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関東軍について
こちらでの質問や、ネットで調べましたが、私にとっては難しい言葉で説明してあって意味がわかりませんでいた。関東軍というのは一体何のために、どういう人たちで構成されたのですか?満州の鉄道を攻撃して、それを中国が自分でやったことのしたとか何とかは読んだのですがそれもいまいち何のためにか分りませんでした。教えてください
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- Pinhole-09
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1905年日露戦争の結果日本がロシア帝国より譲り受けた、満州遼東半島の一部(関東州)の租借権(前の香港が例)と、南満州鉄道(満鉄)とこれに付属する利権を守る為中国政府と協定の上、関東州に常駐した軍隊と満鉄の独立守備隊がその始である。 1919年これ等を統合して関東軍とした。 関東軍は軍隊だが、例外的に利権や民生面でも大きい力を持っていた。 当時の中国は中央政府の統括力弱く、各地方には軍閥の長が居て江戸時代の大名のように、軍事、経済などの支配権を持っていた。 利権の例のひとつとして、満州で大量に採れる大豆を安く買占め、満鉄で港へ運び輸出して大きい利益を得たという。 満州では親日的な張作霖元帥がその長で、日本側との摩擦はなかったが、関東軍が利権の急速な拡大を図ったので、摩擦が大きくなり関東軍は邪魔になる張作霖に代わり、言いなりになるその部下の将軍を軍閥の長にしようとした。 1928年張作霖の乗った列車を爆発させて殺したが(柳条湖事件)息子の張学良はその将軍を殺し自分が長になった。 関東軍の仕業と感じていたのだろう。 関東軍は満州の全利権を得ようと日本の中央軍部と図り、満州国建設計画に到達し計画を練った。 1931年北大営で満鉄線路爆破事件が起こり、これを中国軍の仕業として直ちに関東軍の鉄道守備隊が行動を起こし、満鉄周辺の中国軍を制圧した。 数千の日本軍が数万の中国軍を制圧したのは、張学良が軍事には弱く対応がとれなかった為だろう。 張作霖の準備した兵器は優秀で弾薬も豊富だったが日本軍の手に落ちたという。 これと呼応して日本より数万の軍隊が派遣され、満州全土で張学良軍と前面戦争になり、南方に追い払い清朝の後裔の溥儀を皇帝として満州国を建設した。 しかし実権は関東軍指揮下の日本側が握った。 ロシア帝国はソ連邦に変わっており、その脅威に対応するとして関東軍は増強され、日本最強の軍隊といわれた。 しかし日米開戦に伴い1941年ころから精強な部隊は南方へ移動し、1945年では蝉のぬけがら同様だった。 エドガー・スノーの著書など参照
- migimonza
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日本陸軍の満州派遣軍です。 万里の長城の最西端にある山海関の東に 駐留する軍の意味で関東軍と言いました。 任務は満州での日本の権益保護でした。 満州国を作り上げてからは、日本が指揮する 満州国軍の役を果たしました。