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満州事変の背景

満州事変の背景を調べると、学校の教科書では「資源を求めて起こした。」などと書いてあり、ネットで調べてみると関東軍の暴走であったとしるしてあり、資源を求めたために行ったとは記されておらず、よくわかりません。 なぜ満州事変を起こしたのでしょうか?教えてください。

みんなの回答

回答No.4

満州事変の背景を知るには、当時の極東の状況を知ることが必要です。 本来、日本の満州経営の目的は、隙あらば満州を併呑しようとするソ連邦を阻止することが第一の目的でした。 当時日本としては、満州⇒朝鮮半島⇒日本本土と、樺太⇒日本本土という2正面で敵を受けることになるので、シベリア鉄道を制圧する拠点ともなる満州は非常に大切な場所でした。 そのため、日本による満州の社会資本整備は、日本国内と違いしがらみがないことも手伝って、大工業地域すら形成していきます。 そのため、周辺諸国のねたみと警戒心をあおり、それりが満州における共産党・馬賊・軍閥等への援助という形で顕在化していったのです。 その結果が反日・抗日運動であり、関東軍司令部の現状認識力不足のため、燎原の炎となって広がってしまったのです。 石原莞爾が「世界最終戦総論」を唱え、満州占領区拡大を図ったのが満州事変ですが、「頭の良い馬鹿」の陥る罠、「相手が有ることを考えない」おかげで、余計な反感を買い、周辺諸国等の警戒感を恐怖心に近いものとしてしまったのです。 最も悪い影響は、陸軍内部に統制に従わなくとも成功すればいい。という風潮を起こしてしまったことです。 始めてしまえば成功すればいい、成功できなければ、成功するまでやるという悪循環ですね。結果は、ご存知のとおり無残な敗戦ですが。

  • Yelm
  • ベストアンサー率19% (63/324)
回答No.3

捕捉しますと当時の中国では長らく列強に奪われ続けた自国の権益 を奪い返すべきとする「国権回復運動」というものが大々的に行われ、 またこの手の運動の常として次第に過激化していき、日本を含め各国 の既得権益に対する脅威となっていました。 この結果、進出した日本企業や日本人が危害を加えられたりテロに あったりする事件が頻発していたのです。 これが現在であれば「そんな地域からはさっさと撤退しろ」という 事になるわけですが、満州事変当時の日本では満蒙への投資額が 15億円と大正後期の国家予算の総額に匹敵する額となり、また 何より「満蒙の権益は日清・日露の両戦役で血の犠牲を払って 獲得したもの」とする意識が強く、権益の放棄は国内政治の次元で 全く問題外でした。 このように関東軍の暴走を国民や議会が容認する下地があったのです。 また列強諸国も日本同様に国権回復運動の過激化には手を焼いていた 経緯もあって、強い態度には出てこないだろうという、少々甘い予想 もあったようです。 少なくとも初期の内は列強も日本にはある程度、同情的でしたがその後 日本政府が不拡大方針を公約するなか、関東軍が統帥権と国民世論の 支持を背景に政府の国際公約を無視する形で占領地を拡大し、政府も これに引き摺られた結果、日本はドンドン国際的に孤立していく羽目に 陥ります。

  • oka123
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回答No.2

実行部隊は「陸軍」ですが 背景は多くの人と思惑がからみあっていると思います 動機は ・陸軍は「戦争するのが商売」、平和な時代では肩身がせまい  代表的人物は板垣征四郎司令官、石原 莞爾参謀、上原大作大佐 ・行政機関は満州で自由に政策とくに産業発展を目指したい  代表的人物は実質的には岸信介内務官僚(戦後、首相)  一次産業では農地、2次産業では市場がほしかった ・日本政府は領土が広くなること ・国民は(特に農家の次男、三男)内地では農地が持てない  どこか移住できる広い土地がほしい ・産業界はものを売るための市場がほしい   代表的人物は日産コンツェルンの鮎川義介氏 ・亡命していた「清国(満州族が中心)」ラストエンペラー  溥儀皇帝が存在しているのでこの人を利用すれば  「傀儡政権」が簡単につくれるという状況があった ・中国と戦争しても短期に勝利できると考えた ・国民意識としてロシアと戦争した戦利品として  満州には日本の権益が及ぶことがあたりまえという発想 ・中国に資本投資した例えば満州鉄道などの資本財を  中国にただで渡す(獲られる)は困る、永久に日本の  主権が及ぶようにしておきたい などなど・・・・・・ 要は、軍部、行政、国会、産業界、国民の思惑が一致した 結果の「いけいけの精神」が満州事変の発生原因ですね おたずねの資源という面では満州には「石炭」「鉄鉱石」 が出るということぐらいですから、要因としては やや小さいものだと思います 広い意味での資源ということでは、「国土」「農地」「農作物」 「石炭」「鉄鉱石」「その他の金属元素」という多くの 要素を得ようとしてという意味の資源確保ということならば 資源戦争という面も否定できませんが。 軍部の暴走というのも一面的な見方であり、「国全体」が それを許す、望むといった精神状況にあったというのが 原因だと思います 例というのも変ですが、談合事件が起きたら その支店長が暴走したから・・・と言うようなものです 会社の社長や幹部全体が「会社利益のために火の玉に・・」という 雰囲気が満ち溢れた会社がそのような事件を起すわけですからね 火の無いところに煙は立たない・・です (人物名は満州事変以降の満州国運営上の中心人物も挙げています)

  • caesar-x2
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回答No.1

資源というよりも、土地そのものが目的だったと 考えていいんじゃないでしょうか。 満鉄の権益の付随して、石炭鉱山などはすでに 所有していたわけですから。 通説では、満州事変は、国策によって引き起こされたのではなくて 石原莞爾(本人が自分はA級戦犯だと主張したが無視された)や板垣征四郎(A級戦犯)ら 関東軍将校らの独断で行われたとされています。 理論的旗頭であった石原の考えでは、 日本の農地改革や世界恐慌後の不況から脱却するために 中国東北地方の広大な土地に、大規模集約型の集団農場をつくって 日本人の生存圏を拡大することだとしていて、 そういう観点からも満州が日本の生命線と思っていたようです。 ヒトラーやムッソリーニらも同様の拡張政策を行っていますが、 石原の場合は(他人の土地だが)満州の開拓に(分不相応の)夢をたくしたわけですが、 それ以上の拡大には反対したようです。 しかし石原らが行った既成事実をつくっておいてから軍部首脳や内閣に認めさせる手法や、 結果的に成功しさえすれば、命令無視などの違反行為も容認されるという 過剰な成果主義は、手柄を立てたいと望んでいた他の将校らを刺激して さまざまな工作機関が、競って大陸侵略の路線に走ったようです。 結局、石原は置いてけぼりで、東条英機とも対立して、閑職に追いやられ 極東裁判ではそのおかげで重要人物ともみなされませんでした。 満州事変の背景には、手をつけることのできない国内改革への不満が、 対外政策、軍事拡張の成果によってこれを解消しようという動きにつながったということですが、 それが十五年余の戦争に日本を引きずり込むことになったわけで、 計画なき、暴走とされるゆえんです。 中国を侵略するにしても、最初からもっと計画があれば、 もっとましだったでしょうね。大陸侵略は行きあたりばったりで、 蒋介石が講和を求めた時に近衛首相が拒否したのは典型的。 中華民国と講和できたら、共産党と戦うだけでよかったので、 歴史はかわっていたでしょう。ま、無理な話ですが。

toshizoh
質問者

お礼

納得しました! ありがとうございました。