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幕末の郵便のしくみ
歴史小説を読んでいて素朴な疑問があります。 坂本竜馬など志士は江戸、京、大坂、国元などなど広い範囲で行動しております。そして、彼らは手紙を届けることを大きなコミュニケーション手段としております。 しかし、彼らはお互い定位置にはおらず、もちろん京ならどこ、大坂ならどこと決めてはいましたが、いつどこにいるかははっきり分かりません。 こういう状態で、手紙を出す時はどうしたのでしょうか? たとえば西郷隆盛が坂本竜馬に手紙を送りたいときに、伏見の寺田屋に送るのですか?しかし竜馬がすでに寺田屋発して長崎に行けば、郵便は転送してくれるのですか?それとも寺田屋に戻ってくるまでは、西郷さんの手紙は読むことはできないのですか?
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日本の郵便制度は前島密により1871年(明治4年)4月20日にイギリスより導入されたものです。 つまり、お尋ねの幕末には郵便制度はありません。 もちろん時代劇などでお馴染みの「飛脚」はありましたけど。 で、幕末の志士たちがどうやって重要な手紙を送ったか。飛脚を使うわけにはいかないでしょうから、多分、人を介して届けてもらったものでしょう。不便でしょうがないですね。だから、維新後になって近代の郵便制度が導入されたのです。 西郷隆盛が坂本竜馬に手紙を送ったかどうかは存じませんが、送るとしたら誰かを使者にして届けてもらったものと思います。寺田屋にいなければ長崎まで訪ねたかも知れませんね。
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- Pinhole-09
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回答No.2
飛脚宿預かりにして貰い、時々顔を出して来ていれば、受けとつたのでしょう。 長崎へ行く時は、飛脚宿に長崎の飛脚宿へ転送してしてもらうよう頼んでおきます。 転送料は後払い。 江戸時代の飛脚制は信用度が高かったようです。