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明治六年十月十四,十五日の廟儀に

木戸孝允が病気を治して健康体で出席していたならどんな展開になったでしょう? 木戸は早くから征韓論を唱えていた急先鋒的な存在であり、しかも当時は大久保と犬猿の仲だったと聞きます。 西郷に同調して遣韓大使派遣に賛成したでしょうか? 大久保、岩倉らの謀略を抑え、遣韓大使派遣を現実のものにしたでしょうか? だとすれば、西郷、大久保に並ぶ政府の大重鎮であった木戸がこの廟儀に欠席した事は遣韓派にとって非常に不利な状況であり、結局内治派 に敗れた大きな要因であったと思うのですが。

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  • ocean-ban
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回答No.1

回答にならないことを、始めにお詫びします。 歴史の問題で。「そのときこうだったら」とか言うのは全く 無意味だと思います。 過去は変えることはできません。 あなたの想像の範囲で考えるだけでしょう。

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