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昔の人の記憶力
昔、まだノートや紙が大切だった時代(明治や幕末など)にはどうやって庶民や武士は物事を覚えたのでしょうか?(上級の位の方は今よりは劣るでしょうが紙位はあったのでしょうね)記憶力が現代人よりはるかに優れていたのでしょうか?歌にして伝えたというのは聞いた事がありますが全てではないでしょうし、メモ帳などもない時代に不思議に思いました。
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- jayoosan
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個人的には、逆にこの15~20年で、日本人の記憶保持の力がかなり衰えたと感じます。衰えたというよりは、記憶しなくてよくなった。 携帯もPCもなかった時代、友達の電話番号なんて、10人分くらいは覚えていましたし、友達の誕生日が近づいてくると、「あ、××の誕生日だ」と思い出したものです。 今は、リマインダーに教えてもらわないと、その日を過ぎてしまうことも珍しくありません。 紙が大切な時代や、あるいはその時代文字がかけない人でも、言葉や経験による記憶力(親が子に料理をおしえたり、父親が農法を伝えたりなど)は、高かったと思います。 あと長旅などのとき、町人などは携帯性の筆と紙をもちあるいていたはずです。
- staratras
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人間の基本的な能力である「記憶力」そのものは、たかだか150年位しか経っていない幕末から明治時代にかけてと現代で大きく違うとは思えませんが、「覚えよう」という動機の切実さと覚える努力には大差があるように思います。 例えば現代では外国語の辞書は書店に行けば簡単に買えますし、ネットでは検索することも自動翻訳することもできます。しかし幕末には大坂にあった当時一流の蘭学塾である適塾にも「ヅーフ・ハルマ」というオランダ語の辞書が1冊しかなく、辞書が置いてある部屋は「ハルマ部屋」と呼ばれて夜中まで灯りが消えず何人もの塾生が勉強していたと言われています。一人の塾生が長時間占有して使うわけにはいかないでしょうから、一度引いた単語は懸命に書き写して覚えようとしたのではないでしょうか。 つまりご質問のように「ノートや紙が大切だった時代」(当然書物も貴重ですが)のほうが、現代ほどには便利なガイドブックやマニュアル・辞書の類がなかった(全くなかったわけではなく旅行案内や日用辞書の類は幕末には相当普及していたでしょうけれど)分だけ、物事を覚えようという気持ちが強く、覚える努力も惜しまなかったので、結果として「昔の人は記憶力が優れていた」と感じるのだと思います。
- Scull
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一番重要な事は「現代の様に無意味な事を記憶する習慣自体が無かった」事です。 学校の試験勉強、プロ野球の結果、流行の事、その他現代では「本来覚える必要の無いくだらない知識が氾濫している」でしょう?昔の人はそう言う事は全くなかった(少なくとも、外来語なんて物はほとんどなかったし、アルファベットが読める必要もなかった)訳ですから、記憶の上限は現代人と同程度で足りていた訳ですよ。 生活に必要な事は覚える、本当に重要な事は書物にする。そう言う事です。もちろん、江戸時代だって明治期だって紙はありましたから、庶民でも入手は可能でしたが。 それに引き換え、現代人の「いかに無駄知識」が多い事よ!中には無駄知識の多さを誇る人もいるぐらいですから!!
- ssshhhiiin
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ほんの昔 1~2世代前くらいまでの人の記憶能力、再生力はかなり 高かったと思われます。 現代は便利な記録機に溢れているため 「記憶する必要がない」のです。 例えば 宮沢賢治でいうと 彼はクラッシック音楽のレコードを手に入れたら それを覚えるまで聴きました。 そして完全に自分の中で再生できるようになるまで聴いた後に 一枚目のを売却し、新しいレコードを手に入れたようです。 賢治の作品には 彼が五感で記録した音や映像が散りばめられていて それらの描写が物語を深みのあるものにし 舞台のスケールを大きく見せ 臨場感あふれる世界を創り出しているのです。 周りの祖父母など お年寄りで 感覚記憶の優れた方はいませんか? 写真やビデオのない時代は 実在の映像以外や音に触れることも殆どないため 記憶容量も十分あった筈です。 ビデオや写真で記録に残せない為 何度も脳内再生をする必要もあり それを繰り返すことで再生力、記憶力とも更に優れてくるのではないでしょうか。 七田教育○○所など 記憶力を高めるための講座として類似のトレーニングをよく見かけます。 ただし これらの講座では教材を使用するため その記憶は教材で置き換えられる狭い範囲のものに限られます。 所詮 実体験に勝る教具はないことを考慮した時に 素朴な時代の人たちの記憶力の密度、質の高さが羨ましいです。 何かを覚えるため、思い出すため 文字や図などを紙に書き留めたとしても それは 思い出すためのきっかけにしか過ぎないのです。 メモをきっかけとして 音声や映像をどこまで脳内再生できるかが「記憶力」の良し悪しを決定します。 記憶力は「記憶したものを速く、正確に再生する力」・・だと考えます。 現代の子供達は遊び場を奪われ 冒険する機会もなく 時間に追われています。 五感の十分に発達していない子供達には 記憶力、再生力の基本の素材を十分に育てることができません。 素材というのは例えば 甘い匂い、夕暮れの色、石の質感、形状 等のバリエーションということです。 素材が多ければ多いほど 記憶するときの感覚も鋭敏になり 再生も容易です。 将来の日本を担う子供達の「記憶力」を伸ばすよい環境を用意してあげることが 我々大人の役割だと感じています。
- komes
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明治、幕末には紙は日常使用されていましたし、文字の書ける人はメモを書き付ける習慣もありました。 それ以前から古い文書の余白を利用することは風習として存在していました。 有名な公家である藤原道長の日記は文書の余白に細字で書き加えられて日記として残っています。 さらに古代で文字や紙のない時代は歴史や伝承を、語り部という人達が言葉や歌のように繰り返し暗唱する手段で後世に伝えていました。 勿論この方法は誤伝や間違いを生じやすく正確さはおとります。 神話や伝承に混乱を生じる由縁です。
幕末や維新の頃は、紙は今よりも貴重品で大切に使われていました。 訪問客から風呂敷に包んだ「おみやげ」を戴いたときは、その風呂敷に半紙を数十枚包んでお返しをするという慣習が、ついこの間まで残っていました。 でも、メモ帳はありましたよ。みんな自分で作っていました。一度使った紙の裏を利用して、上部を紙縒りで綴じた「メモ帳!」を使っている人は多かったと思います。 昔の人は毛筆で小さい字が書けました。14ポくらいはらくらくです。しかし略された草書ですから、今の人が読むのは大変です。 そうして、裏表を使い切った紙は襖の下張りに再々利用されます。古いお家の襖の下張りは、今となれば、ちょっとした歴史的資料です。
- phj
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幕末なら紙はそれほど貴重品ではありませんでした。 当時から懐紙と言う名称で、紙のティッシュを使っていたのが日本人です。 また、幕末の日本人の識字率は世界最高レベルで、日常レベルの内容はすべて読み書きされていたはずですし、メモ帳も筆記具(矢立:ヤダテ)も当時の人は持っていました。 歌にして伝えたというのは、もっと昔、古事記より前の話で、古事記とか日本書紀自体が、その時代まで伝わる語り部の歌を記録し、整理したものといわれています。 つまり日本では、奈良時代から大事なものは紙に残すことをしていたとうことです。 もうひとつ重要なのは、現代はやたらに紙の情報が多いということです。これはコピーとパソコン(ワープロ)が普及したことに起因します。 コピーのない時代は、文章を紙に起こしそれをみんなに配るのは、今では考えられないほど重労働でした。簡単に何枚も複製することが難しかったからです。 また現代のようにパソコンにデータを入れておき、必要な部分(たとえば住所とか)だけで、抜き出して印刷するなんてことも出来ませんでした。 たった40年ほど前の話です。 その頃よりも今の人が記憶力に劣っているわけではありませんから、そもそも覚える量自体が、変わったわけではなく現代はすでに覚えきれないほどの情報があるということです。 昔は確かに、今よりも読み書きは不便でしたが、江戸時代と現代で生きる為に本当に必要な情報はそれほど変わりないのに、「覚えているほうが便利」という情報だけがやたらと増えているのです。 たとえば電話番号です。普通の人ならそれほど電話番号を覚える必要はありません。せいぜい10っこ程度覚えていれば、日常生活は遅れます。昔は電話そのものがありませんでした。 人が1日に会える人数は昔の人も、今の人それほど変わりません。しかし今では遠くからでも会いにこれる為、覚えていなくてならない人数は多くなりました。 このように昔は、覚える為の手段がないなりに、覚えておくべきことも少なかったのです。
- tama1978
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昔の物事の伝達は、『語り』も起因していると思います。 今でも、古典芸能は、語りで物事を継承してますから。 例えば、庶民だと、親から子へ物語を何度も聞かされます。 そんな人間関係から成り立つ語りと反復で聞くことで、受け継がれてきたと思います。 最近の日本は、人間関係が希薄に傾いていすので、語りがなくってきましたが...。 私は30歳の地方出身ですが、親や近所の方から語りを何度も聞かされ育ってきましたので、覚えてますよ。 ちなみに、記憶力という観点で、最近でも同じ例があります。 携帯電話が発売される前は、普通に電話番号を何十件も覚えていましたが、最近は、自宅や自分の電話番号さえも覚えていない人がいますよね。電話番号を読み込むだけの単純操作に慣れて電話番号を覚えようとしないから。要は、便利になるほど、反復学習が欠けていくんでしょう。だから、勉強も反復練習は重要だということになるということかな。 若干、話が逸れましたが、話を纏めると、昔の記憶力は、『反復学習』と『語り』の賜り物なんでしょう。
お礼
色々な解答ありがとうございます。江戸時代は紙がもう庶民の手にも入ってたのですね。昔の子供達は今の子供と同じ位ノートを消費したのでしょうか?昔読んだ本で海外ですと昔なんかはだいたいは石盤はあるけど記録としては残らないから何回も教科書を繰り返し読んだりして暗唱に近い位に理解して覚えてたみたいですね。今はパソコンなどが普及しすぎる位に普及して覚える感覚が麻痺しているような感じがします。それだけ昔の人の記憶力には頭が下がります。が当時としては普通のごく当り前の事なんでしょうね。