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銭の払い方

江戸時代、庶民が飲み屋などで100文支払いするとき天保通宝出切るまではどうやって支払いをしましたか?4文銭25枚出しますか。豆板銀は店に量りがいりそうなので出さないと思うのですが、どうなんでしょう。まあ1朱は持ってないことにして。

みんなの回答

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.2

江戸時代の物価はかなり小額で飲み屋などで100文も使うことはまず考えられないとおもいます。 これだけの使用を想定するのは豪遊になります。 したがって事前に用意しなければできなかったでしょう。 銭さしでも用意していなければできないことで、おそらく常連であれば「つけ」で支払すると思います。 江戸時代は「つけ払い」が多くこの為庶民は当座の金がなくとも生活できましたし、高額の金子を持ち運ぶ必要は稀でした。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.1

江戸時代によく通用していた銭貨の使い方に、銭緡(ぜにさし)というものがあります。   銭100文を集め紺の麻糸に通したもので、95文以上あれば100文で通用したと伝えられています。 これが事実なら得になり、そうでなくとも便利なので、100文前後の取引にはよく使われました。

mersess
質問者

補足

この銭緡のことは知ってますが庶民が居酒屋等で支払うときもこの銭緡を持ってたのでしょうか?現代の人からするとかなり懐が重くなくと察せられます。それで4文銭25枚で払うのかなと思ったのですが。

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