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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:木戸孝允は、何故、“維新の三傑” の一人なのか?)

木戸孝允の維新の三傑への貢献

このQ&Aのポイント
  • 木戸孝允は、倒幕・維新において重要な役割を果たし、西郷隆盛や大久保利通とともに維新の三傑として称えられています。
  • 木戸孝允は、戊辰戦争や明治維新において西郷隆盛らと協力し、新政府の樹立や近代化を推進しました。
  • 木戸孝允は、明治政府の設立において内務省などの要職を務め、地方行政の整備や近代化政策を実施しました。また、憲法制定にも関与し、日本の近代化に大きく貢献しました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • cse_ri3
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回答No.1

普通に、明治維新を起こした薩長のうち、長州藩の代表格だからじゃないかな。 最も、木戸孝允自身が大きな業績を残したわけではありませんが、彼だけが生き残って、明治を迎えたから。 他の大きな仕事をした長州人は、皆死にました。同じ世代で木戸だけが生き残った。 高杉晋作、久坂玄瑞、木島又兵衛、皆死にました。木戸だけが生き残った。 大村益次郎や伊藤博文は、少し格下です。倒幕活動では、メインではありません。 まあ、死人も含めて、長州人の出した功績を、生きた木戸だけが受けとったのだと私は捉えています。

noname#240775
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。 伊藤博文や大村益次郎や山縣有朋は、(大村益次郎は明治後すぐに亡くなってしまいましたが、)明治になってからは有名ですが、幕末からの維新に大した貢献をしたわけではありません。 長州藩で幕末からの維新に貢献をしたのは、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允などです。 薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀。 土佐藩の坂本龍馬。 が、幕末からの維新に大きな貢献をしたと思います。 伊藤博文や山縣有朋は、幕末からの維新にかけての貢献度でみれば、寧ろ、京都の公家連中の方が大きな働きをしたぐらいです。 伊藤博文と山縣有朋は幕末からの維新に対しての貢献度でみれば、いなくても一緒だったと思います。

その他の回答 (1)

回答No.2

そうですね~ 明治維新は薩長同盟が主力で行われました。 その代表者が西郷、大久保です。 あと長州の木戸か。 ほどなく西郷も大久保も亡くなり薩摩は人材 不足に陥り、黒田が首相をしただけで後は 伊藤など長州藩が長い間首相を務めました。 この関係で「木戸」がまつられたのでは?

noname#240775
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。 西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、坂本龍馬と並んで、維新に対して大きな貢献をした人物の中で、明治以後もしっかりと生き残ったのは、木戸孝允だけだったからだと思います。 吉田松陰や高杉晋作は、もっと早くに亡くなってしまいました。