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心が豊かである、暮らしとは、何でしょうか?

ふと、思いました。 ネパールへ1ヶ月ホームステイしたとき、物質的・経済的に恵まれていなかったものの、そこでお暮らしの方々の瞳の輝き・生きることへのエネルギー等、日本人が失ってしまったものを、ネパールでお暮らしの方々は、お持ちでした。 文明の発達は、私達の生活を豊かにしているのでしょうか? 心が豊かである、暮らしとは、何でしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • shinsun
  • ベストアンサー率30% (4/13)
回答No.8

私もそのことを日本にいながらいつも考えています。 私は心も体も健康で生活も将来への不安はあるものの、恵まれた生活をしていると思っています。 お金はあっても困りません。 文明もないよりあった方が快適に過ごせます。 けれど、それは私の生まれ育った環境がそうだからそう感じるんだと自分では思っています。 ネパールで私も生まれ育ったのなら、そこでの環境しか知らないとしたのなら私は同じく今と同じ気持ちを味わったと思います。 けれど、ネパールで産まれても自分が不幸だと感じる瞬間があるとするならば、周りの人と比べて何か自分が劣っていると感じる時だと思います。その感覚は日本にいると想像つかないようなものかもしれません。 日本人はテレビをつければ知らない他人の生活やら自分達とは違う人達の生活情報を知ることが簡単に出来ますよね。 人は何かと、誰かと比べることで自分の今の生活レベルを嫌でも知ることになります。それが良い結果ばかりもたらしてくれるのであればいいのですが、悪い結果をもたらす原因になる場合だってありますよね。 競争社会を生み出す原因のひとつが「情報」です。 「文明の発達」という視点から質問者様は心の豊かさについて考えているように感じますが、問題はそれだけではなく、「情報が溢れている社会」ということも問題なのではないかと私は思いました。 心が豊かである暮らしとは、心の支えになってくれる家族、仲間に囲まれている暮らしがそうだと私は思っています。 お金なんていつどんな状況で失うかもしれませんが、寂しい時に側にいて話を聞いてくれる友人や恋人、家族が一人でもいたのなら空虚だった心も豊かに、幸せな感覚に満たされますからね。 結局は人と人との絆が大事だと私は思っています。

koara_dayo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 最近、諸事情があり、仕事が忙しく友人との交流ができない状況にあります。 そうしますと、やはり、心はすさみます。 豊かな暮らしとは、心の支えになる人との交わり・絆が重要だと最近、つくづく感じました。

その他の回答 (11)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.12

1.文明の発達は、私達の生活を豊かにしているのでしょうか? 2・心が豊かである、暮らしとは、何でしょうか? これ質問の順序が逆ですね! 1 心が豊かである、暮らしとは、何でしょうか? 2.文明の発達は、私達の生活を豊かにしているのでしょうか? の順序がいいですね。 1.の答えは心に信仰心を持って生きることです。仏神への信仰心をもって生きることを心豊かに生きるといいます。信仰心とは仏神の存在を信じ、いつも心の中で仰ぎ見るという意味です。 2.の答えは苦しみの大部分が経済的なことからきていることは明らかであるのでより多くの人々を豊かにする文明の発達は肯定されるののです。 2.は1.が前提条件になりますね。つまり1.の答えを失っているから2.が先になるという逆転が生じているのですね。質問の順序が違っているのはそのためですね。

koara_dayo
質問者

お礼

ご指摘ありがとう、ございます。 順番が逆ですね。

回答No.11

環境と一つになる、今に生きる、或いは今現在ここに在るという自覚が有るという事かと思います。それは会う人全てと心が繋がっているという事でもあります。 今現在見ているもの、聞いているもの、自分の存在そのものが今の環境と対立をしない状態かと思います。対立と矛盾が人間を不幸にして、心を辛い、苦しい想いにするからです。 人間の孤独感、疎外感、生き難い想いなどは全てが心の対立と矛盾によって引き起こされているからです。自分の心の矛盾を解消させる事が心が豊かである。と言う事かと思います。それは今現在を、たとえお金がなくても、有っても、どんな状態であっても「肯定できる」と言う事につきます。 現在を肯定できなくて、全てに否定的になる事が、精神疾患の始まりと言えるからです。外から見ていて不幸に見えたとしても、本人が肯定的に生きているなら、その人は「心豊かな人」と云えるかと思います。そこにしか人間の幸福はないと言えると思います。

koara_dayo
質問者

お礼

>人間の孤独感、疎外感、生き難い想いなどは全てが心の対立と矛盾によって引き起こされているからです。自分の心の矛盾を解消させる事が心が豊かである。と言う事かと思います。それは今現在を、たとえお金がなくても、有っても、どんな状態であっても「肯定できる」と言う事につきます。 ご回答ありがとうございます。 この部分に感銘を受けました。 どんな状態でも「肯定できる」ということの大切さ、学ばせていただきました。

  • michan555
  • ベストアンサー率20% (65/310)
回答No.10

文明は関係ないと思います その文明に合った喜び、楽しさはあるとおもうので ストレスと喜びの二つに因子を分けますと 究極的に言うと 心が豊かである暮らしとは 全くストレスのなく喜びばかりの状態でしょうか? まったくの自由で抑圧が何一つない状態は幸せだといえます 一般的には適度なストレス下でそれを解消しながら生活することが幸せだと思います ストレスより喜びが上回っている状態です。 ここまでが心が豊かである暮らしじゃないでしょうか ネパールの人々はストレスがほとんどなくて喜びにあふれているのでしょう 日本のような経済大国では、日常の仕事がストレスばかり 喜びよりストレスが上回ってる人が大半じゃないでしょうか

koara_dayo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ネパールへゆき、文明は、その生活の中にあった状況の中で暮らすため、さほどに関係ないことを知りました。 ご指摘いただいたとおり、ストレスと喜びが重要な切り口になると思います。 ストレスをコントロールし、小さいことでも、喜びに変えられる力を大切にしたいです。

  • shinsun
  • ベストアンサー率30% (4/13)
回答No.9

言い忘れたことがあったので追加します。 質問者様は素敵な体験をなさったのですね。 うらやましく思います。 私もそのような体験や感動をしてみたいものです。

koara_dayo
質問者

お礼

ありがとうございます。 大学の教授にお共してついていったのですが、貴重な体験になりました。

noname#76141
noname#76141
回答No.7

 物質的・経済的に恵まれていない場合でも、瞳が輝いている人もいれば光を失っているような人もいるでしょう。  物質的・経済的に恵まれている場合でも、瞳が輝いている人もいれば光を失っているような人もいるでしょう。  周囲に貧富の差がある場合とない場合でも、同様のことは言えるでしょう。  環境に影響されやすい面があるのも現実としてはあるでしょうが、そうではない現実もあるのですから、少なくとも環境がどうであれ、心豊かに生きることは可能であることは事実ですので、そうした生き方を目指したいものです。  あまり詳しいわけではないですが、例えば、松下幸之助といった方などは、奉公から始まり、当然様々なご苦労も経られ、更には大発展されるに至りますが、終始一貫して他者がより幸福になることが自分の幸福であるという気持ちで生き続けられたようです。  つまり、逆境・順境・平境、などに関係なく、常に様々な恩恵に感謝しつつ、よりよい世の中にして行きたいという気持ちで生きて行くことが、心が豊かである生き方そのものだと思えます。  

koara_dayo
質問者

お礼

松下さまのお話を引用していただいて、お話しいただきありがとうございます。 たしかに、松下さまの生き方は、心が豊かなものだと感銘いたしました。 忘れがちになりますが、「常に様々な恩恵に感謝する心」を私も大事にしたいです。

  • yayuh
  • ベストアンサー率16% (7/42)
回答No.6

心が平和であることです。 別の言葉でいうならば、気づきや感動が溢れることです。 足りないものを見てしまうとなかなか、心を豊かにすることは難しくなるのではないかと思います。全てを完全に網羅している存在は、もう存在ではないですから。 じゃぁ、心を平和にするには…ですが、 既に言われているように、今この瞬間の瞳の輝き・生きることへのエネルギーを探してみることですよね。

koara_dayo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 心が平和で穏やかであることが、一番素晴らしい暮らしだと私も思います。

回答No.5

ネパールなどの発展途上国の人は、日本人より いきいき生きているように見えます。 特に子どもの目の輝きにはっきり違いがあります。 野生動物と家畜の違いのようです。 養鶏場のニワトリも動物園のライオンも飢える心配はありません。 病気や怪我をしたら治療してもらえます。 でも、けだるい毎日です。 野生動物はいきいき生きていますが、野生のニワトリは 天敵に食べられるかもしれないし、ライオンは病気や怪我をすれば 獲物が取れなくなって飢え死にするしかないでしょう。 どちらが幸せかは、一概に言えません。 ネパールの多くの人は、日本のように経済的、物質的に 恵まれた暮らしにあこがれているはずです。 物質的にも精神的にも豊かな暮らしを望むのは 欲が深すぎはしないでしょうか。 新しく何かを手でつかむには、いま持っているものを離す 覚悟がいると思います。

koara_dayo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ネパールの方々は、日本の暮らしをあこがれておられました。 両方を望むのは、欲張りですね。 ならば、私は、多少、ローテクでも良いので、精神的に豊かな暮らしがしたいです。

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.4

自分が思う「心が豊かな暮らし」とは、常日頃から色々な物事にアンテナを働かせて「深く考えること」「深く感じること」。 何不自由無く幸せに生活出来ていても、レジャーや娯楽を楽しんでも、その時に考えたり感じたりしていなければロボットと同じです。 同じクラシック音楽好きでも、ただ「趣味の欄に音楽鑑賞と書いているだけ」の人と、1つ1つの作品に深く心動かされる人とは、その音楽の意味が全く変わってきます。 「心の豊かさ」と「貧しさ」の違いは、そういうところなのではないでしょうか。 ただ現実問題、そういう事を忘れ「ただただ生活して」しまっている人は、世の中案外多いのかもしれませんね・・・。

koara_dayo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >常日頃から色々な物事にアンテナを働かせて「深く考えること」「深く感じること」。 この部分に感銘を受けました。 私も実践してゆきたいです。

回答No.3

ターシャ・テューダーとか。 http://www.tashatudorandfamily.com/    

koara_dayo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 本屋さんで、ターシャさまの書籍をお見かけしたことがあります。 一度、手にとって拝読してみます。

回答No.2

よく文明人を自負している人(タレントなども)が未開の部落など へ行って生活を共にして感動して帰ってくる話はいくらでもあります。 未開や発展途上の生活が心も含めて豊かだとは到底思えません。 ぼくは水洗トイレ以外のところではまず生活は無理です。やはり、 人の心を暖かくしてくれるのはお金だけです。のろのろした何もない 発展途上の生活や星が多い気などと騒いでいる文明人には我慢がなり ません。ネパールもチベットもみんなろくに風呂にも入らないような 黒い顔をしています。ある種の人たちは勘違いしているのでしょう。 特に日本人は。

koara_dayo
質問者

お礼

たしかに、ネパールへ行ったとき、地面に掘っただけの穴の中で排泄しなければならず、先に排泄された汚物を見て、排泄するのは、勇気が要りました。 でも、この体験のなかでも、水洗トイレのありがたさを再認識できたことに感謝できたので、私は素晴らしい経験だったと思っています。