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絶対王政について
絶対王政についてなのですが、 絶対王政というのは没落しつつある封建勢力と 上昇しつつある市民階級の2つの勢力均衡の下で成立した。 と書いてあるのですが、 何故、勢力均衡の下で成立したのですか? また以後封建勢力が没落しますが、 この時に勢力均衡が崩れたことにより絶対王政が崩壊していったのですか?
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経済活動から 封建領主は地方分権主義者です。自分の領地の中ですべて賄えればそれでよい。全国の市場が一つになるなんて基本的には不要。 市民階級は中央集権主義者です。国として一つの市場になった方が自分の経済活動がやりやすい。経済規模が大きいほど、商売がしやすいわけですから。 絶対王制は、分断していた市場が国家規模で統一化する過程で生まれています。 では、王は何か?王自体も一つの封建領主ですから、地方分権でも問題ないのですが、対外戦争をやるには、傭兵をやとう必要がある、その傭兵は各封建領主からの運上金か、貿易など王の特権で行える経済活動からの上がりとなります。 運上金を集金するために、フランスでは三部会があり、イギリスでは「あんまり税金取るなよ、この野郎!」というマグナカルタが制定されたりします。王の目線で考えると、運上金集金は大変です。 王としてやりやすいのが王の特権を使って、特許状発行による現金収入です。 たとえば、イギリスの私掠船。王が海賊達に海賊行為をしていいから、その一部を王に納めろと言う、今考えるとめちゃくちゃな行為ですが、そういう時代です。これでエリザベス一世は王家の資産を増やしつつ、海賊=海軍を育てました。 東インド会社も王の特許状で成立しています。 海賊行為は当時では貿易行為と一緒で担い手は市民階級です。 貿易とか海賊とか経済活動をやってくれる市民階級がいないと、特許状の発行も意味がありません。 この意味で、市民階級の上昇というか拡大が絶対王制の成立のためには必要になります。 勢力均衡の下というのは、絶対王制のあとで、封建勢力が弱体化して市民階級が主役になったという後付の理屈付けで、封建勢力が主だった時代と市民階級が主だった時代の間に絶対王制があった、ということ。 フランスは革命により王制が無くなったのですが、これは特例。 中央集権主義者の王と市民階級が合体したというのが、イギリスの実態で、他の欧州国家もそっちのほうに近いです。
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- Mumin-mama
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>絶対王政というのは没落しつつある封建勢力と 上昇しつつある市民階級の2つの勢力均衡の下で成立した。 絶対王政というのは、市民階級以下の重税で出来上がった権力です。 絶対王政が顕著になるということは、その王の家族は贅沢で派手な暮らしに明け暮れ、それとは逆に、そのための税金を払うことで市民や農民は食べ物に困るほど貧しくなるわけです。 市民や農民がその貧困を王に訴えるために結束し、革命や農民戦争など起し、王に従わなくなれば、税金が王に行かなくなり王政は滅びるわけです。 例えば、フランス革命でルイ16世とマリーアントワネットの家族が処刑されたことで、フランスの絶対王政は崩壊しました。