩みを抱えてしまいます。。。汗 丁寧な回答、ありがとうございます。
ひとつ、ど~~しても聞きたいので質問してもいいですか? 再び出現することが既に厚顔無恥なわけですが、どうか許してね。 あなたの「哲学的思考」は妨げませんので。 まさかそれって・・・単なる「過去への囚われ」じゃないですよね♪ >犯人の男を「否定したい」思いを抱えてずっと生きてきました。 でもその裏でその自分の思いに強い違和感を抱えていたのも事実です。 そして、bragelone様が >>いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならばと書いてくださいました。 >相手の私に対する認識がモノであろうと、モノ以下であろうと、私は彼を「人間として認識」します。 >そして、彼の私の認識に関わらず、私は彼を「人間/命として尊ぶ」事が出来ます。 >「命は全て愛すべき存在」と捉えている私にとって、唯一「愛せなかった」のが犯人の男です。 >やっと彼を「一つの素敵な命」として認識する事が出来るようになりました。 まあ、理屈上はそう認識し得たのでしょうが、ぶっちゃけ「感覚的・気持ち的」にはどうなのよ?? 私はこれから娘の塾の送り迎えがあるので、今夕あの痴漢オヤジと遭ったら蹴り返してやるつもりよ!(笑) 嫌なものは嫌、で無理に痴漢男を愛そうとすると、ますますあるべき理想概念と現実の嫌悪感との間であなたご自身が苛まれたりしませんか? >その対称の性の身体を持つ者(主に女性)にとって「強烈な嫌悪/否定感」を与えないような、「成熟した性を表現するポルノ」が存在する世界、を望んでいます。 理想はね。 でも女性が男性以上に過度に目をしかめるような嫌悪するポルノってはたしてどのような類のものでしょうね。 卑猥こそ感じるかもしれませんが。 なんだかナンセンスに思えてなりません。う~ん。 ところで狩人さんはどこまで獲物を追っかけていっちゃったのかしらね、寂しい限り♪ 雪男に反対に狩られて野兎ともどもジビエ料理になってたりしてね?!
お礼
こんにちは。 もう次の回答を頂いていますし、焦っています。^^ #47で閃いた実感に喜んでしまって言葉が上滑りになり、あからさまに説得力が無くなりました。大汗 しかも何だかとってもとってもお馬鹿なくらい小ちゃな事を引きずっているのが、ものの見事に間抜けに思えてきました。 >まあ、理屈上はそう認識し得たのでしょうが、 >ぶっちゃけ「感覚的・気持ち的」にはどうなのよ?? 「理屈」の方はもうずっとずっと前に認識していました。 その理屈と自分の感覚/気持ちがあまりにも隔たりがあり「何かが間違っている」と、その隔たりを埋める方法をずっと探してきました。 まあ。。。そんな「トンデモナイ奴」を尊ぶ必要がそもそも無いだろう?という考え方もあるのですが、私はそうは思えないのです。^^ どんな問題児にだって素敵な部分はあります。^^ それと「全く同じ事」と思うのです。 そしてその事を考える事を今まで拒否していた、という事なのですが。。。 今まで誰も「私の非を私に判るように」指摘してくれた人はいませんでした。 それを今回ここに丁寧に回答くださる皆様が道を広げならしてくださり、bragelone様が決定的な一石を投じてくださったのです。 それと誤字の訂正を。 >その対称の性の身体を持つ者(主に女性)にとって →>>その対象の性の身体を持つ者(主に女性)にとって でもこれもかなり推敲無しの上滑りの言葉選びになっています。汗 せめて、ポルノというものの「未熟さ」で不必要に傷つく女性(男性も)に対して、何か私にできる事は無いかな?といった感じです。 まだまだ「閃き」はあったものの、言葉としての整理がまだまだです。 うまく書けません。 ちょっと理解がずれているかな?と言うところを書き出してみました。 ご心配頂き感謝申し上げます。^^ 私は大丈夫です。^^
- nabayosh
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>私が望む事は常に二つです。 >*自分と周囲の人間が「より良い未来」を生きる事 >*世界がより良い未来を紡ぐ事 >この質問の目的も二つです。 >*私自身の被害者意識を解消する事 >*社会がこの分野に関して不足/未熟な部分を知る事 簡単に言えばyukkinn66さん個人の問題と社会の問題ですよね。 で、最初のyukkinn66さんの望み二箇条はというと、自分を含めた社会全体への「より良い未来」ですよね。 「より良い」といえば聞こえはいいのですが、ではどうなれば「より良い」と言えるのか、ビジョンが全くないという批判(また同時に第一原理からさらに足を踏み出すのに必要な原動力ともなりうる)が可能であると考えられます。 例えばポルノがなくなれば「より良い」と言えるのか。あるいは「より良い」ポルノなるものがあるのか。あるとすればどういうものなのか。 それに比べると、質問の目的は「より良い」を目指すには登山口にも至っていませんよね。前者は「被害者意識の解消」という「マイナスをなくす」こと、後者は「不足/未熟を知る」という「マイナスを知る」ことでしかありません。道のりは険しいですね。 >>1.殺人は起こりうることである。 >>2.起こりうる殺人は起こってもおかしくない。 >>3.私が生きているということは、その起こってもおかしくない殺人にたまたま遭っていないということにほかならない。 >これは「個人としての対処法」ですね。 >そして被害に遭った時の被害者意識を解きほぐす為の言葉です。 >でも、これを「社会として認めて」しまうのは間違いではないでしょうか? 私が超社会的なことを論じても、yukkinn66さんが社会の枠組みのレベルでだけしか捉えていないので、どうやら話が通じていないようです。 私は先の回答で「社会うんぬんをとっぱらって考える」と申し上げました。社会がとっぱらわれた場合、個人という概念も存在しません。「個人」というものを規定するのは社会です。「個人としての対処法」ではなくて「自然がそのようなものなのだという事実認識」としてとらえていただきたいと思います。 自然というには論理的な空間なのに多少戸惑われるかもしれませんが、何が起こりうることか、という事実認識のもとで、起こりうることは起こりうると自覚するしかないのです。もしそれを「社会として認めてしまうのは間違い」というのなら・・・本当に正しいことを認めてしまうことは社会にとってよくないということになります。つまり、真実は社会の敵ということになります。真実を社会が認めるのが間違いだとしましょう。では、その社会が間違っていないと言えますか? 実際問題として、社会は真実を忌み嫌う傾向があります。一例として「人間は動物である」ということが挙げられます。そこで人間が動物のように振る舞うことをよしとしません。性に関して言えば、動物が表で公然と交尾しますが、人間がそれをすると犯罪扱い。動物は裸でいるのが普通ですが、人間が服を着ないで外を出歩くと犯罪扱い。まあそうでない地域や時代もあったにせよ。社会はあるがままを嫌い、真実を虚言でかき消すものです。そう、ちょうど「より良い未来」といった耳当たりのよいスローガンなどで。 >では痴漢やレイプ等性犯罪は「この時代の問題」と言う事でしょうか? >ではそれらが存在しなかった/稀だった時代とこの時代は何が違うのでしょうか。。。 >AVやグラビアがここまでリアルでなかった時代は性犯罪は少なかったのかしら。。。これは私の知識不足です。調べる価値はありそうですね。 >もし知識をお持ちでしたらご教示下さると嬉しいです。 性犯罪の検挙数ということでは明らかに増えているはずです。 しかし今と昔では性犯罪の認識も違ったり、性犯罪の取り締まりが厳しくなったりしていることなど、条件が違うのでデータから簡単には読み解けません。 例えば、植木等の歌に「混むのを幸い女の子に触り」というのがありますが、今で言えば性犯罪扱いでも当時は「みっともないからおよしなさい」というレベルの問題です。 「いつでもどこでもそれが正しいといえるもの」に従うことが必要であって、「時と場所によってブレるもの(虚構)」に惑わされると事の本質を見誤ります。
お礼
三たびの回答に感謝申し上げます。 申し訳ありませんが反論?させて頂きます。 >「より良い」といえば聞こえはいいのですが、 >ではどうなれば「より良い」と言えるのか、 んーーー。。。見る者(主に男性)にとって「性的刺激装置」となりうる扇情性を持ち、 且つ、その対称の性の身体を持つ者(主に女性)にとって「強烈な嫌悪/否定感」を与えないような、「成熟した性を表現するポルノ」が存在する世界、を望んでいます。(これについてはこの質疑では「ポルノ表現の未成熟性」と言うような表現でやり取りしています。#40近辺で出ております) もっと一般的に広く「より良い未来」と私が描くのは、 「誰も意図/意識的に悪意を持たずに生きられる世界」です。 申し訳ありませんが、#47の方への私の返信をお読み頂けませんでしょうか? 犯人の男を「否定したい」思いを抱えてずっと生きてきました。 でもその裏でその自分の思いに強い違和感を抱えていたのも事実です。 そして、bragelone様が >いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば と書いてくださいました。 相手の私に対する認識がモノであろうと、モノ以下であろうと、私は彼を「人間として認識」します。 そして、彼の私の認識に関わらず、私は彼を「人間/命として尊ぶ」事が出来ます。 「命は全て愛すべき存在」と捉えている私にとって、唯一「愛せなかった」のが犯人の男です。 やっと彼を「一つの素敵な命」として認識する事が出来るようになりました。 これも >実際問題として、社会は真実を忌み嫌う傾向があります。 その忌み嫌われる真実の一つだと思います。^^ どんな悪人も罪人も愛されるべき素敵な命である。 社会はそれを認めたがらない。違いますでしょうか?
- arayata333
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すみません。 mikoーdesiさんの文を受けて、私ももう少し書きますね。 メンタル面の方もあったんですよね。 自分ご自身のカウンセリングの問題については、私なりにすでに(自信は無いと最初から書きましたが)書き終わったわけですが、 専門の感性や表現の世界にては、“どうしたら 感性の極限と深く関れる可能性をもった性描写の世界を このように歪んだ認識のはびこる世界の只中にて多くの人に解かるように表現するにはどうすればいいのか”というあたりも 少しづつですが 独り占めの形で^^わかってきつつあるところ、 親として また人間として、自分の問題を越えて 性と人間の問題を精神的にも深く探りたい気持ちがあると思われますところ、 その肝心な点をここでとぎっては おかしいですよね。 miko-desiさんの「性教育の倫理性」、 そうとう昔の質問で もうすっかり昔に閉じられてると思っていました^^。 せっかくですので、 その続きとしても、 こちらに筆を伸ばし miko-desiさんも交えつつ 議論をさらに深めていきたいと思います。 忙しくなることにはなりますが、まだ 時間はあるからです。 “《何故 いつしか 知らない間に私たちは人間として存在していたのか?》という事実であり不思議である存在の謎の世界”への誠実な対応としての宗教の世界の本質に関しては brageloneさんとの間でさらに その真実を追究してゆく形となるかと思います。 (これも主に、 今の時間のある間に、形になりますが。) 感性についてや 表現の世界については 私の専門のようなものなのですが、 そこからは、確実にその藝術の極みの世界とこそ性は深いところでは関っている世界。 いよいよ、そのメンタル面との関りの世界を こちらにては追っていってみたいと思いますが よろしいでしょうか? ポール・ヴァレリーの詩は、 全体が読める形となり 私にははるかに解かり易くなりましたが それでも性の世界を 解からないまま解からないとして書いている詩と思えました。 まだ 深く検討したりしたわけではないですが 直感です。 私のあの恋の 嗚咽の体験は、 熱い熱い体験でしたが、結局何も解からない体験の一つでした。 ただ、詩は言葉の藝術であるのに対して 私の場合には実際の深い体験でしたが、 今からは、その違いを超えて、おそらく似たものどうし、という印象を受けています。 恋愛に対して その幻想性や錯覚性を云々する人達がいますが、 そのうえでそういう人たちは 錯覚も存在の内、とう形でその「わからなさ」を納得していたりします。 しかし、私の体験した世界は、幻想や錯覚とはまた別の深みの世界ではあったのです。 ただし、そこには、 正しい信仰(科学者や深い精神からの哲学者の発見するその世界)からの、人間の平等愛からすれば、 所有意識とかその欲望とはまた別の純粋なそれであったとしても、恋愛自体は、不平等な愛ではあるのです。 普通は そこまで考えないのですが、 同じ人間なのに 一人だけに愛情を深く感じるのは まだどこか不純なのではということも 「よくわからない」ままにても感じるのが真剣な宗教の世界と思います。 アウグスティヌスについては 私は詳しくないのですが、おそらく 宗教の作った不浄感や それを増幅してしまった形のキリスト教会の 影響の下、 一方では深い感受性も持ち、かつ信仰からの恋の不平等性への疑問も持ち(そのへんは解からないながら)といった 複雑な世界を一身に背負った哲学者だったのかと思います。 そのへんは、深追いは ここでは避けますが、 おそらくbrageloneさんも 落ち着いた考えだけでなく そうした弱点が、このへんに関してはむしろある人なのではと思えてきました。 にもかかわらず、いっしょうけんめい こちらにも回答してくださっているところが、また実直そのままの人なのです。 ともかく、 私の方も こちらからは ここでおしまいという形は避けようと思っていますので、 今度も「中継ぎ」となってしまいましたが そのお知らせを持って今回の筆とさせていただきます。
No.34:《若いパルク》の最終部をお伝えします。 * ・・・ きのう深みをおびていたからだ・・・・・・・・・・・・・・・425 あるじであるからだは きのう わたしをうらぎりました 夢にまどろむことなく 官能のさすりもなくです つまり悪魔の鬼が その薫りが わたしに 男の首に抱きついて絶え入ろうとするあやうい想いを あたえたわけではありません けれども 白鳥の神が 羽根で わたしを犯して その燃えるような白い色が わたしの想いを かすめとっていくこともありませんでした・・・・・・・・・430 神の白鳥は 巣の中でもっともやわらな わたしを知りえたでしょうに おとめの 手足のまとまりゆえに わたしは 影のすがたで いつくしまれるささげものであったのですから というのも 眠りが うるわしい大いなるものの火に燃えつき わたしは あたまのうつろな場で わたし自身にからんで・・・・・・・・・・・・・・・・・435 だらけるように 神経の帝国をうしなった というのが ほんとうです こころの真ん中でわたしは ちがうわたしになりました だれもそれ以上 じぶんを離れることはありません 飛び立つことも 地の下に走り去って寝転がることも どこで いったい きびすを返して わたしの心は ここに溶けてもどったのでしょう わたしは どんなほら貝の音を聞いて・・・・・・・・・・・440 見失った名をおぼえたのでしょう わたしが わたしのきよらな果てには至っていない果てから 引き返したのは わたしのため息がどちらに向かってひろがっていくかを おぼえたのは うらぎりの流れのどんな引き潮に乗って だったのでしょうか 小鳥が羽根をやすめるように まどろまなければならなかったのだとおもいます それは たぶん 時間だった その中で・・・・・・・・・・445 心の内にひそむ占いの女が ちからを使い果たして じぶんをほどくから そして おなじじぶんではなくなります 心の奥にひそむ少女は これでもか これでもかと むなしく じぶんを守ろうとし とうとう だめだった手をふたたび使います 冠をいただいた死者たちのねがいを聞き入れて 吐く息をじぶんの顔色だと みなさなければならなくなります・・・・・・・・・・・・・450 しずかに そこで わたしが生まれるのです わたしのひたいが これをうべなった色をみせます このからだ わたしはこれをゆるします そして 灰をかじってみるのです わたしはじぶんを くだってゆくことの幸福に ゆだねます 黒ぐろとした証人の眼に見られて 胸に責めを受けて・・・・・455 終わりのない じぶんのない きれぎれの 片言たちのあいだで〔身をゆだねます〕 わたしのかしこさは ねむるでしょう このねむりの何も無さに わたしは います 芽が現われ 影をもった 罪のなさに 立ち返りました たしかに 生きて へびに たからに これらに 身をまかせました ねむれ おりるのです ねむれ ねむれ・・・・・・・・・・460 おりて ねむれ・・・ (低き門が指環で 薄い布がとおりすぎ みんな死んで みんなが喉では しゃべりながら笑うのは だれもがしっています 小鳥が口の上に飲みそれが見えないのは みんながしっています 闇は闇なのですが おりるならおりなさい かたるなら声低くかたりなさい) 死に装束は甘く わたしの乱れは生温かく・・・・・・・・・465 自らを注ぎ 自らに問い 自らを委ね 心臓の鼓動を溺れさせようとした寝床 わたしの部屋に生きているほとんど墓 息をして そこに永遠の音が聞かれる わたしのすべてを奪ったわたしに満ちた庭・・・・・・・・・470 わたしのからだのからだ わたしが自分に帰るときその一つひとつを 認めなければならなかった虚ろな熱 ここで 高ぶりは 一つひとつの襞の中に 身を沈めて いやしい夢の底に いつしか 混じり合った と言うのでしょうか このような敷布のなかで 庭のなかで・・・・・・・・・・・475 すべすべした庭はみづからの死を真似て あこがれのすがたは 身をよこたえ 眠りに入るのですが 疲れ果てたあこがれの女は 眼をなみだの中にためて このとき その秘密があばかれたなまめかしい祠は からだが自らに守りとおして来た 愛の残りとともにはたらいて 堕ちていった自らを朽ちさせ・・・・・・・・・・・・・・・480 その滅びを引き受ける最後のこころを 朽ちさせるのです 隠されたところにあって しかも身近な 方舟 その鎖を わたしは この夜 気を狂わせて 打ち砕こうとしていたのです 日の目に満ちたものを作り出すちからの そのわきばらを なげきながら 嘆きながら 揺らそうとしていたのです ええ 夜空の青さに戸惑ったわたしの眼は・・・・・・・・・485 冷たく そこで めづらしき星の消えゆくのを見ました わたしの驚きのこの若わかしい太陽は 母たちの恨みを輝かすように見えました 光の炎は 悔やみの留まりを奪い 夜の明けゆくとき すでに墓の裏打ちをかたどっていた たっとい裏打ちを作り上げるように・・・・・・・・・・・490 遥かな海の上に わたしの足の上に 太陽はうつくしく見えました そして方舟 それはただ わたしが あなたののぞむ女であるというにすぎず わたしの尼すがたが蒸発して わたしを遠ざかって行ったあとは あなたのくにであるというにすぎません わたしは もし生きているなら・・・・・・・・・・・・ 495 いくつもの別れを告げて いくつもの夢をかたどったにすぎないでしょうか もし 着物を奪われ そのまま 憚ることなく この岸辺に 高波のしぶきを吸いにやって来て 風にむかって 活き活きとした大気のなかに 立って 海の呼ぶ声をおもてに受けるのなら・・・・・・・・・・・・500 引き締まった魂が息吹いて 荒れ狂うままに 逆巻く波を崩れる波の上に湧き返らせるとき 波が 岬をとどろかせて 無邪気な怪物をいけにえに祀り挙げ 遥かな沖合いの海の深みを 岩の上に吐き出そうと言って 凍りついた火の粉をほとばしらせ 飛び散った目つぶしが ものおもうわたしに降りかかり・・・・・・・・・・・・・505 ざらざらした目覚めが齧っているわたしの 肌の上に打ち上げられるとき そのときは 太陽がわたしの心にやって来て自らを識り 生まれるよろこびをうつくしく力強く繰り戻す・・・・・・・ 510 そのわたしの心を わたしは わたしの考えに逆らって あがめなければなりません その火に向かって 恵みに満ちた乳房の かがやく友がらのもとに身を持ち上げるのは おとめの血なのです * ● ほかの方の翻訳を見つけました。原詩に忠実です。 http://www3.kitanet.ne.jp/~isi234/wakaiparuku.html http://www3.kitanet.ne.jp/~isi234/wakaiparuku2a.html ● 原文です。 《LA JEUNE PARQUE》: PAUL VALERY (1871-1945) http://us.geocities.com/larbaudjr/valery.htm
No.47です。 解釈の妥当性をお尋ねでしたが わたしの文章の趣旨は 次の文章に基づいています。合っていますでしょうか。 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ だから 魂は 善き意志によって 私的なものとしてではなく 公共的なものとしてこのようなもの(*)を愛するすべての人によっていかなる偏狭や嫉みなく清らかな抱擁によって所有される 内的なもの 高みにあるものを捉えようと自分のためであれ 他者のためであれ 気遣うなら 時間的なるものの無知によって――魂はこのことを時間的に(* 相対的な判断によってその実践として)為すから――或る点で誤り そして為すべきようになさなくても それは 人間の試練に他ならない。私たちが いわば帰郷の道のように旅するこの人生を 人間にとって常なる試練が私たちを捕捉するように送ることは偉大なことである。 * 《このようなもの》とは 端的には 情欲です。 それは身体の外にある罪であって姦淫とは見なされず したがってきわめて容易に許されるのである。 しかし 魂が身体の感覚をとおして知覚したものを得るために そしてそれらの中に自分の善の目的をおこうとして それらを経験し それらに卓越し それらに接触しようとする欲望のために或ることをなすなら 何を為そうとも恥ずべきことをなしているのである。 魂は自分自身の身体に対して罪を犯しつつ姦淫を行なう。また物体的なものの虚妄の像を内に曳き入れ 空虚な思弁によって それらを結合し その結果 魂にとってこのようなものが神的にさえ見えるようになる。 自己中心的に貪欲な魂は誤謬に満たされ 自己中心的に浪費する魂は無力にされる。しかも魂はこのように恥ずべき 惨めな姦淫に はじめから直ちにとびこむのではなく 《小さなものを軽蔑する人は次第に堕落する》(『集会の書=ベン・シラの知恵』19:1)と聖書に記されているようになるのである。 (アウグスティヌス:『三位一体論』12・10 中澤宣夫訳 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 筆の力が わたしには まだ 及びませんので 引用になりました。 《罪 / 姦淫》だの旧い概念だと思いますが 現代の視点へと翻訳すれば 主旨は 通ると思います。 もし 賛同をいただければ あとの課題は ポルノという存在についての違和感でしょうか。 この点についても 試みとしてのごとく いぢのわるい見方を提出してみます。 ▲ (コリント前書10:23ー25) ~~~~~~~~~~~ 「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。 だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。 市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《正当性》を言うわけではありませんが また 《必要悪》として規定するつもりもないのですが ただ ポルノという存在について 商品の交換というかたちのコミュニケーションの決まりを満たすものとしては 存在すると受け止めています。そして たしかに 説得力はありません。 もし感覚として言ってよければ もし過去のことをめぐって すがすがしき心でいらっしゃるのならば 特に気にかけることは起きないように思うのですが こればかりは なんとも 説得し得ないと 感じています。(お手上げです)。
お礼
何度もありがとうございます。 それにしても。。。何故この手の書物の文章と言うのはこうも一文が長く、文法から切り貼りしてこうかな?あーかな?と理解がし難いのでしょうか。。。大汗 何とも「読み手の受け取り方等これっぽちも気にしていない」ように思えてしまいます。爆 >わたしの文章の趣旨は 次の文章に基づいています。 >合っていますでしょうか。 とおっしゃいますけれど。。。申し訳ありません!!力不足で読み取れません。涙 前回答の文から拾ってみました。。。 >被害者であるあなたも 蚊となって刺したということです。 と言う文の「目的語=私が刺した相手」は「犯人の男」でよろしいでしょうか? つまり「性愛関係」と言う視点から見た時、男と私は只「合意に至らなかった」だけの関係。その関係の入り口に「なり得た」行為は、合意に至らなかった事によって「痴漢」と言う非合法行為と位置づけられてしまった。。。。と言う事でしょうか? 「これはそれ以上でもそれ以下でもないんだよ」とおっしゃりたいのかな?と。。。。 >もし過去のことをめぐって すがすがしき心でいらっしゃるのならば >特に気にかけることは起きないように思うのですが そうですね。。。この事件を巡る思考に光が差し込みました。^^ そして、「気にかける事が無くなった」今、私が挑みたいと思うのは、ポルノと言う存在に「説得力」を持たせたい、と言ったところでしょうか。 せっかく存在しているのだもの、 どうせなら有意義でarayata333様のおっしゃる >松下幸之助の言われるニーズの奥の人の生涯の幸せへの責任を追及する姿勢としての商人道徳(#40) に適う存在に進化させる事が出来たら一番良いのだと思えます。
- arayata333
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連休中、 明日は84歳の母を連れてドライブ(会社の車ですが)に出かける予定です。 今日しか回答の時間がなく、焦ってました。 brageloneさんとは、現在喧嘩中です^^。 あっ誤解しないでください。 哲学の友が 相手の間違った点に気がついて黙ってたらおかしいです。間違いをはっきり言えるのは、すでに信頼してるからです。 まず、きょうは道徳規範に関する彼との質疑でのコメントへの疑問を書きました。 しかしそれは、彼の信仰体験を尊敬しているからこその疑問であるわけです。 信仰体験には 権威とか権力と関るようなまやかしの部分と、その逆の個の自覚や、リスペクトの根源、自分の小ささの自覚とかいった心に気がつく世界もあり、 彼の大きな気づき自体は 後者の哲学者のそれであるのにもかかわらず、前者も少し混じっているのではという疑いです。 次に 「神は人間に何故性欲を残したのか」というタイトルの質問文に回答をしました。 そちらも回答されてたのが心強かったです。 http://okwave.jp/qa4611791.html そこに 性の歴史に関する 私の見解の全体像のようなものを書いておきました。また、神という言葉が使われているので、信仰には二種類有ることにも触れておきました。 No47のbrageloneさんの回答は、 科学者や哲学者のほうの信仰の体験からの発言だと思います。 >いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。< その時は、大きく心傷ついたことであったとしても、 人間が絶対個であることに気がついた時とか、なにがあろうと大きなゆるがない何者かに包まれている人間存在に気がついたりする時には、 まさに 瞬時に過去のトラウマから開放されたりもすると思うのです。 レイプを犯してしまうような、とくに若い男性場合には、 たくさんの要因が考えられます。 無知の要因もいろいろ絡んでいるでしょう。 刺激がはじまったばかりのパニックが引き金ともなっているかもしれません。 男としての自信を この資本主義の亜流社会から促されるかのように支配欲の実現にて満たそうしてしまう心理もあったでしょう。(いわゆるナンパ欲求です。) 知らないままでは暗くなってしまうという直感から無知なままともかく実践を求める心も働いたかもしれません。 そのへんは本人にしかわからないでしょうし おそらく複合的な本人自体もよく解からないような因だったに違いありません。 ただ ここに もうひとつ見逃してならない問題が 実は家族病理の世界です。 所有意識と絡んだ愛の世界の問題です。 愛してるから自分のものとして確保したい。 逃げたら憎しみとなってしまう? こういう段階の愛の世界が 家族という合法的なつながりの中に、入り込んだ場合、 あるいは誰もが最初に未熟な段階があれば、少しは経験してしまう家族関係の世界です。 かわいいから 後をつがせたい というのもすこしそのけのある世界だったりします。 人間は絶対個 であって関係こそが大事である という関係は むしろ多くの人は、結婚してから学び始めると思います。 ここに 道徳が規範として押し付けられると 若者は理解に入ってゆく前に ただ反発します。 親の存在に矛盾を感じているので、大人が信頼できないからです。 セックス 不浄 ならなおさら、それを犯してやりたい。 簡単に一言で言えば そういう気持ちとなってしまうということです。 もし、家族が 正しい愛情で愛し合えていたのならば、 ユッキンという人間はこの宇宙の過去幾百億年、未来永劫、どこのはてまでいってもほかには存在しない絶対個(あるいは 「ただあたりまえに個」)であり、 旦那も同じ存在である、個と個であり 無限に尊重しあうべき存在であり 別な人間であり そういう『友』なんだという自覚で 愛し合えていたならば、 子供を所有なんてしないでしょうし、子供の人格も 早くから認め、信頼し、長所をこそ認める関係になるでしょうし、それによって親も子供から学ぼうするでしょうし、 そういう家族であったなら かの レイプした若者も レイプなんて、とても恥ずかしくて出きなかったはずだということです。 brageloneさんが、ごく自然な落ち着いた家族関係を大切にする考えであることも、 この家族病理のない男女の世界が 心の中に前提として存在しているからだと 私には思えるところなんです。 家族というのは ほんとうに大切です。 世の中にこれほど大切なものはないと言えてしまうほど大切です。 あるいは そういう世界を謙虚な心の人に教えてくれる世界だと思います。 しかし、その上は その愛情の世界を この存在全体に向けて欲しいのです。 『私たち』という存在を同じように愛せるようになって欲しいのです。 神は助けてはくれません。 人間どうしにしか そういう関係は生み得ないんです。 逆に言えば 私たちは家族を超えて 世界中の生きている人と『友』になれる可能性を神から贈られているということでもあるということです。 その時 お互い自律し、相手のすべてを許せる心をもっていないで どうして『友』であれるのでしょう。 どんな悪人も もしわたしが同じ状況を生きたら(長い間です。)私自身も同じ悪人になっていただろうということを認知することで どんな相手をも同じ人間として見れるようになること、 これが言い換えれば 哲学者達の信仰ということと私は思っています。 すべてを 個として許すとき、 トラウマはたしかに一瞬に消えると思います。 わたしも、今では やつら(あのホモたちのことです^^)をなんで抱きしめてあげられなかったのだろう(あのですね。これはセックスのことじゃないですよ^0^j) 、なんで、その心の奥の苦しみを助けてあげられなかったのかと 言う気持ちになれます。 今ではです。 私の場合は 長い長い過程が信仰への道のりでしたから そのへん劇的ではないのです。 そのかわり、 じわっとした感じで あるいはごく普通の大地に足を踏みしめた感じで、 人を愛せれば その時どんなゾゾゾゾゾゾゾ体験もそれごと、笑って抱きしめられるよ、 ということが解かります。 レイプトラウマは、その時 何もかもが 何もかもがですが 消えているはずです。 蚊に刺されたようなものです。^^/。(喧嘩してる最中なのに 結論がまったく一緒だった? なぜだああああ。) 一応ですが、 これで 結論まで進んでしまいましたので、ひとまず私の方からの回答を終了します。 「なぜ神は人間に性欲を残したのですか」への回答の方も、 是非読んでください。 ここに書こうと思ってたことの中の重要な部分でもあったのです。 書く手間を省きました^^。 (し、失礼。) まだ、この問題にては書きたくなることはありますけど、 詳しく書きました理由は、 その回答の最後に同じことが書いてあります。 と、 実はこれから私は忙しくなりそうなのですが、 あとは ゆっくり それこそ、 また機会は出きると思いますので 《その中で》という形の方がいいように思えたのです。(一テーマ、一回答主義。そのほうが結論の蚊が明確になるかと思うからです。 それにしてはすでに 書きすぎですか?笑。) がんばってください。 お体を大切に。 そしてご家族を大切に。 また お会いしましょう。
お礼
本当に何度もありがとうございます! >信仰には二種類有る これは *道徳の権威化の為に(意図的に?)創造された存在。 *人智の限界に対しての畏敬の念、存在への感謝。 の二種類で良いのですよね? #47bragelone様の回答を理解した、と感じた時に「確かな光」を見ました。^^ 思っても見なかった「ひっかかりの原因」が判明したと共に (此の「原因」とは、犯人の男を人間として尊びたいとの思い、でも表面化している思いは「否定したい」。) そのひっかかりそのものが氷解した、と言う解放感と嬉しさです。 >わたしも、今では やつらをなんで抱きしめてあげられなかったのだろう、 >なんで、その心の奥の苦しみを助けてあげられなかったのかと言う気持ちになれます。 はい。 そのままの同じ感覚です。 あの時、自分が声を上げ、彼を公衆の面前で告発したならば、私の後に居ただろう新たな被害者と何よりも「彼自身」を救う事が出来たのに。。。と言う「後悔」はずっと持ち続けていましたが、その考えよりもより深く、彼もまた人間であり、尊ばれるべき存在で在り、愛すべき存在である。。。今の私は私自身と同じように大切に思えます。 只「ありのままに見つめる」とはこういう事でしょうか。。。 >また あなた自身が 悩みを解決してあげられるようになって欲しい課題です。 まだ「揺り戻し」もあり、「何だか男らに(失礼な!^^)言いくるめられちゃった気分」も残存しておりますが、bragelone様も言葉で見た光は確かに確かなモノでしたので後は時間が私の心を望む地点へ連れて行ってくれると思われます。 私自身が誰かの解決を手伝うには、まだまだ「言語化」が拙過ぎます。汗 これからゆっくり誰かに説明出来るような思考を見つけて行きたいと思います。^^ そう言えば、私の母がいつも言っていました、 「世界に本当に悪い人なんて一人も居ない」って。 こういう事だったのかも知れません。^^ ありがとうございました。
>*性や身体の描写を論じる事を「無意味なもの」とおっしゃりたいのか? >*もっと別の有意義な視点がある、と促してくださっているのか? いえ、多分yukkinn66様はメンタル面での解決を望んでおられるようなのですが、感情は私にもあるにはあるのですが、感情論は用いず視点満載で(?)論じようと思います。 例えば紛争で一時的に人口が減少し、有限な土地や食料もなくなり飢餓が広がるものの、なぜか人口は増えるのです。個体に危機感が迫ると自己保存より、種の保存に導こうと遺伝子にプログラムされているものがあるかもしれないという持論があります。 寿命が長く強い種は子孫は少なくていいとする。繁殖能力が抑えられ性欲も子育てに都合が合う時期に現われる程度でいい。しかし寿命が短く捕食されやすい種は多産であることが種の存続に有効なのです。次世代、未来を用意する手段に快楽が従うので時代や社会が厳しく暗いほど、連帯感が薄く疎外感を感じる生である程、反動的に快楽を求めるのでしょう。 種族保存には群れの欲求が含まれ、それが恋愛を求めたり、失恋で心が痛んだりするのですが、自己保存が優位になってくると恋愛や失恋の痛手も無くす方向に遺伝子プログラムが上書きされてくるかもしれません。恋愛するのも自分でないところの他者を幸せにするためでなく、恋愛対象に投影した成りたい自分自身の姿であって、現実に別人格と籍を入れたところで3組に一組は離婚しますし、自分で切磋琢磨し目指すところとなれるなら、育児期間以外で男女が助け合わなければいけないこともなく、恋愛期間は不必要となり子孫を作るためだけに性欲があれば充分となりレイプや望まない妊娠も減ってくるはず。 よって社会が安定し共有感という充実を満喫し寿命も延びていくとなれば、少子化となるのも自己保存が優先された結果だと思います。 ですが、人間の性欲は種族保存だけでなく価値観が多様化するにつれ、社会も合理化と分業が進みます。精神の保存(社会性、伝統文化の保存)も望んで相応しい相手を惹きつけ、を感じるからもしています。その為に女性は女性らしく、男性は男性らしくあるのが望ましいとされます。 江戸時代以前に人間関係なしに営める生活も娯楽もなかったのですが、一人でも楽しめる娯楽や次々押し寄せる情報を処理することで他者との協力が不可欠でもない現代に至って、疎外感に悩める人たちは矛盾の矛先を弱者に向けます。弱者に「都合のいい女」も含めて。 性が「心を生かす」という意味ほどのものなら、レイプする犯罪者の餌食となる相手は憧れの対象でありながらも警戒の不要な、つまり勝算あっての攻撃的な生き方の手段にされます。これは短期的には優れた生き方の手段に成り得るけれども、中、長期的にはそういう自己主張もすべからく空振りとなり自己同化に抵抗が増すばかりで本人にとっても生きるに値しない生き方となります。自分可愛さ故、加害者も被害者も共倒れます。 その点二次元のポルノは密かに憧れの君と自己同化しつつ、現実では立派な大人として自己分離せずバランスを保つのにポルノも一役買っていると思われ、精神衛生上で便利みたいな?充足しつつ自己主張していけるのですから。 それに性的描写のもの以外でも「行き過ぎは好ましくはないが快楽的なもの」の規制を厳しくすると、歴史的に見ても闇で高値で取引きする商売が儲かる仕組みとなるようです。非課税の商売は暴力団だけで充分です。しかるべき税を収めている出版社と芸能人なら排泄欲も善政をも担って(いるはず)です。規制し過ぎなでいるのがいいとも思います。 しかし、子供が立ち寄る本屋の店頭やコンビニに堂々とエロ本が売られ小学生がエロ本を立ち読みしてるのも見たことがあるし、まだ積極的に性に対して興味のない小学一年生から性教育が必要なのかと私も親として思います。 参考質問「性教育の倫理性」http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3357170.html せめて深夜になると何を販売してたのかやっと分かるというマジックミラー販売機(懐かしい、笑)あの程度に怪しいながらも慎ましくやって欲しいと思います。 結局癒しにも回答となれる結論もないわけなのですが(苦笑)自己満足になれました。ここまで読んで下さりありがとうございます。
お礼
長くなってしまったので補足欄に書き込みました。 最近補足や回答のメールが届かないので、気になっています。 削除の前兆なのでしょうか。。。。大汗 ありがとうございます!
補足
miko-desi様、再び答えてくださり感謝申し上げます。 本当にありがとうございます! >多分yukkinn66様はメンタル面での解決を望んでおられるようなのですが、 やっぱり論点が揺れ動いていますでしょうか。。。? 二つの論点を同時に扱う事に無理があるかも知れません。(反省!) >時代や社会が厳しく暗いほど、連帯感が薄く疎外感を感じる生である程、反動的に快楽を求めるのでしょう。 これが「この時代の問題」かも知れませんね。 >育児期間以外で男女が助け合わなければいけないこともなく、 >恋愛期間は不必要となり子孫を作るためだけに性欲があれば充分となり >レイプや望まない妊娠も減ってくるはず。 これについては最初の >自分で切磋琢磨し目指すところとなれるなら、 が「大前提の条件」となりますね。 「群れの欲求」は自意識(他者の視線を意識する)の基と思われます。 超未熟に生まれるヒト、と言う生物的特徴を考慮すれば、それは「生物として困難な事」と考えられます。だからプログラミングされずに来ているのかと。 >他者との協力が不可欠でもない現代に至って、 >疎外感に悩める人たちは矛盾の矛先を弱者に向けます。 そうですね、現代の社会は「他者との協力が不可欠でもない」ですものね。。。 だからこそ「意識的に」繋がろうとする事が必要。 とは、非合法行為等しない「成熟に近い人間」の思う事ですね。。。 >二次元のポルノは密かに憧れの君と自己同化しつつ、 >現実では自己分離せずバランスを保つのに >ポルノも一役買っていると思われ、 >精神衛生上で便利みたいな?充足しつつ自己主張していける はい。その通りですね。 でも、此処で「長期的視野(と私は思っていますが。汗)」に立って見ると、その「主張」は「現実の非合法行為が減少する事」が前提条件ではないか?と思えるのですが、いかがでしょうか? ポルノがそのように主張されるなら、「ポルノの増加」は「非合法行為の減少」を伴っていなければおかしい、と思うのです。 これは、 >「行き過ぎは好ましくはないが快楽的なもの」の規制を厳しくする とはまた違う、と考えています。 >参考質問「性教育の倫理性」 (ありがとうございます! 先程覗いて参りました。 こちらの質問が「象牙の塔」のように思えて恥ずかしくなりました。汗 後程、あちらの質問にお邪魔させて頂いてもよろしいでしょうか。) それと、 >子供が立ち寄る本屋の店頭やコンビニに堂々とエロ本が売られ は別問題、とは、まだ未就学児しか育てていないから考える事なのかな。。。と少々不安です。 でも、性教育と「目につく所にエロ本」は問題と言うか「理念」が全く異なると思います。 理想主義となるのでしょうか。。。 某質問で「清純な精神」と迄評されてしまいました。大汗 私は只、其処に向かって進んで行きたい、と道を眺め匍匐前進(!?笑)しているだけであって、現在位置は清純とは程遠いのに。。。。 ありがとうございました!!
お礼
こんばんは、bragelone様。 また来てくださり光栄です。 >もし 上の命題をたがえているとすれば それは 被害者であるyukkinn66さん あなたも 蚊となって刺したということです。 これは、私も何らかの加害者である、と言う事でしょうか? >初めは 一方的な行為であったとしても 同意したという関係に入る場合があるということです 私が嫌悪と恐怖で「同意を拒否した」と言う事でしょうか? そして、その後に続いたかもしれない「性愛関係への道』を閉ざした。 だから、私も「蚊になって刺した」。。。そう言う事でしょうか? うーーーん。。。何だか大らかな気持ちになれる言葉ですね。^^ (ん?私の解釈、合っていますでしょうか?汗) >いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば これはあの犯人の男も「尊ぶべき存在」と言う事でよろしいでしょうか? (勝手に解釈して勝手に喜んでいますけれど、大丈夫かしら。。。) >そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。 はい。^^(私の解釈が合っているならば。) 添削お願い致します!