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我が子殺しの家康?娘むこ殺しの信長?
我が子殺しの家康?娘婿殺しの信長? 信康は家康の実の子で、 信康の嫁は、信長の実の娘ですよね……??? 信長は「実の娘の旦那」「同盟国の大名の実の息子」と「同盟国の大名の嫁」を殺したわけですよね。 家康は「実の息子」、「自分の嫁」を殺したんですよね。 もし上記のことが史実だとしたら、 どんないきさつで、こんなひどいことが起こったのでしょうか。 信長はともかく、家康は人格的に光っているイメージがあったので、 なんかショックです。 戦国時代には、こんなことはよく起こったのでしょうか。
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色々な説があります。リンクを張っておきますので ご自分なりの解釈をしてください。 http://www.geocities.jp/hosinoufo3/nobuyasu-jiken.html >戦国時代には、こんなことはよく起こったのでしょうか。 織田と徳川くらいの力関係だと 群雄割拠の時代では、さすがにここまでのことは しなかったでしょう。 ただ、この頃だと武田を長篠の戦で倒し、 上杉は謙信がいなくなり、本願寺との戦いでは 鉄甲船を開発し、毛利水軍に勝利。本願寺を孤立状態にした。 天下布武も時間の問題という状況となってくると 「徳川がいなくても…」という考えが頭をよぎっても 不思議ではありませんね。
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- Kiriyama-taicho
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>>家康は人格的に光っているイメージがあった 歴史的評価ではあまり光ってはいないですよね。 狸親父とよく評されます。六男忠輝のことは有名で一説によると顔が 醜いために嫌っていたと伝えられています。 ただ信康については関が原の合戦の時に跡取りと決めていた秀忠が 遅参すると聞いて息子(信康)が生きておればと嘆いたと伝えられていますので、 信康のことは買っていたのでしょう。 戦国時代の大名クラスですと兄弟と言っても一緒に育てられる訳ではないので 今ほど兄弟の情、親子の情というのは強くなかったのではないでしょうか。 信長は実の弟も切っています。妹市の旦那も攻め滅ぼしていますし。 家康も孫の千姫の旦那(つまり豊臣秀頼)を攻め滅ぼしているし、 そのご落胤である男児を殺害させています。 美濃の斎藤義龍は父斎藤道三を攻め滅ぼしていますし、武田信玄は 実父信虎を追放しています。
- tasukarima
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日常茶煩 自己主張の弱い人は生き残れないし 上には立てないでしょう 家康は小さいときから 居候2杯目はそっと出すの生活で隠忍自重が身についた人のようです まあこの時代の 強いものには耐えがたきを耐える は 処世術 信康は若いでしょう まるで織田の傀儡政権のように耐える親父にたいしていつも文句はいっていたのでしょう しかし家康はこの下克上の世情には 自分のような2代目が最適と思っていたでしょう (武田北条と組んで反織田連合で勝算ありなんて信康でなくとも腹の中では誰もがかんがえることですから) そうゆうことを考える少々の優秀性があっても悟られる油断は許せないでしょう 苦労を知る能力というか素質がないとわが子を評価していたでしょう ウサギ小屋の家でみんな寝てるわけじないので 親子の情はいまほどないでしょう そのようにはじめからそだてますよね この時代一般的に棟梁の子は 母親とも離してね 自立の取得? 親父がやられても すぐカバーできるように 築山も昔は利害一致の実家の武田との政略 家康は油断しません 若い息子は政略の嫁の織田に油断したのか これみよがしだったのか 信長にはプラスなことがらになったようだね このようにその家家にとっていろんな事情があって いろんな形での 親殺し追放子殺しがおきます とくに家が大きくなるにつれて 逆に小さいと結束するでしょう 真田なんか仲いいでしょう 長男が徳川へ味方したのは みんなで円満合意したからですよね
よくどころか家康は子供にはかなり辛く当たっています。 長男信康:切腹 次男秀康:(豊臣家へ)人質にだし、生涯不仲 三男秀忠:あまり評価していない 六男忠輝:(秀忠に命じて)流罪 孫の家光も弟の忠長を自刃に追い込んで、実質的に殺している。 織田信長も弟の信行を刺殺したのをはじめ、叔母のおつやを磔で殺し、5男勝長は武田家に獲られて見殺し(後に帰還)。 武田信玄だって負けていません、父親を駿河に追放して長男の義信は自分に逆らったとして自刃させる。 伊達政宗は父親が人質になったので、見殺しにした。 有名どころはこうですが、小領主になると保険をかけるために、自分の身内をわざと裏切らせて、敵方に味方させます。 戦争に勝てば裏切った身内を粛正すればよし、負けても敵に走った身内は生き残るので、家が潰れることはない。 信州の真田家などが有名ですね。 この時代、高い理念を持っている人ほど身内にも容赦がないんです。 前例があって、室町初代将軍の足利尊氏は勇敢で気前が良く、家族を大切にする武将でした。 結果的に弟に裏切られ、血を分けた息子にも攻められ、将に骨肉の争いを経験して死んでいきます。 家の安泰、世の中の平和を願うなら、例え身内でもマイナスになる人には厳しく接するのが高潔な人間の特徴です。
嫁の築山殿は今川家の娘。 もともと織田嫌いです。 桶狭間での敗戦後、今川凋落の兆しがあり、 今川に離反し、織田方に与した徳川ですが、 築山殿と信康に反織田の動きがあった。 具体的には謀反の動き等があったため。と言われています。 と、称して武田と内通していた家康が妻と息子を犠牲にした 上の説は江戸時代に徳川擁護の立場でかかれた嘘だ という説もあるようです。 一説には信康の大器ぶりを恐れた 信長が後顧を取り除くため謀殺したとまで言われています。 まあ、諸説ふんぷんですが。 信康 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E4%BF%A1%E5%BA%B7 築山殿 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%89%E5%B1%B1%E6%AE%BF こちらも参考に http://www.geocities.jp/hosinoufo3/nobuyasu-jiken.html http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q146925559