- 締切済み
現代の地獄・天国とはどのようなものなのか?
大学でキリスト教に興味を持ち、学び始めました。ふと、『天国と地獄』とは何なのだろうと思い、調べてみるとキリスト教関係の本を読んでいる限り、昔から地獄とは責め苦や火の場所と考えられてきた、という事がわかりました。しかし、現在の『地獄』とはいったいどういうものの事を言うのでしょうか。逆に『天国』とは現在ではどのようなこと言うのでしょうか・・・。 ぼんやりとした答えしか見えてこなくてすっきりしません。皆様の考えを教えてください。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
みんなの回答
まず、(当然ですが)地獄も天国も、死後、肉体から抜け出した魂(心)が行くあの世の世界のことです。 肉体は物質ですから焼失しますが、魂(心)は物体ではなく、ちょうど気体とか電気・電波のようなものですから焼失するものではありません。 では、どうなるかといいますと、ちょうど缶詰のフタを開けて中の気体が外に出た時のように、気体が空気中で比重によって階層が分かれるように、魂もあの世で比重によって階層が分かれます。 すなわち、自我欲から離れ神仏の心境に近付くほど比重は軽くなり、天国でもより高い階層へ行きますし、反対に自我にまみれ、神仏の御心に、より反するほど比重が重くなり、より深い地獄へ行くことになります。 更に、単なる階層だけではなく、趣味趣向も分かれます。 例えば、「音楽」好きな人は音楽好きな人々と一緒になります。 しかし、同じ音楽好きでも、例えばバッハやベートーベンのような神仏の波長に近い調べを好む方々は、より高い階層におられるそうですし、その反対の調べを好む人々は、その波長に応じた世界にいることになります。(なお、好み・心境が変化すれば、変化に応じた世界へ行くことになります。) この他にも、例えば同じ戦争地獄であっても、戦国時代に亡くなった人々は弓矢等で戦争を続けているそうですが、現代に亡くなった人々は戦車等で戦争しているそうです。 ですので、地獄も天国も、その人のその時々の関心事に応じ、実に様々な世界が展開しているそうです。
- asaktaro
- ベストアンサー率0% (0/1)
ダンテの『神曲』を読んでください。
ここの回答者に対して、なんの返答もせず、放ったらかしている『貴方の心』は『地獄』です。停滞して、澱んでいる。 回答者の意見に感謝しつつ、質問者の意見も提示し、両者が『向上』し合える所は『天国』です。 この様な、いちコーナーにおいても『天国』と『地獄』が存在します。いわんや世界に於いては。 日々『喜び』や『向上』がある境地が『天国』 日々『憂い』や『停滞』がある境地が『地獄』 『天国』と『地獄』は、貴方のすぐそばにあります。
- hw4183
- ベストアンサー率17% (15/86)
>>現在の『地獄』とはいったいどういうものの事を言うのでしょうか 分かりやすく説明すると、心で思って入ることがそのまま展開している世界です 。ぼやっと分かりにくいのは自分の心を客観的な止観ができてないからです。一日のうちどのような思いが出ていたか、ビジョン化できないと分かりません。 昔と今の違いはその多くが環境にありますね。心の間違いは基本的にあまり変わってないと思いますが、 環境が違うので経験が違うという事ですね。すなわち地獄もいろいろ変化しているということです。 いろんな文明、文化の中で魂修行をさせていただいているわけですが、、、 最近の地獄は例えば、土中地獄、(サラリーマンなどが精神的に他者との関係を絶ち、自分だけの世界に入り込んでしまった者が赴く地獄)、数十年、数百年、と土の中にもぐりこみ、一人では魂の糧がない、と気づくまで泥だらけで一人ぼっちですごす。 たとえば阿修羅地獄、(最近はマスコミ関係の方が多い、言論で誹謗中傷することが霊的には、相手を刀で斬りつけている事と変わりなく、お互いがいがみ合い、斬りつけ合い、殺しあっている世界) 心の中の悪い部分が10倍になって現れるかなりこわい世界です。 (肉体がありませんから、思いがそのまま、顕在化します) たまに悪夢を見て非常に怖い思いをします。あれに痛みが加わり、しかし目が覚めず長い時間苦しみ、 (4次元以降時間の概念が、この地上とは違うので地上的に換算すると、数百年程度、修行する事になります)かなりの時間が経つと、 なんか自分の生き方は違っているのではないかと 生前の生き方の間違いに気づくと、段階的に本来の世界(天国)へと、帰ります。反省する事で地獄から、抜け出せるわけです。しかし心の間違いは認めがたく、他人のせいや環境のせいにしてしまいがちです。 生前から、心安らいで、柔軟で日々、反省できる人は 地獄には落ちませんね。心の汚れを日々きれいに掃除する考え方、これは釈迦の八正道に詳しいですね。 仏教が学問の一種だと思っている方が意外に多いですが、実践しなくては絵に描いたぼた餅です。 ご要望があれば他の地獄をいっそう具体的に説明いたしますのでリクエストはまた、あらためて。
- katyan
- ベストアンサー率9% (201/2029)
あなたの心が平安で満たされているなら、あなたは天国におり、あなたの心が不平、不満ならあなたは地獄 にある 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。 20 悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。 21 しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである 神=救い=光=天国=信じるという事になります。
- gc-ms
- ベストアンサー率39% (9/23)
質問が思想的あるいは宗教的観点から見ているのならば,これまでに挙げられた回答のように,人それぞれでぼんやりしてしまいます。 しかし聖書によると,罪人が行き着く先が地獄です。つまり地上で犯した罪(詳しくはローマ1章21節)の報いを受ける(裁かれる)ところです。よって地獄は人が罪を犯した時からずっと存在します。そこはあつくてたまらないところと書かれています(ルカ16章24節)。 しかし,まことの神(イエスキリスト)を信じた者は天国へ行くと書いてあります(ローマ10章9)。イエスキリストの十字架の犠牲は人類を地獄から救うためであり,イエスキリストを自分の救い主と信じる者は天国へ行くことができるということです。イエスキリストがこの地上に来る前までは,偶像に仕えずまことの神を信じていた(仕えていた)者は救われています(ルカ16章24節から注意して読んでみてください)。 なお,聖書にはこの地上に天国や地獄があるとは一言も書かれていませんのでご注意を。あと,三位一体とは父なる神,子なるイエスキリスト,聖霊が3つの格をもって,一つの存在であるということを言うのであって(これは聖書には書かれていません),人は天国へ行っても神になることはできません。神になろうとした御使い(天使)zがサタンです(イザヤ書14章12節~15)。ただし,朽ちないからだが与えられ,罪も犯さない完全な体が与えられる(神と似た姿になる)と書かれています(コリント第一15章42節)。 ここからは私の考えですが,人が死を恐れたり,また多くの宗教が死後の平安を唱えているのは,やはり死後の世界が存在することを裏付けているのではないでしょうか。そして聖書という書物が現在も存在しているのは,やはり神が人類を愛していることを示唆しているように思います。
- bender
- ベストアンサー率45% (108/236)
> 現代の地獄・天国とはどのようなものなのか? > … > 皆様の考えを教えてください。 「現代の」という部分の意味がよく理解できませんでした。また「皆様の考え」は、キリスト教における「地獄・天国」を理解する上であまり関係がないように思うのですが、質問の趣旨としては、「みなさんは(それぞれの宗教観から)どのようなイメージをもっていますか」ということでしょうか? キリスト教に関心をお持ちであれば、近くの教会で、牧師、神父にそれぞれプロテスタント、カトリックの立場からどのように考えるのかを尋ねられてはいかがでしょうか。これらの人たちは、そういった質問を持つ来訪者にオープンであると思います。また、これらの人たちは、それぞれの意見の根拠について、聖書のどの箇所に基づいているかを示しながら答えることができると思うので、質問された方もご自分でその内容を確認できると思います。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
んー 砂漠の一民族の宗教から派生したもので、時代とともにめまぐるしく変化している宗教だと思います。 この宗教の前身はユダヤ教で、キリストの存命時代にはキリスト教はありませんでした。 彼が信仰していたのは 「ユダヤ教」でした。 彼の死後、信者がイエスを教祖とする新しい宗教を作ったことになっています。 だから、イエスではなく信者の思想が基盤になり、時代とともに変化していっている常に流動する宗教だと思います。 残念ながら、信者はイザとなるとイエスを置いて逃げちゃいました。 口では立派なことが言えるが、実際はできなかった。 最後までイエスの教えを伝え殉教していったことになってますが、実際は殉教じゃなかったみたいです。 あくまで宗教を広める都合上 殉教したことにしちゃったみたい。 彼らがもし天国に行き、神と同じように人間に言葉をかけることができるようになっていたとしたらヨハネ パウロ2世に「あのーー 殉教していないんですけど」って言いにきたと思います。 三位一体でいけば、天国に行った人は神となるので、何でもできちゃうことになるし。 さて、昔は天国とか地獄という概念がなかったと思います。 サタン。 この意味は現代の悪魔という概念ではなく、「悪口を言う人」って意味として用いられていました。 今のドラクエに出てくるような頭に角が生えててしっぽがある野獣になったのは、中世の頃だと思います。 イエスが荒れ野で対決したサタンとは、自分の弱い心のことだと思います。 つまり自分と対決したってこと。 いつ頃から天国や地獄の概念ができるようになったのか、正確にはわかりませんが、神の国を天国と呼ぶようになり、人間も行けるって言い出したのはイエスが最初だったと思います。 ただ、これも創作されているかもしれないという疑いがあり、もしかしたら当のイエスは心の安らぎを天国と読んでいたのかもしれません。 それを聞いた人が、勝手に天国像を創り上げ、マキャベリー的に利用したのかもしれません。 例えば今でいえばニート。 イエスはニートの人に、自分の床を担いで歩けって言いました。 その時、恐怖で彼を動かしました。 怠け者の男は、地獄の幻が想像できた。 つまり 本当に鬱ではなかったので、さっと立ち上がってスタスタ歩けるようになった。 >逆に『天国』とは現在ではどのようなこと言うのでしょうか。 カソリックなのかキリスト教の概念なのかわかりませんが、サタンと神が闘って、神がサタンを地球という空間に閉じ込めたことになっているらしいです。 そして人間もサタンと同じ空間に閉じ込めたらしいです。 完全な善なる神は(サタンと同じ空間に人間を閉じ込めた人を完全に善と呼べるのか疑うがありますが) 悪に満ちた地球には入ることはできないそうです。 従って人間の救済を外からやるしかないです。 (っていうか最初から閉じ込めなければいいんだと思うけど・・・) どうするかというと人間が完全なる善になってしまえば、その悪に満ちた空間から抜け出せるって事じゃないかと。 完全に善なる神が愛する人間を悪の空間に閉じ込めたってことから、人間が考える善と神の善は違うことになり、だからややこしい。 もしかして人間が想像する悪が完全な善なのかもしれないし。 で、エデンは記述からいくと、今の中東にあるみたいです。 地球にあるんですね。 ヨハネの黙示録は誰がいつ完成したのかわかりませんが、あれを読んでもマキャベリズム的なので、やはり天国・地獄という概念は、市民を統率するために作り出された支配者の使うやり方だと思います。 この支配者とは神ではなく、人間です。 この中には宗教家も含まれていると思います。
- hw4183
- ベストアンサー率17% (15/86)
こんにちわ、ちょっと一言、 天国地獄、三位一体、復活の意味、処女懐妊、キリスト教では、漠然としたところが確かにあります。信仰深い、敬虔なクリスチャンもなかなか、いろいろな誤解、があるようです。 ところでamitypsさんの質問でややあいまいな立場での質問をされている感じがしますが、天国、地獄を信じてらっしゃいますでしょうか?どうでしょうか? ニュアンスから、勝手に解釈させていただきます。 まず仏教徒であろうと、キリスト者であろうと、哲人であろうと、霊的視点があるかないかが非常に大切ですね。色即是空、空即是色、と言われる様に、世界がこの世だけでは完結してない、多次元世界の存在を認めるかどうか、あの世を信ずるかどうか、まずこの問いに対して、一つの答えを持つ事が必要となります。 あの世を信ぜず、天国も地獄もないですね。 作り話としての天国地獄であったなら、時代を問わず、地域を問わず、人種、民族、を問わず、世界中で宗教が天国地獄を言い続ける事も哲学がイデアの世界を考え続ける事もありませんね。真実は何千年経っても真実で、唯物論は敗れ去り信じる人は減っていきます。そのような理念で建国された多くが蜃気楼のように消えさってます。唯物論は間違いですね。マルクスが残したような、真実でないものは百数十年で消えてなくなりますね。 天国地獄は心の状態です。ですから各個人の心の状態、(心境)の数ほど天国地獄があるって事です。 たとえば、いつもイライラして、怒っている人、 心がいつも波立ち、落ち着かない。一生かけてそのような心を作ったわけです。 死んで残るものは、この心と心の傾向性(ようするに魂、)だけですね。 死後、この傾向性のままにあるわけです。どうでしょうか? わがままに生き、気に入らないと人を傷つけ、人の気持ちなどこれっぽっちも考えなかった。怒鳴りまくり 周りの人を恐れさせ、その人がいるだけで、いやな思いをさせた、その心がその魂が実在なのですよ。 死後、みんなと一緒にはいられませんね。(阿修羅地獄) 四六時中エッチな事ばかり考えてた人はそうゆう魂に自分がしたわけです。死後そうゆう世界ですね。(色情地獄) 心の世界なわけです。一般には、心は誰も見えないから分からないとお思いでしょうが、心が実態として、実在、実相として存在する世界であるわけです。 これは訓練といいますか 自分の こころ をよくよく見つめる事、によって事実を認識するようになります。(もちろん 法の学び が前提です) 人の幸福を祈り、よき思いとよき具体的行動をおこした人はその善き思いの世界へ赴きます。 マザーテレサは天使(女神)の世界ですね。 松下幸之助も高い世界(スーパー大黒天)ですね 一生お百姓さんであっても、その心美しく、純朴で優しく、思いやりにすぐれ、笑顔で生きた方は、結構高い世界に帰られますし、逆に偉い政治家や偉い先生といわれた方であっても、心に執着をつくり心に毒の種を蒔き続けた人はあの世では暗く、冷たく、苦しい、世界で数百年、の時を反省して過ごす事になります。 西洋では、スウェーデンボルグの霊界探訪紀が天国、地獄の詳しい描写が残されてます。 日本では源信の地獄の描写が事細かく記されております。どちらも非常に共通点が多く、異なる宗教の共通する普遍性を感じ取れます。 あ~! 一言のはずだったんですがスイマセン! また機会があったらお邪魔させてくださいね。 お互い地獄に落ちないように頑張ろう!!
- pastorius
- ベストアンサー率48% (538/1110)
宗教の勉強をちゃんとしたことはありませんので聞きかじりの知識ですが。 地獄という概念は、聖書の原典には出てこないみたいです。 ソドムとゴモラだったか何かの件りで、火で何日間も焼かれる、とかなんとか記述があって、これが原始的な地獄の概念のようです。 キリスト教における現代の地獄のイメージを決定付けたのは、ダンテの神曲だそうです。 ダンテは「私が行って見て来た」という書き方をしていますけど、創作であることは明らかしょう。 しかしギリシャ神教にも天の神ゼウス、海の神ポセイドンの兄弟に、地界の冥王ハデスという奴が居ましたから、起源はずっと古いのでしょうね。 地獄関係のことはこちらが参考になります。 http://tchannel.hp.infoseek.co.jp/daioo/rekishi.htm ここでは特に仏教の地獄について詳しいです。宗教美術で天国や地獄が題材にされるのも仏教の方が多いような気がしますね。 現代の地獄についても記述があります。 ちなみに日本の神道には天国とか地獄という概念はありません。あの世とこの世だけです。 現代ではどうなんでしょう。 特に近年更新されたことも無いと思いますから、宗教的にはキリスト教ならダンテの神曲の世界で、仏教なら六道の概念が、そのまま受け継がれてるんじゃないんでしょうか。 天国や地獄で産業革命が起こって、ビルが立ち並んだりコンビニが出来て便利になったりしてるとも思えませんから。 天国や地獄が実際にあるのかどうか知りませんけど、死んだ後でも悪いことしたら報いはあるし良いことしたら良いことあるぞ、と、生きてる多くの人が思ってる方が、生きている人の社会の平安のために便利だと思います。 個人的にはそれ以上は考えても意味が無いので考えてません。
- 1
- 2