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アメリカが原爆を落とすまで日本に基本的人権が生まれなかった理由
欧米の歴史にあるような市民の蜂起や商業主義が絶対王政や貴族階級中心の体制を打倒していくような現象が起こらず、大戦で負けてぼろぼろになってアメリカに与えてもらうまでそういう大きな動きが起こらなかった理由は何ですか? 歴史にIFは無いそうですが、アメリカと戦わなければ大体いつごろ現代のような民主主義体制に移行していたと思いますか?
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- eroero1919
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終戦(正しくは降伏)後にアメリカは占領政策上日本国民を懐柔するためにあるプロパガンダをしました。それは「日本軍とその政府とかつての支配者は腹黒くてひどい連中で君たち国民を騙していたのだ」というものでした。実際、あの悪名高い大本営発表で国民にウソをついていたこともあり米軍のプロバガンダは予想以上の大成功を収めます。 だからついつい戦後世代の私たちは「戦前はひどい時代だった」と思いがちです。ちなみに、明治政府も同じようなことをやっていて、私たちは「江戸時代の農民は生かさぬよう、殺さぬようだった」と思いがちなのです。実際は#3のお七の話のようにかなり「情」が通用していたのです。農民一揆なんかもそれが幕府に知れたらお取潰しの口実になるので特に各藩の支配力が低下していた幕末では農民側の全面勝利になることさえありました。 ただ、日本に限らずアジア諸国では「お上」と「しもじも」が別れていて「政治ってのはお上がやるもんで、しもじもは関係ない」っていう意識があるのは事実だと思います。
- googahaku
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フランス革命;1794~ アメリカ南北戦争;1861~ ロシア革命;1917。 これに匹敵する日本での革命=明治維新(大政奉還);1867年に起こっています。明治維新でははっきりと「四民平等」が歌われています。 アメリカ南北戦争も(真の黒人参政権確立は 1964)、フランス革命(その後のナポレオン独裁)やロシア革命(共産党のの恐慌政治)は、その後の経過を見る限り、それほどたいした意義があったとも思われません。それに対し、日本でやった明治維新は、時期的にもそれほど遅れたわけではないし、昔から実質的な問題があったわけでもないが、名目的な階級社会間でも完全を完全に否定し、教育の機会均等などでは欧米をしのぐ成果を挙げています。 民主主義が欧米の専売特許、日本はアメリカによって与えられたなど、とんでもない誤解です。アメリカの黒人差別やヨーロッパでの階級社会は今もって続いているのです。 地域や国々の歴史的背景の違いを考慮せず、欧米の民主主義ばかりを賞賛するのは戦後教育の悪しき残歳といわねばなりません。 見せ掛けばかりの民主主義や人権論を鵜呑みにするのではなく、日本の近世=江戸時代から 明治=大正=昭和の歴史を軍国主義ばかりの妄念からだけでなく、民生や人権の様子についてじっくり勉強してほしいものです。今日地球規模で問題が深刻化している国際紛争、経済格差、教育問題、環境保全など、江戸時代の実績には世界に冠たるものがあると私は考えています。 アメリカとの戦争に負けなくとも、日本は立派に日本流の民主主義を発展させることが出来たと思われます。 なるほど、戦後に婦人参政など、多少遅れていた民主主義(?)の一部がアメリカによって施行されたが、その後の日本は独自に「経済的な超平等社会」の実現など、欧米をしのぐ民主主義を達成しています。 アジアももっと平和になっていたでしょう。 良く勉強して、もっと日本の歴史や実績に自信と誇りを持ちたいものです。
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- cyototu
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#3です。もう一つ重要なことを書き忘れたので、補足しておきます。 昔の日本では女性の地位が低く保たれていたといわれていますが、それは武家という人口の10%程の少数派に対してのみ当てはまる主張です。 国民の大多数を占める農民にとって最も重要な田植えと言う重労働は、女性でなくてはできない仕事でした。男性は体の構造上、前屈みで長い間作業をすることができないのです。ですから、男性でも田植えを出来ない訳ではありませんが、女性には叶いませんでした。そんな時の男の仕事と言えば、側の畦から苗束を投げる役とか、昼飯を運ぶ役ぐらいな物だったのです。ですから、体力的にも女性は男性に決して劣ると考えていた訳ではなく、男性もそれを認めて、女性を男性と対等に扱う土壌が出来ていたのです。 そんな一般農民の間にも西洋で行われていた家長制度などの野蛮な制度が入り込んだできたのは明治以降のことす。その頃は日本は、西洋との不平等条約の解消に大変努力をしていたときです。そこでいわゆる「先進国」の西洋の制度を真似して、ちょんまげをざん切り頭にしたり、和服を洋服に変えたり、鹿鳴館で西洋式パーティーを連日開いたり、一般平民にも西洋と同じ家長制度を導入したりして、日本人も西洋人と同じことをやっているということで、西洋を何とか説得しようとしていたのです。
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- cyototu
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多分質問者さんは大変な誤解をしているようです。あえて西洋型の民主主義というなら、日本では敗戦よりずっと前に、大正デモクラシーという大潮流がありました。ウエッブサイトなどで調べて下さい。 しかし基本的人権のレベルでのことなら、多くの概念で日本は西欧どころか人類史の中で、もっと昔の遥かに早い段階で、幾つもの重要な進歩を遂げていました。例えば、鎌倉時代の憲法である「貞永式目」では、女性の相続権に対して男性と同じ権利があることを宣言しております。また、人類史の中で「私有財産制」を最初に成文化した憲法はやはり貞永式目です。この式目の中で、この概念を「本領安堵」という言葉で表現しております。これらの人権の存在が西洋で認識されるようになったのは、貞永式目より数百年も後の話です。 また、大人とは同じ権利を与えられていない子供や精神障害者に対する法的保護の必要性に気付いたのも日本人は西洋人より200年程早いのです。実際江戸時代の法律では、子供や精神障害者の犯罪に対する罰則を大人よりも罪一等減じられています。その事実の具体的な例は、江戸時代前期に出来た芝居「八百屋お七」で見ることが出来ます。江戸の大火事で焼け出されたお七さんは、避難先で見かけた奇麗なお侍さんに一目惚れしてしまいます。何日か後避難先から帰宅しますが、もう一度会いたくて恋いこがれているうちに、もしもう一度大火事が起こればまた避難先で会えるの考えるようになり、放火を思い立ちました。しかし、その放火現場を見つかってしまい、白州での裁判になりました。その時お七さんは十六才だったのですが、お奉行様の同情で「お前は十五才だね」と何度も聞き返します。当時の法律で十六才以上の火付けは獄門(死刑)、それ以下は遠島(島流し)となっておりましたから、お奉行様はお七さんの本当の歳を知っていながら、そう聞き返したのです。でも、お七さんは自分には恋を誰はばかることなくしても良い大人になっているのだという心持ちで、断固として自分は十六才だと言い張りました。その結果、お奉行様も諦めてお七さんに獄門の判決を出したという、悲劇の芝居です。この芝居の観客は「お七さん、十五才と言いなさい、なんで十六だというのだ」と心の中で訴え、皆が涙を流すという場面です。これなどは、日本のこの先進的は人権保護の法律が存在しなければあり得ない芝居です。先ほども述べましたが、そのような基本的人権に気が付くのは西洋ではずっと後になってからです。貴方もご存知のように、江戸末期の日本の開国時の一般平民の識字率は西洋のどの国よりも高い比率でした。 私はアメリカに住んでいます。開航以来30年近くも経っているのに、成田の飛行場の脇の不自然な所に未だに飛行場設置反対の農民の家が壊されずに建っておりますが、そんなことはアメリカでは考えることも出来ません。アメリカでは個人の意思よりも国家や公の意思をはっきり優先させますので、そんな家が公の飛行場の脇に在ったら、そこの住民が何と言おうとも、とっくにブルドーザーで潰されております。日本では、国家権力と言えども私有財産に手を付けることができないと言う民主的なことを、鎌倉時代の貞永式目の時代から営々と認識しているのです。私が、米国の友人と成田空港に到着しバラ線で取り囲まれたこの一見醜い農民の家の側を飛行機が通過するとき、いつも米国人に向かって、日本の民主主義の象徴がここにあると言うことを誇らしげに説明することにしています。米国人もこの日本の民主的な現象に関して感心しております。アメリカでは自由という言葉を聞かない日は一日もありませんが、平等という言葉は滅多に聞かれません。この平等意識に関して、日本人ほど発達している国民はないと思えるというのが、私の印象です。この意識の発達は決して一朝にして出来上がって来る物ではなく、鎌倉時代や江戸時代を経た長い歴史や、一般国民の弛まない勉学の基に出来上がって来たのだと思います。社会学者の間でも、平等意識や私有財産制などに関する日本人のこのような先進性が、日本の今日の類を見ない経済的成功の重要な原因の一つであると言う認識になっていると聞いております。 西洋かぶれをしたいわゆる文化人の意見を聞いて洗脳されているばかりではなくて、自分の国の先人達が作り上げ到達して来た非常に高度な文化も認識して、日本には物質文化ばかりではなくて精神文化においても世界に誇るべき側面があるのだと言うことを学んで下さい。そして、もしその機会がありましたら、西洋人に向かって、日本の先進性や民主制について目を開かせてやって下さい。
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- cse_ri2
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学校でもちょろっとしか教えないから知らない人が多いのも無理はないけど、戦前の日本にも民主主義はありましたよ。 大正デモクラシーとか習いませんでした? 普通選挙だって、欧米諸国とそう変わらない時期に施行されましたしね。 昭和に入って不況の処理を失敗し、軍部の台頭を招いたのは政党政治家の責任だけど、もし日本が戦争に突入せず、20世紀後半のアジア諸国でなったように軍部から自由選挙で選ばれた政府に政治の実権が戻っていたら、今とそう変わらない世の中になっていたかもしれません。 そもそも、日本には絶対王政も貴族階級中心の政治もなかったですしね。 絶対王政? 明治天皇は自分で憲法を守ると宣言した人ですよ。(わからない人は、教育勅語の現代語訳を読んでください) 昭和天皇も、内閣の補佐なしで自分で政治決断を下したのは、2.26事件と終戦の聖断だけです。この非常時の二例をもってして、絶対王政だとはとても言えないでしょう。 日本の貴族階級は、薩長藩閥政府のおまけみたいなもの。政治の実権は、藩主や公家でなく、薩長の下級武士が握ってました。 日本に革命が起きなかったのは、明治維新が日本的な革命の役割を果たしたからでしょう。 もし質問者の方がフランス革命のようなことを想定しているのであれば、イギリスはどうなのですか? 多大な血を流した清教徒革命は事実上失敗し、名誉革命は無血で完了したでしょう。 血は流れてしまいましたが、日本の明治維新だって似たようなものだと私は思いますが。
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まず、原爆が落ちなくても日本は降伏したはずなので、原爆が落とされるまで、という表現はまずいと思います。 次に、日本はアメリカと戦争する前、中国と戦争していました。あの広い中国を、日本は完全に占領していたわけではありません。 日本はアメリカに負けなくても中国に負けた、と言われています。だから、アメリカと戦争しなくても、中国に負け、その時点で、アメリカをはじめとする連合国が日本を占領したはずです。 そこでアメリカが日本を統治、民主主義を与える、となれば、歴史は同じですが、ソ連が日本を統治したら、違った展開になったでしょう。第2次世界大戦自体が、世界規模でのフランス革命やロシア革命のような役割を果たしていたのではないでしょうか。 第2次世界大戦が起こった時点で、世界はアメリカ型かソ連型のどちらかに行く運命だったと思います。
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