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天国の主は神様? 地獄の主は?
宜しくお願いします。 ○「天国の主は神様」というイメージがあるのですが、この認識は間違ってますか? 間違っていれば、天国の主は誰なのか教えてください。 ○地獄の主は誰なのか教えてください。 ご回答お待ちしてます。
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回答番号No8の者です。 補足 今見ました^^。 (メール機能が壊れてるので 遅れがちです。) 早く この実際のこの世の中の「地獄」である戦争とか病気(薬づけなど、人間の努力で無くしてゆけることは多い)がなくなって欲しくて、 つい哲学からの啓蒙という形の回答になってしまいました。 私は 地獄にも天国にも 空想の世界にはあまり興味は無いのですが、(一神教のキリスト教でも、 キリストが水の上を歩いたとかいう話があったり、 最後の審判で人間がえり分けられたり、 空想の世界はたくさん出てきます。 でもその文化には、哲学的にも深いものがあったりします。この前書いたのは、キリスト教における哲学からみた天国や地獄の話です。) キリスト教も、悪魔の想像の世界はかなりたくましそう^^です。 デーモンという言葉の語源とかは知りませんが、 ベルゼベブという名前の悪魔はかなり有名なようです。 詳しくは知りませんが地獄の主(ぬし)の一人ようです。 いやいっっぴきかかな。 階級とかもあるようなので、もっと地獄全体の主とかもいるのかもしれません。 それにたいして、悪魔をやっつける役割の天使は 大天使聖ミカエルと言います。 でも そのミカエルというのが天国の主(ぬし)にはちがいなくても、天国の親分ではないのですから、 地獄にもベルゼベブよりも怖いのがたくさんいるのかも しれ ままま せせせせん。 n うまくか jか かけまっせssssん。 ベルゼベブのしししわわzzzzっざか!!! 冗談はともかく、 聖母マリアとかキリストとかは悪魔も抱きしめてしまう人達ですから キリスト教ではほんとうは悪魔というのは矛盾してるわけです。 * では、仏教ではどうなのでしょう。 閻魔様というのは いろんなところに出てきますよね。 こちらの方も 私は詳しくは無いのですが、 舌を抜く怖いお方ですよね。 でもそれは、まだ地獄の門番に過ぎないらしいです。 だったら いったいどんな怖い地獄の主がその奥にいるのでしょ あr、 しょ しょ しょう(あ、書けた!) 冗談はともかく、 仏教でも、このへんとても面白い話があります。 ある国に とても熱心な仏教徒の若者がいたのですが、ある時彼はどうしてもその国の一番偉いみんなから慕われているお坊さんの弟子になりたくなったそうです。 そして、 即、直接出かけていき、「どうしても弟子にして欲しい」と頼みにいったのだそうです。 するとそのお坊さんは、彼にこう言いました。 「それは いいことだが、そのためには 条件がある。 ここに座ったまま 三日間なにがあっても声もださず、動いてもならない。 声をだしたり、動いたら失格だ。 三日間一つも声をたてず、動かないでいられたら、弟子にしてやろう」 もちろん、彼は 真剣でしたので、すぐそれを受け入れその場にじっと座り続けました。 やがてあたりが暗くなると、 まず虎が出てきて 吠え掛かります。 怖くて逃げ出しそうになるのですが、 彼はそれでもじっとしていました。「こうなったら殺されてもうごくものか」 と言ったかどうか 忘れましたが^^。 そのうちに、もっと恐ろしい龍とかがでてきたりするのですが、 それでも彼は動きません。 ありとあらゆるものが出てきて脅かすのですが、震えながらも彼は まったく動こうとしませんでした。 やがて、三日目の朝が近づいてきた頃のことでした。 なんと 遠くから自分のお父さんとお母さんの 悲鳴のような声が聞こえてきたのです。 そしてそれは だんだんと大きくなってきました。 やがてそれが見えるほど近くになってくると、、それは、 地獄の閻魔大王の仕業であることが解かりました。 閻魔大王が、 彼の年老いた母親と父親を 鞭でたたいていたのです。 「ああっ」と 思わず声が出そうになりましたが、はっとして声を押し殺しました。 その時です、悲鳴の中からそれでもなんとか叫ぶおとうさんとおかあさんのこんな声が聞こえてきたのです。 「動いちゃだめ、 私たちは大丈夫だから」 そのとたんです。 うわわわわああああああああ と大声で叫んで 彼は お父さんとお母さんを助けに飛び出します。 と そこに あのお坊さんがニコニコしてたっていました。 とさ と言うお話です。 「あなたが 初めての合格者だよ」 と と 言ったかどうかは 忘れましたが^^。 * これに合格すれば、 地獄のどんな怖いのがいても、大丈夫そうです。 仏教でも ほんとうは、そんなふうに哲学として受け入れることができるお話もあります。 と言うことです。 * ということは、 イスラム教でも同じ一神教ですし、みんな同じだと思うのですが、 確かに アレマ^アレさんのように、それは どこまでも楽しめるゲームとして楽しめばいい世界なので症。 あ 間違えました なので笑。(あれまー あれ?) 私は 無知無学な者ですので、 詳しいことは何も書けませんでしたが、 気持ちとして、何かのアドバイスになればと思い 付け加えまし たたたたったたたたたたたたたた(あれ_?・?)たたたたた。
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- ひろ(@herosh)
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宗教の違いを乗り越える回答がありましたので参加します。 天国と地獄というと通常はキリスト教的な世界観を思い浮かべますが、閻魔様は仏教的な世界観になります。仏教の中では地獄と天上界と極楽浄土があります。地獄と天上界が対のように思われるのですが、どちらも輪廻転生をするサイクル=六道輪廻から逃れられません。六道=地獄、天上、修羅、畜生、餓鬼、そして人間界が対等でセットになっています。地獄の裁判官(=主かどうかは不明)が閻魔様というわけです。 天上界も人間界と同様で主はいないようですが、極楽浄土は阿弥陀如来が開いた異空間というイメージはあります。 キリスト教も教義の解釈によって三位一体になりますので、天国も地獄も現世も主は「私」ということは言えると思いますし、どの立場に立って表現しているのかは明確にしないと分かりにくくなると思います。
お礼
ありがとうございます。 参考になりました。
- arayata333
- ベストアンサー率30% (35/113)
昔 きびしい秩序を秩序を必要とした社会が 文明の発達の途上で極度に求められた時期があり、 宗教の権威ある形の物語が次々生まれる過程で、その物語にすぎない形の中に地獄という 罪への罰の物語も生まれた。 つまり、実際には、空想の産物が地獄。 苦しみという存在の極地ををすこしでもリアルに想像できる人に真心があれば、それは あたりまえのこととして解かります。 つまり地獄自体は 無いと考えていいということです。 私の考えでは その概念は今では必要ないし、むしろ人の心を深めたり真心が育ったりするのをじゃまする概念としか、もはやならないだろうと思っています。 「天国の主」というのも 物語的な言い方ですね。 神というのは 存在の贈り主のようなものです。 気がついてみたら私も これを読んでおられるあなたも、 この大地に生きていたわけですが、それは自分の力で存在するようになったわけではないわけです。 たった一人の ほかにどこをさがしても 過去ブラックホール以前から未来永劫まで 宇宙のかなたを探してもほかにはいないあなたの存在も あなたが自分で生み出したわけではないわけです。 それは広大な生命の連鎖のうちに起こった現象ですけど、 でも、 おとうさんとおかあさんから そういうあなたという存在が生まれる保障は誰も持っていなかったのです。 (ここがややこしいかもしれませんが、ひとはそれぞれ絶対個として尊敬されるべき存在という考えの基礎ともなる考えです。) それを神と別に呼ばなくてもいいのですけど、 わかりやすいのでそれは神から与えられた贈り物というふうに これは物語とは別に哲学としてもそのように表現されてるはずの世界です。 その哲学での考えによれば、神様はすでにありとあらゆる可能性を この生物でもある人間の脳とか感性とかの中に贈られています。 ですから 神は あとは人間の自律を願ってるだけのようなものです。 (神は 私たちを助けたりするような存在ではないということです。 これ、基本です。神頼みとういのは つまり物語り、あるいは空想にすぎないわけです。 大事なのは人間として、大人どうしとして尊敬しあうことの自覚です。) つまり「天国の主」というのは、 天国を心の中に見つけることが出来た人がその主になる というのが 物語とは別の実際の 私たちの心の世界でのその答えだと思うのです。 あなたが、どのような方なのかは知りませんが、 この二つの言葉「天国」と「地獄」については、 そのような考え整理しなおして欲しいという啓蒙の気持ちを持たないではいられない者ですので、 長くなってしまいましたが 回答させていただいたしだいです。
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
補足させてください。 『天国』や『地獄』のようなものを思い描いている種々の宗教や文化では、 どのような『天国の主』や『地獄の主』等を想像しているのかを知りたくて、 質問をさせて頂きました。 宜しくお願い致します。
- ri-zyu
- ベストアンサー率30% (184/611)
ri-zyuです。 訂正します 宗教的自覚生じれば上記を「二つ」に観るのかもしれません。「一つ」に観るです。 失礼しました。
お礼
了解です。
- ri-zyu
- ベストアンサー率30% (184/611)
宗教的自覚がなければ或は浅ければ 「天国の主は神様」「地獄の主は自分」と成るのではないでしょうか。 宗教的自覚が生じたら「天国の主も地獄の主」も自分と言う事でしょうか。 宗教的自覚がなけれが「神と自分」 「天国と地獄」「楽と苦」 「安心と不安」「生と死」 「悟と煩悩」を二つと観でしょうが。 宗教的自覚生じれば上記を二つに観るのかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
天国と地獄。 昼と夜。 光と影。 生と死。 昔からこんな対照的なイメージがあった。 古代エジプトだと、昼はホルスが王で、夜になるとセトがやってきてホルスを倒し王になる。 朝になるとホルスがやってきてセトを倒す。 神話の世界を見ると、今私たちがいる世界は、生の世界。 死ぬと、死者の世界に行くとなっていた。 エジプトではオシリスがその死者の世界の王様。 インド方面だと、yamaは最初の人間で最初に死んだから死の世界の王様。 日本だとイザナミが死者の世界の主。 北欧神話だと、女神ヘル。 で、死者の国から蘇るってのが、再生なわけで、植物が春になると地面から生えてくるが、あっちの世界から蘇るようなイメージ。
お礼
ありがとうございます。
- 207eden
- ベストアンサー率26% (24/92)
「自分」です。 人間は自己の存在する世界と異なる「架空の世界」を用意して、「判断や思考の極限の向こうに在るもの」の説明に利用します。 天国は+思考、+思想の代弁者であり、地獄はその逆なだけです。 宗教は、地獄、天国の描写を行い、現実社会での人間を管理しているだけです。人間が、ほどよく管理されると、社会共同体に秩序ができ、人間の管理が楽になるだけです。
お礼
ご回答ありがとうございます。
《わたし》です。 主従の関係ではなく 友と呼ぶと言われていますから――と言っても 絶対者と相対的な存在との関係に 何の変わりもないのですが―― いづれの世界の主も 実際には 《わたし》だと言ったほうがよいでしょう。すべて 《わたし》次第だという意味です。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
○「天国の主は神様」というイメージがあるのですが、この認識は間違ってますか? あってます。 少し詳しく言えば神様と呼ばれるお方はたくさんいます。会社で言えば係長から上はみんな神様扱いですね。主といえば社長ということでしょうか。社長が釈迦大如来、副社長がイエスキリスト、などですね。神道の神様もえらいんですね。天の御中主の神様は執行役員クラスですね。マホメッドは部長クラスでしようか。 ○地獄の主は誰なのか教えてください。 天国のほんの一部に癌化した黒い部分があるのですが、そのごみのような部分を地獄といってます。そこの主、社長はサタンですね。副社長がパピアスマーラ、専務がベルゼベフですね。 前向きに天国に反抗しているので悪魔と呼ばれますが悪魔もたくさんいます。新任の悪魔はニーチェと呼ばれてますね。 それから良く間違っているのですが閻魔(えんま)という悪魔はおりません。死後人生総括をする天国の役人、裁判官みたいなひとですね。
お礼
わかりやすく教えて頂いてありがとうございます。 閻魔様は裁判官みたいな感じなんですね。
地獄の主>閻魔様じゃないでしょうか^ ^; 有名なお話「蜘蛛の糸」では天国から仏様が地獄を見ていて、罪人を助けようとチャンスを与えますから、 神様は天国も地獄も統括してるのでしょうね。閻魔様は小ボスといった所でしょうか(笑)
お礼
閻魔様は小ボスなんですね(笑) わかりやすい説明ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 参考になりました。 そして、楽しい気分にもさせてもらいました(笑) おもしろい方ですね^^