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けッこうxかなり難しぃ仏語><;
まだ未熟なので仏語の質問があります;↓↓ (1)英語の場合だと、 A, which B, which C なら AにBとCがかかっている文と AにBがかかっている文、BにCがかかっている文 と二つ解釈できますがっ 仏語の場合だと A, qui B, qui C は、 AにBがかかっている文、BにCがかかっている文 しか解釈できなぃですょね?? ちなみに、持ってる別の本にゎquiの反復だと美しくなぃヵら、 A, qui B, que C など、なんとか反復させなぃように仏作文しなさぃとあります!! (2) Dans notre famille, nous avons des enfants qui apprennent un art martial, d'autres, qui apprennent la musique, et d'autres enfin, la danse. この例文で、最初のd'autresを取り去って、 Dans notre famille, nous avons des enfants qui apprennent un art martial, qui apprennent la musique, et d'autres enfin, la danse. は、文法的に間違ぃでいぃですか?? des enfants qui apprennent un art martialとここで、enfants quiの間にコンマがなぃのが気になるんだケド 頑張って訳すと 私たちの家族では、武術を学ぶもの(限定的な意味)、他の何人かは、音楽を学ぶもの(付加的な意味)、最後に、ダンスを学ぶものがいる(付加的な意味) でいぃでしょぅか?? (3) Chez nous, certains enfants apprennent un art martial, d'autres la musique, et il y en a d'autres, enfin, qui apprennent la danse. この構文だと Chez nous, certains enfants apprennent un art martial,la musique, et enfin apprennent la danse. とすると、全く意味が異なりますね; つまり武術を学びも音楽も学び(時間的に)最後にダンスも学んだ人がいるといぅ意味で★ (3)の冒頭の文の訳ゎ 私たちのところでは、何人かは武術を学び(限定的な意味)、他の何人かは音楽を学び(限定的な意味)、最後にダンスを学ぶものがいる(限定的な意味) でいぃでしょうか!! 多少文法的な問題ですが、お願いします♪
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なかなか断言したり完全と否定できるような回答にはならないと思います。とりあえず、私が思うところを述べます: > A, qui B, qui Cは、AにBがかかっている文、BにCがかかっている文にしか解釈できないか? ご承知のように関係代名詞は先行詞の直後に置かれるのが大原則です。従って上記のようなケースでは通常《qui C》の先行詞は《B》となりますからご質問のとおりの解釈になると思います。しかしながら次の質問文のように《Dans notre famille, nous avons des enfants qui apprennent un art martial, qui appprennent la musique, et~.》とあれば、2番目の関係節の先行詞が《enfants》であるのは文意からして、また関係節中の動詞の活用形からしても明らかです。ですから個人的には、この場合決定的な文法的誤り(faute grammaticale)とはいえないような気がします。むしろ1番目の関係節と2番目の関係節の間に《et》を入れますれたミスだととらえます。 ここで上記の質問に戻れば《A, qui B, qui C》の場合、通常ならAにBがかかり、BにCがかかるととらえますが、状況・文意によっては絶対ではないということしかいえません。もし先行詞と関係節の関係をはっきりとさせたかったら、すでにご存知でしょうが関係代名詞複合形(lequel,laquelle, etc.)を用いるとか、BとCの間の関係をよりわかりやすくするための表現にするとかでしょう。また、《A, qui B, qui C》の場合で、AにBおよびCをかけたかったら、例えば《A, qui B et qui C》などが考えられるでしょう。 私も《A, qui B, qui C》の構文を使って《Les enfants qui n'habitent pas avec les parents, qui travaillent a l'etranger》というような文を考えてみました。通常ならば「両親が海外で働いているので両親と同居していない子供たち」(1)で十分です。しかしながらこの例文の場合、質問文のケースと異なり、状況(文脈や前後に続く文章)などによって《enfants》が先行詞となるケースがゼロとはいえないと思います。(つまり上述の《et》を忘れたケースですが、現実にフランス人の文章を翻訳するとき、このような原稿上の小さなミスにたまに遭遇することがありますから。)その場合の訳は「両親と同居せず、海外で働く子供たち」(2)とかです。ですからこのようなケースで文意をはっきりとさせたかったらば、(1)の訳ならば《des enfants qui n'habitent pas avec les parents travaillant a l'etranger》とか、(2)の訳ならば《des enfants qui n'habitent pas avec les parents pour travailler a l'etranger》とかにするとよいでしょう。 次にご質問と少しずれてしまいますが、関係代名詞の「限定的用法(Emploi determinatif)」と「説明的用法(Emploi explicatif)」について。わかりやすくいえば: 「限定的用法では関係節は先行詞の示す人・物を同種の他の人・物と区別するために限定を加えているのですから、文意上なくてはならないものです。」対して「説明的用法では関係節は先行詞に対して単に有効な説明を付け加えるにとどまるので、仮に関係節を取り除いても文意がいちじるしく損なわれることはありません。」 ご指摘のように説明的用法の関係代名詞の前では、一般にvirgule(,)がおかれますが、必ずというわけではありません。先行詞が固有名詞であったり、指示形容詞(または所有形容詞)+名詞、とか人称代名詞などのようにすでになんらかの限定を受けている場合、virguleがなくても一般に説明的であります。 ご質問の《des enfants qui apprennent un art martial》では私もここは限定的用法と思います。その場合、上記の文章は《certains enfants des enfants qui apprennent un art martial,~》ということです。こまごまと訳せば「格闘技を学んでいる(全ての)子どもたちの内の幾人かの子どもたち」ですが、この内容・背景を訳出するのは容易ではありません。ここはサクッと「我が家では、格闘技を学んでいる子どもたちが何人かいて、他には音楽やダンスを習っている子どもたちがいる」ぐらいでいいのではないでしょうか。 というのもここでは《d'autres》との対比があると思われます。《d'autres》とは既出の人(ここではdes enfants qui apprennent un art martial)以外の不特定の他者を表しているからで、まず《des enfants qui apprennent un art martial》と一つ固めて、次に同種の他者(des enfants qui apprennent la musique,~)との対比・列挙をしているのでしょう。ですから、列挙の終わりでしばしば用いられる《enfin》がしめくくりとしてあるのではないでしょうか。
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- sefr
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punpiponの方の詳説明はすごい。 ところで、例文の、les enfants qui apprennent~~~は全部複数ですが、恐ろしい大家族なのでしょうか?
お礼
私もすごぃと思ぃました><; PunPiPonさnにゎこんな文法的説明をよくしてもらッてぃます!!苦笑 さて、もともとこの原文は、仏語で書かれている中国語の文法の本からです。 ご承知のように中国は大家族制をとっているので、そのあたりと教科書性格上こういう例文が表れるのではなぃでしょうか (2)の中国語の訳として(文字化けしますので、一部、ピンインと呼ばれるローマ字表記で代用すると) 我men家的孩子 ,有学武木的 ,有学音yue的 , hai有学跳舞的 語注: 我men→私たち 音yue→音楽 hai→まだ となっており、 これを中国語ベースで訳すと 私たちの家の子供は、武術を学んだもの、音楽を学んだもの、そしてまだダンスを学んだものもいる (3)の中国語の訳として 我men家的孩子 , 有的学武木 , 有的学音yue ,hai有的学跳舞 これを中国語ベースで訳すと 私たちの家の子供は、あるものは武術を学び、あるものは音楽を学び、そして、あるものはダンスを学んだものさえもいる と、(3)ゎ「全体の部分性」を強調したものとなります★ (2)だと、「特定のある人」、「全体の部分性」と二通りに解釈できますが、いちおお、「特定のある人」として訳しました 中国語の訳もかなり難易度が高ぃですが、これゎ私自身大丈夫な訳だと思っています 中国語は、単複の区別がつきにくい言語でもあるので多少、仏ー中間で差異は出ると思ぃますが… この仏語の訳の表現方法ゎ私自身かなり勉強になりました><; sefrさnも回答ぁりがとぅござぃます!!
お礼
この例文ヵらここまでの考察すごぃです!! >《A, qui B et qui C》 なるほどと思ぃました >《Les enfants qui n'habitent pas avec les parents, qui travaillent a l'etranger》 この挙げていただぃた例文も 通常だと2番目のquiゎles parentsにかかると、文脈によってles enfants もありうると… 数あたってこぅいぅ例文を読んでいたら解釈に自信がでてきますが、経験が少なぃので><; でも、おかげでわかりました★ ありがとぅござぃます!! 最後の >一つ固めて、次に同種の他者(des enfants qui apprennent la musique,~)との対比・列挙をしているのでしょう。 この解説ゎ白眉デス!! 言われれば、そぅだと納得できるんですが…↓↓ さて、ものすごい数の子供がいるのかという問いがNo.2さnからあったので、その辺の背景を説明しますと、 この原文はフランスで出版され、フランスで書かれている中国語の文法の本からです。ですヵら、文脈など前後になく、中国人は大家族で暮らすので、一番上の年長者ヵらみれば、孫も含めて全「des enfants」という表現になるのでゎなぃかと… 念のために(2)の中国語の訳を(文字化けしますので、一部、ピンインと呼ばれるローマ字表記で代用すると)書ぃておくと 我men家的孩子 ,有学武木的 ,有学音yue的 , hai有学跳舞的 語注: 我men→私たち 音yue→音楽 hai→まだ となっており、 これを中国語ベースで訳すと 私たちの家の子供は、武術を学んだもの、音楽を学んだもの、そしてまだダンスを学んだものもいる (3)の中国語の訳として 我men家的孩子 , 有的学武木 , 有的学音yue ,hai有的学跳舞 これを中国語ベースで訳すと 私たちの家の子供は、あるものは武術を学び、あるものは音楽を学び、そして、あるものはダンスを学んだものさえもいる と、(3)ゎ「全体の部分性」を強調したものとなります★ (2)だと、「特定のある人」、「全体の部分性」と二通りに解釈できますが、いちおお、「特定のある人」←仏語だと不定冠詞で表されるべき、として訳しました もしも、(2)を「全体の部分性」と訳すならば、(3)と同じ訳になります さいきん、そんなに仏語を読んでいて疑問に思うことゎなぃのですが、 去年このサイトで、PunPiPonさnをはぢめ、 みなさんに文法指導を受けたからだと思い本当に感謝しています★+。