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モンゴル帝国の後継国家
14世紀モンゴル帝国の衰退の後、チンギス・汗の末裔と称する者を戴いて旧帝国領内に次々と汗国(後継国家)が誕生しては緩やかな連合体を形成し、あるいは合い争っては消滅していきました。 なぜ、中央アジアの諸民族はチンギス・汗の血統を受け継ぐ異国人をあえて王に奉じて結束したのでしょうか? また、汗国は何カ国くらい存在し文化や国家としての連続性はあるのでしょうか? どなたか詳しい方教えて下さい.
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- zep19
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チャガタイ・ウルスが衰退し、ティムール朝に至る14世紀の中央アジアにおいて 兵士の動員から軍事遠征に至るまで配下の諸部族に命令するにはハンの勅令が必要でした ハンの勅令がなければ各部族とも動こきません 従ってチャガタイ・ウルスが衰退し、 実権を掌握したカザガン一族は血筋だけ継承しているチンギスの子孫を傀儡のハンとして擁立して実効支配を敷きました 勿論傀儡のハンであるため彼等は実効支配している真の支配者によって生命を奪われることもありました 日本の鎌倉中期の将軍と執権、戦国の守護と守護代の関係に似ていますね ティムール朝になってもウルグ・ベグの代までは傀儡ハンを擁立しますが、 次代のアブー・サイードの治世から傀儡ハンは擁立されなくなります かわってティムール朝に特長的なのはチンギスの血筋を持った女性と婚姻し 【キュレゲン】(ハン家の女婿)の称号を手に入れハンの代理人として公然と権力を振るったことです チンギスの血筋を持った女性の一人ソユン・ベグはティムールの長男ジャハーンギールと婚姻しますが ジャハーンギールが病死すると三男アミーラーンシャーとレヴィレート婚(遊牧民特有の風習で死んだ兄弟の配偶者を娶る)までしています 余談ですが、このソユン・ベグは ティムール朝に訪問していた後のスペインのカスティリアの使節クラヴィホと謁見しており クラヴィホはソユン・ベグがモンゴル皇帝の家系出身で色白でふっくらしていたと本国に報告しています
- tanuki4u
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なぜ、中央アジアの諸民族はチンギス・汗の血統を受け継ぐ異国人をあえて王に奉じて結束したのでしょうか? ↓ なぜ、神奈川11区の自民党支持者は小泉進次郎を候補にして、11区の選挙民はあれだけ各選挙区で自民党が敗北する中で、小泉進次郎を当選させたのでしょうか?まったく政治的実績のない候補です。 理由:他の自民党候補と想定される人々がどんぐりの背比べで、Aを候補にするとBの支持者が反対し、Bを候補にするとAの支持者が反対するから。 直属の武力も所領も何も持たない、源頼朝が関東の武士団の代表になれたのは、個別の武士団同士はどんぐりの背比べで、だれが偉いか?なんて決められないが、”貴種”である頼朝なら、反対できないから。 これと同じ政治力学が働いたからです。 で、たまたま有能な人物が出てきて、すったもんだして前王を打ち倒します。 鎌倉幕府ですと北条家となりますし、モンゴル帝国後継の国家の中では、チムールとなります。
- oska
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>なぜ、中央アジアの諸民族はチンギス・汗の血統を受け継ぐ異国人をあえて王に奉じて結束したのでしょうか? 島国国家でなく、大陸国家だからです。 例えば、中国の場合。 全て、武力での制圧で国家が興亡しています。 広い土地を求めて、領土を増やす事は、他民族と戦い支配する事です。 中国では、王朝が滅び新たな王朝が誕生する時には数千万単位で人口が減っていますよ。 中国にモンゴル人が攻めてきて、中億全土を掌握した。(元王朝) 力を持った一族には、色々と靡くものです。 一般他民族は元皇帝を奉じているのではなく、単に支配者が代わったに過ぎないと認識しています。 また、近隣諸国の場合。 古代から「中華思想」なる思想がありました。 世界は、中国を中心に回っている。 アジア周辺では、皇帝(皇)を名乗れるのは「中国を支配した者」しか名乗る事が出来ないと考えています。 (南北朝鮮では、天皇という名は公式には使いません。日本王です) 前支配者を滅ぼして、新たな支配者になるには「お墨付き・正当性」が必要です。 このお墨付きを「王の中の王である中国皇帝」から、王位を任命を受ける事に求めたのです。 朝鮮国の場合、謀反で高麗王朝を滅ぼした李将軍は「半島を統一した後、明国の太祖に「自らを王に任命する事と、朝鮮という国号」を要望しました。 以降、朝鮮国では1895年(下関条約)まで「冬至に中国に朝貢し、歴代王即位時には皇帝からの任命・承認」を受ける必要がありました。 >汗国は何カ国くらい存在し文化や国家としての連続性はあるのでしょうか? 何カ国という回答は???ですが・・・。 政治学的には、元国の後継国は「現、モンゴル共和国(中国モンゴル自治区含む)」です。 北京に首都を定めていましたが、戦に破れ、元のモンゴルの大地に戻っただけらしいです。