- 締切済み
旧インカ帝国の国々は何故連合のような物を組まないのですか?
質問です。 ヨーロッパ連合が出来てずいぶん立ちましたが、 南米の、旧インカ帝国の国々はインカつながりということで、 連合を組んだりはしないのですか? 隣国同士で仲が悪かったりするんですか? 詳しい方、教えてください。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- nacam
- ベストアンサー率36% (1238/3398)
>あのとき分裂していたからといっても、共通項があるのだから……。 インカの皇帝がピサロに囚われ、傀儡となったとき、新たな皇帝を立ててスペインに反抗したグループもありました。 しかし、旧インカの機構は、皇帝中心となっていたため、傀儡でも正規の皇帝の命令に従う事になり、独立派とスペイン派との統合は困難でした。 また、インカ帝国は、今日私たちが考えるような帝国ではなく、古代帝国のような、地方部族を統合したような帝国で、中央部のコントロールがきかなくると、各地に分断された部族国家となり、統合どころの状態ではなくなってしまいます。 それでも、インカの支配地域は、かなりスペイン支配に抵抗し、アスティカ帝国の併合のようには行きませんでした。 (アスティカの場合、反アスティカ諸部族が、積極的にスペインの支配を受け入れました)
- negitoro07
- ベストアンサー率24% (389/1569)
なんで、インカ帝国何でしょうか? インカ帝国が支配したのはペルーやチリあたりだけですよね。 インカ帝国の統治機構がその後も、残ったんでしょうか? 住民には、インカというナショナリズムが今も残っているんでしょうか? 思いつきにしては、安易すぎます。 ただし、南米の地域統合は行われています。 あなたが質問文に使った言葉を使って検索したら、すぐ出てきます。 なので、答えは出しません。自分で調べて下さい。
- nebnab
- ベストアンサー率34% (795/2317)
地理だけではなく歴史や文化も大きく絡む問題だと思いますが… インカ帝国は文字を持たなかったですから、インカ時代の文化や思想を現代の南米人(だけでなく現代の人間全員)が的確に知ることは不可能です。わずかに残る遺物からしか昔の文化や思想を知ることはできず、それも言葉の形では残っていないので現代人の思想に基づいた不的確な推測しかできません。 共通の文化・思想のないところにつながりはできないですから「もとインカ帝国であった」と言う理由で南米の国々が連合を組むことは今後ともありえないでしょう。 EUは、ヨーロッパがローマ文化とキリスト教という共通の文化思想を持っているので実現できたのだと思います。 トルコがもしキリスト教国だったなら、EU加盟は簡単に認められることでしょう。 なお、「地理的に近いから」という理由でなら将来的に南米連合はできるかもしれません。各国の政治的経済的利害が一致すればですが。
お礼
ご教授ありがとうございます。 なるほど。 文字がなかったからインカ時代の思想がよくわからない、という問題があるのですね。 (たしか「キープ」でしたっけ?ひもの結び目で記録を残していたっていう) そのあたりが、EU(旧ローマ帝国)との違いですね。 ありがとうございます。
- nacam
- ベストアンサー率36% (1238/3398)
逆です。 ピサロがインカに着いたときは、インカが真っ二つに分裂していた時期でした。 インカ皇帝ワスカルと、アタワルパの皇帝位を巡る戦いでした。 アタワルパは、首都クスコを追い出されてジリ貧の状態にありました。 そこに登場するのがピサロです。 アタワルパは、ピサロを利用してインカの皇帝位の奪還をはかります。 白人のピサロを、インカを建国した白い巨人であるビラコチャであり、ビラコチャが支持する自分こそインカの皇帝であると主張し、クスコに進軍し、皇帝位を奪還します。 つまり、インカ統一のために、アタワルパは、スペイン人を利用したのです。 その後ピサロに騙され、アタワルパは、囚われ、ピサロ達に利用される事になります。 この段階において、囚われの皇帝やスペインの傀儡皇帝に味方する者と、あくまでスペインに抵抗するものとにインカは分裂し、結局スペインに支配される事になります。
お礼
ご教授ありがとうございます。 そう言えば、ピサロはインカ帝国の内部分裂を利用したと学校で習いました。 しかし、あのとき分裂していたからといっても、共通項があるのだから……。 と思うのですが、現実は難しいのですかね。