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明治の人の名前

明治時代は下の名前を音読みすることがあったという話を聞きました。 谷干城(たてき)→かんじょう 西郷従道(つぐみち)→じゅうどう 臥雲辰致(ときむね、たつむね)→たっち 松方正義(まさよし)→せいぎ 伊藤博文(ひろぶみ)→はくぶん 木戸孝允(たかよし)→こういん 以上の人物は音読みするのは聞いたことはありますが、でも黒田清隆→せいりゅう、山形有朋→ゆうほう、大久保利通→りつう、というのは聞いたことがありません。 そこで思ったのですが、音読みするというのは一般的に行われていたことなんでしょうか?それとも一部で用いられていたものなのでしょうか? またなぜこのようなことが行われていたのでしょうか?

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noname#49020
noname#49020
回答No.2

 そうですね、黒田、山形、大久保さんの音読みは、私も聞いたことはありません。  先に挙げられた谷干城以下はおおせの通り、音読みが多く、また音読みの方が正解の場合もあるようです。  名前の読み方は、何時の時代もハッキリと決まったものがないというのが実情です。  昔でも今でも、戸籍には読み方やフリガナは書いていません(戸籍の名前は自由に変えることはできませんが、読み方は本人の勝手でどうにでもなります)。↓ http://www004.upp.so-net.ne.jp/hitosen/ujina/ujina5.html  ですから、明治の人の名前の読み方は、本当のところはよくわからないのが実情だと思います。  挙げられた明治の有名人の読み方も、当時一般に呼ばれていた読み方(音読みが多い)から、本人が『ワシの名前の読み方はこうじゃ。』といった記録や御子孫の話などから、訓読みの方が正しいと判断して修正し、現在の読み方になっているものと思われます。  それでは、昔なぜ音読みが多かったかと申しますと、実際に本当に音読みの名前も多かったですし、また訓読みは意外と難しい(どう読むのかわからない)ということがあります。  だから、他人は漢字を見て、どうしても読みやすい音読みにしてしまう傾向があるように思います。語呂がいい、発音しやすいということもあるでしょう。  例えば原敬は、『たかし』が本当らしいですが、当時から最近まで『たかし』と呼ぶ人は居ませんでした。みんな『ハラケイ』と呼んでいました。私自身も音読みの方が読みやすい名前で、会社では定年まで音読みの方が通っていました(チャンと呼んでくれるのは人事の女の子だけ(笑))。  まあ、戸籍にフリガナがついているわけではなし、当時は今の区役所のように読み方を届けることもしません。  テレビやラジオ放送もない時代ですから、正しい読み方が一般に伝わりません。本人も世間が違った読み方をしているとは、ウスウス気づいていたとは思いますが、気にしていなかったと思います。  西郷従道の氏名届出のエピソードが面白いです。↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E5%BE%93%E9%81%93   山本権兵衛は『ごんべえ』じゃ『カラスがほじくる』を連想するので『ごんのひょうえ』にしたのでしょうか。↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%A8%A9%E5%85%B5%E8%A1%9B 

daitoua2600
質問者

お礼

確かに訓読みだと何て読むかわかんない名前って多いですよね。だから音読みされる人が多かったんですか。納得しました。 リンク先も拝見いたしました。 従道は間違って登録された名前だったんですね。確かトリビアの泉でもやってましたが、兄の隆盛も間違えて登録されたとか。兄弟そろって間違われるとは不運ですね。 確か浜口雄幸も本当は幸雄という名前だったのを逆にして届け出てしまったので雄幸になったと聞いたことがあります。 ご回答ありがとうございました。

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  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.5

江戸時代、知識人は本名・通称以外に文人としての「号」をしばしば持ちました。 例えば、寛政の改革を行った松平定信は、老中として活躍していた時は「従四位下 侍従 越中守」であり、「松平越中守」と公的には呼ばれていました。一方、彼は著書がいくつもある文人であり、「楽翁」(らくおう)と号していました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E4%BF%A1 明治時代になってもこの習慣は続き、 英文学者・作家 夏目金之助の号は漱石 陸軍軍医総監・作家 森林太郎の号は鴎外 陸軍大将 西郷隆盛の号は南洲(なんしゅう) 独文学者・随筆家 内田栄三の号は百閒(ひゃっけん) といった例が多数あります。大正から昭和になると、こうした習慣はすたれ、芥川龍之介、川端康成、志賀直哉と言った昭和以降の文人は特に号を名乗っておりません。 ここまで挙げた「号」に注意してください。全て音読みで、訓読みする例はありません。「号は音読み」と決まっていたのです。 伊藤博文や木戸孝允は文人でもあり、漢詩を多く残しています。ただ、どちらも特に号を持っていなかったようなので、彼らを文人として語る際は「はくぶん」「こういん」と音読みするのが習慣になっています。 政治家として彼らを語る際は、「いとうひろぶみ」「きどたかよし」です。「内閣総理大臣伊藤ハクブン」などと読んだら、それは「誤読」です。

daitoua2600
質問者

お礼

なるほど、号は音読みという決まりがあったんですか。ということは文人ではない人を訓読みすることは間違いなんですね。 ありがとうございました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

高校時代の国語の先生に 「日本では、偉くなると、音読みになるから、私のことも音読みしなさい」と言われました。 今考えると、これは、中国趣味の一つで、偉くなると「雅号」で呼ぶという、江戸時代からの流行だったのではないかと思います。 なので、雅号風で収まりのよいものは、音読みされたのではないでしょうか。

daitoua2600
質問者

お礼

確かに音読みの方が訓読みより響き的に偉そうに感じます。ヒロブミよりハクブンの方がカッコイイ感じがします。 しかし、その国語の先生はすごいこと言う人ですね。 ありがとうございました。

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.3

そもそも日本人の名前にはいろんなものがあります。そのうちの博文、正義というようなものを実名または名乗といいます。 実名とは、武士や公家の男子が元服するときに名のことで、だいたいは感じのよい漢字を2つならべて訓でよみました しかし、実は、この訓で読むばあいの読み方というらのは、どうでもいいものでした。実名は文書(主には公文書)のためにあるものです。つまり発声されることはほどんどなく、通常、親でさえ男子を実名で呼ぶことはあまりなかったのです。一般的には、主君、師、父以外は、むしろ実名で呼ぶのは失礼なこととされていました。これは中国の習慣にならったものです。 実際、大石良雄が「よしお」なのか「よしかつ」「よしたか」なのかは今でもわかっていません。徳川慶喜の「よしのぶ」も、文献に他の呼び方(のりよし、よしひさ、など)がいろいろ出てくるらしく、アヤシイ呼び方だそうです。つまり、実名の呼び方はそもそも何と発声されていたかわからないものが多いのです。 それではまわりの人は何と呼んだのでしょうか。それは、目上の人や公的な場では官職(官職がなければ住んでいる地域など)です。越前とか中将などですね。親からはすっと幼名で呼ばれていたかもしれません。それ以外の人たちから(または公以外の場)の呼ばれた方、それが実名の音読みなのです。これが、ある程度敬意をこめた最も一般的な呼び名だったのです。 つまり、江戸時代風にいえば、伊藤博文はひろふみではなくハクブン、ハクブンさん、ハクブン公、ハクブン様などと呼ぶほうがむしろ一般的です。勝海舟は、幼名麟太郎、実名義邦、維新後改名して安芳となりました。勝は幕末ころ安房守(あわのかみ)だったため「あわ」とも呼ばれていたことから、その音(あほう)と同じ読み方をする安芳をあてたのです。このことからも「やすよし」という訓よりも音を重視していたことがわかると思います。 (参考『漢字語源の筋ちがい―お言葉ですが…〈7〉』高島俊男著 より) http://www.amazon.co.jp/%E6%BC%A2%E5%AD%97%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%AE%E7%AD%8B%E3%81%A1%E3%81%8C%E3%81%84%E2%80%95%E3%81%8A%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8C%E2%80%A6%E3%80%887%E3%80%89-%E9%AB%98%E5%B3%B6-%E4%BF%8A%E7%94%B7/dp/4167598086/ref=sr_1_1/249-4032447-9483537?ie=UTF8&s=books&qid=1176072831&sr=8-1

daitoua2600
質問者

お礼

実名は文書の為だったんですか。初めて知りました。 ありがとうございました。

  • suicyo
  • ベストアンサー率43% (83/193)
回答No.1

学問的なことは分かりませんが‥ 明治時代に限らず、いつの時代にもあったのではないかと思います。 「信長公記」も「しんちょうこうき」とも言いますし、和歌の家の 藤原定家・俊成も「ていか」「しゅんぜい」の方が一般的ではない かと。探せば、他の時代でも色々出てくるのでは‥ 全く参考になりませんが、私の子供の時、変わった訓読みの名前の 同級生がいて、普段はあだ名で○○ちゃんと音読みをしていたとい うこともありましたし、「裕子」「洋子」を「ひろこ」と読む女子もいて、 ややこしかった記憶があります。 そう言えば、「裕子」「洋子」を普通に「ゆうこ」「ようこ」と読むと、 音読み+訓読みとなり、これはこれで不思議ですね。女子の ~子には多いですね。俊介・修輔・秀介なども同様。 もっとも、平安~鎌倉あたりの~子は音読みで「~し」とも読んで いたという話もあり、興味深いです。「式子」内親王=「しきし」 「しょくし」「のりこ」など。こちらの方が音読みか訓読みで完結 していますね。 あと蛇足。完全に音読みということなら、坊さんはたいてい音読み だと思います。最澄空海栄西道元法然親鸞日蓮一遍‥

daitoua2600
質問者

お礼

確かに明治時代に限らずほかの時代でも音読みされてますね。将門記、義経記とかもそうですし。中国からの影響なんでしょうかね? ご回答ありがとうございました。

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